第24話 伊月翠の消滅

 いつの間にか意識を失っていました。下着姿でベッドの上に寝かされて、お腹の上には掛け布団があります。ヒロキさんは床で寝息を立てていました。外からは雀の囀りが聞こえてきます。

(もうほとんど時間が残されていない)

 酔いは覚めています。脱ぎ散らかしたスカートとブラウス、それからジャケットを着て襟元を正します。緑色に髪はブラッシングしなくてもサラサラでシルクみたいに艶がありました。これはもう二次元キャラの特権と言えるでしょう。

 身支度を整えて、ヒロキさんを起こさないように部屋を出ます。

 でも最期にちょっとだけ。

「さようなら、ヒロキさん」

 寝顔を眺めて頬にキスを。これくらいならマリアさんも許してくれるでしょう。

 名残惜しくアパートを出ます。自分の部屋を確認しましたが既に表札が消えていました。歴史修正が上手くいっている証拠です。

「立つ鳥跡を濁さす、と言います。最期はどこで過ごしましょうかね」

 自然と近くの公園に足が伸びました。ランニングコースやテニスコートのある場所で、ヒロキさんに正体を明かしたのもここです。

 どんどん自分の身体から熱が失われていくのが分かります。視界もぼやけてきました。

 どうにか歩いて東家に辿り着き、中へ入って座ります。ここでヒロキさんとお話ししたこともありました。朝の公園というのは気持ちがいいものですね。光と、風が、こんなにも良いものだなんて…… 世界はなんて綺麗なのでしょう。

 犬の散歩をしている人が近くを通りましたが私には気付きません。

 自分の手を確認すると向こう側の地面が透けて見えました。目からは涙がこぼれますが、もう拭うこともできません。

「……今ならまだ助かる方法があるぞ。『やっぱり私が間違っていました』と認めろ」

 怒りを押し殺したような声がしました。顔を上げると向かいの席に、ピンク髪のツインテールという私以上にインパクトのあるヘアスタイルの女の子が座っています。不機嫌そうに半眼になっていますがそれでもなお絶世の美少女で、なぜかヒロキさんの高校の制服姿でした。

「エロゲの神様……」

「いちいち『エロゲの』と付けるな。二次元世界でたまたまエロゲ部門を担当しておるだけじゃ」

「目的は完遂しました。なにひとつ間違いなんてありませんよ」

 精一杯、微笑んで差し上げるとエロゲの神様は忌々しそうに髪の毛を掻き毟ります。若い神様だけあって落ち着きや威厳といったものからは遠く、親しみやすいのが良い点だと思いますね。

「伊月翠よ。過去の現実世界に行きたいという願いは叶えてやった。お前は強い意志で本懐を成し遂げたのだ。見事だと言っておく。途中で怖くなって諦めるか、あるいは助かる方法があるという甘言に飛び付くのではないかと侮っていたぞ」

「お褒めに預かり光栄です、神様」

「そこまでして、あの男の命を助けたかったのか?」

 なんという当たり前のことを聞くのでしょう。しかし、せっかく歴史の修正に成功したと言うのに土壇場でエロゲの神様に邪魔されたのでは意味がありません。私は慎重に言葉を選びます。

「ヒロキさん、とても素敵な小説を書くんですよ。二次元世界にいたときにネットでアクセスして何度も読みました」

「物書きなんて世の中に溢れておるだろうに」

「私にとっては唯一無二なんです。私は彼のファンですし、彼は私のお父さんでもあります」

「……本当の動機は、白石マリアのブログを見たからだろう?」

「お父さんの命を救って、お母さんの心も救う。この決意は揺るぎませんよ。例え、神様がどんなことを仰っても」

「だったらなぜ、泣いておる?」

 ピンクのツインテールが項垂れます。神様がお人好しだったことに感謝しつつ、お心を痛めてしまったことに申し訳なく思いました。

「歴史は修正され『しろクロこんたくと!』が作られない未来が確定しました。あのゲームは就職失敗したヒロキさんがフリーになって手掛けた作品ですから。そこに登場する私が誕生する未来も消えました。ですからこの私の消滅は必然です。ヒロキさんが私のことをお忘れてしまって、でもきっとマリアさんと一緒に幸せになって……」

「そんな保証はないぞ。あやつらはただの幼馴染。くっつくとは限らん」

「あの二人は連れ合いです。昔も、これから先も、ずっと」

 首を横に振って否定させてもらいます。マリアさんの宣戦布告を受けた私だから否定できるのです。

「泣いている理由は簡単です。私はやはりヒロキさんの怨念が生み出した存在だったんです。そんな自分が悲しくて」

「伊月翠。悲しむ必要はない」

「エロゲの神様?」

「お前は、あの男の一面なのだ。キャラクターとはそういうもの。怨念が生み出した存在だと? あやつは熱意ある人間だ。しかし方向性を間違えて死んだ。ただそれだけのこと。もし、その怨念から生まれたとしてもお前は人を育て、助け、想い遣る優しい存在だ。それは我がよく知っている」

「そう仰っていただけると少しだけ救われました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「たかだか一本のエロゲ消滅したところで歴史はなにも変わらんよ。『しろクロこんたくと!』が消滅した穴は宇宙が勝手に埋めて整合性が取れてしまうのだ。だから安らかに眠れ」

「はい」

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