第25話 代償
朝、目が覚めるとメールが届いていた。きつねソフトの古村さんからで、完成させたゲームが千本売れたことを報告したからその返事である。慎重に何度も文面を読み返したが約束通りに採用する旨が記されていて、歓喜のあまり大声をあげてしまった。
この喜びを一番に伝えようとしたけどベッドの上には翠さんの姿がない。脱ぎ散らかした服も残っていないので、自室に戻ったのだろう。
いつも朝食を一緒に食べるから待っていたがついぞ姿を現さず、隣に部屋の呼び鈴を鳴らしたけど出てこない。
もしかして、急な職員会議でもあったのかな?
有り得そうなシチュエーションを想像しながら朝食を済ませ、いつも通り登校する。こうして通学路の途中で待っていたマリアと合流した。
「おはよう!」
「……おはよう」
マリアのテンションは相変わらず平坦だ。いつもと違うのは眼鏡くらいだろうか? 昨日と同じピンクのフチのものをかけている。いつも学校では黒フチだけど、間違えているのかもしれない。
「そうそう、聞いてくれよ。きつねソフトからメールが届いてさ」
「就職、おめでとう」
すごく素っ気ない先制攻撃をされてしまい、ちょっと悲しい。けれどマリアから「おめでとう」なんて言われたのは初めてだ。言葉に出すのが苦手なのに精いっぱい頑張ってくれたのだと思う。
けれど昨晩、翠さんにマリアとの関係を掘り下げられてしまったので恥ずかしさが込み上げてきた。あれは忘れたい思い出のひとつなんだけど、マリアはどう思っているんだろ?
そんなこと面と向かって聞けないので当たり障りのない話題を振りつつ、教室に入って席についた。チャイムが鳴って朝のホームルームが始まると……
(あれ?)
産休を取っている筈の佐藤先生が入ってくる。しかも誰一人として佐藤先生の唐突な登場に驚いていない。
「はい、みなさん。おはようございます。出席を取ります」
何の説明も無しに、まるでいつも通りと言わんばかりの出席確認が始まった。マリアの方をチラ見したけど、それらしいリアクションはしていない。
「黒沢くん」
名前を呼ばれても返事ができなかった。佐藤先生はもう一度、「黒沢くん」と呼んだが返事がないことを怪訝に思ったらしい。教壇からわざわざ俺の席まで歩いてきた。俺はそれでも意味が分からず呆けている。
「黒沢くん、いるんだったらちゃんと返事をしてね」
「……あの、佐藤先生。伊月先生はどうしたんですか?」
「伊月先生?」
クラスメイトたちも怪訝な顔で俺を見ていた。明らかに「なに言ってんだコイツ?」って視線が集まっている。
佐藤先生は首を捻って顎にて当てた。
「伊月先生とは誰のことですか?」
昼休みになって俺はマリアに声をかけ、志島にも話を聞いた。二人とも『伊月先生』という名前を出しても首を捻るばかり。まるで最初から存在していなかったのような反応である。職員室にも行ってみたが誰一人として『伊月先生』を知る者はいなかった。
(一体、どうなっているんだ?)
動揺してまっすぐ歩けなかった。校内をどれだけ探しても翠さんの姿は無く、彼女のことを知っている人間も見当たらない。これじゃ俺の頭の中にだけしか伊月翠という先生が存在しないみたいじゃないか!
気付けば校舎北側の日当たりの悪い一角……つまりは俺たちの部室である歴史資料室までやって来ていた。昼休みは誰も近寄らない場所なのに今日に限って人がいる。
教室の扉に背を預けるように立っていたのは、ピンク色の髪をツインテールに結わえた女の子だった。すごい美少女だが表情は不機嫌そうである。制服を見ればうちの学校の生徒だとわかるが、こんなに目立つ容姿の子が記憶に残らないはずがない。
その子は俺の姿を見るや否や近寄ってきた。身長は志島よりは低く、マリアよりは高い。スタイル抜群のモデル体型であり、どんな服でも着こなしそうだった。腰に手を当てて俺を見上げて睨んでくる。
「なぜ、お前は記憶が消えておらん?」
「えっ……」
「どうして伊月翠のことを覚えているんだと聞いておるのだ」
声優さんみたいに特徴的な声で『伊月翠』という単語が出た瞬間、俺はその子の両肩を掴んでしまった。ゴミを見るみたいな目を向けられるが構うもんか。チラッと見えた光明にすがらんと声を大にする。
「翠さんのこと、知っているのか!?」
「えぇい、鬱陶しい。我を誰だと思っている?」
「教えてくれ! 翠さんはどこに行ったんだ!?」
「まずは手を離せ馬鹿者。ここでは人目につくかもしれん。屋上へ行くぞ」
仕方なく、その子の後に続いて階段を登った。やたらと短いスカートが揺れて下着が見えそうだったけど、そんなことどうでもいい。さっさと話を聞きたかった。普段は施錠してある筈の扉が開いていて、俺たちは屋上に出る。
朝は晴れていたのに、空の向こう側に暗雲が立ち込めて段々と暗くなってきた。
「お主は黒沢ヒロキで間違いないな?」
「あぁ、そうだよ。そういうあんたは誰なんだ?」
「我は二次元世界の神の一柱。伊月翠を過去の現実世界に送り出した偉大な存在である」
「あんたがエロゲの神様!?」
「えぇい、いちいち『エロゲの』と付けるな! たまたまエロゲ部門を担当しているだけだ! 本来であればもっと違うコンテンツを担当したかったというのに!」
怒られてしまったが名乗られてみると妙に納得できた。現実では有り得ない色の髪に、浮世離れした容姿とスタイル。この女の子は翠さんと共通点が多い。
「まぁ、本題に入ろうか。どうしてお前は伊月翠に関する記憶が残っておる?」
「待ってくれ! その前に、翠さんは一体どうしたっていうんだ!?」
「消滅したのじゃ。存在そのものがな。最初から存在していないのだからお主の記憶に残るなんて有り得ないことなんじゃが……」
消滅。まったく意味がわからない。いや、わかりたくなかった。
翠さんが消滅しただって?
「あんたが、翠さんを消したのか?」
もしも「はい」という返事があったら殴りかかっていた。例え相手が神様だったとしても躊躇なんてない。声は震えてしまったのに頭の中は怒りで煮えたぎっている。エロゲの神様は呆れた顔で首を横に振る。
「先に言っておくが、これは伊月翠本人が望んだことだ。あの女は自分の存在を消滅させるために過去の現実世界に飛んだのだからな。こうして我がお主の前に顕現してやった理由は、あの女の決意を無碍にしないためだ」
「待て! 翠さんは、自分が不人気キャラになった原因を変えたいって言ってたぞ!? 緑色の髪だから人気が出なかった、悔しいから変えてくれ……ってそう言ったんだ」
「まぁ、人気がイマイチじゃったのは事実よな。だが真実は違う」
「ならちゃんと俺にもわかるように説明してくれよ!」
「五月蝿いのぉ…… ほれ」
エロゲの神様が右手を掲げて指を鳴らす。すると屋上の景色がモノトーンになってしまった。校庭で遊んでいる生徒たちは完全に動きを止め、蹴り上がったサッカーボールは空中で固定されている。
超常現象を目の当たりにし、このピンク髪のツインテールが自称ではなく本当に神様だと信じられそうだった。
「時間を止めたわけではないぞ。お主の意識だけ切り離した。でないと二次元世界と繋げられないからな」
「……!」
「あぁ、五月蝿くて叶わんからミュートさせてもらったぞ。声は出せんよ」
灰色の世界に黒い穴が開き、俺はその中に吸い込まれる。振り返るともうひとり自分が立っていて、怒りを露わにしたまま固まっている。あっちが肉体で、こっちは精神なのだろうか。
穴は深くて真っ暗だった。恐怖で背筋が凍ったけどすぐに明るい場所に出る。落ちた衝撃なんて一切ない。気付けば立っていましたって感じだ。
(翠さん!!)
緑色の綺麗な髪に、白いスーツ。いつもの翠さんが見知らぬ公園のベンチに座っている。急いで駆け寄るけど俺にはまったく気付いていない。触ろうとしてもすり抜けてしまった。
「これは二次元世界で起こったことのログじゃからな。ただ見ることしかできんよ」
(このっ!!)
いつの間にか俺の隣にはエロゲの神様がいた。睨みつけてやったけど、どこ吹く風といった顔をされてしまう。その間にもログは進んだ。
翠さんは……スマホの画面を見て静かに涙を流している。その悲しそうな目に俺の胸が締め付けられ、居た堪れなくなった。
「これは、白石マリアのブログでお主の死を知ったときの伊月翠だ」
(えっ……?)
「五年後、お主は死ぬ。才能はあるのに自己管理がまったくできないお主は同人ゲームを完成せられず、きつねソフトへの就職に失敗した。不採用の屈辱を胸に書いて書いて書いて書きまくったおかげで人気エロゲライターになったが、健康面はより疎かになってしまう。二十二歳のとき過労が原因で心臓麻痺を起こしたんじゃよ」
まったく実感が湧かず、五年後に過労死するというのに恐怖はなかった。自分の命よりも消えてしまった翠さんが気がかりなのだから。
「伊月翠の登場する『しろクロこんたくと!』は、お主の遺作となった。お主はきつねソフトの入社試験である同人ゲーム制作に失敗したことが原因で白石マリアと仲違いした。しかし白石マリアは変わらずお前のことを想っていた」
呆れ顔の神様は俺の周りをゆっくりと歩いて回る。値踏みするような視線に苛立ったけど、声が出せずもどかしい。
「しかし、だ。お主が過労死したことで白石マリアは際限ない後悔に蝕まれる。喧嘩別れしなければよかった。もっと身体を労るように言ってやれなかった。幼馴染を気遣えなかった。結果として、白石マリアは筆を折った」
そんなバカなことがあるか。マリアは絵を描くために生まれて来た。絵のこと以外は大して興味もない。死ぬまでに何枚の絵が描けるのか、死ぬまでに自分が納得できる絵を描けるのか、いつもそれを気にしていた。
マリアが描くのをやめるなんて有り得ない。あいつは死ぬまで描き続ける筈なんだ。
「信じられんか? ならば伊月翠のスマホを覗いてみるがいい。お主を死なせてしまった後悔を綴った白石マリアのブログが画面に映っておる」
恐る恐る言われた通りにした。ゼロ=マリア名義のブログでは俺が過労死したこと、そのことに対する後悔と、イラストレーターを辞めることが書かれている。
(どうしてだ? どうして、俺が死んだくらいで……)
「お主は、バカで、アホで、どうにも救いようのない愚か者だ。あぁ、この機会に口汚く罵らせてもらうぞ。伊月翠は偶然ではあるがお主のホームページにアクセスし、小説を読んでファンになった。作者が自分の登場するゲームを作った人間だと知って、さぞ喜んだだろうな。だが死んだことを知った。そこでお前を救うために歴史修正を計画したのだ」
一瞬で場面が切り替わった。今度は図書館の中で翠さんが調べ物をしている。本棚は見上げるほど高くてどこまでも果てしなく続いている。それが天井に沿うように広がり、ドームの内側みたいになっていた。重力に逆らったあり得ない造りである。
翠さんは歪んだ梯子で天井近くの本を取り、考え込んでは元に戻して次の本を探している。
「これまでに二次元のエロゲキャラが現実世界に出ようとした例はない。なぜなら現実世界はひどく不自由だからだ。資源は限られ、物理法則には逆らえなくる。そんな場所に行ってまで成し遂げることなどないほど二次元世界は恵まれている。この図書館のように、想像力次第でどんなものも生み出されるからな」
さらに場面が切り替わって、翠さんの姿はボロボロになっていた。西部劇でよくある丸い草がゴロゴロ転がる荒野を歩いている。スーツはあちこち破れ、髪が乱れて、頬は土で汚れていた。
そのうち、巨大な岩がいくつも浮かぶ崖に到着して、青褪めた顔でそれらに飛びついて向こう岸に渡って深い森へと入っていく。
森は暗くてまともな道もなく、翠さんが草を薙いで進むと三メートルはありそうなムカデが現れて翠さんを追い回した。涙目でどうにか逃げ切って泉に辿り着くと、今度は象でも丸呑みできそうな大蛇が現れてやはり涙目で逃げ出す。
どれも現実世界ではあり得ない光景だった。まるでアクションRPGである。
俺は見ているだけしかできない。掴んで止めようとしても無理なのだ。
「まったく呆れる。これだけの道中を乗り切ったのだからな」
やがて地平線の先にとんがった屋根のお城が見えてきた。最初はスケール感が分からなかったけど、近づくと下手なビルよりも高くて、端から端までが見えないほど広い。いつだったか公園から見えるラブホを「神様の城みたい」と評していたが、あれはあくまで形だけだったということだろう。
城に入った翠さんは石造の広い通路を通って、真っ赤なカーペットが敷かれた広間に出た。そこはファンタジー作品なんかに出てくるような玉座の間である。しかし人影はひとつしかない。
王座にはピンク髪のツインテールの女の子がいた。俺の横にも同じ顔の女の子がいる。ということは、あちらはログの中の映像なのだろう。
「ここは二次元世界における天上、我の居城じゃ。つまりは世界を管理する施設でもある。例え変身ヒロインのような特殊能力があっても到達するのは困難を極める。深い森に切り立った崖、猛獣・野獣にどこまでも続く階段に枝分かれした道…… もしも辿り着いたら願いを叶えてやる、なんて安請け合いをしてしまってな。だから我は約束を守った。」
翠さんは片腕を押さえてよろめき、それでも歩く。
玉座にいる神様はびっくりした顔のまま固まっていた。
立ち止まった翠さんは背筋を伸ばして胸を張ったけど今にも倒れそうである。それなのにいつもの笑顔になる。
「ちゃんと辿り着きましたよ、エロゲの神様。約束通り、私を過去の現実世界に送ってください」
澄み切った天音みのりの声がいつまでもいつまでも俺の耳に残った。
懐かしいその声を聞いて膝から崩れ落ちるといつの間にか学校の屋上に戻っている。サッカーボールを蹴る音や生徒たちの叫びに似た声が聞こえた。遠くからは雷の唸りが届き、呆然としていると頬に冷たいものが降ってくる。
「それから現実世界へ送り出された伊月翠は見事に歴史修正をやってのけたんじゃよ。お主の不摂生を直し、欠けていた自己管理の意識を叩き込んだ。結果として同人ゲームは完成し、お主はきつねソフトに内定できたのだ。代わりに命を削って書いた傑作『しろクロこんたくと!』は消えてしまったがな。あれはお主が怨念を塗り重ねて作り上げたゲームじゃ。その怨念はもう存在せん」
目の前にはまだ神様がいる。俺は反射的に頭を地面に擦り付けていた。
後頭部越しに冷めた視線を感じるが、そんなことどうでもいい。
「土下座なんかして、何のつもりじゃ?」
「翠さんを、生き返らせてください!」
地面しか見えていないのに鼻で笑われたのが分かった。
怒るな、抑えろ。
「バカなことを言うな。もう一度、歴史を修正し直せとでもいうのか?」
「俺に過労死する未来が待っていても構いません! 翠さんを助けて死ねるなら本望です! だから、だからどうか……」
僅かに視線を上げると上履きのつま先が見えた。制服姿をしたエロゲの神様のものだ。
プライドも何もかも捨てて土下座をした俺の髪を掴み、エロゲの神様は顔を上げさせた。膝を突いた姿勢でスカートの中が見えてしまったけど、ギラギラと燃えるような瞳で睨み付けてくる。あまりの迫力に俺は息を呑んだ。
「何も分かっとらん馬鹿者が……」
「お願い、します。どうか翠さんを……」
「よく考えろ。伊月翠が命を投げ捨ててまで守ろうとしたものが何なのかを」
弱々しい懇願は通じず、唐突に手を離されて額が地面に衝突してしまう。脳を揺さぶられた痛みに呻いて顔を上げるとピンク髪のツインテール少女はどこにもいなかった。
消えてしまった翠さん。俺の命を助けようとして。情けなくて、ダメダメで、何にも知らない俺を…… 自分が消えてしまうって理解していたのに……
暗雲が空を覆った。冷たい雨に打たれながら、俺は声を張り上げて泣いた。
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