第21話 決戦のコミックフェスタ
決戦の日がやってきた。きつねソフトの古村さんが指定した同人イベント『コミックフェスタ』開催日である。自宅の最寄駅から東京方面へ四十分ほどの場所にピラミッドを逆さまに突き立てたみたいな形の展示施設がある。そこが本日の戦場だ。
サークルとしてのイベント参加は初めてなので事前の練習も欠かしていない。翠さんと一緒に自宅アパートでスペースの設営やお金の受け渡しを練習し、持ち物も当日の流れもチェック済だ。
宣伝だって抜かりない。ボヤイッターで定期的に進捗を投稿し、その度にイベント絵を公開してきた。マリアはゲームの完成告知用にイラストを描き下ろしてくれている。
ゲーム自体も何十回とテストプレイを繰り返してデバッグした。志島はここでも活躍し、バグ取りだけでなく、ちょっとした演出まで拘って煮詰めてくれている。それに加えて秘密兵器も控えていた。
やれるだけのことはやってきても不安は拭えていない。本当に大丈夫だろうか? 何か見落としはないだろうか? 今日で千本売らなければ実績なしの扱いになり、きつねソフトへ入社する夢が泡と消える。
荷物をキャリーカートで引いて逆さまのピラミッドに入場すると、サークルチケットを出して中へと入った。外には既に一般参加者の入場列が見える。
(あっちは経験あるんだけどなぁ)
昨日の夜から緊張していて、ほとんど眠れていない。今朝はいつも通り翠さんと一緒に食事したけどお腹のあたりが妙に重買った。マリアと志島は一般入場チケットで後から来てくれるそうだが、サークルチケットを持っている筈の翠さんは到着していなかった。会場の前に寄る場所があるからだ。できれば同じタイミングで入場したかったな……
「さて、と。練習通りに」
長机に貼ってあるスペースの番号を確認して準備に入る。といっても事前に設置の練習をしておいたので大した時間はかからない。スタンドを組み立てて、この日のために印刷した特大ポスターを掲げておく。それから長机に敷き布をかけて値札を置き、魂を込めて作ったエロゲを並べた。
ディスクに入れてパッケージまで作るのはあまりに時間がかかるので、ダウンロードカードという頒布形式をとっている。なお、このカードは志島の実家の印刷所で作ってもらったものだ。
やることリストにチェックマークを入れて、最後はスペースの写真を撮ってからボヤイッターに「設営完了。ブースの番号は……」と投稿しておく。まずは第一段階が完了した。
「ふぅ……」
ため息を吐きながらパイプ椅子に座り、展示場の天井を見上げる。鉄骨が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされていてなんだかゾワゾワしてしまった。夏なので会場の空気は蒸していて、そのせいで息が詰まる。水分は十分に確保しておいたけど、一本目のペットボトルの水はすぐに飲み終わってしまった。
(万が一、電車が遅延したケースを考えて早めに家を出たけど杞憂に終わったなぁ)
おかげで開場までかなりの時間を持て余してしまった。緊張の糸は極限に達しようとしている。
と、そんな俺の元に見慣れたおじさんが手を振りながら近づいてくる。きつねソフトの採用担当・古村さんだった。
「おはよう、黒沢くん」
「あ! おはようございます! あれ? どうしてここに……」
「友達のサークルで売り子をやるんだ。人混みの中を移動したくないから開場前に声をかけようと思ってね」
慌てて椅子から立ち上がって挨拶すると、古村さんは目を細めて俺の背後のポスターを見ている。そこにはマリア謹製の年上幼馴染ポニテヒロインがデカデカと描かれていた。
「本当にゼロ=マリア先生と友達なんだね。驚いたよ。あの人、ボヤイッターで三十万人もフォロワーがいるイラストレーターなのに商業でも同人でも描かなかったから」
「まぁ、たまたまです。運が良かったというか……」
本当にたまたまなんだ。幼稚園にめちゃくちゃ絵の上手いやつがいて、俺はその絵に惚れた。どうにか絵を描いてもらおうとして苦し紛れに『一緒に紙芝居を作ろう』なんて声をかけたのが最初だったな……
そこから十年以上の付き合いになるなんて想像もできていなかったけど。
「そういえば一人だけなの?」
「いえ、もうひとり手伝いがいるんですが……」
「ヒロキさ~ん、お待たせしました!」
言いかけた矢先、翠さんの声がした。古村さんと一緒にそっちを向くと黒髪ロングのバニーガールが息を切らせて走ってくる。看板を担ぎながらメロンサイズの胸が激しく揺れてバニースーツのカップから溢れそうになっていたので、さすがに堪えきれず吹き出してしまった。
全体的にオーソドックスなデザインで長い耳と丸い尻尾以外は艶ありのブラック、網タイツを履いて足元はハイヒールだった。いつもは俺と同じくらいの身長だけど、今日は俺より少しだけ高くなっている。髪の毛が黒で長さも違うがもちろんウィッグをかぶっているのだ。
翠さんは看板を置いて古村さんの方を向いた。もちろん笑顔を忘れていない。
「あら? こちらの方は?」
「えっと、きつねソフトで採用担当している古村さん」
「はじめまして。ヒロキの義姉の翠と申します」
「こ、こちらこそ! お初にお目にかかります! きつねソフトの古村と申します」
古村さんはめちゃくちゃ丁寧に頭を下げて、財布から名刺を取り出して翠さんに差し出した。でも視線は胸の谷間に釘付けで鼻の下が完全に伸びている。そうだよな、男だもんな。
(義姉ってのはナイスな嘘設定だなぁ。そりゃ担任の先生とかエロゲのヒロインとか名乗れるわけもないし)
俺に兄弟なんていないけど、その嘘によって翠さんは兄嫁という位置付けになる。エロゲでもない限り既婚者には早々、手出しできまい。
(いや、待てよ。兄嫁を寝取るエロゲなんて数多ある…… 油断はできん)
自分でもよくわからん警戒心で身構えていると、翠さんは古村さんと他愛のない世間話をして「弟が就職した際にはよろしくお願いします」とばっちりフォローまで入れてくれた。だらしない顔のまま名残惜しそうに去る背中を見送ってから翠さんに向き直る。
「おっと、皆まで言わないでください。似合いすぎていて自分でも怖いくらいです!」
「間に合ってよかった。無茶なお願いしたかなって、焦ってたよ」
「ふっふっふ、その辺りは抜かりありません。ちゃんとゲームのヒロインに合わせたんです。ほら、バニーガールコスでエッチするシーンありますよね? さすがにマリアさんデザインのオリジナル学生服を調達するのは困難だったので」
ポスターに印刷されている黒髪の女の子を指差す翠さんは得意げに胸を張っているけど、いかんせん年齢の差までは埋められていない。イチャラブ幼馴染ヒロインは学生という設定だが、翠さんはどう見ても教師といった風体だ。しかし、メイクで雰囲気を寄せていて『ヒロインの成長した姿』といえばそれなりに説得力がありそう。
「でも私の体型に合うバニースーツがなかったので志島さんの紹介で特注しました」
「あいつホントになんでもできるなぁ」
「一応は既製品も試してみましたがトップとアンダーの差がありすぎてキツキツかダボダボだったんですよねぇ。衣装が出来上がったのが今朝だったのでギリギリになりましたが、回収してから会場まで来ましたよ!」
「とりあえず俺のは設営準備できているから、開場までゆっくりしようか」
「そうですね。あと布石も打っておきましたよ」
置いてあった看板を持ち上げるとそこには俺たちのサークル名とスペース番号が書かれていた。
「これを持ってバニーガール姿のままウロウロしてきました。一般参加者の待機列の近くも通りましたよ。かなり目を引いたと思います。土壇場の宣伝もこれで完璧です!」
すごい…… そこまで考えてやっているのか。
こんなに心強い味方がいることに感謝しなきゃいけない。
いや、翠さんだけじゃない。マリアも、志島も。みんなで作り上げた成果がここにある。
「ありがとう、翠さん」
サークルスペースのパイプ椅子に並んで座った。翠さんの笑顔をジッと見つめる。視線を下げると胸の谷間に吸い込まれるので要注意だ。でも、ちょっと違和感がある。普段の翠さんを見慣れているので黒髪は似合わないと思った。
「これだけのことをしてもらったんだから、翠さんの髪の設定はちゃんと変えるよ。どんな色がいいの?」
「えぇっ……と。考えておきます」
あれ? なんだか急に元気がなくなったような……
だって、髪の毛の色を変えて欲しくて過去の現実世界にやってきたんじゃなかったの?
どんな色にしたいかも決めてないなんて翠さんらしくないと思う。何事も先を見通している人なのに珍しい。
「あっ、そんなことより! そろそろ会場ですよ! さぁ、売って売って売りまくりましょう!」
「お、おぅ……」
イベント開会のアナウンスが流れ、あちこちから拍手が巻き起こる。
気合を入れ直すつもりで自分の頬を張った俺は見た。オタクたちが激しくうねりながら一直線にこちらを目指してくる光景を。あっという間に俺たちのスペース前には長蛇の列が形成され、イベントスタッフたちが誘導を始めた。
ちょっと多めに千二百枚も擦ったダウンロードカードは午前中のうちに完売したのは言うまでもない。
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