第20話 土下座してでもコスプレ売り子がほしい
部活が終わっていつも利用しているスーパーマーケットに寄る。以前なら閉店直前の弁当コーナーを強襲して獲物を掻っ攫っていたけど今日は違っていた。生鮮食品のエリアを見て具材をカゴの中に放り込んでいく。
ニンジンとタマネギ、それにセロリだ。ちょっと悩んだけど肉は鶏モモを選んだ。カレーのルーに至っては種類がありすぎてどれにすればいいか判断できず、とりあえずお手頃価格の中辛にしておく。そうそう、お米も買っておかないとね。調味料もこの際だから新調しておこう。
買い物を終えて帰宅するとまずは手洗いうがい。それから米を研いで炊飯器に入れてスイッチオン。具材はちょっと大きめに切り刻んで、タマネギは飴色になるまで根気よく炒めた。鶏肉とニンジンとセロリはフライパンで炒めた後で鍋に移し、タマネギと一緒に煮込んで最後はルーを加える。
「よし、完成」
久々に料理した。というより、台所を含めて家の中が片付いたから料理できたと表現すべきだろう。
翠さんには夕食は準備しておくよと連絡しておいたので後は帰りを待つだけ。
自分でもソワソワしてしまっているのが分かる。食器を並べていると勢いよく玄関の扉が開き「ただいま!」と緑髪の翠さんが帰ってきた。なおこの人の本当の部屋は隣なのだが、それに対するツッコミは放棄しておく。
「おかえり。職員会議お疲れさま」
「もうホントお疲れですよ! あの体育教師ったらしつこく私を飲みに誘って…… いちいち断る身にもなってくださいって感じです!」
「翠さん、モテるからなぁ」
「どうせならゲーム中で人気が出て欲しいですよ。そうすれば抱き枕カバーくらいはグッズが出たかもしれないのに。っと、共用通路でもいい匂いがしていましたがもしかしてカレーですか!?」
「もしかしなくてもカレーだよ」
「ヒロキさん、お料理できたんですね…… 知りませんでした」
「一応程度にね。ひとり分だと作るの面倒だし材料が余っちゃうから。それにいつも翠さんが弁当買ってきてくれているからお返ししないと」
「二人分以上なら料理してたってことでしょうか?」
「えーと、まぁ」
適当に誤魔化しておくと翠さんは唇を噛んで悔しそうな顔を見せる。
何か不味いことを言っただろうか?
「ぐぬぬ…… 私には料理できない設定を課しておいてズルいです。お手製の破滅的料理を見せないため、毎日お弁当を買い求めているというのに」
「ま、まぁ…… お腹空いてるでしょ? 早く食べようか」
恨みがましいこと言われても、今の俺が翠さんの設定を作ったわけじゃないんだけどなぁ。未来の俺はおそらく、美しい容姿とバランスを取るために欠点として料理できない設定を付け加えたんだと思う。
カレーをよそって「いただきます」すると、翠さんは実に美味しそうに食べてくれた。コンビニかスーパーの弁当を温めるか、ご飯だけ炊いて惣菜を買ってくる日々が続いていたので気持ちも違ってくるのだろう。
つつがなく食事を終え、食器を片付けてから翠さんがカフェチェーンで買ってきたアイスコーヒーで一息つく。
「そうそう。ゲームの方は無事に完成したよ」
「ホントですか!? スケジュールよりもかなり早いですけど」
「志島の手際がいいのが大きかった。ロゴはあっという間に作っちゃうし、UIまで自作してくれたよ。あと、マリアが珍しく絵を描く以外のことをしてくれたんだ。志島に教わって音声の編集したり、デバッグしたり、色々と手伝ってくれた」
「マリアさん、絵を描くこと以外は興味なかったんじゃ……」
「志島が入ってきてから少し変わったみたい。なんだかんだあいつとも会話するようになったし」
「それはいい傾向ですね」
「でも、ちょっと浮かない顔だね」
「はい。ゲームのクオリティにはなんの問題もないと思います。正直、別のところで不安があります。例えばダウンロード販売も合わせて千本以上売るというなら問題なく目標を達成できるでしょう。しかしコミックフェスタで千本売るとなると様々な壁が立ちはだかります。来場者数、販売時間、情報の拡散、頒布方法。どれをとってもネット上での販売よりも不利です」
その点については俺も同じ不安を抱いている。同人イベントの会場という限られた場所・限られた時間でクリアするのは難しい気がした。勿論、事前の宣伝は一生懸命しているけど。
「でも、サークルスペースでの呼び込みは禁止だよね?」
「参加要項でハッキリと禁止されていますね。イベント中は呼び込み行為をしてはならないと。ですので自スペースで立って待つしかありません」
「う〜ん…… できる限りのことはしておきたいなぁ」
肝心のゲームは完成して、ボヤイッターで宣伝もしている。当初の予定にはないボイス実装まである。そうなると他にできることはあるだろうか。腕組みをして唸ってみるけど、そんなにパっとは思いつかない。
「そういえばヒロキさんはコミックフェスタに参加したことはあるんですか?」
「あるよ。一般参加だけど」
「そのときに印象に残ったことってあります? ほら、事前の宣伝を見ないでその場で買ってしまった同人誌とか同人ゲームとか」
「あるにはあるけどなぁ」
「何かヒントがあるかもしれません。がんばって思い出してみましょう」
そう言って糸に括り付けた五円玉を取り出し、俺の目の前で振ってみせた。
「もしかして催眠術?」
「ご名答。エロゲにおける伝統芸能です。これで好きなあの娘も思うがまま!」
「今の時代、そういうのはスマホの催眠アプリとかだと思うんだけど」
センスがかなり古いことを遠回しに指摘したものの、翠さんは止まらなかった。
単純な振り子運動を眼球で追うと眠くなる可能性はゼロでない。しかし、それ以前の問題でこんな方法で催眠術にかかったら恥をかきそう。
「はい、ウキウキ気分のヒロキさんは電車を降りました。歩いていると三角形を逆さまに置いた大きな建物が見えてきます。これから薄い本を買い漁りまくるぞと鼻息荒く会場に入っていきます〜」
「あー、なんだかビジョンが見えてきたような気がする」
ノリを合わせて付き合うことにし、頭の中で過去にコミックフェスタに参加したときの風景を掘り起こす。翠さんの誘導は大体合っていて会場入りするまで言葉通りに辿った。
「あなたはだんだん同人誌が欲しくなる〜 欲しくなる〜 ほら、チェックしていなかったのに目に留まった一冊が!」
長机が並ぶイベント会場で、想像の中の俺が足を止めた。その視線の先にはどういうわけかマリアがいる。癖っ毛の間から白いウサ耳が伸び、スレンダーな身体はバニースーツで覆われていた。目の前のスペースでは自作の本が並んでおり、サークル参加だと一目で分かった。
しかし、現実のマリアは本を作らない。あいつはひたすら描くだけなのである。
となるとマリアがコスプレして同人誌を頒布している様子は、俺の脳が勝手に作り出した夢のビジョンだといえよう。部室でマリアがバニーガール衣装を着た印象が強く残っていたに違いない。ん? もしかして……
「そうか!!」
「わっ、いきなり大声を出さないでください! せっかく『翠にムラムラして押し倒してしまう』という暗示が解けてしまうじゃありませんか!」
ぜんぜんそんなのかかってないんですがそれは。
俺は五円玉の振り子をガシッと掴んで止め、翠さんにアイデアを話した。
翠さんも頭の上に電球を浮かべて「それでいきましょう!」と同意してくれる。
イベント当日、現地でできる最大限の努力。それはズバリ『コスプレ売り子』だった。
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