第13話 エロゲ好きが見た遠い夢

 アパートに戻ってぼーっとしていると翠さんから連絡が入る。時間はかかったが、志島を無事に送り届けたそうだ。あっちはあっちで大変だっただろう。今後の対策を打つため合流することになる。場所はアパート近くの公園を指定された。

「なんで公園?」

 ちょっと疑問だけどOKの返事をし、家を出る。

 ふと、ひとりになると心が重いことに気付いた。志島は泣き出すし、マリアは怒るし、もういっぱいいっぱいだ。小説だけ書いているうちは何とかなったのに、ゲームを作ろうとした途端にこれである。進捗度合いは細かく記録しているから完成までまだ遠いことも承知していた。

(辛いなぁ……)

 公園の手前は駐車場になっていて、入り口のすぐ横にトイレと自動販売機がある。中へ足を踏み入れるとランニングコースになっていて円周状に道が敷かれていた。円の内側には遊具が並んでいるが、日が沈めば子供の姿はなくなる。夜の散歩を楽しむ人と連れ添いの犬、あるいは体力づくりのために走っている人がいるくらいだ。

 滑り台の横には休憩用の東家がある。昼間は子供を連れてきたお母さん方の談話ルームになっている。木立の先にあるラブホテルの屋根を見た子供が「お城がある!」とキャッキャ騒ぐので、それがどういう場所か説明できない親御さんが苦い顔をする……なんてことがよくある。

 そんな東家に近づくと翠さんがいた。

「ヒロキさん、こっちです!」

 翠さんに手招きされ、東家に入る。真四角の中でコの字に椅子が配置され、中央にはテーブルがある。向かいに座ると紙袋からサンドイッチとコーヒーを差し出してきた。近くのカフェで買ってきたらしい。そういえば夕飯、まだだったなぁ。

「ピクニックみたいだ」

「ふふふ、たまにはこういう場所で食事も悪くないかなと思って。ちょうどお城を眺めながら食べられますし」

 翠さんが指したのは公園の外に見えるとんがり屋根で西洋の城っぽい建物である。無駄にピンク色のネオン看板が輝いているあたり権威もクソもない。

「あれは……」

「分かってますよ、ラブホテルですよね。二次元世界でエロゲの神様もあんな感じの場所に住んでいるんですよ」

「城住まいですごいのか、それともラブホっぽい家なのか気になる」

 吹き出してしまいそうのを堪え、ささやかな夕食を摂る。おかげで少し気分が落ち着いた。

 それから翠さんとお互いに状況を報告し合う。

「マリアは謝りたくないって。志島が俺をバカにしたのが気に入らないらしい」

「やはりそうでしたか」

「志島はなんて言ってた?」

「こちらはトラブルの核心部分まで把握しました」

「核心部分?」

「志島さんがヒロキさんに反発する理由ですよ。ただ彼女を送り届けただけじゃありません。あの後、別の場所に移ってから事情を聞き出しました。その理由なんですけど、実は……」

「ちょっと待って」

 サンドイッチを口に運ぶ手が止めて翠さんの言葉を遮る。

「志島はさ、翠さんに話した内容を他の誰かに喋ってもいいって言ってたの?」

「いいとも悪いとも言っていません」

 平然と告げる翠さんの姿が、俺には少し冷たく見えた。その解釈はいくらなんでも強引である。

「それなら俺に話しちゃまずいよ。志島は知られたくないって思っている」

「ヒロキさんの目的を達成するために必要なことです。志島さんにロゴ制作をしてもらうのでしょう?」

「確かに、マリアに『ロゴがダサい』って言われちゃったからちゃんと作りたいと思っているよ。志島はそういうの得意だからお願いするつもり。でもそれとこれとは別の話じゃないかな」

 キョトンとした翠さんだが、それから長い長い溜息を吐いた。頭痛がするのか額を押さえている。

「ヒロキさんはとてもよくやっていると思います。シナリオを書いてスケジュールを管理してスクリプトも組んでいますよね。しかし不慣れな面があるのは否めません。キャパシティもいっぱいいっぱいになりつつあります。部活動統廃合の話を聞いてチャンスだと思いました。パソコン部に手を貸してもらえるのではないかと」

「手が増えると助かる。けど志島が俺を嫌う理由を翠さんの口から話してもらうわけにはいかないよ。告げ口じゃないか」

「ゲームが完成しなくてもいいんですか!? きつねソフトに入りたいんでしょう!? 志島さんの事情を知れば解決できる話なんですよ!」

 ビックリするほど強い口調だった。翠さんは切長のアイスブルーの瞳で俺を睨んでいる。いつもは優しいし、下品な冗談だって言う。こんな顔を見るのは初めて。どうしてこんなに怒るのかピンと来ない。

 でも、どんなに凄まれてもダメなものはダメだ。泣き出してしまった志島に追い討ちをかけちゃいけない。

「ゲームの完成と志島の問題は別」

「頑固ですね……」

「オタク気質だからね。俺、志島はスカしてキザな奴だと思ってた。あんな風に泣くなんて知らなかった」

「人間同士は理解なんてできません。互いが互いに理解したつもりになっているだけです」

「そういうところドライだよね? 俺も同じ考えだけどさ」

「いつもボヤイッターで『キャラクターは作者の一面だ』って、ヒロキさん言ってるじゃないですか。私はあなたが書いたキャラなんです。二次元と三次元の違いはあれど、私はヒロキさんの娘。いいえ、分身と言っても過言ではありません」

 こんなに綺麗で優しくて面倒見のいい人が自分から派生したメンタリティを持っているのはギャグの領域に足を突っ込んでいる。けれどシンパシィを感じてもいる。だからこそ翠さんの指導を聞き入れた。

「できることをやってみる。それにさ、翠さんが掃除しろって言ってくれたおかげで部屋が割と片付いてる。最悪のケースで部室がなくなっても、頼み込めばマリアなら来てくれるんじゃないかな。あいつの道具はタブレットPCだからスペース取らないし」

 弁解しているとジッと見つめられた。翠さんは頭の中で何かを計算しているようだ。それまでの厳しい様子は消えている。

「なんだか、頼もしくなりましたね」

「俺が?」

「はい」

 微笑んで「頼もしい」なんて言われたら照れてしまう。特大級の気恥ずかしさだ。

「分かりました。ヒロキさんの意思を尊重します。ですが忘れないでください。ゲームの完成に責任を持つのは他ならぬヒロキさん自身だと」

「うん。理解しているつもりだよ」

「では教師として……人生の先輩としてひとつだけアドバイスをします」

「人生の先輩って…… そういえば翠さん、何歳?」

「18歳以上です。登場人物は18歳以上とパッケージの裏に書かれています。だから私は18歳以上なんです」

「あ、はい」

「こほん。忘れてください」

 めちゃくちゃ照れてて顔が赤くなっている。流れとはいえ年齢を聞いてしまったのは不味かったか。でも俺が作ったキャラということは大体、何歳なのか察しがつく。お姉さんキャラは十歳年上がベストなのだ。イチャラブエロゲで学校の先生ということは、主人公の年齢プラス十歳で……二十七歳くらいだろう。

「誰にだってなりたいもの、成し遂げたいことがあります。ヒロキさんにだってそれがあるから、こうして行動しているわけです。それはマリアさんも志島さんも同じこと」

「夢ってこと?」

「夢と同義ですね。しかし、夢ほど遠くないものも含みます」

「難しいな……」

「はい。難しいのです。でも私にはマリアさんの気持ちも志島さんの気持ちも共感するものがあります。ヒロキさんを軽んじられることが、マリアさんにとっては耐え難い苦痛なのでしょう。志島さんの痛みもまた本人にとっては耐え難いものなのです。それが相容れずぶつかってしまった」

「でもケンカしてほしくないよ。仲良くしろなんて強制はできないけどさ。志島、泣いてたし。マリアも本当は泣きそうだった」

 深く考え込む。ここは自室ほど気の散るものは何もない。あるのは芝生の緑とちょっとした遊具だ。今ならお腹が膨れて脳みそに栄養が回っている。考えもまとまりそうだ。

 俺は、きつねソフトに入ってエロゲが作りたい。だから実績のために奔走している。

 けれど泣きじゃくる志島の姿も、怒るマリアの姿も見たくなかった。それに部室がなくなるのもゴメンだ。日当たりが悪くて埃っぽいけど、あの場所は気に入っている。

 じゃあ、どうすればいい? 目的を叶えるために考えた。

「自分で何とかしてみせる」

「それなら手は出しません」

「本当は心配なんじゃない?」

「ヒロキさんなら大丈夫です。信じています」

 力強い言葉をもらった俺は食べかけのサンドイッチを胃に押し込んだ。

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