第12話 幼馴染神絵師の乙女心はフクザツ
やや不穏の空気の中、会議が始まった。といっても学校の中じゃなくて駅近くのファミレスで四人がテーブルを囲んでいる。ドリンクバーの飲み物は持ってきたが誰も手を付けていない。
マリアは癖っ毛を指で弄り、窓の外を眺めていた。心ここに在らずといった様子で俺の隣に座っているのだが妙に距離が近く、二の腕どうしが触れている。
その向かいに座るのはフワリとした栗色の髪のイケメン女子・志島澪だ。ひたすら居心地悪そうに視線を逸らして時折、俺に目線を送っては何かを訴えてくる。生憎と言いたいことが分からないから後で確認しておこう。
最後に、志島の隣には白スーツの伊月翠先生。いつもの笑顔だけど、俺の目では若干の焦りが読み取れた。
「というわけで、二次元コンテンツ同好会とパソコン部は活動内容が重複しており、顧問もいないため統合するという流れになりました。今後は私が顧問を務めます。今日はその顔合わせをですね……」
これが翠さんなりの最大の配慮だということは事前に聞かされている。いつも顔を合わせて食事しているので志島とのトラブルのことは話しておいた。もしも校内でケンカでもしてしまったら、面倒なことになるのは目に見えていた。敢えてファミレスを選んだのは適度に人目があり、学校関係者に即見つかるような事態を避けるためである。ちょっとズルくて後ろめたい気持ちはあれど、俺だってこれ以上の面倒事は避けたい。
「ここまでの話はよろしいでしょうか?」
「いいわけがない」
ここまで黙っていたマリアは窓の外から視線を動かし、低い声を出す。威圧的なオーラが小さな身体から立ち昇っていた。
それに気圧されたのか志島は珍しく縮こまって控えめに手を挙げる。
「ボクも納得できません。一切の成果がない二次元コンテンツ同好会と一緒くたにされちゃ困ります。パソコン部の部員はボクひとりですが、ちゃんと活動していましす。最近だって校内行事のポスター制作を請け負いました」
「パソコン部の実績は把握しています。ですが生徒手帳記載の校則には『部活動の最低人数は四名以上、ただし顧問がいる場合に限り三名での活動を認める』と書かれています」
「けど……」
「書かれていますが、ルールを無理に押し付けたくありません。部活動とは生徒が自主的に活動してこそのもの。統廃合は学校側の都合で決定したものです。ですが反対するというのであれば、生徒としてその意志を示さなければいけません」
「わたしはイヤ」
マリアの頑なな態度に、翠さんはやんわりと提案を出す。
「では白石さん、志島さん。黒沢くん。それぞれに話を聞きますから、一人ずつ移動しましょう」
翠さんは店員さんに声をかけ、離れた最奥の席を取る。そこにマリア、志島、俺の順番で呼び出された。最初にマリアが連れて行かれて志島と二人きりになるが会話は全く無い。向こうは向こうで何か言いたそうだったがついぞ喋らなかったのである。
五分くらいしてマリアと志島が入れ替わった。志島よりは話し易いだろうと踏んでいたけど、マリアの見えないバリアは思ったよりも強固で口を開かない。一体、翠さんに何を聞かれたのやら。
「黒沢くん」
「あ、はい」
呼び出された俺は志島と入れ替わり、別の席で翠さんと向き合う。翠さんは真剣な表情でテーブルの上で手を組んでいた。
「まずいですよ、ヒロキさん」
「どうしたの?」
二人きりになったのでいつもの口調に戻っている。声音からは事態の深刻さはあまり伝わってこないけど、面談の結果が良くなかったらしい。
「このままでは二つの部活動が共倒れになります。マリアさんは『嫌』の一点張りです。理由を話してもらえるほど、私は信頼されていませんね。担任失格です」
「マリアは気難しいから……」
「志島さんは整然と反対理由を話してくれましたが、根っこの部分では感情論ですね。パソコン部としての活動が全く評価されず、実績のない部活と統合されるのを嫌がっています。あと個人的にヒロキさんが気に入らないとも言ってました」
「依頼を断られたばかりだからなぁ」
「そんなに志島さんに嫌われるようなことしたんですか? 胸を揉んだとか?」
「……そんな度胸あるわけないよ。本当に心当たりが無くて困ってる。中学の頃までは結構、仲良かったんだ。俺がノートに書いたラノベを、志島がパソコンで文字に起こしてネットに公開してくれたりしてさ」
「それって、ヒロキさんの個人ホームページに掲載している小説のことですか? あのサイトなかなか立派な作りしてますよね。小説もエロじゃなくて全年齢向けの長編でしたし。でも一番面白い作品が未完のままでしたけど……」
「なんで知ってるのさ。恥ずかしいからボヤイッターじゃ一度も触れたことないのに。それと、あのホームページ作ってくれたのは中学の頃の志島だよ」
「あのクオリティのサイトを中学生が? 驚きますよ……」
確か、翠さんは俺のボヤイッターを隅から隅までチェックして俺のことを知った筈だ。どうしてそこにない情報を知っているんだろうか。ホームページ掲載の小説はクソ真面目に書いてしまった作品群なので、今読み返すと背中が痒くなる。
「ま、まぁ細かいことは置いておきましょう。私としてはパソコン部に協力してもらってチームワークを発揮する練習になればと考えていたのですが、それよりも奥深く難しい問題をはらんでいたようです」
「難しい問題って?」
「人間関係です。ましてや鋭利組織ではなく部活動ですからね。嫌な人間と無理に付き合う必要がないというのは私個人の考えですが、今回のケースでそれをやってしまうと部室が無くなります」
「あー、それはまずいんだよな。埃っぽい部屋だけど、マリアとじっくり話す機会もなくなっちまう」
「ちゃんと部室の役割と重要性を認識していて何よりです。このままダラダラと続けていても埒が明かないので今日のところは一度、仕切り直しということで解散しましょう」
「分かっ……」
「きゃっ!!」
唐突にファミレスの店内に悲鳴が響いた。俺と翠さんは同時に声のした方を振り向く。マリアが席から立ち上がっていた。手には空になったグラスを持っている。
向かいに座っていた志島は両腕で顔を覆っていた。栗色の髪は水で濡れてべったりと顔の輪郭に貼り付いている。
(まずい! マリアのやつ、何やってんだ!)
志島の力が見た目以上に強いのは実感したばかりだ。俺でも押し負ける。もし、小柄なマリアが掴みかかられたら……
すぐに席を立って駆け寄った。けれど俺は駆け寄る相手を間違えたのかもしれない。志島は反撃なんかしなかった。顔の前で交差した腕を退けると大声で泣き出してしまう。
「う、うっ…… うわああああああっんんっ!」
「志島さん!」
翠さんが志島の方に駆け寄って、ハンカチを取り出して顔を拭く。店員さんもすぐに来て、床やテーブルを拭いてくれた。そんな中、マリアだけが時間が止まったように立ち尽くしている。
いつもの平坦な表情じゃない。怒っているようにも見えたし、悲しんでいるようにも見えた。
「マリア!」
細い肩に手をかけて、マリアをこっちに向かせる。けれど何も喋ろうとはしない。二人の間で何があったのかは分からなかった。
翠さんは嗚咽を漏らす志島を家まで送ることになった。あの泣き顔を思い出すと胸が痛くなる。いつもの芝居がかった志島からは想像もできない姿だ。マリアに水をぶっかけられたのに怒ることも反撃することなく、その場で泣き崩れてしまったことが意外である。
ファミレスからの帰り道、俺はマリアを家まで送ることになった。目を離すと何をしでかすか分かったもんじゃない。部活動の統廃合の話は中止になって日を改めることになった。
俺が車道側を歩いてマリアと並ぶ。大きなトラックが通り過ぎる度に嫌な風が吹いた。別れ際、翠さんはこっそりと俺に耳打ちして「ケンカの原因を探っておいてください」と言い残している。そうしたいのはやまやまだが、素直に喋るとも思えなかった。
事情はどうあれ、手を出してしまったのだから謝るべきだろう。
「なんであんなことしたんだよ」
信号待ちで立ち止まり、横断歩道の終点を見据えたまま訪ねてみる。横に並んだマリアは答えない。意地を張っているようだ。
「部活、なくなっちまうかもしれないぞ。つっても志島のいう通り、活動実績なんてないけどさ」
あくまで表向きは、である。あの部屋から生まれた数々のエロ小説とエロ絵はそれなりにネットを賑わせている。高校生がアダルトコンテンツを作っているなんて学校側にバレたら大変だから秘密のままでいい。
赤から青へ。横断歩道の信号が変わり、足を踏み出す。マリアの歩幅は小さいからそれに合わせる。しかし、俯いて立ち尽くしたままだった。この信号を渡ればマリアの家はすぐそこだというのに。
「ったく」
沈黙するマリアの右手を握って引いてやった。するとダンマリを決め込んでいたのが「ヒロキ!?」と驚いた声をあげる。小さな手がしっかりと指先を握り返してきた。二人で横断歩道を渡り切るとマリアは顔を上げた。頬が紅潮してプルプル震えている。まるで子犬のようだ。
「ほら、行くぞ」
「……」
「渡り終わったぞ?」
「……」
「マリア?」
細い指先には力が籠ったまま。離せとも言い出せず、かといって力づくで振り解く気も起きないので手を繋いだまま歩く。こんなの小学校の低学年以来か。恥ずかしくなってきたので話を逸らすことにした。
「なんだか、こっちの方に来るのも久しぶりだよな。マリアの家って二回しか遊びに行ったことないし」
「三回」
「そ、そうだっけ? 幼稚園のときと小学校一年生のときに一回ずつだったと思うけど」
色々あってマリアの両親から嫌われているから近寄らないようにしていた。俺は「娘を悪の道に誘う悪い虫」というポジションだと認識されている。
「小学校六年生のときをカウントしていない。それが三回目」
「あれは遊びに行ったわけじゃないからなぁ」
「あの日は…… 生きてきた中で一番嬉しかった」
「そんな大袈裟な」
「お父さんも、お母さんも、わたしが絵を描くことをよく思っていなかった。けどヒロキは言ってくれた。うちに殴り込んできて『マリアには絵の才能がある。その才能を邪魔なんてさせない』って、ちゃんと言ってくれた」
まずい。思い出すだけで冷や汗が出てくる。
あれは小学校六年生の頃。突然、マリアは絵を描かなくなった時期があった。勉強そっちのけで絵ばかり描いていたマリアは両親からひどく怒られ、画材を全部取り上げられてしまったのである。それどころか算数や国語のノートまでチェックされ、落書きがしてあれば全部マリア自身の手で消させたのだ。
(あのとき、初めてマリアが泣くところを見たんだよなぁ)
常にマイペースで表情の薄いマリアが涙を流していた。その姿を目の当たりにした俺はあろうことか、白石家に乗り込んでしまったのである。今にして思えばなんてバカなガキだったのだろう。
マリアがどれだけ絵を一生懸命描いているか、どれだけ絵のことを考えているのか、絵を描くことに思い悩むマリアがどれだけ凄いか、そんなマリアから俺がどれだけ勇気をもらったのか……ご両親相手に腹の底から熱弁した。
その甲斐あってか、あるいはもう面倒臭いガキに絡まれたくないと思ったのか、マリアは再び絵を描くことを許可されたのだった。
小学生の俺。ほんとバカだったなぁ……
しみじみと思い出して路地に入ると、塀に囲まれた大きな家が見えてくる。あれがマリアの住んでいる場所だ。うちのボロアパートとは大違いで、広くて庭付きである。
その塀の上で一匹の黒猫が欠伸をしていた。マリアの姿を認めるなり、そいつは降りてくる。白石家の飼い猫・凛だ。小学校の頃からいるので相当な老猫だろう。ちなみに神絵師が猫を飼っているのは一般常識だ。
「ただいま、凛」
マリアが撫でてやると凛がゴロゴロと甘ったるい声を出す。なお、俺が手を伸ばすとネズミでも見るかのように鋭い目を向けて猫パンチを繰り出してきた。触らせないぞという断固たる意志を感じる。何故だ。
ニャンコとの触れ合いは諦めよう。俺はとことん白石家に嫌われているらしい。
「明日、志島に謝れよ? 手を出したのはマリアなんだから」
「謝らない」
「あのなぁ…… 志島が悪いっていうなら何か理由あるのか? それを話してくれないとマリアが一方的に悪いってことになるぞ」
「あの女はヒロキのことをバカにした」
「それだけか?」
なんだ、大したことじゃない。マリアが怒る必要なんてなかったのに。
俺が呆れているとみるみるうちにマリアの顔が強張っていく。
「それだけって…… 悔しくないの?」
「悔しいけどさ、俺がバカにされたくらいで怒るなよ。マリア自身が何か言われたならともかく」
「なんで、あの女を庇うの?」
「え? 庇ってるかなぁ?」
「ヒロキのバカ」
「え? え?」
踵を返したマリアは門の中へと入ってしまう。その後を追った黒猫の凛は俺の方を一度だけ振り向いて、鼻を鳴らしてから去っていった。
なんだろう。同じような反応をつい最近、味わった気がする。これには本当に参ってしまった。
せっかくゲーム作りが軌道に乗ってきたのに、ロゴ問題や部室問題で頭を悩ますことになるなんて……
「はぁ…… とりあえず帰るか……」
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