私はエロゲのヒロインである。人気はまだない。
恵満
第1話 担任の先生がエロゲ声優ボイスだった
最初に壮大なるエロの歴史について語ろう。
知っての通り、人類は言葉を得たその日からエロトークをしていた。火を囲い、暖を取る彼ら彼女らは皆、猥談に勤しんだのである。それは生物の本能からだけでなく、天災や野生動物など自然の脅威に挫けないため互いを勇気づける意味もあった。
やがて言葉だけでなく人類は形でエロを作るようになり、土を捏ねた像におっぱいを盛り、ぶっとい木の棒はち○ち○に見立てて奉られた。
獣の壁画を描いた穴蔵から脱して農業を身に付け、文化を発展させた人類はさらなるエロを追求するようになる。神々しい裸婦から触手に絡まれた町娘まで数多の題材が神絵師たちによって描かれた。
さらに時代が進んで自然科学が発展すると音声の保存が可能となり、エロボイスドラマの先駆けともいうべき作品群が産声をあげた。
さらにさらに、写真の誕生はより写実的エロスを生み出したが、俺は二次元にしか興味がないので割愛させてもらおう。
写真を連続で投影することでエロ動画が作られ、そこに音声が加わることで人類はさらなるエロの階段を駆け上がる。
こうして綴れば、いかに人類が己の技術をエロのために費やしてきたのかお分かりいただけるだろう。
その系譜に連なる究極のコンテンツこそ、エロゲなのだ。
甘酸っぱいイチャラブから血涙流れるNTR、往来では絶対に口に出来ないような××モノ。幼馴染でも人妻でも変身ヒロインでも魔法少女でもなんでもござれである。愛らしい女の子のイラストが、とびきりのボイスで喋って物語を紡いでいく。
これほど高度なエロは過去の歴史でも例を見ない。人類はコンピューターの普及と共に無限に広がる二次元のフロンティアを手にしたのだ。
だからこそ、その地に根ざして雄叫びをあげなければならない。俺の人生を変えたエロゲを世に送り出したクリエイターとメーカーに最大限の経緯を払おう。
俺は二次元のエロスを追求する。この身が果てようとも、その夢は揺るぐことなんてないのだ。
カーテンの隙間から朝日が差している。
ちょっとだけ残っていたエナジードリンクの缶を一気に空にし、俺は大きく伸びをした。酷使した脳みそは腐ったように重いが気分は清々しい。
徹夜でノートパソコンのキーボードを叩き続け、自分の中にあるビジョンを書き出した。だからこその気持ち良さである。
エロ小説投稿サイト『ミッドナイトノベル』に連載作の最終話を投稿し、そのことを世界最大のSNS、ボヤイッターで告知。反応は上々で一気に『イイね』が積み重なっていく。
「あ、やべ」
壁掛けの時計を見れば、既に八時近くになっていた。
今日は月曜日だから学校がある。
まぁ、授業中は寝ているし、成績もよくないから今更どうってことはない。このままサボってしまってもいい。
けれど出席日数が足りなくなると面倒だ。それなら学校で寝るのがベストだろう。
冷蔵庫から新しいエナジードリンクを取り出し、プルトップを持ち上げて一気飲みをする。
おかげでだるかった身体がシャキッとした。
脱ぎ散らかした衣服の山からシャツとズボンを引き抜き、シワだらけのブレザーの学生服に着替えてリュックにノートパソコンを詰める。
「いってきます」は必要ない。何故なら我が居城に同居人はいない。俺はボロアパートで一人暮らしをしているのだ。
玄関を出て鍵をかけて供用通路へ出ると、何やらお隣のドアの前には表札がかかっている。荷物が入ったと思しき段ボールも積んであった。昨日までは空き部屋だったのに誰か引っ越してきたらしい。俺には関係ないことだけど。
「いけね、遅刻する」
走ればちゃんと間に合う。
しかし、疲れた体で走ったら息が切れるのでなるべく歩きたい。
そんな葛藤を抱えながらスマホで現在時刻を確認するとメールが届いた。件名は「採用面接について」である。
「……まさか!」
画面を注視しながらアパートの階段を降りるとコケそうになった。
心臓がものすごい速さでビートを刻んでいる。画面をフリックしてメール内容を確認すると羽が生えたみたいに身体が軽くなった。
『黒沢ヒロキ様。この度は有限会社きつねソフトのシナリオライター採用にご応募いただきありがとうございます。選考の結果……』
スクロールする指が震えてきた。
やばい。いや、この俺が落ちるわけがない。
これだけエロゲを愛しているんだ。この俺がエロゲを作らず、一体誰が作るというのだろう?
「うおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!!」
メールを最後まで読み終えて雄叫びをあげる。
憧れのエロゲメーカーの最終面接まで進んだのだ!
通学路を急ぐ学生たちに変な目で見られたって構わない。ついにやったんだ!
極限まで高まったテンションでステップを踏み、加速装置がかかったと言わんばかりに駆け出す。
ついでにこの喜びをボヤイッターに投稿しておこう!
が、しかし。
「あぶない」
抑揚のない声がしたかと思うと目の中に火花が飛んだ。
歩きスマホで電柱に激突して地面にぶっ倒れたが、そのくらいの痛みで俺の喜びが薄れることは全くなかった。
どうにか朝のホームルームに間に合ったのだが、額から鼻筋が全面的に痛い。触ってみると腫れ上がっている。
そりゃ電柱に衝突したんだから仕方ないよな。学校に着いたあたりから急に痛み出したけど、心の中は雲ひとつない晴天模様である。しかし痛いものは痛い。
「保健室に行ったほうがいい」
前の席に座る女子が振り返ってそう告げる。
そいつは癖っ毛の黒髪に丸い眼鏡で、高校生なのにせいぜい小学校高学年くらいの歳に見えた。小柄で身長は150センチに届いていない。声のトーンは独特で鼻が詰まっているみたいに聞こえた。
表情はいつも平坦で、驚いたり喜んだりすることは殆どない。それは表面上の話だけで実際は感情豊かである。付き合いが長ければ読み取れるようになるだろう。
「そう思うならさっさと声をかけてくれよ、マリア。少なくとも電柱にぶつかる前にさ」
「ヒロキが楽しそうだったから躊躇った」
「すげぇことがあったんだよ」
「それはよかった」
幼稚園からの幼馴染、白石マリアはサラッと告げる。あの……何があったかくらいは聞いてくれてもいいんじゃないの?
マリアはいつもこんな感じだ。だいたい俺と一緒に登校して遅刻ギリギリ。今日は本当に遅刻しそうだからと走る羽目になった。
おかげで全身がだるい。もう一本くらい、エナジードリンクをキメておくべきだろう。
どのみち授業中は寝るけど。
その前に、メールの返事をしておかないと。「とりあえず今日の夕方、行きます」と。
スマホでメールを打ちながら意識が微睡みに落ちそうになった。徹夜のダメージはこれから寝て回復しよう。
そんなことを考えていると教室の前の扉が開く。何故か教頭先生が入ってきた。
もちろん、担任の先生ではない。クラスメイト全員がざわめく。だがマリアだけは極端にマイペースだから気にした様子もない。
「あ~、静かに」
そう言われて黙るような高校生はいなかった。教頭先生は咳払いをして、どうにか静かにさせる。
「2年A組のみなさん、おはようございます。急なお知らせになりますが、みなさんのクラス担任の佐藤先生は産休に入られました」
「えっ? うそ!? 彼氏いない歴28年の佐藤先生が!?」
「そんなバカな……」
「もしかして俺たちを騙して男を咥え込んでいたんじゃ……」
朦朧とした意識の中で、どうでもいい会話が耳に入っては抜けていく。
徹夜でエロ小説を書き上げたバックファイアは大きい。そろそろ寝ないと死んでしまう。
「臨時の先生を紹介します。伊月先生、どうぞ」
教頭が手招きした次の瞬間、教室内に爽やかな風が吹いた。
入ってきたのは若い女の先生である。
スラっと脚が長くて背がすごく高い。白いジャケットスーツにタイトスカートがいかにも先生っぽかった。それなのに胸元はバスケットボールでも詰めたかのように大きなカーブを描いていて、腰にかけてのラインは細く括れ、お尻から太ももにもかなりのボリュームがある。
二次元にしか興味のない俺の目が釘付けになる程のプロポーションだ。
それだけじゃない。頭は小さく、鼻筋の通って細い顎、加えて目や眉は完璧な左右対称に配置されている。
伊月先生と呼ばれた女性が教壇に立ち、切長のアイスブルーの瞳で室内を見回すと時間が止まったような静けさが訪れた。
美人である。俺が、17年の人生の中で目にした中で間違いなく一番の美人だ。
おかげで目が冴えてしまった。ホームルームなんて寝て過ごそうと思っていたのに。
「初めまして。今日からみなさんの担任を務めます、伊月翠です。よろしくお願いします」
おぉ……なんという美声。
声優的絶対音感を持つ俺の耳が正確に分析する。これは推しエロゲ声優、天音みのりソックリのボイスじゃないか!
素晴らしい。こんなに素晴らしいことはない。これから、この先生の授業を受けるときだけ起きていようと思えるくらいに!
しかし、難を言えば……そのなんというか……すごい美人でも欠点はあるのだろう。
おそらく俺以外の誰もがそれを感じている筈だ。
「あの…… 伊月先生」
前の方の席に座る女子がおずおずと手を挙げた。
ほぼ全員の視線がそちらに向く。当然、伊月先生の目も。
場の空気からして、何を質問しようとしているのかは明白である。その推移をみんなが見守った。
「なんでしょうか?」
「どうして髪の毛の色が緑なんですか?」
凍てついた海へ最初に飛び込むペンギンは勇者とされている。群れの中で最も讃えられるべき存在だ。俺は今後、心の中で彼女のことを勇者と讃えよう。
新任の伊月先生は息を呑むほど綺麗な人だ。しかし、腰まで伸びたシルクのように艶やかな髪の毛はなぜか若草色である。どうしてそんな色に染めたのか。
生まれつきそんな髪の色の人間なんて実際しない。エロゲのキャラかパンクロッカーならそんな色もあるだろうが人工的なものだ。
クラスの誰もがツッコミたくて堪らなかった。一体、どんな理由で髪を緑色にしたのか?
伊月先生は少し首を傾げ、優しい笑顔で答えてくれる。
「生まれつき、この色ですよ?」
「えっ……」
ざわめきが伝播していった。俺たち高校生が持つ一般水準の知識では、地球上に緑色の髪の毛で生まれてくる人種がいることを知らない。
見兼ねた教頭先生は手のひらでパンパン音を鳴らし「あー、静かに」と声をあげる。
「初対面の方の身体的な特徴に触れるのは失礼だからね。気を付けるように」
ごもっともな意見だが、正論で黙るほど高校生は賢くない。
それから堰を切ったように質問の嵐が吹き荒れ、やれ「結婚していますか?」とか「彼氏はいますか?」とか「それなら僕と結婚してください!」とかやかましい時間に突入した。
もうクラスは大混乱で、しまいには隣のB組から見物人が来る始末である。
どうせなら天音みのりボイスで耳元で囁いてくれないかなとバカなことを考えて、俺は眠さのあまり意識を失った。
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