最終話 俺の愛した人
ようやく処女作の発売に漕ぎ着けて肩の荷が降りた。本気で頭を下げて内定取り消しを回避した俺はきつねソフトから独立し、新たなブランドを立ち上げている。その後は苦労の連続だったけど、そうでもしないと俺が作りたいものが世に出せなかったから必要な試練ということにしよう。
万感の想いを抱いたソフト発売当日、久しぶりに志島から連絡があった。要約すると「お祝いしたいから遊びに来い」である。ちょっと早めに出発して懐かしい駅に降り、以前に住んでいたエリアを散策してみる。よく使っていたコンビニは健在だったけど高校時代に住んでいたボロアパートは既に取り壊されており、代わりに駐車場になっていた。五年の歳月を感じつつ、アイデアを捻り出すのによく訪れた公園まで足を運ぶ。
こちらは相変わらずだったので安心した。犬の散歩やランニングしている人がいるのもいつも通りである。五月に入ろうかという時期だったので桜並木はすっかり散っていたけど、新緑のトンネルと空の青が美しいコントラストを織りなしていた。葉っぱの間を通る光は柔らかく、池があるおかげか風がひんやりしていて心地いい。
その風が突然、桃色を帯びて俺の横を通り抜け、耳元で「特別じゃぞ」と声がした。思わず振り返るとピンク色のツインテールが見えた……ような気がする。実際は何もいなかったけど残り香が鼻をくすぐる。
心臓が大きく脈打つ。言葉の意味を直感的に理解し、俺は駆け出した。
公園の半ばまで進むと例の東家が見えてくる。全力ダッシュで息が上がってしまったけど、構わず中を覗き込んだ。
女性がひとり、無防備に寝息を立てている。年齢は俺よりちょっと上くらい。白いジャケットスーツの上からでも抜群のプロポーションが見て取れる。
何よりも目を引いたのは、鮮やかな緑色の髪の毛だった。地球上のどの人類でも自然に生えてくる色ではない。
どうやって声をかけようか。無理に起こすはなんだか悪い気がする。だって、とても幸せそうな寝顔をしていた。
静かに隣に座り、横目を遣るとその人は体勢を崩して俺の身体にもたれかかってくる。柔らかな頬が肩に触れると確かな体温を感じた。規則正しい呼吸の音に合わせて、ちょっと大き過ぎる胸が上下するのを見て、ちゃんと生きていることに安心する。
さて、これからどうしようか。気のせいか園内を行く人たちの視線が生暖かい。急に気恥ずかしくなってきたし、志島に呼び出されているのだからのんびりし過ぎるのも問題かな。
でも、もしも……声をかけて俺が知っているのと違う人だったらどうしよう? 一度は消滅させてしまったんだ。こうしてまた会えたとしても別人という可能性がある。そうなると横に座ったのは明らかに失敗だった。目を覚ました途端に悲鳴をあげるかもしれないし、逃げ出してしまうかもしれない。
ダラダラと嫌な汗が流れ、どうにか穏便に身体を離せないものかと横へスライドする。その瞬間、ガシッと腕を掴まれて情けない悲鳴をあげてしまった。
「ふっふっふ、逃しませんよ」
「起きてたの?」
「横に座ったあたりで目を覚ましました」
「じゃあ、わざと寄りかかって来たのか……」
とんだ狸寝入りだ。緑髪の女性はしてやったりと微笑み、あらためて俺に向き直る。
五年前と何一つ変わらない。一方の俺は五年分、老けたと思う。確かめるようにお互いじっと見つめ合った。
「久しぶり、翠さん」
「はい、お久しぶりです。でも私にとっては殆ど時間が経っていないんですよ。五年前、この東家で消滅して一眠りしたら起きた……みたいな感覚です」
「そっか。でも良かった、俺のこと覚えてくれていて」
「エロゲの神様が出血大サービスしてくれたのです。無事に『しろクロこんたくと!』が発売するや否や、二次元世界に再誕した私の手を引っ張って『さっさと向こうに行ってこい!』なんて強引に送り出したのですから」
「よくわからないなぁ、神様の考えてること」
「エロゲの神様はいわゆる『泣きゲー』がお好きなのですよ。だから泣ける展開に持っていきたいのでしょう。以前の消滅した私の記憶も保管してくださったようです」
「だから俺のことも覚えているってことか」
「はい。おかげでハッピーエンドを迎えられたわけです」
それを言われてしまうと神様の手のひらで転がされている感じが半端ない。
けど、こうして俺が生きているのは翠さんのおかげである。ちゃんと食事して、ちゃんと寝て、計画を立てて……なんて一見すると当たり前のことを教え込んでくれたのだから。
でなければ翠さんの修正する前の歴史では、俺は自分の限界や周囲の心配なんかぶっちぎって過労死していたのだ。想像するだけで恥ずかしくなってくる。
「聞いてもいいかな?」
「はい、なんなりと。スリーサイズでしたらパッケージ裏のキャラ紹介に載っていますけど」
「いや、数値を設定したの俺だから空で言えるよ」
「そうでした。それで、聞きたいこととは?」
「どうして命懸けで俺を助けてくれたの?」
翠さんは目をぱちぱちさせ、不自然なくらい首を捻った。なんでそんなこと聞くんだとでも言いたそうな表情である。
「ヒロキさんの小説のファンだからですけど?」
「……それだけ?」
「はい。たまたま見つけた個人ホームページに載っている作品に惹かれて全部読みました。どれも素晴らしいものばかりです。新作を期待してヒロキさんのボヤイッターにアクセスしたらびっくり! 私を創った人じゃありませんか。けど既に亡くなっていて、一緒に仕事をしていたマリアさんのブログを見たら過労死したとありました」
「だからって、あんな無茶してまで……」
「マリアさんは私をデザインした方です。ヒロキさんが父親ならマリアさんは母親ということになります」
「うん、それはわかる」
「マリアさんは、ヒロキさんが亡くなったショックで絵を描くことを辞めてしまったんです。自分がもっと気を遣うべきだったと後悔に苛まれて」
「……」
「素晴らしい才能が二つ消えてしまいました。こんなことあってはなりません。私は二次元世界のあらゆる文献を調べ、過去の現実世界に行く方法を見出した……というのが大筋ですね。結局は神頼みだったわけですけど」
あっけらかんと喋っているけど、翠さんがどれだけ向こうの世界で苦労したのかはエロゲの神様に見せられている。その姿に心打たれたから神様も翠さんの願いを叶えたのだ。だからもっと小言や文句を口に出してもいい。ちょっと調べ物をしただけみたいな態度に、思わず深い溜息が漏れる。
「俺の母親が亡くなった話はしたよね?」
「……はい」
「ガキだった俺は、自分の命がなくなってもいいから母さんを生き返らせたいと思ったんだ。図書館へ行って本を調べたり、大人に聞いて回ったりもした」
「私と同じですね」
「実現はしなかったけどね。だから納得したよ。『キャラクターは作者の一面』ってのは本当みたいだ。翠さんは俺の悪いところをしっかり受け継いでいる」
「ヒロキさんとは父娘ですから」
「翠さんが消滅した後、俺はまた同じ間違いを繰り返したんだ。自分が死んでもいいからなくしたものを取り戻そう……って。それを止めてくれたのがマリアだよ」
そうだ。マリアの助けがあったから、ここまで来れたのである。
俺は命を落とすことなく無事に翠さんに再会できている。
「だから翠さんは、マリアの良い一面を持っている。二人とも俺にとってはかけがえのない恩人だ」
言いたいことを伝えると翠さんは照れ臭そうに顔を赤くしていた。
俺より五歳年上(に設定している)だけど今だけはもっと幼く見える。
翠さんはまた俺の肩に寄りかかってきた。遠慮がちに俺の手を握って、涼しげなアイスブルーの瞳を潤ませる。
「ヒロキさん、もう未成年じゃないですよね」
「あのときから五年経ってるから、ハタチ過ぎてるよ」
「じゃ、じゃあ…… 私とシてくれませんか?」
翠さんが指差した先にはやたらとカラフルなネオン看板を掲げたお城みたいな建物がある。今は時間的な問題で沈黙しているが、ラブでアレなホテルだった。ちょっと言葉に詰まって、これって感動の再会じゃなかったっけ?と疑問が沸いてきた。
そんな態度を読み取られてしまったのかエロゲヒロインによる弁解が始まる。
「つ、つまりですね! 私はエロゲのヒロインとして生まれた本分を果たそうとしているわけです! というわけで、私とエロいことをシてください! あ、もしかしてまだ童貞だったりします? ご安心を! 私はある意味、プロですからね。手取り足取りリードして差し上げ……」
「ひとのダンナに何している」
饒舌な翠さんの脳天にチョップが突き刺さり、情けない悲鳴が上がった。プスプスと焦げたような煙が立ち登る中、涙目で背後を振り返った翠さんの顔面が蒼白になる。東家のすぐ外にいたのは、マリアだった。
「マリアさん!? えっ、随分ときれいになりましたね!」
「伊月先生に言われると嫌味にしか聞こえない」
「まったくそんなつもりはないんですが……って、そのお子さんは!? それにダンナ!?」
いつもの癖っ毛にピンクふちの眼鏡をかけたマリアは、抱っこ紐で赤ん坊を連れている。
翠さんは目をキラキラさせて子供を覗き込んでいたが、やがて俺とマリアの顔を交互に見た。
「もしかして、ヒロキさんとの子ですか!?」
「結婚したんだ。それで子供もね」
「紆余曲折あった」
マリアがしみじみとしていると翠さんはワナワナ震えながら……
「子作りセックスしたんですか!?」
「言い方」
「あ、ごめんなさい。お二人で愛を育んだのですね!」
オブラートに包んでくれたのはいいけど、通行人がこっちをガン見しているので勘弁してほしい。流石のマリアも恥ずかしくて俯いてしまったじゃないか。
「というか、なんでここにいるんだ? マリアが」
「澪に呼ばれたついでに実家に寄ろうとしてた。パパとママが『孫の顔を見せに来い』ってうるさいから」
「お義父さんたちのトコに直接行かずにどうして公園に?」
「変なピンク髪の子に『ダンナが寝取られそうだぞ』って教えてもらったから寄った」
「なんでそんなピンポイントで邪魔してくるんですか、エロゲの神様! ちょっぴり恨みますよ!?」
「……あれがエロゲの神様だったの?」
「そうらしい」
頭を抱える翠さんを尻目に、マリアは心底呆れた顔をしている。翠さんのことは詳しく話してあるけど、実際に『二次元のキャラが現実に現れる』という超常現象を目の当たりにした割にマリアは落ち着いていた。
かと思うとこれまで長い付き合いの俺ですら見たことがないほど邪悪な笑みを浮かべてはじめる。三日月の形に口が避け、身体からはドス黒いオーラが立ち昇っていた。
「わたしの完全勝利ですね、伊月先生。ヒロキはわたしのダンナで既に子供もいます」
「ちょ…… 私が不在の間にゴールするなんてフェアじゃありません! そりゃ歴史修正前のマリアさんのブログ見て『なんでさっさとセックスしなかったんだよ!』とか『ヘタレ純情乙女が!』とか思って、いても立ってもいられなくなってヒロキさん助ける道を選びましたけど……」
「その神様とやらから聞いた。伊月先生は、ヒロキと私を助けるために命を投げ打ったって」
「……本当に余計なことしてくれますね神様」
「でも、ありがとうございました。先生のおかげで、わたしは自分の気持ちにちゃんと向き合えました」
悪どい雰囲気を霧散させたマリアが丁寧に頭を下げると、翠さんは慌てふためく。あれだけ急に態度を変えられればそりゃまぁ対応に困るというものだ。涼しげなアイスブルーの瞳がヘルプを送ってくる。
そろそろ助け舟を出しておこう。あまり困らせても悪いし。
「これから志島の家でホームパーティやるんだけど、翠さんも一緒にどう?」
「えっ! いいんですか!?」
「ある意味、主役だし」
「ぜひ!」
無事に話題を逸らせたところで、俺たち四人は公園を後にする。
志島の実家の印刷所までは歩いてすぐだ。夫婦になってから遊びにいくのはこれが初めてとなる。
五年前と変わらず、翠さんの白スーツに緑髪という容姿がやたら目立つせいで通行人の視線が突き刺さる。けど気にならない。
同じくどこ吹く風といった翠さんは、車道側を歩く俺に小さく声をかけてくる。
「そういえば、ヒロキさん」
「なに?」
「お子さんの名前、なんていうんですか? さっき聞きそびれてしまって」
そういえば教えていなかった。
マリアの抱っこ紐に支えられた我が子の頬に優しく触れる。柔らかくて指に吸い付くようだった。
「マリアと一緒に決めた。命の恩人から名前をもらおう、って」
「それって……」
「翠。この子は、黒沢翠だよ」
ちょうど娘が目を覚まし、翠さんと目が合うなりにっこりと微笑んだのだった。
翠さんは遠慮がちに「触ってもいいですか?」とマリアから許可をもらい、娘の小さな手に指を伸ばす。人差し指を掴まれた彼女はとても嬉しそうだった。
「初めまして、翠ちゃん。素敵な名前ですね」
私はエロゲのヒロインである。人気はまだない。 恵満 @boxsterrs
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