第18話 ボイス・トリップ

 志島が器用で頭がいいのは知っていたけど、その活躍ぶりは俺が想像していた以上だった。まずはゲームの宣伝についてダメ出しされている。完成した後に告知すればいいと考えていた俺に対し、志島は「ラフ画でも線画でもいいから小まめに情報を出すこと」と断言してきた。志島の実家は商売やっているし、その宣伝部長(本人談)をしているから自信に溢れている。実際、エロゲメーカーもそうやって宣伝しているでしょ、と説得されてしまったのでマリアから素材をもらってボヤイッターで告知を始めた。反響は凄まじく、フォロワーが一気に増えてついでにミッドナイトノベルのPVも増えた。

 エロゲ制作のスケジュールも志島がスクリプトを組むのを手伝ってくれたおかげでかなり挽回でき、このまま進めば予定通り発売できる。そんな中で課題となっているのはボイスの収録だった。結構な量のセリフを入れなければならないので台本を作って印刷し(やり方はネットで調べ、ダンボール箱いっぱいの紙束になった)、収録できる場所にやって来たのである。

 学校の校舎の三階。二つ下のフロアには我が二次元コンテンツ研究同好会の部屋がある。目の前の部屋は『視聴覚室』の札が掲げられていた。扉の前で立ち尽くす俺の横には白スーツの翠さん、そのさらに横には志島がいる。マリアは収録には立ち会わず、自分の作業を進めていた。

「おい、ホントにここでやるのか?」

「そんな疑うような目で見ないでくれ! 大丈夫だって!」

 台本の入った段ボール箱を持った俺は、半目で志島を睨んでいた。

「ここは放送室も兼ねているんだ。防音ばっちりで録音できる。機能的にはスタジオそのものだよ」

「設備の使い方は分かるのか?」

「もちろん! 去年の学園祭のときに色々と作ったからね! 音声の収録もやったよ」

「私もチェックしましたが、ここの施設であればボイスの収録は可能ですね」

 視聴覚室の鍵は翠さんが職員権限で持ってきてくれた。開けて中に入ると手前には大型のスクリーンの前に座席の並ぶエリアがあり、奥はパーティションで区切られて機材の入った部屋がある。過去に何度かここで交通安全やら非行防止やらの映像を見せられた。そのときは寝ていたから気にしなかったけど、こうして見るとなかなか立派だ。

「奥に収録用のブースがあるよ」

 志島に促されて進むと、衝立で区切られた間にマイクと椅子が置いてあった。学校の中とは思えないほど静かなのは防音がされているからだろう。

 翠さんはおもむろにジャケットを脱いで大きく息を吸う。その動作で張りのある双丘がたわわに揺れた。

「胸元がキツイと声が出ませんので」

「おおお、大きい…… 伊月先生、いったい何センチあるんですか? カップ数は?」

 なんで同性の志島が挙動不審になるんだろうか。つーか、サラッとバストサイズを聞くな。翠さんに失礼だろう。

 翠さんは緑色の髪を揺らし、何故か俺を一瞥した後で志島の耳元でそっと囁く。顔を真っ赤にして腰砕けになった志島は「やはり三桁の大台……」などと呆けていた。とまぁ、そんなやり取りがあってからそれぞれの位置につく。収録ブースには台本を持った翠さんが座り、志島は音響機器の並ぶデスクに、俺はその背後で腕組みして立つ。

「OKの判断はヒロキくんがやるんだからね。しっかり頼むよ」

「責任重大だよなぁ」

 台本を受け取ってから、翠さんは一生懸命読み込んでくれている。その良し悪しを俺が判定しなければならない。プレッシャーで胃が痛くなってくるけど、もっと心配なことがある。

 俺が作ったんだから、台本には何が書いてあるのか当然知っている。これはエロゲのボイス収録だからえっちな声でえっちなことを喋るシーンが怒涛の勢いで降り注いでくるのだ。ゲームで遊んだときに聞くのは平気だけど、目の前で翠さんがえっちな台詞を言うのを聞いて耐えられるか不安になってくる。

 無論、俺だって修練は積んでいるのだ。天音みのりボイスを脳内再生して台本を読んでもらい、ここはもっと声を押し殺した方がいいとか、上目遣いになったつもりで喋ってほしいとか、色々と台本に書き入れていた。

(冷静に。俺は大丈夫。翠さんがどんなエロい台詞を喋っても平気へっちゃら)

 ヘッドフォンを付けた翠さんへ志島が指示を飛ばす。いよいよ収録は始まり、台本が読み上げられた。

『おはよ~!』

『なぁに、また寝坊? たまには早く起きてよね~』

『朝ごはん作っておいたよ。さ、食べよ食べよ!』

 多分、目が点になっていたと思う。ブースの中にいるのは間違いなく二十代半ばの女性教師なのに、マイクが拾う声はまごうことなき女子高生であった。オタクが妄想し、オタクが具現化を望む、オタクに優しいギャルである。

 ビジョンが浮かぶと俺のニューロンは激しくスパークし、共鳴を起こして爆発的な波に呑まれた。網膜の裏にはマリアがデザインしてくれたイチャラブ甘々ギャル年上幼馴染が、ポニーテールを揺らして太ももの付け根チラつらつく短いスカートの制服+エプロンという極めて強力な姿でニヤニヤ笑っている。

 だが誤解しないでほしい。決して邪悪な笑みではなく、悪戯っぽい子猫のような表情なのだ。朱に染まる頬からは俺に対する好意が読み取れ、闇に染まった空間が次第に明るくなっていく。そこは俺たちが同棲しているアパートの一室だった……

「ヒロキくん!?」

「はっ!?」

 志島に肩を揺さぶられ、現実へ引き戻されてしまう。なんということだろう。朝のシーンだけで完全に向こう側へと魂を引き寄せられてしまった。

「本当に大丈夫なの!? 立ったまま気絶してたみたいだけど」

「そういうお前も鼻血出てるぞ」

「これは心の汗だから……」

 イケメン女子が鼻の穴から赤い汗を垂らすんじゃない。

 志島も翠さんの演技に興奮してダメージを喰らったということだろう。

 慌てた様子でブースの中から出てきた翠さんは心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「ヒロキさん!? 大丈夫ですか!? 意識が飛んで立ったままフラフラしているように見えましたけど!?」

 気丈に振るまうけど日常シーンでこれなんだから、エロパートに突入してしまったらどうなってしまうんだ。さすが、中の人が人気エロゲ声優なだけある。

「ヒロキ……さん?」

 鼻にティッシュを詰めた志島が首を傾げると、翠さんは何やら弁解に入った。慌てていたとはいえ俺を「さん」付けで呼んでしまったのは失敗だ。

「こほん、役に入ったまま呼んでしまいました。黒沢くん、大丈夫ですか? それに志島さんも鼻血が……」

「だ、大丈夫です」

「ボクも平気です」

 落ち着いて言い直してはくれたものの、不安そうな顔はそのままだった。まさかアフレコでこんな目に遭うとは……

 志島の方は何やら疑わしげな視線を俺に向けてきたので「大丈夫」と念押しして収録を再開する。

「志島」

「なんだい、ヒロキくん」

「死ぬなよ」

「キミこそ。伊月先生の実力は本物だ」

「正直、エロシーンの収録に耐えられるか自信がない」

「ヒロキくんは知っていたのかい? 伊月先生がプロ顔負けの演技ができるってこと」

「知っていたというより、なんとなく察していたというか」

「ふ〜ん……」

 俺の方を振り返ってくる志島は半顔になっている。変な疑念を抱かれるのがよくないが、かといって言い訳がましく取り繕うとボロが出そうだ。そもそもここにはエロゲのボイス収録に来ているのだから、ちゃんと目的を果たさないと。

「さ、始めるか」

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