第15話 そして俺はあいつの絵に惚れた

 トラブルのあった翌日、志島は学校を休んだ。どうしようかしばし悩んだが、俺は志島の家に行くことにした。マリアには部活を休むと伝えたけど素っ気なく「そう」としか言われていない。多分、俺が何をしようとしてるのか察していたのだろう。ただ一言。

「今日は帰る」

「クルマに気を付けてな。また明日」

「うん」

 校門でマリアと別れ、その足で志島の家を目指した。中学の頃に何度か遊びに行ったことがあるので住所は覚えている。いつもアイデア出しに使っている公園からも近い。

 さてどうしよう。どんなアクションをとるかまでは決めきれていない。昨日のマリアの家といい、今日の志島の家といい、久しく行っていない場所に続けて足を運んでいる。

(そういや、なんで志島と疎遠になったんだっけ?)

 ターニングポイントはそこだ。俺の中では「志島はエロゲが大嫌い」って記憶が強く焼き付いていて、その前後が曖昧である。そもそも最初にエロゲの話を振ったのはいつだっただろう?

(そうそう。あいつからノートパソコンもらった後だった)

 通学に使うリュックの中に必ず入っているズッシリとした重み。今となってはちょっと古い型のノートパソコンだけど、中学二年の時に志島からプレゼントされた。デザインの仕事をしている兄貴からのお下がりで、志島は新しいパソコンを買ってもらったからもう不要とのことだった。

 あれは本当にありがたかった。それまで俺は文章を書くときはノートしかなかったのである。

(ノートにひたすらラノベ書いてるときだったな、志島に声をかけられたのは)

 これは中学校の一年だったと記憶している。その頃からスクールカースト最下位の

 俺はマリア以外に友達なんかいなかった。ただひたすら本を読んで自作ラノベを書いていた頃である。一方の志島は今と変わらず人気者だったが、どういうわけか俺の小説に興味を持って読んでくれた。

『すごい作品じゃないか! ネットに公開しないのかい!?』

 そんな感想だったと思う。パソコンを持ってないことを告げると何を考えたのか、志島はノートの内容を打ち直してデジタル化したのである。それから俺のホームページまで作ってくれた。あのホームページの存在を知っていてリアルに付き合いがあるのは志島とマリア、それに翠さんくらいのものだろう。

(ノートパソコンをもらったのはその後だよな。で、俺はエロゲに出会った)

 志島の兄貴が使っていたという中古品はグレードの高いやつだった。ソフトも色々とインストールされていて、その中にエロゲがあったのだ。こうして中学生の俺は運命の「きつねソフト」と出会う。おそらく志島の兄貴がインストールして遊んでいたのだろう。

 あのときの衝撃は人生最大だった。かわいい女の子の絵が出てきて、かわいい声でイチャイチャしながら最後にはエッチしてしまうのだ。当時は言語化できずに熱意だけで凄さをマリアや志島に語ったものである。

 語ったものである……女の子相手にエロゲのことを。だって他に友達いなかったし。マリアは黙って聞いてくれたし、「こういう絵を描けるか?」って聞いたらエロ絵を描いてくれた。志島はどうだったっけ?

「待て」

 記憶を遡っていくと耳まで真っ赤になった中学生の志島の顔が思い浮かぶ。いや、でもあいつもエロゲの話を聞いてくれたし……

 イヤな汗がダラダラ流れてきた。こんなにも客観的に自分を振り返ったのは初めてかもしれない。ほんの三年前の俺がまるで別人のように感じる。あるいは成長したのか、単に当時の俺が空気を読めなさ過ぎていたのか。

 思考がこんがらがっているうちに志島の家に着いて、玄関で呼び鈴を鳴らしてしまった。出てきたのは肩まで栗色の毛を伸ばしたイケメン女子である。制服じゃなくてラフな格好だった。Tシャツとスリムなジーンズがよく似合っている。翠さんもスタイル良いけど、こうして見ると志島もなかなかのものだった。

「ヒロキ……くん?」

「あ、いや、その……」

 吃ってしまったじゃないか、落ち着けよ俺。何のためにここに来たんだ? 志島に話を聞くためだろ?

「あ、あがって。こんなところで立ち話もなんだし」

「悪いな。お邪魔します……」

 志島の家は住宅と会社の建屋が合体したものである。実家は印刷所で、前に遊びに来たときはデカいプリンタを見せてもらった。あだ名のカンバン屋というのはお店の看板制作を請け負っているところから来ている。

 リビングは素通りして志島の部屋に通された。

 カーペットが敷かれて天井まで届く大きな本棚とパソコンを二台乗せた机がある。志島のイメージから想像した通り、書斎といった雰囲気である。けどベッドの上にはファンシーなぬいぐるみが並べてあった。この辺りは女の子趣味なのかもしれない。

 どこからかテーブルと座布団を持ってきた志島は黙々とそれらを並べ、ジュースとコップとお菓子まで用意してくれる。完全に遊びに来たとような体になってしまい、お互いに向かい合って座った。志島は正座のまま気まずそうに沈黙している。

「あのさ」

「な、何かな!?」

「心配だったんだ。昨日はあんなことあったし、学校休むし」

「ぼ、ボクのことかい? はははっ、あんなのもう気にしていないよ!」

 でも、泣いていたじゃないか。志島があんな風に取り乱すなんて想像もしていなかった。もっとメンタルの強いやつだと思っていた。

(俺はどうしたいんだ?)

 あらためて自問した。このままなら部活は統廃合され、俺たちは志島のパソコン部と一緒に活動することになる。でも話がまとまらずお互いが拒否すれば廃部になるだろう。放課後、学校で作業する場があるのは俺にとって大きなプラスだ。マリアとじっくり話せる状況は重要である。そこに志島が加わってデザイン関係を担当してくれれば今よりずっといいゲームが作れる。

(いや……違うな。根っこのところはもっと別だ)

 同人ゲームの完成は関係ない。二人が喧嘩したままという状況をなんとかしたい。今でこそ志島と疎遠になっていたが、中学の頃は小説を書く上で色々と面倒を見てもらった。

(面倒?)

 最初は、ノートに黙々とラノベを書くだけだった。それを読んでもらえたし、デジタルに書き起こしてもらった。おかげで俺の世界は大きく広がっている。

 ふと、デジャヴが起こった。

 幼い頃のマリアと自分の関係が、中学生の自分と志島に重なる。

 あのときのマリアが中学生の俺で、あのときの俺は中学生の志島なのだ。

 俺はマリアに絵を描いて欲しかった。だから声をかけた。

 志島は俺に小説を描いて欲しかった。だから読んでくれた。

「そうか、同じだったんだ……」

「どうしたんだい? すごく難しい顔しているけど」

 スーッと、迷いが消えていく。

 やはり二人にはケンカして欲しくない。例え分かり合えなくても、いがみ合う必要なんてないのだ。

 できるだけ真剣に、真面目な声で話を切り出す。

「ファミレスで、マリアと何があった?」

「……」

 案の定、志島は顔を背けて黙り込んでしまった。その様子から複雑な感情が読み取れる。

「ケンカして欲しくないだけなんだ」

「ボクだって、そうだよ」

「マリアは人と話すのが苦手だ。でもさ、いいところもあるんだよ。あいつ、絵を描くのがうまくて……」

「別に嫌っているわけじゃないし、もう知ってるよ。ネットで有名な絵描きのゼロ=マリアって、白石さんでしょ? ヒロキくんがミッドナイトノベルに連載している小説の挿絵を描いてる」

「見抜いているなぁ」

 ミッドナイトノベルの方はペンネームがそのまま俺の本名だから仕方ない。マリアの方はネットとリアルを完全に分けている筈なんだけど。

「高校に入ってから、2回くらい『二次元コンテンツ研究同好会』の部室に足を運んだことがあるんだ。そのとき、タブレットPCを使っているのを見たから」

「そうだっけ?」

「覗き見しただけなんだ。その……入りにくくて。ヒロキくんが作った部活が気になってしまって……」

 これまた意外だ。コミュ力が高いんだからフツーに入ってくればいいのに。

 いや、コミュ力が高くても入ってこれなかったのか?

 歴史資料室での部活動の風景を思い出す。鍵を開けて部屋に入り、マリアがいつもの定位置に座ってを描き始めるのだ。でもその前に、背後から俺に抱きついてきて…… あっ……

「もしかして、マリアが俺に何かしているのを見たのか?」

「うん。後ろから抱き締めていた。白石さん、すごく嬉しそうな顔をしていた」

 あんな恥ずかしい姿を見られていたことにコメントが出てこない。というか、背後にいるマリアがどんな顔しているかなんて知らなかった。

「二人は付き合っているんだって分かって、ちょっとショックだったよ」

「あれは昔からのマリアの癖なんだよ。しょっちゅう後ろから抱き付いてくるんだ」

「そうなの? けど昨日、思い切って白石さんに聞いてみたんだ。『付き合ってない』って言ってた。それを聞いてボクが胸を撫で下ろして、余計なことをペラペラ喋ったら水をかけられちゃった。『ヒロキはあんたなんかに興味はない』って」

「興味ないってことはないな。中学のときにいろいろ助けてもらった。小説もいっぱい読んでもらえたし、ホームページも作ってくれた。今更になって気付いたんだけど、物書きとしての俺が在るのは半分は志島のおかげだ」

 予想よりも遥かにややこしいことになっていて頭痛を覚える。マリアが怒った理由がなおさら分からなくなった。

 その一方で、志島は明るい表情を取り戻している。けど、すぐに両手で顔を覆って天井を仰いだ。

「救われたなぁ」

「え?」

「ふふっ、気にしないで。甲斐があったというわけだよ」

「俺、何かしたか?」

「昔、ボクのハートを盗んだ」

「なんだよそれ……」

 前を向いた志島はいつものスカした志島に戻っていた。気のせいか目が潤んでいるけど、自己完結したらしい。

「明日、マリアちゃんと話をするよ。不快にさせてごめんね……って」

「いや、水かけられただろ。マリアにも非はある」

「大丈夫。今度はちゃんと話せる。だからボクを信じて」

「自信家め……」

「それがボクの美点でもある。さて」

 コップの中身を一気に飲み干し、何故か志島は俺の真横に座って肩を寄せてきた。浮いたTシャツの胸元から谷間が見える。咄嗟に視線を落とすとジーンズ越しの太ももが艶かしく見えた。元がエロゲのキャラである翠さんはともかく、志島は三次元人である。興味が湧くはずもないのに何故か目を合わせられなかった。こういうとき心臓は正直で、いつもの三倍くらいの勢いで血液を送り出してくれる。

「ひとつ、教えてくれないかな?」

「俺が教えられることなら構わないけど」

「ヒロキくんはどうして物語を作るようになったんだい?」

「えぇ…… このタイミングでそんなこと訊くのかよ」

「だって、半分はボクのおかげなんだろ? 残り半分が気になるじゃないか」

「……笑うなよ?」

「笑わないさ」

「幼稚園の頃、めちゃくちゃ上手な絵を描くヤツがいたんだ。俺はどうしてもそいつと仲良くなりたかった。けど気難しくてクチすら効いてくれない。じゃあどうしようかって悩んだ末に思いつんたんだ。『一緒に紙芝居を作ろう』って。俺が物語を考えるから、お前は絵を描いてくれ。そうやって声をかけたら友達になってくれたんだ」

「もしかして、その子ってマリアちゃん?」

「そうだよ」

 小っ恥ずかしい思い出を喋らされて顔から火が出そうだ。でもそれが俺の原点でもある。

 物語を作り始めたのはマリアと仲良くなりたかったから。子供らしいといえば、子供らしいキッカケだった。

「完敗だ。じゃあ、ハートは返してもらうとしよう」

「何に乾杯するんだよ」

「ん? こうかな?」

 志島は空になったコップを掲げて寂しそうに笑う。釣られて俺もコップを手に取って乾杯してしまった。

 カツンと乾いた音が響くと、急に部屋のドアが開く。

「あ、澪。お友達が来たんだって?」

 いきなり志島の母と思しき人物が顔を出した。志島と一緒にそっちを振り返り、ぽかんと口を開け、すぐにお互いの身体を離した。まずい、肩に寄りかかっているところを見られた。これは誤解される!

「あ、その…… ごめんなさい! お邪魔しちゃった! ゆっくりしていってね!」

「ちょ、お母さん! これには理由が!!」

「大丈夫! 澪は一人っ子だから家業を継いでくれるお婿さん見つけてきてくれないかなーなんて全然思ってなかったし、初孫は男の子がいいなとか妄想したりもしていないから! 恋愛は自由よ!」

「一人っ子? 志島が?」

「ああああああああっッ!!」

 茹で上がったタコよりずっと真っ赤になった志島は腕力にあかせて母親を押し出し、自らも一緒に廊下に出てすごい力でドアを閉めてしまった。それからしばらく甲高い悲鳴に似た口論が広げられ、俺は終わるまでの間じっと待つしかできなかった。

(あいつ、兄貴いるんじゃなかったっけ?)

 自分のリュックを開けてノートパソコンを確認し、これが志島の兄貴のお下がりという名目で俺の元に来たことをぼーっと思い返した。



 お母さんとの揉み合いが終わって志島が戻ってきた。栗色の髪は乱れていて、顔は茹で蛸みたいに真っ赤である。本人が白状したところによると志島は一人っ子で、このパソコンにインストールされていたエロゲは自分自身のものだという。

 エロゲを過剰に嫌ったのはただのフリで、本当は「二次元エロが大好きだと知られたくなかった」とのこと。さらに言うならエロゲを入れたまま俺にパソコンを譲渡してしまい、そのせいで俺がエロゲにハマって一般向け作品を書かなくなったことをかなり後悔したという。特に未完となっている作品については血の涙を流すほどだとか。

 あまりの超展開に困惑しちまったじゃないか……

「えっと…… じゃあ、本当はエロゲが好きなのか?」

「はい……」

「俺に対してなんだかトゲトゲしていたのって?」

「ボクのせいでエロゲにハマったなんて知られたら死ぬしかないと思って」

「気にしなくていいのに」

「バレてしまった以上、もう恥は全部捨てることにしたよ……」

 顔面全部真っ赤で涙目の志島を追い詰めるなんてできなかった。

 だからやんわりと聞いておく。

「あのさ、エロゲのロゴ作って欲しいんだけど」

「ボクのこと、誰にも言わない?」

「マリアには言う」

「うぅ…… 仕方ないか……」

 そんなこんなで志島はゲーム制作に協力してくれることになった。めでたし、めでたし?

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