第28話 わたしのライバル

 ヒロキが学校に来なくなってから一週間以上が経つ。

 こんなことは初めてだ。ヒロキは何かに取り憑かれてしまった。わたしと話もしてくれない。ひどく惨めな気持ちになって、ペンを手に取っても何も描けなくなっている。ボヤイッターにもしばらく絵をアップしていなかった。

「ということで作戦会議だよ、マリアちゃん」

 今日は休みの日なのだが、なぜか志島澪がわたしの部屋にいる。愛猫の凛はヒロキには手厳しいくせに、志島にはデレデレだった。猫撫で声で志島の膝の上をゆっくりと転がり回っている。賢い猫だと思っていたけど、もしかしたらただの女好きかもしれない。

「本当に来るとは思わなかった」

「え? だって、昨日の放課後に『明日、マリアちゃん家で作戦会議しよう』って伝えた筈だけど」

 しれっと告げるオフの志島はスリムジーンズにタンクトップという、実に自分の武器をよく把握した格好をしていた。二の腕は引き締まっているのに胸はちゃんとあるし、腰回りはキュッと細い。

 わたしは自分の体型に敗北感を覚える。こんなことばかりだ。

(……こんなことばかり?)

 いや、そんなはずはない。ヒロキの側に寄ってくる女なんて今は志島以外にいない。だから自分の体型に敗北感を覚えることなんてそうそう無いのに。

「ヒロキくんの様子がおかしい。学校にも来なくなった。担任の佐藤先生も原因が分からなくてお手上げだって」

「わたしにも分からない」

「うん。だからこそヒロキくんの周囲で最近怒った出来事を振り返ってみようと思う」

「エロゲを作ってた」

「そうだね。ヒロキくんは憧れのゲームメーカーに就職するためにエロゲを作った。ボクたちはそれを手伝っていたわけだ」

「けど、『きつねソフトなんてもうどうでもいい』って言ってた」

「……うん」

「おかしい話だよね。就職のために頑張ったのに、行動が一貫していないよ。ヒロキくんって昔からこんな感じだったの?」

 首を横に振ると志島は「だよね」と納得してくれた。

 むしろヒロキは拘りが強いタイプで、そう易々と目的を諦めたりしない。やるとなれば全力なのだ。その方向性が悪かったり、努力の仕方が無駄っだったりするけど、あれだけの大きな目標を方向転換するなんて不自然だった。

「少なくともコミックフェスタの打ち上げまでは喜んでいた。ちゃんと千本以上売れたから。おかしくなったのは…… 次の日の朝だったと思う。ホームルームが始まったとき、変だった」

「よく見てるよね、マリアちゃん」

「うるさい」

「ご、ごめん…… そういえばそうだったね。授業の合間の休み時間にボクのとこにも来たよ。えっと、ナントカ先生がいないとか? そんなこと訊かれた覚えがあるなぁ」

「担任の佐藤先生にも同じことを訊いていた。というか、佐藤先生が入ってきたらヒロキがビックリしていた」

「まさか、佐藤先生に何かされたとかじゃないよね……?」

「多分、違うと思う」

 ちょっと前までのヒロキは居眠りばかりの問題児で、佐藤先生にもよく注意されていた。ここ最近はちゃんと起きて授業を受けていたから今更、二人の間で何かあったとは思えない。

(待って。ヒロキって、なんで急にちゃんと授業を受けるようになったの?)

 また違和感を覚えた。ヒロキは勉強にはとことん不真面目で、いつも徹夜でエロ小説を書いては授業中は眠りこけていた筈だ。それがエロゲを作るようになってから急にちゃんとした生活サイクルになったのである。

 一人暮らしで親のいないヒロキの生活が勝手に変わるとも思えないから、誰かに指導されたのかもしれない。

 指導……? もしかして、学校の先生から?

「ヒロキはどの先生を探していたの?」

「え? 確か……誰だったかなぁ。名前の後に先生って付けてたのは覚えているんだけど。そういうマリアちゃんはヒロキくんがなんて言ってたのか覚えてない?」

 志島に尋ねられて記憶の糸を手繰り寄せる。

 あの日、教室のドアが開いて佐藤先生が入ってきて…… ヒロキは呆気に取られたような顔のまま出席確認の返事もしなかった。そして「伊月先生はどうしたんですか?」って……

「イツキ先生って言ってた」

「いつき? そんな名前の先生、ウチの学校にはいないけど」

「間違いなくそう言っていた。ヒロキは『イツキ先生』が来るはずだって考えていた。けど佐藤先生が来たから驚いた」

「いない先生を? そんなバカな」

「……」

 いつき。イツキ、伊月……

 志島と二人で顎に手を当てて考え込むけど、まったく話が進まなかった。

 そのうち、志島の膝の上で寝こけていた凛が目を覚まして部屋の隅までのそのそと歩いて行く。そして衣装ケースに猫パンチしながら甘ったるい鳴き声を出した。

「なになに? 開けてみろって?」

 猫語が分かるのかとツッコミたくなったけど、四つん這いになって凛の後を追った志島は静止する間もなく衣装ケースの蓋を開けてしまう。

「勝手に開けないで」

「あ、ごめん。でも凛ちゃんが…… あれ?」

 蓋をそっと戻そうとした志島はぴたりと動きを止めて中からバニースーツを取り出した。いつぞやヒロキの前で着たやつである。

「うわぁ、バニーガールだ! モコモコのウサ耳と尻尾もある!」

「エロゲの資料用に買っただけ」

「でもこのサイズ…… もしかしてマリアちゃんもバニーガールのコスプレするの!?」

 それを着てヒロキに抱きついたなんて知ったら、この女はどんな風にからかってくるかわかったもんじゃない。だから話題を逸らす。

「『も』って、志島もコスプレするの?」

「あ、初めて苗字で呼んでくれたね。下の名前で呼んでくれると、もっと嬉しいけど」

「澪もコスプレするの?」

 リクエスト通り名前で呼んでやったのはバニースーツの使い道について深入りされたくなかったからだ。なぜか志島は耳まで真っ赤になっている。

「どうして照れるの?」

「な、なんだか嬉しくて。マリアちゃんが名前で呼ぶのってヒロキくんだけかと思った」

「凛も名前で呼んでいる」

「でも嬉しい」

 そんな顔されるとコッチまで恥ずかしくなってくる。だが澪と呼び捨てにしてしまったので、いまさら後戻りなんてできない。

「ボクも誘われてコスプレしたことあるよ。こういう衣装を持っているなら、この前のイベントでマリアちゃんがコスプレ売り子してあげればよかったんじゃないかな。ほら、ゲーム中にもバニーガールのえっちシーンあるし」

 イベント。売り子。バニーガール。澪の口から出た単語が繋がって、今度は何かが繋がってカチリという音が頭の中で鳴った。たった一週間前の出来事がブワッと広がって脳内でノイズ混じりの映像が再生されていく。

 イベントが終わった後、夕暮れのテラスで誰かと話した。その人はバニーガールのコスプレをしていた。とても大事な話で、そのときの唇の動きを思い出す。

「……伊月先生は素敵な女性です」

「マリアちゃん?」

 ざわついていた心が鎮まり、代わりに煌々と燃える火が宿った。そんな強烈な記憶が残っている。わたしは宣戦布告したのだ。イツキ先生という人物に!

「それでも、わたしは負けません」

「ど、どうしちゃったの? 顔が真剣だけど」

「わたしは何度もヒロキに助けられました。ずっと甘えていた。でも、それじゃ伊月先生に勝てないって分かったんです。だからわたしもヒロキを愛して、ヒロキを助けて、一緒に生きていきます」

 これで一言一句違わない。

 わたしはイツキ先生を知っている。

 知っているなら描くことができる。例えアタマで忘れていても、わたしの手は記憶している筈だ。わたしは絵を描く人間なのだから。

「宣戦布告を思い出した」

「え? え? いや、突然のヒロキくんへの愛の告白でしょ!?」

 狼狽えている澪を尻目に立ち上がった。わたしの足元に凛が擦り寄ってきたので抱っこして、ベッドの上に置く。黒い体を丸めた凛は何か言いたそうだったので、あとでかまってあげることにした。

「わたしは多分、ヒロキが探している伊月先生に会ったことがある」

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