第9話 俺にはデザインなんてできません

「女の匂いがする」

 週明け月曜日の放課後。俺が歴史資料室の鍵を開け、部活を始めようとした矢先にマリアはいつものように背後から腰に抱きついてきた。お決まりの「充電」というセリフ付きである。これと同じことを翠さんにやられたけど、背中に感じる感触が全然違っていた。マリアの方は小さいのに体温が高く、翠さんの方はでかいマシュマロが触れたみたいに柔らかい。冷静に考えれば息の根を止められてもおかしくない感想である。

「なんだよ、女の匂いって……」

 声がうわずってしまった。それ以上の言及をせず、ホールドを解いたマリアは指定席へと戻って紙袋を取り出しゴソゴソと何かを始めた。念の為自分のブレザーの匂いを嗅いでみたが、特に変わった様子はない。

「休みの日にアドバイザーの人と会ったでしょ。その匂い」

 マリアにはゲーム作りに協力してもらえたが、そのときアドバイザーがいることは話してある。女性だというのは見抜かれて心臓に悪い。そのアドバイザーが翠さんで、俺のアパートに泊まったとまでは漏らすわけにはいかなかった。

「よく嗅ぎ分けられるなぁ」

 感心したという反応をしてみせるがマリアはスルーし、紙袋の中から黒くてテカテカした物体を取り出した。机の上で広げられたそれは、いわゆるバニーガールのコスチュームである。

「どうしたんだそれ?」

「資料。通販で買った」

 多くは語らず窓の方を指す。どうして欲しいのか咄嗟に判断した俺はカーテンを閉め、背後を振り返らないで待った。衣摺れの音が聞こえるのでこの行動で正解だったに違いない。

「終わった」

 振り返ると制服を脱いでバニーガール姿になったマリアが立っていた。小柄なボディにサイズぴったり。ふわっとした白い耳と尻尾が黒いバニースーツと程よくコントラストを成している。

 いきなり部室でコスプレされるとどう反応していいか困る。でもノーコメントだと機嫌を損ねるだろう。

「サイズぴったりだな」

「そう」

「ちなみに資料ってどういう意味で?」

「企画書の中に『バニーガールコスプレでえっち』とあった。服の構造がよく分からないから買ってみた」

 わざわざ買ってくれたあたりに気合を感じる。けど着る必要あった?

 マリアはくるっと回って全身を見せつけ、もう一度「充電」と言って背後から抱きついてくる。薄着になったせいかマリアの体型を背中で感じてしまい、焦ってしまう。それで満足したのか場違いなバンーガールは定位置に座ってタブレットPCに向かった。

 俺も負けてられないので自分の指定席についてノートパソコンを取り出す。それからコピーしておいた例の企画書も机に並べた。

 企画書に載せてあった手書きのスケジュールとタスクリストはパソコン上で表計算ソフトにまとめてある。マリアの説得完了後、翠さんからは「ただ書いただけでは意味が薄れます。常に進捗管理をしましょう!」なんて念押しされていた。だったら紙に書き込むよりパソコンの方がラクだと判断したのである。まずは現状の把握をと思った矢先、バニーなマリアが珍しく手を止めて話しかけてきた。

「キャラクターデザインはさっき送っておいた」

「え? もう?」

「昨日、仕上げた。ヒロインを髪型3パターンずつ。三面図も必要なら言って」

 パソコンを確認すると画像ファイル添付のメールが届いている。送り主はもちろん、マリアだった。ビューワーで開いてみると……おぉ、すごい。吊り目気味で気の強そうな年上ポニテ女子高生が描かれている。髪型は他にもパターンがあって表情集も付いていた。制服は指定通りセーラー服で、体型もオーダーに沿ってグラマラスである。

 ビックリするのは線を重ねただけのラフ画ではなく、ほぼ清書されているという点。ちゃんと色まで塗ってある。舌を巻くほど仕事が早い。

「どう?」

「うん、いい。すごくいいよ! 企画書に書いたイメージに合ってる! さすがはマリア!」

 テンション上がったせいでノートパソコンを持ち上げたままガッツポーズしてしまった。マリアのイラストのすごい点は、俺が頭の中で作ったイメージに綺麗に沿ってくることだ。

「髪型はどれにする?」

「ポニテで!」

「立ち絵を作る。差分も描くから欲しい表情を教えて」

「あ、それならまとめておいた!」

「メールで送っておいて」

 素っ気ないマリアは顔を伏せ、再びお絵かきに戻っていく。あんまり感謝は伝わらなかったかもしれない。

「ヒロキは巨乳が好き?」

「唐突になんでそんなことを聞くんだよ」

「いつも巨乳のキャラばかり描く事になるから」

 そういえば、そうかもしれない。今回デザインしてもらったのも胸が大きいキャラである。ミッドナイトノベルに載せるために描いてもらったときも巨乳だったなぁ……

「伊月先生は巨乳。いや、爆乳」

「いきなりどうした? 話が飛んでるけど」

「でも三次元だから、ヒロキは興味ない。そうでしょう?」

「……ないよ」

「本当に? 今朝のホームルームでもジッと見ていた」

「気のせいだって」

「伊月先生が来てから、ヒロキは清潔になった。顔色もいい。授業中に寝ていない」

 因果関係のハッキリしていることを指摘されても、素直に頷くわけにはいかない。そりゃ翠さんが風呂に入れとかちゃんと寝ろとか食事を摂れとかうるさいからであってな……

「しゅ、就職のためだよ! 勘違いするな。きつねソフトの面接受けてさ、俺もちゃんとしなくちゃって思ったんだよ」

「……そうなんだ」

 視線で射抜かれて身体が硬直してしまう。マリアは眼力が強い。息を呑んでやり過ごしていると、飽きたのか作業へと戻っていった。

(妙に鋭いんだよなぁ……)

「この前の映画」

 タブレットPCに向かいつつマリアは手を止めていない。すらすらと線が描かれている。

「映画がどうかしたのか?」

「楽しかった」

「そうか? 普通って言ってなかったっけ?」

「……ところでヒロキ」

「まだ何かあるのかよ」

「ゲームのUIとかロゴはどうするの?」

「あぁ、それか。俺が作るよ。ということを企画書にも書いておいた筈だけど」

「念のため再確認。ヒロキはデザインのセンスがない。わたしの絵とクソダサロゴを並べないでほしい」

「ホント容赦ないよな、マリア!」

 悔しいが正論である。作業の分担としてはシナリオは俺、絵全般はマリア、その他は俺という配分だ。ゲームのUIはソフトの標準品でいいけどロゴは俺が自作するしかない。残念ながら前科があって、自分の小説作品のロゴを作ったけどマリアには酷評されている。

「まさか、ちゃんとしたロゴを用意しないと絵を描かないなんて言わないよな……」

「やると言った。そこまで見損なわないでほしい」

「お、おう」

「でもロゴはなんとかして」

「はい……」

「自分でできないならカンバン屋に頼めば?」

 平坦に告げるマリアに俺は顔を歪めてしまった。俺の反応を見たマリアはキョトンとして首を傾げる。

「あいつはダメ」

「中学の頃は仲良かったでしょ。ヒロキのホームページを作ったのもカンバン屋だった」

「あいつ、死ぬほどエロゲ嫌いなんだよ。よりにもよって、きつねソフトのゲームを片っ端からdisりやがってさ」

「そう」

 あ、実はめちゃくちゃ興味なさそうですねマリアさん? 提案するだけしたって感じだろうか。マリアなりにロゴの出来栄えを心配した結果だとは思う。

 確かに中学の頃、俺はカンバン屋にホームページ作ってもらったり、ノートに書いていた小説をワープロソフトで書き起こしてもらったりした。けど、それは今回とは別の話だ。あいつはエロゲが大嫌いである。

 こうなればロゴは自作するしかない。そう決めて立ち上げたままの表計算ソフトから図形描画ツールを組み合わせて、三十分後には試作一号が完成した。フォントは明朝体、一文字ずつ大小の緩急を付けて、色は派手に……

「ロゴ作ったぞ」

 ノートパソコンの画面をマリアに見せる。しかし、マリアの眼鏡はずり落ちて黒い瞳がまん丸に見開かれていた。

「うわっ」

「なんだ、その『うわっ』て! 言いたいことがあるならハッキリ言って!」

「ださっ」

 手厳し過ぎる。これは心が辛い。

 自作ロゴで行こうという気概はバキバキに砕かれ、肩を落としてしまった。しばらく落ち込んだり葛藤したり無駄な時間を使っていると脳内翠さんが語りかけてくる。

『大きな目的を見失ってはいけません』

 そうだ。俺はエロゲを作る。そのためにやれることをやる。

 拳を握って決意を固めた。多少、詰られたくらいでは引き下がるもんか。目的を果たすためだったら頭でもなんでも下げてやるさ。

「ちょっと出かけてくる」

「どこへ?」

「パソコン部の部室」

 絵を描くバニーガールを置いて、俺は歴史資料室を飛び出した。

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