13話:マイ・アルケミー・プロジェクト
篝火は永遠に燃え続ける訳ではない。どの様な火もいずれ須らく燃え尽きる。
それはアンオブタニウム・ゴーレムとて例外ではない。
やがて熱すら失った後、残ったのは真っ白い灰の塊と化したアンオブタニウム・ゴーレムだ。……数拍の後、自重に耐え切れずゴーレムは形を崩して行き、後には何も残らなかった。
「……何とか勝てましたね」
ユーリーフはいつもより蒼白になった顔でそう言うと、すり減らした神経が祟り、その場に崩れ落ちそうになる。
しかし、その瞬間ファングインは深緑の裾をはためかせ、まるで主人を気遣う従順な犬や馬の様に彼女を背後から受け止め支える。
黒髪の女魔術師は一度虚を突かれた顔をすると、直様口元に笑みを浮かべ。
「……ありがとう、剣士様」
彼の左頬を一度撫で、そう言った。
――死脳喰らいを倒し、彼女達一党は迷宮の探索を続けた。
恐らく死脳喰らいに下層階にいた全ての怪物は取り込まれたのだろう。どの階も閑散としたものだった。途中、恐らくは死脳喰らいに喰われた冒険者の遺品の幾つかが転がっていたので、後でギルドに報告する為にバルレーンが数個拾った。
そうして、殆ど何事もなく最下層に辿り着く。
不凋花の迷宮の三十階はがらんとした大広間だった。約百二十平米の四角形の部屋には何もない。ア―チ状となってる天井と相まって、まるで荒廃した太古の寺院の様な印象を受けた。
北側、壁の中央。
そこに一つの扉がある。
大きさは三メートル程。白い花崗岩で作られた両開きの扉だった。中央には花のレリーフが彫られている。
白い六つの花弁が織り成す、その花の名はアスフォデルス。曰く不死の花。……そしてかつていた一人の女の人生全てを覆った花である。
「宝島に到着だね、アスフォデルス」
「あぁ」
本来なら礼を言うべき時であるが、今この時はバルレーンに抑揚のない相槌を打つしかなかった。永遠と思える様な十日間近くであった。自らの姿が、力が元に戻るかと思うと気分は高揚し、同時に元に戻れなかったらと思うと不安になる。
何せ中にあるのは二百年前の実験器具だ。記憶には自信があるが、もし器具が壊れていたら? 目当てにしていた物がやはり無かったら?
そういう良からぬ想像が膨れ上がり、相反する二つが綯い交ぜになる。喉は乾き、胸の底から吐き気の様な感覚を覚えた。
そこに、ふと二回りも大きい右手が彼女の右肩に置かれる。
「うー」
ファングインである。彼は死脳喰らいから救ってくれた時と同じ、何も恐れる事は無いという様な笑みを浮かべていた。
その時、アスフォデルスはこう思った。
――この男を、自分の物にしたい。
それは恋というには思いが強く、執着というには些か薄い。まるで幼子が柔らかい毛布を気に入る様な、あるいは父を求める様な、そんな何処か淡い感情だった。
もしも。
自分があの姿になれば、ファングインは自分を好きになってくれるだろうか?
いや、ファングインはあの姿になったら私を好きになる筈だ。……だって、あの姿ならば美人な二人にも負けない。
そうだ、私だって!
「ありがとう、ファングイン」
その琥珀色の瞳に映る我が身に背を向け、アスフォデルスは短く息を吸って惑いと怯えを払う。
「中からは何の音も無し、無音そのもの。扉も罠はなし」
「……扉にかけられた魔法も、特に何の綻びもありませんでした」
彼等のそのやり取りの陰で、バルレーンが聞き耳と目視と軽い接触での罠確認。ユーリーフが扉にかけられた魔法の状態を確認し終えていた。
「まぁ、しょうがないよ。いざとなったら不安になる時もあるし」
「……気にしないでください」
そして、アスフォデルスは再び白亜の扉の前に立つ。茶色い首元までの髪をぶるりと震わせ、小さく縮小した体いっぱいに空気を取り込み、青い瞳には部屋の中にある実験器具――ではなく遥かその先を映して。
もう、アスフォデルスには元の姿に戻るというのは目的では無くなっていた。
「“神秘の沼は深く、錬金の頂は高い、知の領は遥か遠きかな”」
そして、合言葉を口にすると。
二拍の後、石扉は分厚い土埃を立てて百数十年ぶりにその中を露にした。
「なんていうか、魔術師の研究室の抜け殻みたいな感じだね」
バルレーンのその言葉は正しく的を射た表現だった。不凋花の迷宮の最奥を紐解くと、中に会ったのは極めて殺風景な光景である。
まず一六〇平米程の部屋がある。
ランタンの灯が照らすのは整理整頓されたフラスコやビーカーや試験管等の実験器具達と、中が詰められた茶色い黒檀の本棚が十程佇み。シンプルな飾り気のない樫の机と椅子に、部屋の中央にあるのは星の運行を表す丸い巨大な天球盤と、幾つもの管が張り巡らされた全長三メートルはあろうかという巨大な水晶で出来た卵だ。
言葉にできるのはそれ位なもので、後はこの場にいる誰もの頭にはない表現に困る器具が所狭しと並べられている。
部屋の奥や左右には幾つかの扉が設けられており、どうやら他の部屋もあるらしい。
「主のいなくなった研究室なんて、基本こんなもんだぞ」
「そういう物なの?」
「まぁ、火を入れれば少しは変わる」
そんなやり取りを交わした後、アスフォデルス達は部屋に張り巡らされた器具や魔術の状態が全て問題ない事を確認した後、部屋を稼働させる事にした。
まず必要となるのは兎にも角にも魔力である。
「で、このずらりと並んだ瓶の置いてある部屋は何なの?」
「いい質問だなバルレーン」
別室の一つ。一〇平米程の部屋の中には一メートル程の黒い瓶が左右にぎっしりと並んでいる。
「これは……」
彼女が説明しようとした時、ユーリーフがおずおずと右手を上げる。まるで教師の問いに生徒が答える様に。
「……あ、あの当てても良いでしょうか?」
「良いぞ」
「……ありがとうございます。答えは、魔力電池ですね」
黒髪の後輩魔術師がそう言うと、この部屋に所狭しと並んだ瓶の正体を見事に当てられアスフォデルスは笑った。
「正解だ、よく勉強しているな」
魔力電池。この奇妙な響きの言葉は、詰まるところ魔力を発生させる装置である。
瓶の中には
「本来なら、ワインを元にした霊薬で満たすんだが」
「うー」
部屋の外からファングインの声が響く。それは何処か否定の色を含んでいた。
というのも、アスフォデルスはファングインに頼み別の部屋の貯蔵庫を見てもらったのだが、恐らく放置して百年以上経っているので天使に取り分を取られた――蒸発していると踏んでいた。
案の定。声音から察するに、想定は当たっていた様である。
「まぁ、ワインは百年ぐらいなら持つが二百年となればな」
「どうするのさ」
「しょうがないから、代用品で何とかする」
そう言うと、アスフォデルスはまず水袋の蓋を開けると瓶を水一杯で満たす。次いで自分の人差し指をナイフで少し切ると、それを一滴垂らした。
「この身体に流れる血は賢者の石の影響で、高純度の霊薬になっている。この位希釈すれば魔力電池は動くはずだ」
それで即席の霊薬とし全ての瓶を満たすと、自ずと部屋は稼働し始めた。まずその表しかの様に霊薬が管を通る低い音と、天井に取り付けられた水晶が痙攣の様に光を灯す。
それは連鎖し、全ての部屋に光が満ちる。
星辰を表す大天球盤を始めとする歯車はそれぞれ音を立てて回転し、別の部屋には鞴が動き始め魔力で生まれた火の燃焼を早める。配管はこの地の奥深くに流れる地下水を汲み上げた後、静脈流の様にそれぞれ走らせ、行き着いた先々の装置で霊薬に変換。そしてまた別の配管にそれぞれ走る。
本棚の浮遊が始まった。十ある本棚全てがまるで風船の様にふわりと浮かび始め、空中それぞれに散開する。
最後に部屋の中央にある水晶の卵の左右の管から赤と青の霊薬が流れて混ざり、紫の霊薬となって中を満たした。
――大魔術師・アスフォデルスの工房の復活である。
「……凄い、こんな仕組みが」
「これが大魔術師の工房……」
「うー」
三人が思い思いの感嘆の声を上げる中、対しアスフォデルスは淡々としていた。
「まだ火を入れただけだぞ?」
それは謙遜でも卑下でもなく、純粋な認識の相違から生まれた言葉である。
……その言葉の通り、これから起こる事に比べたら彼等一党が見たのは準備にも満たなかった。
まずアスフォデルスが行ったのは、自らの身体の精査だった。
「賢者の石を中心に、魔術の具象化を司る器官はのきなみ駄目。次いで魔力を外に流す霊覚も焼き切れてる。魔力持つだけならまだしも、使おうとすれば注いだ魔力が逆流し、最悪破裂する」
工房に有る器具一通り使い、羊皮紙に描かれた自分の身体の絵――真円と正方形の中に収まり、両手両足が二本ずつ異なる位置で広がった裸体図――を眺めアスフォデルスは冷静にそう言った。
心臓を中心にして、損傷の有る部位は赤インクで塗りつぶす事で表しており、絵は殆ど全身が赤く染まっている。
「ついでに内臓器は衰弱の一途。ここまで来れば歩く事も難しいくらいなんだが……」
「あー、気付いた?」
「何か知ってるのか、バルレーン?」
「いやね、ユーが回復魔法をかけた他にボクも針を刺したんだけどさ」
燃える様な赤髪の女盗賊はそう言うと、右手で一本針を取り出す。改めて見せられる約三十センチのそれが、このバルレーン・キュバラムの得物である。
何の魔力も込められていない、あきらかに数打の針。
「万物万象には力の流れがあって、更に流れは無数の点で作られているんだよね。で、その点をちょこちょこっと突けば人を生かすも殺すも自由自在なんだ。
でねー」
バルレーンの言葉は続く。言葉尻は陽気だが、何処か隠し切れぬ後味の悪さを含んで。
無理矢理表現するなら、子供が今まで隠していた悪事を親に打ち明ける様な。
「アスフォデルスを治療する時、それはもう点を突きまくったんだよね……千個ぐらい。で、日常生活送れるくらいにはなんとか回復させた訳」
「……何が言いたい?」
「いやね、実はボクがやっても応急処置ぐらいしか出来なくてさ。実際にはアスフォデルスの身体は限界超えて、結構危なかったんだよね……」
数拍間が空く。
「………………え、どのくらい?」
「一時期、本当に一時期だけど余命が数――」
「日?」
「秒……今は大体残り二十日かな?」
重たい沈黙が幾許か流れた後、アスフォデルスは堪えきれず噴き出した。生まれた笑いは直に成長し、工房一帯に木霊する。
次いでバルレーンも笑った。
「笑って許してくれる?」
「そんな訳あるか! そんな大切な事、どうして言ってくれなかったんだよ!?」
「そうなるから言いたくなかったんだよ!」
バルレーンがそう言うと、アスフォデルスは自分の茶色の髪を両手でガリガリと掻いた。
そして。
「……まぁ、解った。お前の針で寿命が延びる所か、こうして歩いて工房に辿り着いたんだ。この話はこれで終わりにしよう」
「……その、こんな事聞くのアレだけどさ。アスフォデルスの身体、治るの?」
その問いに対し、アスフォデルスは一転して冷静にこう返した。
「臓器の幾つかを治し、同時に賢者の石を修復。肉体の修復が成った後、傷ついた霊覚を敷き直す」
そしてぐるりと一度首を回し、工房を一度
「工房の実験器具は二百年前の型落ちも良い所……完全にとはいかないが、命と魔術を取り戻すのにかかる時間は凡そ三時間あれば十分だろ」
そうして、彼女は作業を始めた。
慣れた手付きで霊薬の調合をする様は、まさしく大魔術師と言って差し支えない。
その青い瞳が、狂気を孕みつつあったとしても。
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