9話:ソードワールド
アスフォデルスの冒険の準備は着々と進んだ。
「鞄はがっちりした物を狙う」
「これなんかどうだ?」
「うーん、布は上等だけど縫いが甘い。ボクならやめとく」
丁度良い背負い袋を手に入れた。
「ランタン、ユーのも買わなきゃ」
「松明も買った方が良いのか?」
「松明は二本ぐらいはあった方が良いかも。もしもの時は火の点いた棍棒になるし」
ランタンと油、松明と火口箱を手に入れた。
「……手ぬぐいは三枚持っといた方が良いです」
「三枚?」
「……手や身体を拭くのに一枚、顔を拭くのに一枚、予備で一枚。かさばらないなら一枚ぐらいは予備があっても良いと思います」
手ぬぐいを三枚手に入れた。
「どうしたの、アスフォデルス?」
「あぁ、いやこの筒。ちょっと掘り出し物かもしれないな」
「へぇ、じゃあ値切ってみるね」
真鍮で出来た全長十四センチ程の筒を手に入れた。
「毛布は上等な物を買う。これなんか良いかも」
「マントで代用は駄目なのか?」
「ボクも最初はそう思ったけど、迷宮は思ったより冷えるよ。ちゃんとした毛布は一枚あった方が良い。あ、背負い袋と毛布には匂い消しの
それなりに良い品質の毛布を一枚手に入れた。
「……後は水袋と食料、それに着替えですね」
「着替えは、宿屋の娘のお古を買うってのはどうだ?」
「……多分格安で譲ってくれるとは思います。交渉してみましょう。
水筒は革の奴、食料はパウンドケーキとベーコン、それにドライフルーツとおやつのナッツを入れときましょう」
「おやつ?」
「……迷宮潜りって相当深い所まで降りて、かつ戦闘があります。途中でおやつでも食べないと十中八九動けなくなるんです」
着替えと水筒と保存食を手に入れた。
「ボク、わら紙は安い所知ってるんだ」
「わら紙なんて何に使うんだよ?」
「そりゃお尻やお股を拭く為だよ」
「おま……お下品! お下品だぞ!」
「全然お下品じゃないよ。だからファン呼ばなかったじゃんか」
わら紙の束を手に入れた。
「……それとスライムですね」
「スライム?」
「……迷宮にトイレはありませんが、『不凋花の迷宮』みたいな人がある程度出入りして地図が作られた場所は、固定の用を足す場所ってのがあるんです。壺を何個か置いて」
「へー」
「……その壺に錬金術で作ったスライムを入れて、トイレの痕跡を消すのが迷宮潜りの数少ないマナーです。後で作っておきますね」
トイレ用のスライムを手に入れた。
「よし、アスフォデルス! この革鎧にしよう!」
「えらいピッタリだけど、子供用の鎧かこれ?」
「フローレスが使ってた奴だね。結構状態いいし、それにベルトポーチが三つもついてるのはお買い得だよ!」
革鎧を手に入れた。
――――。
――。
アスフォデルスが『不凋花の迷宮』へ潜るまで、後二日まで迫った頃。
〈見えざるピンクのユニコーン亭〉、ファングイン達が泊まる一室。窓から覗く空は暮れかかり、東から西に太陽が沈んでいく。まさに黄昏時と言っていい頃合いだ。
ユーリーフが精製した部品をアスフォデルスは組み立てていく。
床には麻布を敷き、その上には斜陽に照らされて黒銀の部品がきらきらと光沢を放っていた。
……発動媒体の魔術をかけた銃床に、銃身や引金を力を使わず、まるでパズルのピースをはめ込む様に組み込む。
銃身には三つの円筒を嵌める。円筒にはそれぞれ矢の魔術――マジック・ミサイルの呪文が一節ずつ刻まれており、これが下に向けたら落ちない様、ラッパの先の様な部品を銃口に取り付け返しとする。
バネ仕掛けの撃鉄の先にはねじ式の万力の様な口がある。そこに細かく砕いた魔力を含んだ乳白色の結晶である魔力結晶を挟み、ねじを回して固定する。
銃床に金具を取り付け、革紐を通す。
動きのぎこちない所は剣の手入れと同じで、オリーブ油を挿して滑らかにする。
銃床の上に別途で作った金具を取り付ける。直径六センチ程の金輪だ。そこに古道具屋で買った真鍮の筒をはめ込む。
「アスフォデルス、結局それ何なの?」
「元は星辰魔術の奴等が星を見る為に使ってた道具だ。望遠鏡って言うな」
筒の――望遠鏡の前後についていた黒い蓋を外すと、そこには硝子のレンズが嵌めてあった。
望遠鏡の後ろを掴むと二段目、三段目と収められていた筒が伸びる。
「こういう風に調整して奴等は星を見るんだ。魔法銃は弾が垂直に飛ぶからな、これがあれば遠くを狙いやすい」
「そんな道具あるんだ」
「かなり特殊な道具だ。星辰魔術師はまず手放す事はない。売った奴は相当金に困ってたんだろう」
これは彼女が徒弟だった頃の知恵だった。師からそれなりに重要だが面倒な魔法銃の研究を押し付けられた時、望遠鏡を取り付けて弾丸の特性や飛距離を測ったものである。
「出来た……」
全長百二十センチ。彼女の肩程の長さのそれが、魔法銃である。
別途で作った弾丸は三十個。中には霊薬と呪文を刻んであり、それが魔法を弾丸に固定する効果を持つ。
飛距離は約百メートル。飛び道具としてはロングボウの半分程の距離で、魔法としてはマジック・ミサイルの飛距離の倍ある。
そうして、ありとあらゆる装備をまとめアスフォデルスが身に着けた瞬間、ある事が起きる。
それは――
「……」
「……」
「まぁ、さ。そりゃそうなる事も考えられるよね」
「うー」
その場にいた誰もが頭を抱え、バルレーンの声が虚しく響く。
「重くて、動けない……」
そう言ったアスフォデルスは、まるで亀が甲羅からひっくり返った様になっていた。背負い袋を背にし、仰向けに床に転がる様はまさしく亀である。
そんな彼女に、バルレーンは近づくとしゃがみ込み。
「ヘイヘイ、お年を召したお嬢ちゃん。言っとくと水筒にはまだ水入ってないから、荷物はまだ重たくなるよー」
「嘘だろ……」
「あの、ごめん。本当、もうちょっとどうにかならない?」
珍しく陽気さを潜め、真顔でバルレーンはそう尋ねる。
この場にいる皆とて、アスフォデルスの筋力が高いとは思っていなかった。しかし、これ程か弱いとも思っていなかった。
正直に言えば、同年代の少女でももうちょっと力はある方である。
「ちなみにアスフォデルス。何が一番重たいの?」
「全部」
「全部かぁ……」
その返答にバルレーンは頭を抱えた。
「……しかし、困りましたね。アスフォデルスさんが自力で荷物を持てないとなると……」
「そもそも冒険どころの話じゃなくなっちゃう……」
「うー」
突如起こったこの問題に、三者三様頭を抱え悩み始めた。
迷宮を含めずとも冒険にとって、装備の重量は大きな問題だ。登山と同じ様に迷宮潜りに『持ってき過ぎ』はご法度なのである。
荷物を持ち過ぎれば疲労がたまり、集中力や気力の低下を招く。ましてや魔物との戦闘や、迷宮に仕掛けられた罠への警戒もしなくてはならない。故に、荷物を持ってバテる事はあってはならないのだ。
「後二日で、アスフォデルスの筋力を上げる?」
「……できるのバルちゃん?」
「ごめん、言ってみただけ」
「うー」
そりゃ無茶だと言わんばかりの唸りをファングインが上げる。ここに来て、彼等は最大の危機に直面していた。
「……必要な物を削ったら?」
「これがアスフォデルスの全財産だよ!」
「おい、お前等やめろ。私だって傷つくんだぞ……」
仰向けになったままアスフォデルスはそう返す。ふざけ合いながらも、解決策は何も見えていない。それは当の彼女自身でさえも。
どうしたものか、とアスフォデルスが頭を走らせたその時である。
「……せめて、必要な物の重さがなくなってくれればいいんですが」
ユーリーフが俯き加減で呟いたその言葉に、アスフォデルスは眉根を上げた。
「思いついた……」
「どうしたのアスフォデルス? 先に言っとくと、お金は貸せても筋肉は無理だよ!」
「違わい! ……この状況何とかなる魔術を思い付いた」
アスフォデルスがその青い瞳を映すと、そこにはユーリーフが腰に吊るした金色のランタン。その中に収められた賢者の石がある……。
――――。
――。
迷宮都市ならではの商売と言えば、真っ先に上げられるのは送迎の
イシュバーンで発生する迷宮の大半は人で賑わう中心部から外れた所にあり、装備品を身に
アスフォデルスの冒険者ギルドの登録は、特に何の問題もなく済んだ。ギルドホールでは見た目から多少変な目で見られたものの、さりとて提出した書類受理された時点で誰もが彼等から興味を失った。
がくん、と幌馬車は一度揺れ止まる。
辿り着いたそこは城壁の外側、東の小山の中であった。イシュバーンに住む者達は『迷宮山』とあだ名している、複数の迷宮が固まって発生した場所である。
……禿頭の老人が手繰る幌馬車を山の入り口で降りた後、彼等は目的の『不凋花の迷宮』に向かって進む。
「一時はどうなるかと思ったけど、まさかそんな方法があったとはね」
坂道を歩きながら、赤髪の女盗賊は何処か安堵した様子でそう言った。
二日前までは荷物を背負っても亀の様にひっくり返っていたアスフォデルスであるが、今は背負い袋や水筒、革鎧に魔法銃を装備しても平然としている。
勿論アスフォデルスの筋力が上がった訳ではない。荷物の重量自体が軽くなっているのである。
「重そうな荷物全部に重量操作の呪文のかかった
アスフォデルスは自慢げにそう嘯くと、右手で自分の髪を一度梳く。
ウェイト・コントロールという術者の魔力を使い、物体の重量を変える魔術がある。その魔術を使い、彼女の所持品の殆どの重さを消し、道具も鎧も軽石並みの重さにしたのだ。
「軽石並みの松明に、軽石並みの食器、軽石並みの鎧、軽石並みのランタン……魔法銃の金属部品の殆どを軽くしてるんだっけ?」
「流石に持ち手部分は発動媒体の魔法消えるからかけてないけどな」
四、五キロあった魔法銃も現在では1キロ以下にまで重量が減っていた。最初に全て身に着けた時、重たく肩にかかっていた魔法銃も今はまるで箒なみの重さしかない。
今彼女の荷物で重さがあるのは魔法銃の弾丸と食料ぐらいの物だ。水筒にも別の魔術をかけ、
それもこれも――
「ユーリーフの覚えが良く無かったら、きっと詰んでた」
「……いえ、そんな。わたしも新しい魔法に触れられて嬉しいです」
黒髪の女魔術師は、照れくさそうにそう言った。
アスフォデルスの考えを形にしたのは全てユーリーフであった。荷物の重量を軽くするだけに留まらず、魔法銃の金属部品や弾丸の作成。バルレーンがナナカマドの木を削って作った持ち手に、発動媒体の呪文をかけた事。その他魔法に関わる全てを担ったのがユーリーフである。
しかし、如何に優秀な魔術師と言えども魔法を使うのに必要な魔力は無尽蔵ではない。
それを可能にしたのは、今ユーリーフが腰に吊り下げている金のランタンの中の賢者の石である。賢者の石を励起させて主人をユーリーフにした後、あらかじめ発動媒体の魔術をかけたランタンに収める。これにより、ランタンは無尽蔵の魔力を持つ炉心となっていた。
「……賢者の石をこう使うとは思っていませんでした」
「本当は私みたいに自分の身体に埋め込むのが一番なんだがな」
そう言うとアスフォデルスは茶色い革鎧の下の服をずらし、自分の胸に収まった賢者の石を露にする。
「急場しのぎだが、こうすれば所有者第二の魔力源となる。私みたいに常時何らかの魔術を使ってたなら身体に埋めるのが効率的だが、そうじゃなければこれで事足りる」
その時だった。不意に徒党の全員が前方からやって来る一団の足音を聞いた。
「迷宮の奥深く、へカトンケイレスを相手にしながら考えていたよ……どうしたらこの力をもっと皆の為に使えるかを。そう思いながら、私はこの聖剣を奴のケツにぶっ刺した――」
思わせぶりに気取った声が一度響くと。
「いやー、快勝に次ぐ快勝! ここまで来ると自分の才能が恐ろしくなるな!
真の敵は迷宮ではなく、この私に宿る才能なのかもしれない……」
アスフォデルスの青い瞳が声を追いかけると、そこには迷宮から帰って来たと思しき冒険者達の姿があった。中心にいるのは一人の青年だった。種族は人間、髪は金色で銀の鎧を身にし、腰には白と黒の双剣を吊り下げている。
顔はまるで寝物語に語られる騎士という程に整っている。が、言葉はどっちかと言えば喜劇に出てくる芸人の様だ。
「バルレーン、あれ誰?」
「あー、あれはこの街の有名な冒険者。双剣使いのアルトリウスだよ」
周囲にいるのは白髭を蓄えたドワーフの僧侶、金色の髪を持つエルフの射手、緑色の髪を左右で纏め鎧と斧を持った少女、八本脚の白い仔馬に跨った小人の男、そして乳白色のケープを羽織った白髪の小柄な少女。その何れもがげんなりした顔をしていた。
つまりは、こいつの話聞き飽きたよもう……という態である。
「お、君達も冒険者かい? この先にある『
対向線上にいたアスフォデルス達に気付くと、アルトリウスは快活でありながらいやらしさを感じさせる笑みを浮かべ話しかけて来た。
「アルトリウス、いきなりそれは
「おいやめろ、何だか私が迷惑な人みたいじゃないか……」
「迷惑みたいじゃない、迷惑なんや! アンタのやってるのは読み物の、主人公に絡む嫌なかませ冒険者そのものやで!?」
「うるさい貧乳!」
「誰が貧乳や! ――堪忍な、姉さん方も迷宮潜り頑張ってな」
そう言うと、アスフォデルス達が一言も発しないままアルトリウス一党は通り過ぎ去って行った。
「苦労してるなー」
「あんなのが有名な冒険者達なの……?」
まるで嵐の様な騒々しさと厚かましさに辟易した様子でアスフォデルスはバルレーンにそう尋ねる。すると赤髪の女盗賊は直にこう答えた。
「まぁ、あの一党がイシュバーンの中では一番有名な冒険者だね。聖剣と魔剣の二刀流で華麗に戦い、名だたる仲間と共に難しい迷宮を攻略するアルトリウスは吟遊詩人に人気のネタだよ」
「あんなのが!?」
アスフォデルスがそう驚くのも無理からぬ話である。それに対し、バルレーンは彼女の肩を叩くと。
「お金があれば知名度は買えるからね。きっとお金で雇われた吟遊詩人がうまーく、良い所だけ抜いて歌ってるんだと思うよ」
「嘘だろ……」
「一度聞いた事あるけど、とりあえず活躍中不自然に
そう言うと、バルレーンは一度背後に振り向きぽつりと漏らした。
「でも、ああいう風に持て
「なら、お前はどうしてやってるんだよ?」
彼女がそう尋ねると、バルレーンは一拍置いて微笑を浮かべ。
「前の職場が潰れてね。とりあえず食べる為にこの街に来て冒険者稼業を始めたんだけどさ、まー収入は下がるしその日暮らしだし、仕事は簡単だけど良い所は無いかな? でも……」
「でも?」
一拍置いて、バルレーンは右手で顔を覆う。まるで頬に何か見られたくない物が浮かんだ様に。
赤瑪瑙の瞳は、一瞬前にいる緑ローブの端を映すも、それが気取られる事は幸か不幸か無かった。
「……やっぱ、アスフォデルスには教えない」
「え、何でだよ?」
「別に、特になーんにもない」
「なら教えろよ、中途半端に言われたら気になっちゃうだろ!」
「やだ! ボクやだもん!」
そう
「あぁ、確かにここにいたな私」
花崗岩を削りだして作られた長方形の石碑には、公用語で『不凋花の迷宮』と刻まれている。
その入り口は、ギルドが作った平たい岩石を積んで作られたドーム状の小屋であった。中に入ると床から盛り上がった土に長方形の石で三メートル程の門が出来上がっており、分厚い赤樫で出来た両開きの扉がその道を閉じていた。
門を潜ると同じく石造りの階段が地の底まで続いている。
小屋の内部には起爆用の呪符が張られており、もしもの際は小屋を爆破して迷宮を無理矢理塞ぐ仕組みになっていた。
「どうしてこんな所に居を構えてたの?」
「だって、都市の中は狭くて煩いし。でも偶には街へ遊びに行きたいから、程良く遠くもなく近くもない所を探してここにしたんだ」
「思ったより小市民な理由だった……」
バルレーンの問いにアスフォデルスはそう答える中、ユーリーフは小屋の壁に立てかけられた黒板に書かれた徒党名を眺めていた。
「……この一週間程潜ってる徒党の全員が帰っていませんね」
迷宮潜りのルールとして、迷宮に潜っている間は黒板に名前を書いて存在を示し、迷宮から帰ったら黒板から名前を消す事になっている。
潜っている徒党の数は八。『不凋花の迷宮』は全三十階。およそ二、三日あれば地上に帰ってくる事が出来る筈だ。
「下から中の下が殆ど、でもあれだねこの徒党二つは中の中なとこだね」
バルレーンが陽気な感じにそう言う。そこがこの情報の難点でもある。
彼等が『不凋花の迷宮』で賢者の石を見つけてからというもの、一時期冒険者が大量にこの迷宮に押し寄せた。現在はその波は沈静化しているものの、さりとて『もし』を期待する徒党もまだ一定数いる。
それこそ今バルレーンが言った、下から中ぐらいの徒党が多い。
そして実力が中の徒党が迷宮を甘く見て全滅するというのはよくある事だ。あるいは魔物に食われ、あるいは罠にかかり、あるいは帰還点を見失って実力が無い者達は迷宮に淘汰されていくのが冒険者稼業の常である。
「……獣人の魔術師がいた所と雷使いの所だっけ、バルちゃん?」
「そうそう、あんまり感じは良く無かったね。口には出さなかったけど、ボク達を良い感じに下に見てた」
「……正直、わたしあの人達嫌いだった……」
彼等が実力不足で全滅したのか、それとも何か別の要因が働いて未帰還なのか判別はつかない。
しかし、不確定要素があるなら一先ず引くのが一番である。
「どう見る、ユー?」
「……あの人達は嫌いだったけど、実力は確かだった。他の徒党はともかく、あの徒党が実力不足で全滅っていうのはまず考えられない。今この状況でここを潜るのは危険……」
「全く同じ意見だよ、ユー」
だが、その意見に反発する者が一人いた。
「え、そんな! 折角ここまで来たのに!?」
アスフォデルスである。彼女は茶色い髪をふるふる震わせ、青い瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
「頼むよ、一刻も早く元の姿に戻りたいんだ! そんな事言わないでくれよ!」
「とは言っても、なんか嫌な予感するんだよね。こーいうのを甘く見たらいけない」
「……わたしも一旦引いた方が良いと思います。恐らくですが、一週間前と今とじゃ迷宮の状況は別物になってる可能性も」
「そんなぁ……」
アスフォデルスの枯れた声が響く。バルレーンやユーリーフの言ってる事は頭では理解出来た。
しかし、それを差し引いても目的の物がそこにあると思うと我慢できなかった。……どうやら身体が若返ってる分、情緒も肉体に引っ張られているらしい。自分でも子供の様だとは思うものの、涙は少しずつ頬を静かに伝った。
――それを琥珀色の瞳は見逃さなかった。
「……」
彼は一度目を瞑る。そして僅かに躊躇いの表情を見せた後、小さく息を吸う。
再び開けた瞳には覚悟の光が灯っていた。
「うー」
「……うぇ?」
ファングインは一度アスフォデルスの左肩を叩くと、そのまま迷宮の扉の前に近づく。そこで彼はまずランタンに火を灯した。
「ファン、グイン?」
そして彼は腰に吊るしていた剣を抜く。アスフォデルスの背と同じ位ある剣の刃は、血の染み一つなく、彼の意思を代弁するかの様に静かに澄んでいた。
「うー」
……その唸りは、まるで俺は行くと言う様な響きであった。彼が覚悟を決めたその姿に、アスフォデルスの涙はぴたりと止まる。
「十中八九なんかあると思うよ、ファン」
「うー」
バルレーンが陽気さを抑えた声でその銀髪の青年を
仲間の殆ど初めて見る静かな闘志を燃やす姿に、バルレーンの声にほのかな嫉妬の影が滲み始める。
「泣いている女の子がいるからって、今から剣まで抜いちゃうの?」
「うー」
ファングインが剣を抜いたまま迷宮に足を踏み入れた事は今日まで一度もない。
そもそも普通の冒険者だって、戦闘に入る直前まで武器は抜かない。ましてや彼は早抜きの技術を修めている為、いかなる状況でも主導権を握る事が出来る。たとえ対敵が攻撃を放った直後でもファングインなら対応するだろう。
そんな彼であるから、今から剣を抜いたまま迷宮に潜ろうとするのは並々ならぬやる気に満ちている証拠だ。
アスフォデルスの為に。
「むー」
かけっこをしてる最中転んだビリの子が何故か一番得をしたかの状況に、バルレーンは頬を膨らませた。
やっぱりアスフォデルスだけ何故か扱いが違う。そう思うと、彼女は面白い気持ちにはならなかった。
「いいのか、ファングイン?」
「うー」
こくりとファングインが頷くと、アスフォデルスの顔が一転して喜色に染まった。
「ありがとう、ありがとうなファングイン!」
その様子を見て、次に行動を起こしたのはユーリーフだった。彼女は漆黒のローブの内側からある物を取り出す。
彼女が右手で掴んだのは、十センチ程の真鍮で出来た鎧騎士の人形だった。右手にメイスを、左手に盾を持って直立した状態で、全身には古代語による呪文や魔法陣等がミリ単位で
アスフォデルスのうなじに冷たい鉄の感覚が走り、ユーリーフは半歩分後ろに下がると――
「“騙るが故は、この身に流れる清き血が由縁なり”」
古代語でそう呟くと、人形を中心に青白い光が円環に胎児が収まった魔法陣を模る。
「“我、神の名においてこれを鋳造する。目覚めよ、汝の名はアンオブタニウ・ゴーレム”」
魔法陣からその場の土を材料に、騎士姿のゴーレムが頭から作り上げられていく。出来上がった矢先に硬質化し、土から鈍い光沢を放つ漆黒の金属に材質が置換していった。
鋭く尖った六本の縦角が生えた頭部、絡みつく薔薇の茎があしらわれたプレートアーマーで覆われた五体、鎖で出来た背中のマント、満開の薔薇の花が描かれた――凧の様な形の――カイトシールド、斧の様な刃が三角形を作るメイス。
丁度ファングインと同じ背丈を持つそれが、ユーリーフのゴーレムである。
「……ファン君が行くなら、わたしも」
「ユーも行くの?」
「……確かに今迷宮に潜るのが危ないのは解ってるけど、ファン君が行くならわたしも一緒に。それに……」
「それに?」
「……アスフォデルスさん、放っておけないから」
そう言うとユーリーフは両手に着けた指輪の位置を直す。するとその姿を見たアスフォデルスは――
「ユーリーフも来てくれるのか?」
「……はい、ご一緒させて下さい。アスフォデルスさん」
「ありがとう、ありがとうなユーリーフ!」
泣き腫らした目を擦り、彼女に対し篤く感謝した。
結果、難色を示したのは残り一人になった訳で、畢竟この場にいる全員の目がバルレーンに集まる事となる。
「……待って、どうしてボク孤立したみたいになってるの?」
「うー」
お前も来てくれ、という様な唸りをファングインが上げる。それに対しバルレーンは一瞬言葉を詰まらせた。渋面を数拍続けた結果、数日前の晩にアスフォデルスが宿を抜けた時の事を思い出すと、皺の寄った表情が崩れる。
「そんな顔するなよぅ……」
こうなったら鬼が出ようが蛇が出ようが、とことん付きあうしかない。
「ありがとう、ありがとうな! バルレーン!」
しかし、アスフォデルスから感謝の言葉を告げられると先程まで心に湧いていた嫉妬心が消えていく。
そんな我が身を鑑みて、自分で思っていたよりも自分はチョロいなと思いながら一度軽く嘆息すると苦い笑顔を浮かべた。
「君の為なら何も惜しくはないさ……ひーん」
――赤樫の扉を開くと、まず目に映ったのは両扉の内側に描かれた赤い双眸の魔物除けだ。
錬金術で作られた暗闇の中でも光る塗料で描かれており、これにより獣並みの知性しかない魔物は扉に近づこうともしなくなっている。
ファングインのランタンがぼんやりと洞の中を照らす。
天井の高さは三メートル。飾りのない石造りのアーチが闇の先まで続き、遠くからは風に運ばれ魔物の鳴き声が微かに聞こえる。底冷えする冷たさに鳥肌が立つ。
これが迷宮である。
「ま、とりあえず今日の目標は十階までだね。小休憩は五分ずつ取ろっか」
バルレーンの案でそういう事になった。
隊列はファングインとバルレーンが前、アスフォデルスが中、ユーリーフとゴーレムが後ろである。
バルレーンはおやつの木の実つまんでいる。
ファングインは今は剣を茶色い革の鞘に収め、バルレーンの左横にいる。最初は抜剣したまま下に降りようとしたが、バルレーンに「今からそんなだと疲れちゃうぞ」と諫められた結果、渋々従ったが故だ。
しかし、彼のやる気は衰えず終始周りを血気盛んな馬の様に気にしていた。
「うー」
ユーリーフとアスフォデルスは自分達の背後にいるゴーレムについて話していた。
この話題を振った時にはアスフォデルスは冷静さを取り戻しており、声は魔術の研究者として分析と理解の色が浮かんでいた。そしてユーリーフも同じ研究者として、まるで師に自分の研究結果を報告する弟子の様である。
「だが、まさかお前がゴーレム遣いだったとはな」
「……隠していた訳じゃないんですが、お見せする機会がなくて」
元来、ゴーレムとは創造するのも使役するのも才能が必要な魔術である。ゴーレム遣いは職にあぶれる事はなく、運搬でも建築でも引く手数多だ。
それこそ、冒険者等に就く必要が無い程。
「アンオブタニウム・ゴーレムか。初めて聞く名前だな」
「……えぇ、本来は今だと製法が失伝したオリハルコンを再現する為の魔術です」
黒髪の魔術師は一息置いて。
「……土を材料に、魔力によって性質を置換。金属として持つあらゆる強度を極限にまで上げ、代わりに存在の持続性を削り、疑似的なオリハルコンとして鋳造しました。
限界がくれば土に戻るどころか、土の粒子すら残さず消えるでしょう」
「なるほど。だからアンオブタニウム――手にする事のない金属か。実に面白く高度な魔術だ」
「……はい、一族の秘伝でした」
「それにゴーレムの作り方も独特だな。魔法陣を下に刻むのではなく、核となる人形に刻み呪文詠唱と作成時間の短縮を図る。
魔力結晶を複数個用意し、人形に込めた魔力だけでなく結晶からも魔力を引く事により稼働時間を延長する。
いずれも生半な真似じゃない。これ程の芸当が出来るのは、魔術師ギルドにもいないだろうな」
「……ありがとうございます、アスフォデルスさんに褒められるなんて凄く嬉しいです」
アスフォデルスの惜しみない賞賛に、ユーリーフは照れて自分の黒く長い髪をしきりに触りながらそう応える。力を失ったとしても目視しただけで自分の魔術の特性を看破したあたり、やはりアスフォデルスは依然として練達の魔術師なのだとユーリーフは思った。
「でも、あの錫の容器だけ分からん。あれは一体……」
彼女がそう言いかけた時、不意にバルレーンが左手で制した。彼女の赤瑪瑙の瞳は数百メートル先の闇に向けられ、ファングインは腰から剣を抜いた。
「ど、どうしたんだよ?」
「敵が来る。足音は二十、距離百。この軽さからすると多分スケルトン。ユー?」
「……うん。アスフォデルスさん、ゴーレムの後ろに」
ユーリーフが黒衣を翻しアスフォデルスをローブでくるむと、漆黒の騎士人形の後ろに回る。
アンオブタニウム・ゴーレムは薔薇が刻まれたカイトシールドを前に構え、右に握ったメイスを頭の後ろまで持って行った。鎖のマントがじゃらりと重たい音を立てて揺れる。
「な、なぁ! 私も戦った方がいいよな?」
「……一応、魔法銃は撃てる様にして下さい。バルちゃんが指示したらお願いします」
慌てた調子のアスフォデルスにユーリーフがそう答えると、アスフォデルスは直に準備を始める。
腰のベルトポーチから取り出した弾丸一個を銃身の後ろにあるスライド式の蓋を開け、そこから覗く穴から入れる。蓋を閉め撃鉄を深く下ろすと、かちりと弾丸が固定される音がした。そして撃鉄の横の薬皿に首から下げた霊薬を流し、銃身の呪文が刻まれた円環を三つ同時に回す。
これで後は引鉄を引くだけである。
ユーリーフは呪文を唱え始め、前線に立つ二人を支援しようとする。
「それじゃファン、速攻で――ってファン!?」
しかしバルレーンがそう声をかけるやいなや、ファングインは深緑のローブを翻し彼方の敵に突っ込んで行った。
百メートルの距離を、彼は駆け抜ける。
途中で四射矢が射かけられるも彼は疾走する中、次々剣で叩き落とす。
左手に持った彼のランタンが、敵が被る闇のベールを剥ぎ取った。
バルレーンの予測通り、敵はスケルトンが二十体である。一体一体は大した事ないが群れて来られるが厄介な類の敵だ。
「うー」
カタカタと音を立てて歯を鳴らす白骨が突き出した槍の穂先に、剣を合わせたと思った瞬間刃が走り、柄を伝い白骨の頭に命中し砕く。
一体を撃破すると共に、ファングインは敵陣のど真ん中に潜り込んだ。
骨片が舞う中、間髪置かず彼は周囲の剣を構えた白骨達を相手にする。
右手に握った鋼の刃をひらめかせ、まるでその場で円を描く様に旋舞。目にも留まらぬ速さでぐるりと自分を囲んだ白骨の頭蓋を次々砕く。また巧みに軸足も変え、左右交互に回転する事で白骨の剣を誘い紙一重で避け、敵が外した隙をまた刈り取る。
そして恐るべき事に彼はこれだけ派手に動きながらも、今の所息一つ乱していない。
「うー」
日常と変わらぬ平静な唸りが石造りの迷宮に、剣戟と共に木霊する。
白骨が最上段に構え、両手で振り下ろした剣に手首を返し、逆手の刃で受けたと思った途端。またたき一つ後には、ファングインが敵の頭を砕いていた。
左手に盾を構えた白骨がいた。幅の広いカイトシールドでファングインの一突きを防いだと思ったら、一呼吸の間に十度突きを重ね、盾を砕いて刃を頭蓋に届かせる。
暗闇をランタンの焔が揺らめく事なく照らす中、深緑のローブをはためかせ、ファングインは踊る様に剣を振るう。
「うー」
琥珀色の左目が、自分に弓を射かけようとする白骨を見つけた。
それに対し彼は丁度自分に突きを放った白骨の両手剣の刃を上に跳躍し躱し、――そしてあろうことかその刃の上に乗った。
そのまま右足で頭を蹴り上げ、砲弾と化した頭蓋が遠く離れた弓手を木端微塵に潰す。
身体を載せた剣が地面に落ちる時、全ては終わっていた。後に残るのは、砕け散った骨片と錆びた武器だけである。
遠くからその様を見て、アスフォデルスは思わず上ずった声でこう漏らした……。
「あいつ、あんなに強いの……?」
「……い、いつもはもっと大人しいんですけど。今日ファン君、凄くやる気に溢れてて」
「お前等って今まで何やってたんだ……?」
「……まあ、その色々事情がありまして……」
彼女達がそんなやり取りをしてる中、バルレーンはたった今戦闘を終えたばかりのファングインを叱っていた。
「こら、ファン! なんで指示言う前に行っちゃったの!?」
「うー」
「幾ら強いからって、一人で行っちゃうのは駄目! 何、アスフォデルスにカッコいいトコ見せたかったの?」
「う!」
「う! じゃない! そういうので人は簡単に死ぬんだからね! あー、もうとりあえず死体漁りするよ!」
表情険しくも何処か可愛らしく𠮟りつけるバルレーンに対し、ファングインは何食わぬ顔で受け流しながら倒した敵の死体の持ち物を漁る。
彼等が何事も無かったかの様に敵の金品を次々懐に入れる様を、アスフォデルスはその様を
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