7話:死の罠の地下迷宮



 迷宮。

 それは強力な魔力を持つ場所や物を中心に、構成されるモンスターとアイテムとトラップのコロニーである。


 場所は魔力を吸収し空間を歪める事によって異界からモンスターや様々なアイテムやトラップを呼び寄せ、現象としてダンジョンを構築する。


 その魔力が強い程迷宮はその深度と複雑さと攻略難易度――そして攻略の栄光の輝かしさを上げて行き、毎年何人もの冒険者達がダンジョンに喰われ還らぬ者となる。


 ――其は栄光の篝火かがりびにして、冥府の大口。


 トルメニア王国に在るイシュバーンは大陸でも有数の迷宮都市として名高い。

 かつての神話の時代、イシュバーンは幾度も神々達の戦いの舞台となった土地である。畢竟ひっきょう神世の名残がおびただしい程埋蔵されており、数多く迷宮が発生するのだ。


 その中で三ヵ月ほど前に見つかった『不凋花ふちょうかの迷宮』と呼ばれる場所が存在する。そしてそこに潜る彼等もまたダンジョンに栄光を求める徒党だった。


 薄暗い石造りの迷宮を進む。

 全三十層の内、十九階。広大な空間に幾重にも乱立する柱の中、冒険者の分厚い革靴の音を響かせる。

 ランプの灯が頭上を灯す中、中年の人間の男がまず先頭を歩んでいた。それが彼等の頭だ。そんな彼の後ろでハーフエルフの魔術師・サーシャは、同じ徒党の青年魔術師・ラルフに話かける。


 ラルフは狼の獣人で、尻の尻尾は歩く度微かに揺れる。


「ねぇラルフ、もし私達がアスフォデルス所縁の何か手に入れたらどうしよっか?」

「うーん、間違いなく一財産になるからな。物にはよるが換金してもいいし、自分の物にしてもいい」


 冒険者の仕事でも迷宮潜りは特殊な立ち位置になる。

 普通の仕事――護衛や採取や魔物討伐などは依頼者の条件と受け取る冒険者のランクにより報酬が決まる。ランク制限も存在し、指定した等級以下禁止の依頼もザラにある。


 だが迷宮にそれは無い。


 一級から十級まで誰でも何処でも入れ、迷宮内で手に入った全てが報酬となる。

 しかし迷宮内で何も手に入らなければ、ただ出費がかさむだけ。故に冒険者の中では皮肉を込めて博打と呼ぶ者もいた。


「大魔術師アスフォデルスの人間像に迫れるだけでなく、もしかしたら未発表の研究資料も見つかるかもしれない」

「もし未発表の研究資料なんて見つけちゃったらどうなるんだろう……」

「おそらく、魔術師ギルドがかなり高値で買い取りに来るだろうな。きっと目の前で硬貨の山が出来るぞ」


 魔術師ギルドは文字通り魔術師を管理する為のギルドだ。魔術の悪用を防ぎ裁く役目の他、新しい魔術の研究や新たな魔術師を育てる学院の運営などを行っている。

 実はトルメニア王国の勃興よりも古く存在するが、今は大陸一帯を統治する王国に付いて専属の学術機関として権勢を振るっていた。


「夢のある話だね、ラルフ」

「まぁ、天文学的確率の幸運に恵まれたらの話だけどな。あいつ等低級の癖に運だけはいいらしいな」

「えーと、賢者の石見つけた所だよね。どこだっけ?」

「ほら、やつらだよ」


 やつらと言われた直後、サーシャは数拍止まる。そして――


「あぁ、あの言葉喋れないのがいる所! で、シーフの子と長い黒髪の人がいる所! え、あいつ等だったの?」

「最下層まで潜ってたな」

「え、あの徒党で? 凄くない?」


 心底意外だったらしい、サーシャの語気は思わず上がっていた。それに対しラルフも感慨深げに相槌を打つ。


「あいつ等、まともに冒険出来たとはなぁ……」

「だってあいつら普段、大型迷宮の低層とか中層で遊んでるのがメインでしょ。偶にシーフの子が他のトコに応援に行ったり、黒髪の子は冒険者ギルドで資料整理してたりするの見るけど。後はギルドにおべっか使って、護衛とか採集とかやってるし」

「……シーフと魔術師だけで戦って何とかなるとは思えないんだよな。ここ小型と中型の中間みたいなトコだけど、出てくる魔物は結構手強いし」

「まさか、あの大男が剣抜いて戦ったとか?」

「そっちの方が無いだろ。ま、運が良かったんだろうさ……多分それが一番納得が行く理由だ」


 彼等の口から出るファングイン達の評価は散々な物である。ただそこには普段見下していた連中が、分不相応な成功を手にした妬みも含まれていた。


「その運がこっちにも向いてくれると良いんだけどね」


 賢者の石が発見されて以降、ガッカリ遺跡と評されていた『不凋花ふちょうかの迷宮』は一転して往時の人気を取り戻していた。

 最下層の扉は突破出来ないものの、さりとてもしかしたらまだ何かあるかもしれない。そういう考えが冒険者を呼び寄せているのである。


「――お前等、お喋りもそこまでにしておけ」


 サーシャがそう言いかけた直後、前方を歩いていたリーダーである壮年の男がそう言った。


「いいか、ダンジョン最深部から十階は難易度が段違いなんだぞ。けして油断するな」

「解ってるったら、リーダー。でももしもの時は、ラルフお得意のアレ使って逃げればいいでしょ」

「やめろ、そういう甘い考えだと足元掬われるぞ」


 サーシャがそう答えると、ラルフが少しばかり真面目な空気を取り繕って諫める。

 彼等の構成は前衛としてリーダーの剣士、そして彼等より先に先行している短剣使いのシーフ。そして後衛としてハーフエルフと獣人の魔術師がいる。このイシュバーンにおいて平均的な徒党だ。


 彼等がこちらに入ってから二日間、十九階にまで辿り付いたのを見れば、優秀であると言えよう。軽口を叩けるのは自信の表れであるに違いない。

 だが、過度の自信は毒である。何故ならそれはダンジョンに対する恐怖と警戒心を忘れさせるからだ。


「おかしいな」


 ぽつり、と剣士がそう呟く。するとラルフが空かさず訊ねた。


「どうしたんですか、リーダー?」

「ここに入る前、冒険者ギルドで未帰還者の数を聞いてきたんだ。数は三十名弱。……だが、今まで何処にも死体一つ無い」

「俺ら以外だと雷使いのオーウェルとかがデカいですよね」


 雷使いのオーウェルもまた名の知られた冒険者だった。その名の通り雷が得意な魔術師であり、魔術師学院出身である事を鼻にかけてたものの、言うだけの実力は持っていた。


「奴がこんな所で潰れるとは到底思えん……」


 ラルフの問いに、リーダーがそう答えた時だ。


「きゃッ!」


 闇の奥からそれはリーダーの頬を掠め、丁度サーシャの足元に転がった。

 ……それは、よく見知った者の一部だった。人差し指に嵌められた指輪は、持ち主が大規模迷宮からドロップして得た戦利品だと自慢していた物である。


 彼等のシーフの右手であった。


 サーシャが悲鳴を上げるのと、ラルフがいちいの杖を彼方に向けるの、リーダーが抜剣し背後を振り向くのは殆ど同時であった。

 水音とくぐもった唸り声が一度。そして闇の中から何本もの触手がラルフを襲う。咄嗟の事にラルフの手から杖が落ちた。


「うわッ、クソッ!」

「ラルフ!」


 リーダーは剣で切り払おうとするが、彼もまた触手に絡めとられる。二人が闇の中に引きずり込まれてからしばらく経った後、闇の中でも灯り続けていたランプが消えた。……まるで、死の表しかの如く。


「や、やだやだやだ! 嘘よ……」


 闇の中、サーシャの声だけが木霊する。恐怖から足は竦んで彼女はその場に座り込む。その向こうに何がいるのか推測できないし、したくもない。ただ彼女は神に祈るしかなかった。


 だが、応えられる事はない。

 触手が、彼女に絡みつく。


「やだやだ! やめて、来ないで!」


 彼女は必死に拒み、腰に吊るした全長四〇センチ程の片刃のナイフを抜くと触手に突き刺す。

 しかし、良く手入れされた鉄の刃は肉に刺さるどころか、鈍い音を立て根元から折れる。

 唯一の望みはたったそれだけで断たれた。

 引きずり込まれる中何本も触手は絡んで行きとうろう口すら塞がれる。まるで蜘蛛に捕食される蝶の様だった。

 そして、彼女は暗闇の奥に『それ』の姿を見た……。


【―――――――】


 それから数瞬後、声なき絶叫が響くもそれを聞き届ける物は何一つない。吐き出された右手もまた再び触手により闇に引きずり込まれた。

 そして幾許かの静寂せいじゃくが流れた後。


「あ」


 それは男の声だった。


「A」


 それは女の声だった。


「あ、AAAAAぁああぁあぁぁぁぁぁあああアアアァァァァァァ……」


 混成合唱の様に、男の声と女の声それぞれが響く。まるで彼等が一度行った断末魔の絶叫を再生する様に。

 そして、絶叫はやがて意味有る言葉に変わった。


「ら、RU、フ」


 声の音域が、女に固定される。


「いヤ、やMEて」


 それは知識を、記憶を、心を、魂すらも喰らう。生きたまま脳髄を引きずり出し、己が内に取り込む。

 そこからは試運転だ。


「お願イ、食べナイで! イや、いや! YAめテッ!」


 闇の中、亡者の声が一頻り響く。それは時系列関係なく、末期の言葉はランダムに再生されていく。

 そして一度ピタリと止まった後。


「“空にいまし……”」


 一度言葉は止まる。


「“空にいまし鳥の御霊にこいがねう。風よ、壁となれ”」


 その呪文は、風を操り壁を作る『ウインド・プロテクション』だった。それは持ち主そのままの声で唱えられると、闇の中に底冷えする風が一度息吹く。

 まるで子供が新しい玩具で遊ぶ様に次々と、脳に詰まった知識と経験を引きずり出し様々な魔術を試していく。


 闇の中絶え間なく乱舞する数々の彩りの光は、まるで旅人を底なし沼に誘う鬼火の様であった。


 後に遺されたのは魔術師が愛用していた杖だけ。

 ……ただそれだけが、ここで何があったかを知る全てである。

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