6話:旅の仲間
アスフォデルスは自らの身に何が起きたか、洗いざらい全てユーリーフとファングインに話した。
「……なるほど、そういう事があったのですね……」
「うー」
全て話して帰って来た答えがそれであったのは、彼女にとって些かの救いなのかもしれない。彼等はアスフォデルスのプライドに触れようとしなかった。
「そういう事があったんだ。まぁ、冷静に考えると私の誤ちだが……勉強代は物凄く痛かったな。だが、アレだな。結構酷い傷を負ったと思ったんだが……寝て起きたら立って動けるまでになるとは」
「……わたし、回復魔法得意で。それにバルちゃんも実家秘伝の処置してくれて」
「そうか、二人共かなり腕が良いんだな。助かったよ」
アスフォデルスがその茶色い髪を一房いじると、対して黒髪の女魔術師は気まずそうな顔を浮かべた。そして張り詰めた顔色を数瞬浮かべた後、何事も無い様に振舞い、アスフォデルスはその様に少し気を惹かれはしたものの流す事にした。
「しかし、『
「……どうかされたのですか」
アスフォデルスは卓に置かれ
「そこにあるのは確かに私が精製したヤツだ。この色、この大きさ、込められてる魔力に間違いはない。……ただ、『
「……ここより南四キロに。全三十階程の迷宮で、三十層の最奥の扉には不死の花の紋章が刻まれてます」
「それは、私だな」
不死の花はこの国で不吉の代名詞として扱われている。葬式に備えれば死者が天国にも地獄にもいけない、この国の初代国王が落馬し命を落とした場所に咲いていたのが不死の花だ、等不吉にまつわる逸話は枚挙にいとまない。
歴史の越し方から行く末までの上で、その花を紋章や名前として使ったのはアスフォデルスだけである。
「他に特徴は?」
「……最奥の扉なんですが、幾重にも封印が施されていて誰にも開けられません。三カ月前に見つかった当初は大発見だと持て囃されたんですが、最奥の扉は何時まで経っても開かない為、今はガッカリ遺跡として扱われています……」
「どれくらい開かないんだ?」
「……噂を聞きつけた王都の魔術師ギルドの魔術師、それもかなり位が高い人が二ヵ月前に来て……手も足も出なかったそうです」
「やっぱりそれ、私だな」
アスフォデルスとてこの二百年間、全く社会と隔絶した生活を送っていた訳ではない。少なくとも最低限俗世との関わりは持っていた。
王都の魔術師ギルドと言えば、魔術研究の最先端を行く。そこでかなり位が高い魔術師となれば、大魔術師と表現しても差し支えないだろう。
無論、彼女――アスフォデルス程ではないが。
「そうか、いやそいつには悪い事したな」
口ではそういった物の、声はどこか嬉しそうである。その様を見てユーリーフはこう思った。……あ、この人褒めて持ち上げれば何でも言う事聞いてくれそう、と。
「……伝説の大魔術師アスフォデルスの領域には、未だ誰も立てなかったという訳です……」
「そうかそうか! いやー、参ったなー! もうちょっと優しくしてあげたかったんだが、それは侮辱にもなるしなー!」
「……それで、迷宮に関して心当たりは……?」
そう言うと、潮が引くようにアスフォデルスはまた冷静になる。
賢者の石、不死の花の刻印、大魔術師でも破れぬ封印、状況証拠はまず間違いなく自分が関係している事を示している。しかしここから南に居を構えた事など……と思った所で、記憶の糸はかすかな煌めきを見せる。
それこそ二百年前、この地に足を踏み入れた当初の事。短い間だが居を構えた事がある。そこで魔力の質から思った出来の賢者の石が作れなかったので、より良い土地をと思いレンリー大森林に場所を移したのだ。
記憶は次々と紐解かれていく。……そう、その時必要な物はレンリー大森林に移したが、持って行くのがめんどくさかったり、特に使う物じゃなかったりした物はそこに置いていったのである。
“神秘の沼は深く、錬金の頂は高い、知の領は遥か遠きかな”と、彼女自身が合言葉を口にする事で開く様にした扉の奥底にと。
「思い出した……」
その声は、何処か上ずって聞こえた。
「……やっぱり、ですか?」
「あぁ、レンリーに引っ越す際。持って行くのがめんどくさかった物は置いていったんだ、どうせ誰も入れないんだから物置にしとこっかって。研究資料とか器材とか一式……迷宮化したのかあの工房」
「……中に入る事ってできます?」
「勿論!」
彼女の顔が喜びで浮かび、無意識から椅子から勢いよく立ち上がる。
「これで私は再びあの姿に戻れる! やったぁ! 運が向いてきたぞ!」
「……あ、あの……もっと静かに。他の人が見ちゃってます……」
「これが喜ばずにいられるか! ――こんな姿一秒でもいたくない!」
その青い瞳に仄かな狂気の光が灯っている事に、ユーリーフは気付いた。まるで綺麗好きな人間が服の端に着いた泥に耐え切れないかの様に、目の前の茶髪の少女は自らの姿を徹底的に嫌悪し過ぎている。
そんなあまりの様子にユーリーフは思わず気圧され、たじろいだ。
「こんな姿やだ、こんな姿やだ! 一秒だっていたくない、忘れたい忘れたい忘れたい忘れたい!」
「……あ、あのアスフォデルスさん!」
狂気に迸る青い瞳がユーリーフに突き刺さる。
「――頼む! 私に出来る事は何でもする! 欲しい物なら何でもあげる! 金でも魔法書でも道具でも、全部全部だ! 代わりに私を迷宮の奥に連れてってくれ!」
それはユーリーフが引き出そうとした言葉だった。バルレーンが戻るまでにこの言葉を口にさせる事こそ、ユーリーフが頼まれた事だった。
だが、そのあまりの狂態に話が通じそうにない。
「……わ、わかりました。まずは落ち着いて下さい……」
「落ち着いている! 私は凄く凄く落ち着いているぞ!」
「……あ、あ……」
その様子のおかしさを察し、こちらの卓に戻って来始めたバルレーンが訝しんだ表情を浮かべる。他の卓で飲んでいた冒険者達も、先程バルレーンに話しかけたショートスピアの男も怪訝な表情でこちらに注視し始めていた。
「さぁ、行こう! 今すぐ!」
「……痛ッ!」
アスフォデルスが力いっぱいユーリーフの指輪が嵌った右手を掴んだ時。
「うー」
何とも間の抜けた声が店内に響いた。
深緑のローブを羽織った銀髪の男、ファングインの声である。
彼はまるでそよ風の様にアスフォデルスの手の上に自らの右手を置くと、琥珀色の瞳で彼女を静かに見据えた。それはまるで水面に映る月の様に。
――くん、とアスフォデルスの鼻は微かなその匂いを嗅ぎ分ける。
それは、仄かに甘くて深い薬草の匂いだった。それは水ほうずきという、この地に自生し
「うー」
ファングインのその声は、まるで人知れぬ奥地に住む静かな獣の様であった。そこで彼はアスフォデルスの手から右手を離す。
「あ、悪い。つい熱くなった……」
「……いえ、大丈夫ですので……」
そしてアスフォデルスもまたユーリーフの手から指を離し、おずおずと気まずそうに席に座った。
「なになに、どうしちゃったのさー?」
直後バルレーンが卓に戻って来た。顔にはもう訝しんだ様子は見えず、仲間である銀髪の男が場を呑んだ事を確認したからか、卓を離れた時と変わらぬ陽気な笑みが浮かんでいた。
「……あ、バルちゃん……」
「お疲れ様、ユー」
「……ごめんね、バルちゃん……」
バルレーンはアスフォデルスの隣に座ると、陽気な笑みを崩さず語り掛ける。アスフォデルスはその様に少し物怖じした。
「ねぇ、アスフォデルス。君そんなに今の姿が嫌なの?」
一瞬たじろいだ後、アスフォデルスは赤い三つ編みの娘の問いにそう答えた。
「あぁ、嫌だ。こんな姿、不細工でちんちくりんだ。髪の色、目の形、歯の形、肌の質……何一つ気に入らない」
貧乏くさい茶色が嫌、つり目の三白眼が嫌、ギザギザした獣みたいな歯並びが嫌だ、全部全部全部嫌だ。
過去が遠い木霊の様に彼女の中に響いてくる。
“なんだ、その田舎臭い茶髪は?”、“どうして睨んでいるんですか、折角貴方の為に身の程を教えてあげてるというのに”、“獣みたいな歯だな、今にも殺されそうだ”、“お前のその顔見るとイライラするんだよ”、“この学院の恥だ”……。
昏く重たく沈殿した過去の澱は、彼女の心を毒の様に苛み続ける。
「うーん、君は君で結構可愛いと思うんだけど」
「どこが!? 見ろよ、この歯! ギザギザしてる! どう思う!?」
そう叫んだ後アスフォデルスは口を開けると、右人差し指で右の頬を引っ張って歯を見せつける。
「八重歯がとっても
「お前みたいな美人がそう言っても、単なる嫌味にしか聞こえないんだよ! この馬鹿!」
「……面と向かって褒めないでよ、ちょっぴり恥ずかしいじゃん」
「褒めてなんかない!」
そんなやり取りの中、気を取り直しバルレーンはこほんと空咳を一つした後。
「いいよ、そんなに言うなら迷宮の奥まで連れてってあげる」
「本当か!?」
「あぁ、でもその代わり報酬は弾んで欲しい。ファングインはお金なくても生きていける奴だけど、ユーは魔術の研究で、ボクは将来の為に沢山お金が欲しい。……念の為聞きたいんだけど、お金になりそうな物……あるよね?」
バルレーンにそう尋ねられると、アスフォデルスは一拍目を瞑って元工房に置いてきた物を思い出そうとする。多額の金になりそうな物は……まずはユーリーフの持っている賢者の石である。
自分からしてみれば品質に些か難があるものの、余人から見れば高額な代物だ。世俗から遠ざかって長いが、それでも学会には研究を度々発表してたが故自分が作った物の価値ぐらいは把握している。
おそらく、それを売ればこの都市の一等地に豪邸が立てられるだろう。けして安くはない金額になる筈である。
それ以外はと言えば……。
「あー、少なくとも元工房に置いてきた本には些か自信がある」
そう口にした時、ユーリーフの長い黒髪がぴくりと揺れた。
「へー、本か。どんなの持ってたの?」
「思い出せる範囲だと、『狂える法則について』が一冊」
そう言うと、ユーリーフが空かさず答えた。ここからアスフォデルスが本の名前を上げると、ユーリーフが現在の価値でどれ位の額になるかを答える形となる。
「……十人家族が十年間遊んで暮らせる額になります」
「えーと、次が『驚異の礼賛』」
「……この都市の一等地に豪邸が立てられます」
「それと、『クルーナッハの呪文集』だろ」
「……魔術師ギルド一年間の活動資金になります」
「で、『
「……イシュバーンに駐屯する精鋭騎士団を一ヵ月借りてもお釣りが来ます」
「それに、『時と精神』と『空間と肉体』のセット」
「……献上すればトルメニア王国の爵位が貰えます。それもぶっちぎりで高い位のを」
「あ、『バルバ・ヒースギータ』もあった」
「……この国が買えます」
ユーリーフの答えが一区切りすると、汗を一筋垂らしながらバルレーンは口を開く。
「え、今上げたヤツ全部あるの?
バルレーンは魔術書に関してはあまり詳しくない。だが、そんな彼女ですら今アスフォデルスが上げた題名は知っている物もあった。
「あぁ、どれもこれも本棚圧迫するからな。どうせあんまり読まないし、いっかと思って」
「凄い。言ってる事は共感できるけど、本の値段知ったら何一つ共感できないや」
「持ってる事すら忘れかけてた本だ。欲しいなら全部あげるよ。それに――」
「それに?」
バルレーンは小首を右に傾げる。すると赤い三つ編みの一房も左に傾いだ。
それに対し、アスフォデルスは自らの額を右手人差し指で叩き。
「内容はとっくの昔に全部頭の中に入ってる」
すると、ユーリーフは赤い唇を両手で覆うと、感慨深そうにこう呟いた。
「……これが、大魔術師の感覚……」
「元の姿に戻れるなら何でもやるし、何でもする! その代わり、絶対に絶対に迷宮の奥まで連れてってくれよな!」
その時である。
一瞬、他の冒険者に頼んだらどうなるのだろうという考えが脳裏を過ったが、彼女は即座に被りを振った。
飛竜を何の加護や魔術の施されていない剣一本で追い払える男が、傍目から見たら嘘にしか思えない話を信じているのである。
目の前にいるバルレーンこそいまいち信用できないが、さりとてファングインだけでも十分過ぎる実力を持っている。
それにもし他の冒険者を運良く説得して仲間にしたとしても、裏切る可能性がある。魔術師ギルドに引き渡されれば、最悪実験動物の未来が待っているだろう。
その点彼等は正体を判じても自分が目覚めるまで待ち、わざわざ世話を焼いた。……他の連中を選ぶよりも、余程信用が置ける。
恐らく、多分、きっと。
――こんな時、真偽を明らかにする呪文が使えれば。
――こんな時、契約のスクロールを作れれば。
――今、この場で何か魔術を一つ使えれば。
そういう様々な思いが心中を駆け巡るも、自分が置かれた状況は一向に変わらないと思い直して辞めた。ただ、絶対に力を取り戻すという意思だけを固くして。
「絶対に、絶対に連れてってくれ! 力を取り戻すなら、何でもする!」
鼻息を荒くするアスフォデルスに対し、バルレーンは自分の前にあったエールを一口飲むと、調子を取り戻して笑いながら話す。
「うん! いいよ、後で念書に書いてもらうけど、そう決まったら準備を始めよっか」
「……準備?」
小首をかしげたアスフォデルスに対し、赤髪の女シーフは満面の笑みを浮かべ。
「勿論、冒険するならまず準備しなくちゃ!」
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