17話:魔王戴天
――魔王の揺籃招来の一時間前。
所変わって街から草木生い茂る東の森へ。丸いイシュバーンを見下ろせる小高い岩の上でカロンは、アスフォデルスと共にいた。
アスフォデルスの身体と口元にはカロンの鮮血が荒縄の様に巻かれており、魔術の行使どころか身動き一つ取れない。
「さて、この一時間が勝負だね」
兵は神速を貴ぶとの言がある様に、カロンにとってはこの一時間が勝負だ。
もし時間を与えてしまえば、奴等に反撃の準備の機会を与える。今は三人だが、それが百人にも千人にも増えるだろう。もしかしたら神世の道具も持ち出すかもしれない。
それらを使う暇のない状況に陥らせる事。それが鬼の戦いだ。
「カロン、大丈夫か!?」
一拍遅れてククルが紅玉の瞳に涙を浮かべ彼女に追いついた。
「ククル、アンタも無事だったみたいだね」
「カロン、右腕は!? 今薬を!」
「やめい、それよりももっとやる事がある」
青髪の鬼は自らを案じるククルを止めると、アスフォデルスを無造作にその場に降ろした。
アスフォデルスの火傷の浮いた顔と青い衣に、僅かばかりの泥が着く。口元の拘束は解かれ、酸欠気味だったアスフォデルスは一度深呼吸をし痩せぎすの身体を大きく震わせた。
「お、お前何をするつもりだ……」
彼女の身体は、血の跡こそ残ってはいるものの今は付けられた傷は癒えていた。しかし顔と声には怯えの色が濃く残っている。……金の髪も、青い衣も黒いスカートも今は恐怖から僅かに震えを帯びていた。
「あそこまでの勇士がいるなら、ただ戦うのは勿体ない。相応しい相手には相応しい舞台を用意しなくちゃな」
そういうと、彼女は左手で右腕の手首を握ると外す。
途端斬り落とされた断面からは血が溢れ出るが、それは土に落ちる事なく失われた右腕を模った。青髪の鬼はと言えば、取り外した右腕を感慨深そうに見つめ。
「鬼の古老の右腕。……魔王を常世に降ろす贄の一つとしては上等だな」
「ま、魔王だと……?」
カロンが口にした魔王というのは、彼等がいるこの無名大陸の永い歴史において時折現れた意思持つ災害の様な物である。
元は肉体を失いながらも形而上の世界に行かず、この世に留まった混沌の神バアクィルガが、数千年に一度その時代に丁度合う肉体を依り代にして降臨する。
その性格は苛烈にして残虐。その逸話の一端として挙げられるのは、諸人の国の時代に当時存在していたケンタウロスの一氏族を「戯れ」の一言だけで滅ぼした事が上げられる。
「あの坊は相当やる。あれ程の勇士と遊ぶなら、賭ける物が互いの命だけってのは寂しいだろ――どうせならもっと大きな物を賭けなくちゃ」
「馬鹿な、魔王なんて呼べる筈がない!」
アスフォデルスの言葉の通りであった。
魔王とは混沌の神を依り代に降ろす事で生まれると言えば簡単に聞こえるが、それには数千年に一度の素材を引き当てる運と、その素材を変容させる為の膨大な――一国を干上がらせて余りある――魔力が必要だ。
飽くまで魔王とは、運命的なまでの偶然が重なり合わさって生じる物である。
「形而上の世界にいる神の魂や精霊を肉体に降ろすのとは訳が違う! 人間を神にするんだぞ! そんなの、海の水全てを一つの水筒に容れる様な物じゃないか!」
「それを可能にするのがお前の役目さ」
カロンはにたりと笑う。
「アンタの胸のそれは賢者の石、魔力を無限に引き出す魔法の泉さ。それにアンタ最近魔族殺しただろう? ……知ってるか、魔の者の死臭は魔を呼びやすくするんだ。
そしてこれ――」
彼女はそう言うと、自らの赤い衣の胸元に左腕を入れる。すると内側からある物を取り出した。それは美しい翠緑の色をした鳥の羽だった。
「これ作ったのアンタだろ?」
カロンが言う通り、それは『不凋花の迷宮』から外に出た際。幌馬車を呼ぶ為に彼女が生み出した鳥の羽である。あの時は結局帰って来なかったが、幌馬車は来た為に特に気にせず放っておいたのである。
「そ、それは――」
「美事な腕だな、大ゴーレム遣い。土から生命を生むなんて、お前以外出来ないだろうさ。魔王の肉体を鋳造するには十分だ」
一息置いて。
「後はバアクィルガの魂だが、……何こう見えても魔王の巫覡だ。そっちはアタイが何とかする」
そうアスフォデルスに言ったカロンに対し、言葉を挟んだのは困惑の表情を浮かべたククルであった。
赤髪の鬼は身に纏った青い衣装の裾を握りながら、おずおずと気後れする様に話かける。
「なぁ、カロン。ククル思うんだけど、魔王呼ぶのは……幾ら何でも大袈裟じゃないかな?」
「……なに?」
アスフォデルスの口に再び血の封をした後、応えたカロンの何時もより少し低い声に、一瞬ククルはひっと声を漏らす。しかし、続く悲鳴を意地で飲み込んで自分の意見を口にした。
「だ、だって! 幾ら強いって言ったって、高々一人の剣士だよ!? そんなのと戦う為だけに魔王を呼ぶなんて、や……やり過ぎだと思う!」
「……」
「そ、それにククル逃げる時に建物一個崩して埋めて来た! そもそも絶対死んでるよ!」
ククルは年若い鬼である。精々千歳に行くか行かないか、鬼としてはよちよち歩きがようやく終わった位である。
しかし、それでも彼女は生まれたばかりの頃に一度魔王の現出に立ち会った事がある。どの様な光景だったかは覚えていないが、身体だけは魔王の恐怖を未だ確りと覚えていた。……魔王という単語を聞くだけで、背筋に怖気が走る程に。
彼女がそう言うと、カロンの青い瞳は右上を一度向く。それは人が何かを思案し、推考する方向だ。
刹那、合点が行ったのだろう。青い瞳は再びククルに向き直る。顔には怒りはなく、純粋に何も知らない子供を教え諭そうとする様な色合いが浮かんでいた。
「ククル、悪い。大切な事を教えていなかったな……」
「な、なに?」
「あぁ、それはな――」
瞬間、青髪の鬼は残った左手に全力を込めてククルの頬を叩いた。
「――いいか、俗物。よく聞きな、あの坊はその程度じゃ死なない。喩えるならアレは伝承で語られる王の石を持った黒き蝗の王さ。アレを敵に回した以上、アンタもアタイももうタダじゃすまない」
「じゃ、じゃあ生き残るために魔王を呼ぶの……?」
涙ぐみながらそう言うと、カロンは一度笑う。
そして再び張り手がククルの頬に飛んだ。
「な、なんで!?」
「たわけ! そんな下らない事の為に魔王なんかわざわざ呼ぶか!」
「なら、何の為に呼ぶのさ!」
「楽しいからに決まってるだろ!」
そう叫ぶや否や、カロンは自分を慕う赤髪の鬼の首を左手で掴む。そして斬り落とされた右手の断面をまざまざと見せつけた。
「あの街には今これが出来る奴がいる! 何の変哲もない一本幾らの剣で、鬼の古老の腕を斬り落とす奴が敵になってくれたんだぞ! この素晴らしい魔技に応えるなら、魔王くらい呼ばなきゃ礼を失するという物だ!」
「で、でも魔王なんて呼んだらカロンだって死んじゃうかもしれないんだぞ!? そんな命を粗末にする様な真似……」
無論の事であるが、魔王などという存在を呼ぶとすれば当の術者はタダで済む訳がない。
仮定の話として人為的に魔王を召喚しようとすれば、最低でも数千人規模の生贄と人間の普通の魔術師であるなら数百人。鬼であるなら百人が必要である。
それを古老とは言え鬼一人、人族の大魔術師一人で呼ぼうとするのだ。何の害も無い方がおかしい。呼んだ瞬間カロンの寿命が尽きても何の不思議もないだろう。
ククルのそんな悲痛な言葉に対し、青髪の鬼は牙を剥き出しにして笑った。
「ただ生きるのは凡愚の所業だ。命とは路傍に捨てる事こそ、その先の一刹那に満たぬ快を求める事こそ、我らが鬼種の喜びと知れ」
ククルの顔にはまだ渋面が浮かび、カロンの言葉に納得が行ってない様子である。
しかし、それでも二の句を継げないのはそれこそカロンの言葉に有無を言わせぬ凄味を感じ取っているからだろう。……そんなククルに対し、カロンは僅かばかり声を和らげ。
「まぁ、刃の甘さが解る様になれば自ずと解る。……とりあえず、アンタは街の外の関所にここら辺の魔物全部ぶつけてこい」
「……わかったもん」
「でも深追いはするなよ? 程々のとこで切り上げないと、アンタが暴れる分無くなっちゃうからな?」
青髪の鬼がまるで母親がお菓子のつまみ食いは程々にしなさい、という様にそう言うとククルは青い衣を翻して西の方へ走り去っていった。返事も何もしなかったのは彼女なりの抗議だったに違いない。
赤髪の鬼のいじらしい後ろ姿を一瞬だけ長く見送ると、カロンは背後に振り返った。
「いやぁ、悪い! 待たせたな!」
……拘束されながらも、何とかその場から逃れようとしていたアスフォデルスを青髪の鬼は血で形成された右腕で吊り上げる。
そして口の封を再び解いた。
「い、いやだ! 魔王なんて呼ばないぞ!」
それは痛みへの恐怖から来る言葉では無かった。怯えながらもそう言うアスフォデルスの淡褐色の瞳には、確固たる意地が垣間見える。
「私は……私は腐っても魔術師だ、人の役に立つ物は作っても人を破滅させる物なんか作らない!」
その時、青と黄と橙が入り混じった瞳が自然と右上を剥く。彼女が一瞬脳裏に思い浮かべたのは、父母や兄弟や姉妹。かつての友のアルンプトラ。バルレーン、ユーリーフ、そしてファングインの顔である。
「……アスフォデルス、アンタ今坊の事考えたね?」
カロンはアスフォデルスの首筋の匂いを嗅ぐ。そしてにたりと笑った。
「若い肉に引きずられて心まで娘に戻ったみたいだね。……しかし不思議なんだが、アンタと坊は一体どういう関係なんだ?」
「力を失った私を助けてくれた。それ以外知らない」
「ゆきずりの相手にしては、えらく執心されてるみたいだが。人は善だけでは動かない、いつだってそれ以上の物があって初めて人を助けるのさ」
アスフォデルスはその言葉に一瞬戸惑いを見せた。その様子を見て、カロンは再びにたりと笑う。どうやら何かを思いついたらしい。
「もしかしたら大いなる者の采配で宛がわれた伴侶かもしれない、もしかしたら生き別れた親類かもしれない。しかして存外取るに足らない程度の理由か。……どれにしても答えは一つ、あの坊は必ずお前を取り返しに来るだろう。ならば――」
「なにが言いたい……」
「アンタがそう言うなら、やり方を変えるだけさ。もっと楽しく、刺激的な方にな」
そうして魔術師の口に封をすると、青髪の鬼はこう言葉を紡ぎ始めた。
「Val,Et'val!《ヴァル、エトヴァル!》」
それは古代語とも、公用語とも違う全く異なる体系に基づいた言語であった。
「Zwe'Ghea Nhat-Widzata! Gularfem dwel Zularfem na Ehat! Et'Culufoo na twan Baquylgar!《ズウェグヘァ ナハト ウィドザッタ! グラーフェム ドゥル ズラーフェム ナ エハト! エトクルゥフゥ ナ トゥワン バアクィルガ!》」
瞬間、その場の空気が重たく淀む。そしてアスフォデルスのうなじに表現の出来ない悍ましい戦慄が徐々に走り始める。
「Et'Alm dwel Mauv-zwar Ehat dwel cawn! Camna Camna Camna,Quamza faw! Pangweia dwel Zasts am dwet!《エトアルム ドゥル マァヴズワァ エハト ドゥル カウン! カムナカムナカムナ、クァムザ ファウ! パングウェイァ ドゥル ザスツ アム ドウェト!》」
そして闇が来る。
× × ×
魔王の揺籃の招来から、イシュバーンは現在混乱のただ中に有った。
そもそも揺籃の招来前。城郭都市の東西南北では、それぞれ魔物が種別関係なく群をなして襲撃するスタンピードが発生していた。
都市の守護を司るイシュバーンはこれに対応し、即座に軍を編成。獅子奮迅の働きを以って何とか鎮圧しかけた所で空が赤く染まり黒い卵が現れたのだ。結果イシュバーン軍は消耗した状態で、魔王を迎え撃つ憂き目に遭う。
事態を重く見たイシュバーン領主は、すぐさま冒険者ギルド並びに魔術師ギルドにも協力を要請。各組織はそれに呼応。
そして、イシュバーン中央部にある冒険者ギルドホールには高位冒険者や魔術師が会議室に集まっていた。
迷宮都市イシュバーンに存在する冒険者ギルドの中枢であるギルドホールは街の中央部に有る。
約一万六千平方メートルもある白地に赤と金で時折彩られた建物である。一際目立つ三本の尖塔にはそれぞれ、トルメニア王国を表す紫地に金の龍。イシュバーンを表す青地に迷宮を守る銀の龍。冒険者ギルドを表す赤地に剣と杖が施された旗が風に靡いてる。
その一室。三十人程の種族を問わない男女が集まったそこで、現在冒険者アルトリウス徒党のメルドレリア・カルフラジアスは魔王について説明をしていた。今現在魔王について詳細な情報を持っているのは彼だからである。
誰しもが戦装束に身を包んでいる中。彼も今は金紗の長い髪を後ろに回し、百八十センチもある身体には深い緑と茶の皮鎧を身に纏っている。
手にはクリームの詰まった薄皮の焼き菓子があり、そこにメルドレリアは持っていた黒い親指の爪程の植物の種を入れた。
「この種の入ったおいしい焼き菓子が、東に現れた魔王の揺籃だとします」
先程まで劇場で軽口と交わしていた時とは打って変わり、声も顔も今は張り詰めた弓の弦の様に真面目に引き絞られている。
「まず、これが現れた瞬間に周囲の魔物が活性化。身体能力と耐久度が数倍になり、低い知能の者は揺籃の魔力により狂奔させられます。
また彼の者が現れ出でれば、あらゆる魔物や伝承によれば魔族にさえも命令する事が出来ます。これが奴の持つ権能の一つ、魔軍圏です」
彼は焼き菓子を机の上に置くと、その周りに色も大小も様々な植物の種をばら撒く。
「現在、我ら徒党の呼吸するだけで借金まみれになるフローレス。パルベッド・ロンカイネンがイシュバーン東側に偵察しております、今の所は魔王の誕生はないみたいです。伝承では、揺籃から魔王が孵化するのは早くても一日はかかると聞いています」
「借金まみれの下りはいらんだろう、耳長の……」
「静かに、アルヴリン! 皆さん詳細な情報を望んでらっしゃるのです!」
「別に借金に関しては聞きたくなかったと思うがのう……」
メルドレリアはそう言うと、 白い髭を蓄えたドワーフは頬を掻きながらそう返した。
「まぁ、卵の状態では精々魔物が強くなる程度でしかありません。問題は卵から魔王が生まれてからです」
メルドレリアはそう言った物の、それだけでもこれから挑む者達にとっては頭が痛くなる事であった。
そんな彼等を後目に、メルドレリアは机に置いていた焼き菓子を割る。中の狐色のクリームが広がり、黒い植物の種が再び現れる。
「魔王が現れ出でた時、第二の権能である文明起こしが発生します。これにより周囲にいる魔物は知恵を持ち始め、罠や武器や鎧と言った物を使い始めます。そして魔王は神殿殻と呼ばれる領域を形成し、周囲の生態系を改竄しながら近くの人族の文明を滅ぼそうと進軍します」
そこまでの説明の後、一人の魔術師が手を上げる。眼鏡をかけ、紺色のローブを羽織った如何にも賢者然とした女だ。
「質問です、カルフラジアス氏。生態系の改竄とは一体どの様な……」
「具体例としては剣とか槍とか弓矢等の武器。それに鎧が生える木が生まれます。薬の泉に、パカっと割れば焼き立ての獣肉が入ってる実が入ってる木。……人間の軍なら泣いて喜ぶ軍を形成する兵站や武器が自然環境から生えてきます。
生えてくる武器や鎧は全て混沌神バアクィルガの加護がかけられており、魔術で言う所のエンチャント・ウェポンとエンチャント・アーマー相当の物がかかっています」
「わ、私達が利用は出来ないんでしょうか……?」
「無理です。混沌神の加護が無ければ武器や鎧は持った途端砕け、木の実は腐り、薬は毒に変わります。しかもこの自然環境の改竄は永久に持続します」
メルドレリアは机の上の種に、腰に付けた革袋の水を垂らすと発芽する。そして、それは急速に根を生やして机を覆わんとした。
「更には第三の権能、乱し子により異種交配が可能になります。人間から魔物が生まれる程度なら可愛い物です、エルフから馬と剣と人間の混じった物が生まれた伝承もあります。……いやぁ、自分で言うのも難ですが文明の天敵ですよね魔王って」
「笑って言う事か、耳長」
「笑うしかないでしょう、アルヴリン」
そのやり取りの時、口を挟んだのはアルトリウスであった。金の髪を持つ双剣遣いの彼も、今は銀の鎧を身に纏い、更にその上に金で縁取られた赤いコートを羽織っている。
「それで、メル。どうすればそれを防げるんだ?」
「手っ取り早いのは、魔王誕生前に揺籃を破壊する事です。揺籃自体はかなり頑丈で、街を滅ぼせる位の神話時代の武器を大量に使って何とか罅一つが入るぐらいかと」
「生まれてからは?」
「魔王を倒せば止まります。しかし、こちらは余りオススメしません」
そう言うと、メルドレリアはクリーム塗れの黒い種を――魔王を右手人差し指と親指で摘まみ上げる。
「まず、こいつですが基本的に現れる時は高位の魔道具や魔法。神話時代の武器でも歯が立たない程堅い鎧で全身を覆われています。また伝承によればどの個体も白兵能力が非常に高く、当時のエルフの剣聖の小足の蹴りを見た瞬間に相手の首を刎ねていたとも。
それにそもそも、第四の権能の護衛団により先程上げた魔物共より更に強化された傍付がいます」
「そうか……」
金紗のエルフのその言葉に、アルトリウスはおもむろに笑い始めた。部屋にいる全員がどよめく中、一しきり笑うと彼は叫んだ。
「勝てるか、んなモン! 人族が相手して良い物じゃないだろ!」
「そんな、昔の人は頑張って倒したんですよ!」
「そうか、凄いな昔の人!」
メルドレリアの真面目か不真面目か分からない言葉に、アルトリウスは真面目か不真面目か分からない言葉で返した。
「それにまだ話の途中です!」
「嘘だろ、まだ増えるのかよ!?」
「はい! 魔王の武器に関してですが、第五の権能である炉要らずの鍛造により専用の武具を作ります。
種類はその魔王によって様々ですが、偃月刀や槍。手甲や槌と言った物が今まで確認されています。一概に言えるのは、どれも切れ味や貫通力が鋭く、鎧同様非常に硬いので折れず曲がらず毀れずの三拍子が揃っています。
また魔王の意志に呼応し高速で振動し切れ味が増したり、熱を持って鉄を溶かしたり、重量が変化したりします」
「……ただ純粋に性質が悪いな」
「後、炉要らずの鍛造で作られた武器の場合。基本的に刀身や穂先の部分が血の様に赤く染まります。赤い武器を持ってたら、まず間違いなく魔王でしょうね」
「ちなみに、これ魔王以外が持つとどうなるんだ?」
「程度にもよりますが、基本高度な呪いが凝縮されてるんで人が持ったら遅かれ早かれ狂い死にかと。……ですので、絶対に回収しないで下さいねアルトリウス」
最後の声音が低かったのは、双剣遣いのアルトリウスは力ある武具の蒐集家であるからだ。特に剣が好みであり、彼等徒党はそれで苦労した事が結構あった。
具体的に言えば、それこそ抜くなという魔剣を抜いた結果。それで封印されていた古代のゴーレムが起動するという事等が。
「さて、ここまでがどの魔王も持ってる基本の特徴です」
「まだ何かあるのかよ……」
「はい。これとは別の権能として、一つの御業という各魔王の特徴となる物があります。
例えば、一億年前にいたトイヘリオスの魔王なら物の重さ――辰気を操る。三万年前のティリオボリアの魔王なら何もかもを焼き尽くす炎の様に」
「……こんなのが出てきて、よく生き残って来たな人類」
「トイヘリオスの魔王を倒したのは当時の諸人の国の王、ティリオボリアの魔王を倒したのは当時のエルフの大酋長。……ティリオボリアの魔王に『血が出るなら殺れる』と言い放ち、最後は素手で殴り殺した話は伝説です」
「昔の人って凄い……」
「しかし、今回の件は少し事情が違うかもしれません」
「どういう事だ、メル?」
アルトリウスがそう尋ねると、メルドレリアは人差し指を指す。そこには周囲の魔力を吸って点く水晶の照明が有った。
「まだこの土地には魔力があります。魔王の揺籃は、基本的に現れたら周囲一帯の土地を干上がらせるので、今この照明が点いているというのはつまり……」
「……別の魔力源があるって事か?」
「はい、もし誕生前に魔力源を断てば揺籃の中の魔王は魔力欠乏により死ぬでしょう。母体が生きていなければ、中の胎児が育たないのと同じです。それに、恐らくこの魔王召喚には術者がいる筈です……」
術者がいる、その言葉に周囲は再びざわめき出した。
そして誰もが気になっている事をアルトリウスが代弁して尋ねる。
「理由は?」
「不自然な魔力源もそうですが、先の東西南北の各所で起きたスタンピードも不自然です。ほぼ同じ機会で起き、このイシュバーンの領軍を都合よく疲弊させた。私には何者かの魔王召喚の時間稼ぎにしか思えません。
しかし、一方で魔王の召喚など真っ当な頭なら思い浮かぶ事すらしないのも事実です」
そこで彼等のいる部屋の窓の硝子を叩く音が一つ。それは、右足に小さな手紙を括り付けた一羽の鴉だった。
いち早くそれに気づいたメルクリウスが足を、アルトリウスとアルヴリンが目を向ける。
「……ふむ」
「どうかしたようだな、耳長の」
老ドワーフがそう言うと、エルフは手に取っていた手紙へ目を走らせるのをやめた。
「スタンピードが魔軍圏と化しつつある様です。鎧を持つのや、剣を持つのが少数確認されたとの事。更には、西側で進行する魔物達とは逆方向に一匹竜が向かったとも」
「軍勢の熱に浮かされんのは、よく手なずけられてる証拠だのう」
アルヴリンがそう言うと、メルドレリアは言葉を繋ぐ。
「竜の上には、赤い衣装の年若い鬼が一匹乗っていたそうです……」
彼がそう言うと、アルトリウスは前髪から後ろ髪にかけ右手で頭を一度梳く。
「レンリー大森林には古老の鬼がいたな、何年生きてるかも解らん奴……アイツならもしやも有るか」
「鬼は酔狂の生き物とは言え、まさか魔王を呼ぶとはのう」
「――ギルド職員の方、この街に他の街から応援は来るのか?」
おもむろにアルトリウスがその青い瞳を向けて尋ねる。そこにいたのは黒い肌をした、一八〇センチ程の男がいた。彼は表情を変えず冷静な口調でアルトリウスに答える。
「既に領事が各地に応援を要請。応えたのはパルトニル、ニーステラ、ルクテ、ユクハードです。それに各神の宗派を通じ、聖地からの聖騎士と僧兵の派遣も要請。しかし、軍の編成の時間や各地の距離を考えるに、正直こちらに来るより魔王の孵化が早いでしょう」
ギルド職員が上げた通り、ただ今上げた名の街とイシュバーンの距離は平均七〇キロ。最速で応援部隊を編成し、駆足で向かってもイシュバーンの魔王が孵化する方が早いだろう。
また職員は領事が各神の聖地へも援軍の要請をしたと言った。神の数だけ教会があるのがこの世であるが、その何れも魔物や悪霊への自衛。また人族でありながら魔物と同じく混沌の神を崇める異端者を狩る為、一定の戦力を持っている。
現在イシュバーンの外側でスタンピードに対応している軍にも、聖騎士に率いられた僧兵の姿が見受けられた。
しかし、その教会からの応援も総本山と言える聖地からとなれば、他の街と同様に時間がかかるだろう。最悪、この地が灰になった後に到着する事も考えられる。
御伽噺の大魔術師ならば、魔法一つで違う街から違う街へと一瞬で移動出来るだろうが、現実にはそうも行かない。
「なるほど、期待はしていなかったが最速でカタを付けるなら、ない物と考えた方がいいな。
他の冒険者は? 聖骸遣いや影魔女、雷使いに鬼斬りとか……どれ位集まってる?」
アルトリウスが述べたのは何れもこの街で名を馳せている冒険者だった。等級は何れも最高位である一。
「聖骸遣いは現在一番弱い西関所の守りに。雷使いはこの前死亡が確認。他は運悪く昨日迷宮へ……呼び戻してはいますが」
「そうか」
今現在、この場にいるのは二級の冒険者の上澄み達である。
彼等とてそれなり以上の冒険をし、それなり以上の実力を持ち、それなり以上の敵を倒してきたに違いない。
しかし、この戦いが終わった時に生き残っているのは半数以下だとアルトリウスは睨んでいた。冒険者の最高位一級と二級にはそれ程の差がある。
今このイシュバーンで一級に至るなら、何かしらの桁外れな物が必要だ。
例えば先程名前の挙がった聖骸遣いと呼ばれる男。彼の二つ名の由縁は、不完全であるが死者を蘇らせる奇跡を自在に操り、聖人や聖女の遺体を復活させて戦う神官であるが故だ。
完全に復活した魔王と戦うならば、それ位の奴が必要である。
だが、今はあくまで持ってるカードで戦うしかない。
「アルヴリン、お前ならどうする?」
アルトリウスが何故アルヴリンにそう尋ねたというのも、彼の徒党の白髭を蓄えたドワーフの神官戦士はここより南に広がる大鉱山脈で、老いて尚その人ありと言われた戦士であった。自らも少なくない兵を率いて戦った事もある。
この様な戦いなら、アルトリウスより経験豊富だ。
「飛竜の騎手は年若い鬼か。老練さなどないなら、東側に確実に古老がいるだろう。……まずは東西南北のスタンピードを一挙に牽制してから、ここにいる冒険者達で東に向かって進撃する。立ちはだかる者はその都度倒し、何とかそなたを古老の前に送り届ける」
「つまり」
「一発撃って、その後は東に向かって全速力で走って殴る作戦じゃ。相手が相手じゃ、細かな策を弄するよりもそちらが良かろう」
そう言うとアルヴリンは快活に笑い。
「楽しみじゃろ、アルトリウス!」
そんな老練の戦士である彼が何故アルトリウスと一緒に冒険者などをやってるかと言えば、戦いを好む性格を見抜かれアルトリウスに「青春をくれてやる」と口説かれたが故だ。
アルヴリンがそう言うと、それまで話を聞いていた二級冒険者の一人が恐る恐る右手を挙げた。
年若い、山猫の獣人族の少女だった。黒い髪を肩まで伸ばし、青いローブを羽織っている。
「アルヴリン氏は、今のこれが楽しいのですか?」
信じられない物を見る様な彼女に対し、アルヴリンは少し照れ臭そうに答えた。
「いやはや、見抜かれてしまいましたなお恥ずかしい。……ですが、久々の強大な敵との戦い、年甲斐もなく胸が高鳴っております」
「にやけてるから誰にでも解るぞ、アルヴリン」
外面を取り繕って話すアルヴリンに、金髪の双剣遣いは真顔でそう言った。
「あ、アルトリウス氏は恐ろしくないのですか……? だ、だって魔王ですよ。もしあれが孵化したらカルフラジアス氏が並べた出鱈目な権能の数々を持った者と正面切って戦うんですよ?」
「あぁ、はっきり言って出鱈目が集まって巨岩になって襲い掛かられてる気持ちだ。最低でも相手にするのは古老の鬼だぞ、竜を相手にする方がまだ楽だ。これをしなくてはいけないと思うと、正直心が折れて何もかもを見なかった事にしたくなる」
「で、では逃げるんですか?」
「馬鹿言うなよ、魔王に向かって突撃するに決まってるだろ」
アルトリウスは窓の外の黒い揺籃を一度見る。赤い空の下で魔王を湛えた卵は不気味な胎動を繰り返していた。
「ギルドがクエストを出し、私達はそれを受けた。ならば最後までやる、冒険者というのはそうでなくてはならない。例え相手にするのが古老の鬼だろうが、愉快な権能詰め合わせの魔王陛下だろうが戦い抜くのが仕事だ。
逃げて何になる、ここで積み上げた物全部失うなら死んだのと同じだ。生きてる内は勝って勝って勝ちまくる、それ以外道はない!」
「で、でもまず東西南北のスタンピードを一気に牽制するなんて無理ですよ」
「――メル、なんか言ってやれ」
アルトリウスがそう言うと、金髪のエルフの弓手が表情を崩さずこう言った。
「相手にとって不足はありませんね。奥の手を切る羽目にはなるかと思いますが」
「なッ!」
「こう見えて、私も一級なのですよ」
メルドレリア・カルフラジアスもまた腕利きの戦士であった。東に存在する風切の谷と呼ばれるエルフの大集落で、力ある竜の中の竜――龍の討伐に参加した程である。
その証拠に彼の持つ弓は希少な真なる銀――不磨不変のミスリルで出来ており、東のエルフではそれが所謂龍殺しの偉業の証左とされている。
そんな彼が何故アルトリウスと一緒に冒険者をやっているかと問われれば――
「さぁ、やりましょうアルトリウス! 街の平和と娼館の安寧の為に!」
「他の人達も見ている前で娼館とか言うのはやめろ!」
――種族関係なく女を好み、万を生きるエルフの大英雄でありながら大酋長を始めとする上の者から疎まれてた時、アルトリウスに「街に連れてってやる」との言葉で口説かれたからだ。
イシュバーンの街に激震が走ったのはそのやり取りが終わった直後である。
――――。
――。
イシュバーン東側、赤い空に浮かんだ黒い太陽の様な魔王の揺籃。
通常では孵化するのに最低でも一日はかかるそれは、顕現に必要な魔力を土地からでなく、最高純度の賢者の石を媒介する事により魔力が満ち溢れた異界――『魔力の海』より無限の魔力を引き出す事により急速に成長していた。
その結果として、卵には上から下にかけて深い罅が幾重にも入り始める。
「……」
その罅からまず現れたのは、黒い手甲の鋭く研がれた獣の爪の様な十指である。次いで卵は徐々に罅が入って行き、その都度周囲の魔力は乱れに乱れ、眼下の街に地震となって大地を震わせる。
そして殻を引き裂き現れたのは、百五十センチもある黒い全身鎧の上半身だった。
兜はまるで、馬の頭骸骨の様だ。縦に細長く、口元は獣の乱杭歯が如く鋭い刃で覆われている。眼窩の様な両の穴からは、何も覗けずまるで暗い虚の様。
頭頂部にはそれこそ人間の王が被る様な王冠を模した飾りが施され、後頭部に太陽を表すかの様な円環が有り、その兜はまるで太陽を握り潰す巨大な手の様に見える。
肩は厳つく、楕円を描く肩当てにはまるで城の尖塔の様に鋭みを帯びた棘が上向きに生えている。
胴部は何枚もの金属を貼り合わせて作られたかの様に厚く、時折その隙間から赤い光が漏れた。
「……」
それはゆっくりと揺籃を引き裂き、まるで蛹の中の蝶が羽化する様に全身を出そうとする。
その度に地表は激しく揺れ、空気は刻一刻重たく淀んだ。
イシュバーンにいる誰もが自ずと察した。
あの赤い空を天に戴く巨躯。
あれこそが"イシュバーンの魔王"であると。
× × ×
乞う、我は乞う《Val,Et'val!》。
いと気高き伏天の王よ! 飢え渇く者達の主よ、我は混沌神の元に供物を捧ぐ!《Zwe'Ghea Nhat-Widzata! Gularfem dwel Zularfem na Ehat! Et'Culufoo na twan Baquylgar!》
我が腕を、絶えぬ霊薬の主をここに!《Et'Alm dwel Mauv-zwar Ehat dwel cawn!》
来たれ来たれ来たれ、無の底より! 常世は全て汝の贄なり!《Camna Camna Camna,Quamza faw! Pangweia dwel Zasts am dwet!》
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