16話:血の収穫
オーガとは、鬼種とは何か。
力は強く、足は速く、姿を自由自在に変え、人を喰らう。
しかし魔物や怪物、獣と呼ぶには知性を持ち過ぎ、人と呼ぶには余りに共感出来ない。
彼等は人と同じ様な文化を持ち、人と同じ様な祭礼を営み、人と同じ様な言葉を持ち、人と同じ様な魔術を使う。しかして彼等の価値観で『粋』であるなら、つい先程まで話していた人間すら喰らうのだ。
光すら届かない街の死角。そこでアスフォデルスの身体は、まるで木の葉の如く吹き飛んだ。
背中から壁に激突し、痛みと衝撃から一瞬呼吸すら忘れる。
アスフォデルスの視線の先にはカロンが、その青い髪をそよ風に
「これは本当の事なんだが、アスフォデルス。アタイはお前の事は恨んでいないさ」
「や、やめろ! 来るな、来るな!」
「別に強い奴が弱い奴を狩るなんて珍しくもない、空を飛ぶ鷹が何を食べると思う? そりゃ弱い鳥だよ」
彼女の声も虚しく数歩でカロンは辿り着く。
「でもさ、狩るなら狩られる覚悟を持たなきゃダメだ。やったらやり返されなきゃいけない、力を失った後に「はいそうですか、お幸せに」なんてのは粋じゃない」
「や、やめ……や、やぁ」
まるで血の入ったバケツを頭から被ったかの様にアスフォデルスは血に塗れていた。
左腕は砕けてへしゃげ、右足は根元から捥げ、肋骨が数本砕け臓腑に突き刺さり、およそ常人ならば死んでいてもおかしくはない重傷である。
しかし痛みで喘ぐ金髪の獲物を後目に、一本角の鬼は笑みを崩さない。
「濡れ濡れだな、アスフォデルス。
すると、カロンはアスフォデルスの下腹部を右足で踏みつける。押さえつける為のあまい踏みつけでなく、臓腑を抉って砕く静かで重たい力の籠った踏みつけだ。
「ぎゃ!」
「因果があれば応報ありさ。ただ食うだけじゃつまらん、アンタが逆の立場だったら弄ぶだろ?」
「カロン! ククルにも一発やらせてくれーい!」
カロンの背後にいつの間にか現れたのは、明るい青の衣装を着た赤髪赤眼の鬼・ククルだった。古灰色の二本角もそのまま、慕うカロンの様子をまるで見世物を楽しむ様に見ていたらしい。
「やい、魔術師! 見たかカロンの実力を! 流石はカロン、ククルの胸中はきゅんきゅん丸だもん!」
「――ククル、アンタ帰ったら説教な」
「なんで!?」
その時、一瞬カロンの顔が呆気に取られる顔をする。そして次ににたりと嗜虐に満ちた笑みを浮かべる。
「アスフォデルス、
「え?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし、カロンはアスフォデルスの首を右手で掴むと。
「見ろよ、ククル。これがアスフォデルスの顔さ」
「うわっ、
そう言った直後、カロンは一度左手を蜘蛛の様に動かす。
すると、アスフォデルスの血だまりは一人でに動き出して細い一本の柱を作る。更に糸から上にこぶし大の球を模った。そしてカロンが左の人差し指と親指で丸を作ると、それは厚みのない丸板の様になる。
血鏡に映った自分の姿を彼女が見ると。……顔の右半分には霊薬により焼け爛れた痕がまざまざと浮かんでいた。
「顔、私の顔……」
「そう、それだってお前の顔さ。醜いな、アスフォデルス」
痛みすら忘れ、アスフォデルスは涙を零す。落ちたその一滴は、血だまりに溶けて消えた。
「さぁ、そろそろ仕舞いにするか」
「カロン、ククルは
「いいだろうとも」
鬼共の隠語で“紅蓮華大散花”は、相手をバラバラに引き裂いて生き地獄を見せろを意味する。その隠語をアスフォデルスは知らなかったが、敏いが故に何が起こるかは十分察せられた。
「やだやだやだ! やめろ、お願いだからやめてくれ!」
「
その時である。
「うー」
一声は気が抜けて間延びした声であった。
――その技の本質とは、『相手の間合いまで入り、直前まで左右どちらから斬撃が来るかを察せさせず、故に回避の機会を奪って攻撃を不可避の物とする』という事である。
ファングインは疾走する。それと同時に両手を背後へ回す。そのまま対敵に見えないまま距離を詰めた。
「……ッ!」
間合いを詰めた瞬間、左右に動く。その挙動が鬼を幻惑、一瞬の隙を突いて彼は左手で逆手に抜剣。アスフォデルスを掴んでいた右腕に刃が走る。
名を、
元を辿れば、当て所もなく旅するある流浪の者が闘いの中で培った秘剣であるという。
……閃く白刃は、鬼の腕を見事切断せしめた。
「か、カロン! 腕が! ――なんだ、お前は!?」
「うー」
左手で剣を逆手に握り、右手で血だるまのアスフォデルスを抱え、ファングインは応える様に唸った。
警戒は解いておらず、左の琥珀の瞳には底冷えする光を湛えている。
「よくもカロンの腕を! 許さないぞ!」
赤髪の鬼が激憤に駆られ、襲い掛かろうと――そうしようとした一瞬、僅かに身を震わせたその時だ。
「君の相手はボクちゃん」
刹那、ククルは脊髄反射でその場から跳躍する。高さ約十メートルもある四方の壁を、まるで
そして先程まで赤髪の鬼が居た所には、百を超える数の髪より細い長針が刺さる。
「持って生まれた才能と、種族の性質に寄った戦い方だね。……あの青髪のによく怒られてるでしょ?」
石壁を蹴り跳ね続けるククルに追従する影が一つ。
彼女の前に現れたのは燃える様な赤い髪を右で一つに編んでまとめた女盗賊だった。
瞳の色は赤。……ククルの瞳の色を紅玉に喩えるなら、女盗賊のそれは赤瑪瑙である。
「何者だ、お前!」
「
この無名大陸を血に染めた暗殺者がそこにいる。
――――。
――。
「へぇ……」
自らの右腕を斬り落とし、今はアスフォデルスを守る様に突きつけられる白刃を前に、カロンはまるで感心する様に呟いた。
「これでも古老と呼ばれる位にはアタイも年を喰ってるが、腕を斬り落とされたのは初めてだ」
「うー」
ファングインは自分に出来た切り株を吟味し平然と言葉を紡ぐカロンに対し、左の琥珀で睨み続けている。
一方で、彼は逃げ道への目算をつける。
不意に、一本角の鬼の青い瞳が彼の剣に向く。
「その剣、何の
「うー」
その言葉を紡ぎながら、カロンはその青い瞳だけを彼の背後に向ける。……そこは彼が逃げ道と目算をつけた場所でもあった。
意図を察せられ不快そうに彼が一度唸るのを後目に、鬼はにたりと笑った。
その笑みにアスフォデルスはひっと声を漏らす。……それは彼女を痛めつけた時とまったく同じ笑みだったからである。
肉食獣の様に白い牙をちらつかせる笑み。
「美事! いやはや美事! これだから人世はやめられない、アンタみたいな二本足で歩く怪物と出会えるんだもの!
――改めて名乗ろう! アタイは『諸人の国』の災、人族を呑む
鬼が名乗りの中に入れた『諸人の国』というのは、かつて一億年程前に存在した国の名である。そしてそれは目の前の存在が、古老の中の古老である事を意味していた。
「いいだろう、坊よ。これ程の腕を持つお前を相手にするなら、こんな所で闘るのは粋じゃない。戦いには相応しい場所が必要だ」
一息置いて。
「アスフォデルス、お前を喰うのはしばし止めだ。今ここにお前は
カロンはそう言うと、血の滴る右腕の付け根を振るい鮮血を一条流す。
ファングインは咄嗟に剣を振るってそれを弾く。方向を逸らされた血は、ファングインの斜め右後ろの壁に当たって、まるで鋭い刃物に斬られたかの様な痕を残した。
同時にカロンは左手を操る。
ファングインに隙を生じさせ、その隙を突いて血を操り断たれた右腕を手繰り寄せ、彼の左腕からアスフォデルスを再び取り戻した。
自らの左腕に再びアスフォデルスを収めると、背後に跳躍。ククルよろしく、飛蝗の様に三方の壁を跳ね上がるとファングインの左側の塀の上に立った。
「うー!」
「悪いね坊、坊と違って大人は絡めてを使うんだ。安心しろ、坊との勝負が着くまではアスフォデルスは喰わないよ」
「ふぁ、ファングイン!」
再び叫ぶアスフォデルスに、カロンは獰猛に笑いかけ残った左で口を塞ぐ。
「何、場所は直作るから楽しみに待ってな!」
そう言うとカロンは首を左に傾ける。刹那、矢の魔術が右を掠めてそれは背後の壁を大きく抉った痕を残す。
「距離百、殺意が漏れてる。道具は美事でも、扱いは素人か……それには当たってやれないなー」
ぽつり、と推測を呟いた百メートル先では黒髪の女魔術師が建物の上から漆黒の蜘蛛型のゴーレムに乗って魔法銃を構えていた。
そのままカロンは跳躍すると、まるで煙の様に掻き消える。そしてそれを見越したかの様に。
「やい、バルレーン・キュバラム! ククルは慈悲をかけてやる、今日はここで見逃してやるから感謝しろ!」
「え、何その小物臭い台詞? 大丈夫、怒られない?」
赤髪の鬼も、バルレーンとの闘いの一瞬を見切る。一度跳ねた時に爆ぜた壁を目指し跳躍。そして抉れた壁の穴に右腕を突き込むと――
「だけど、これは怖かった分のオマケだ! 喰らえ!」
古老でなくても鬼は鬼。恐ろしいのはその桁外れの膂力である。ククルはまるで子供が石を投げるかの様に、建物を持ち上げて引き千切って投げた。
「え、ちょ――」
自分を覆って余りある建物の
そして血も肉も、バルレーンもファングインも全て瓦礫の山が轟音と共に飲み込む。
幻魔の様な怪奇さと嵐の様な荒廃を以って鬼達は立ち去っていった。
× × ×
――ファングイン達の戦いから約一時間後。
イシュバーンの栄えた部分、中央と呼ばれるその一角。
基本的に金銭に余裕のある者しかいない為、待ちゆく人の身なりも冒険者がたむろする労働者街と違って上質な物が多い。
立っている建物も違う。白を基調とした物が多く、扉の取手一つとっても金がかかっていると解る。
その中の、パスカル大衆劇場と呼ばれる一角。この日繰り広げられた演目は『冒険者アルトリウス ~パルトニルの巨兵と散った悲劇の
座席数は二千に届く程という、劇場としてはかなり大型な部類に入るそこでは、今正にそれが幕開いていた。
《黒華姫! その名も高きユーファウナ殿は何処におわすか!?》
今舞台に台詞を口にしているのは、冒険者アルトリウスの仲間である“百人撃ち”のメルドレリア・カルフラジアス――に扮した役者だ。
アルトリウスが狂った教主・アルンプトラが起こした神鉄の巨兵を倒し、今喋っているエルフの弓手を始めとするその仲間が、中に取り込まれたというアルンプトラの息女――ユーファウナを探し出している最中である。
《早く探し出すのじゃ、長耳の。ユーファウナ殿とアルトリウスは恋仲じゃ》
そう言ったのは“ミスリル僧”アルヴリン――に扮した役者である。彼に扮した役者がそう言うと。
「え、そうなんですかアルヴリン?」
「儂も初耳じゃのう」
劇場の正面右上。俗に貴賓席と呼ばれるそこで観劇している当の本人達は小声でそう尋ね合った。
彼等の今日の仕事はこの大作劇の宣伝である。彼等は冒険者の中でも上澄みの存在には、客寄せの仕事も期待されており、この劇が終わった後には徒党全員が舞台に立って劇を褒めちぎる……という脚本が与えられていた。
「え、ユーファウナ嬢と恋仲だったんですかアルトリウス?」
「お前等、劇は静かに見ないか……」
金紗のエルフの弓手がそう尋ねると、当のアルトリウスは煩わしそうにしながらそう応える。双剣遣いのアルトリウスはと言えば今日は何時もの白い鎧姿ではなく、白いフロックコートに赤い
腰には白と黒二対の剣を吊り下げており、唯一それが冒険者の時の名残と言えよう。
否、この場にいる徒党全員がそれぞれ着飾っていた。
エルフの弓手、メルドレリア・カルフラジアスも。ドワーフの神官、アルヴリンも。それぞれがただ舞台で一言二言交わす挨拶の為だけに。
「舞台でいきなり衝撃の真実が明かされたんです、気になって仕方がないですよ……」
「あー、別に恋仲じゃない。というか顔も見た事ない、遠く離れた親戚同士ってだけ。作家が話を盛ったんだよ、美人って噂だしな」
「大胆な脚色だ……」
その時、彼等の背後の扉が静かに開く。入って来たのはアルトリウスの徒党の一人、白髪の小柄な少女だ。
彼女もまた今は青い、肩の出た
彼女はアルトリウスの左横に座ると、少しばかり口を彼の耳に近づける。
「どうかしたか?」
「外で聞いたんやが、一時間前に南で建物一棟が崩落したらしいんや。何でも、冒険者数人が巻き込まれたとか」
「原因は?」
「今はまだ」
「よし、――じゃあ知らない振りして静かに劇を見ろ」
「な!?」
その時、舞台では一つの転機を迎える。舞台の中央、奈落からアルトリウスに扮した役者がユーファウナに扮した黒髪の女優を両手で抱きかかえて現れる。
《ようやくお会いする事が出来ましたね、黒華姫。……お手紙では幾つもの愛を交わしました》
そこで舞台からは物悲しい弦楽器の音楽が流れる。そんな愁嘆場に対しアルトリウスと言えば――
「見ろよ、私にぴったり瓜二つの役者だ! いやぁ、彼は私の持つ透明感と爽やかさを見事に表現できているね。最早、もう一人の私と言っても過言ではないだろう」
現れた自分に扮した役者を、これ以上ない位褒めちぎっていた。
「アルトリウス、劇なんか見ている場合か! 直に現場に向かわな……」
「向かってどうする?」
「そら、一棟だけ崩れるなんて異常や。原因探すとか」
「それは
ましてや私達は街の有名人、今動いた所で不安を煽るだけで何の意味もない。
――解ったらさっさと座って観劇を続けたまえ、田舎上がりの小娘ちゃん」
「なんやと!」
アルトリウスは嫌味を言った直後、彼は左人差し指を口に。右人差し指で静かに舞台を射す。そこには白い髪の彼女に扮した役者が立っていた。
《アルトリウス様、なんと……なんという悲劇でしょう》
それに対し彼女はと言えば。
「清楚で可憐なウチにぴったりの役者やな。この配役は歴史に残るで」
「だろ?」
彼女がアルトリウスへの怒りを忘れ、自分の役者に見惚れたその時だった。
――大地に走った衝撃はひたすら重たく、それは舞台の
「な、なんや!?」
ここで身を竦ませるのが一般人であるが、戦う事を選ぶのが冒険者である。
アルトリウスは魔力に
「なんだ……これは?」
今の時刻は昼過ぎだというのに、空の色は赤く変色していた。
しかしそれ以上に一際目を引くのはイシュバーンに浮かんだ、赤黒い球だ。禍々しい雰囲気で浮かぶそれは、時折中から育んでいる物の片鱗が垣間見える。
アルトリウスには、それが
「これは……」
「何か知っておるのかな、メルドレリア?」
アルトリウスに遅れてやって来た徒党の中で、エルフの弓手であるメルドレリアが意味深に呟くのをドワーフの神官が耳聡く尋ねた。
「……私のいた谷にはこんな口伝が残っています。
其は駆り立てる者、其は軍勢を率い手、其は
笹葉の耳達の王が何者かと尋ねると、其はこう答えた。我は魔王、神去りし世において
「魔王、か」
「はい……」
口伝を
迷宮都市・イシュバーンに魔王が現出した――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます