最終話:Heaven`s falling down(上)


 知覚の扉を開くと何もない闇に出る。その視線の先に一点、闇に飲み込まれない程鮮明に一人の女がいた。

 金髪に紫色のドレスを着て、胸には卵程の大きさの赤い――賢者の石。

 白い二対の椅子の一つに座り、それらを挟む一つの丸いテーブルの上には白磁のポットと鮮血の様に赤い茶が注がれたカップがあり、女は一口それを啜ってる最中だった。


「あぁ、待っていたよアスフォデルス」


 何の反応もないのを見ると、女は一度淡褐色の瞳を右上に向ける。


「不死の花、赫奕たる異端、背きし者、大ゴーレム遣い。……それとも、■■■■■と呼んだ方がいいかな?」


 そう言って、にたりと笑うと女はもう一対のカップにポットの中の茶を注ぐ。色は周りの闇と同じく黒。

 そうして、注がれたカップを空席に差し出される。僅か一瞬、そこに映るのは茶色い髪に青い三白眼。鮫の様だと揶揄された鋭い歯。


「座れよ、アスフォデルス」

「……お前は?」

「お前と同じく数多の名を持っている。だが一番なじみ深かろう名を上げるとするなら……そうだなこれがあったか」


 そういうと、女は右手を胸元に当てる。


「我は越し方より先、開闢から生まれしもの。形而上世界の御座を拒んだ一柱。……混沌の勢力からはバアクィルガと呼ばれている」

 

 バアクィルガ。混沌の神の一柱にして、魔王の力の源泉。これが依り代に降りる事によって、歴史の特異点たる魔王は生まれるのだ。


「魔王っていうのは、喩えるなら水さ。注がれる入れ物によって、在り方を変える。元来は依り代となった奴と混ざるんだが、今回の件に限ってはまっさらな肉体に憑依したからな。……いやはや、こうしてバアクィルガとして誰かと話すのは私としても初めてだよ」

「つまり、ここは……」

「魔王の無意識を少々間借りし、お前という意識への触覚としてこの姿を借りた。この位出来なくては混沌の神とは呼べぬだろうよ」

「……どうして、私を此処に?」


 そこでバアクィルガはにたりと笑う。テーブルの下からは赤い絹張の本を取り出す。表紙には白い花――不凋花が刻まれていた。


「お前の話を聞きたかったのさ、アスフォデルス。お前の人生の話をな」



 ×    ×    ×



 岩をも砕く一撃を花の剣が音もなく衝撃すら散らしていく。

 防御の致命打。相手が攻撃を放つ機会を合わせ、真空の刃を纏った剣で打ち合わせた後に魔力を通し重量を加算する魔剣は、流石に魔王と言えども容易に突破出来なかった。

 その一刹那が余りに重い。


「……」


 イシュバーンの魔王が剣に魔力を込め、その刃が更に赤く焦がされる。それは溶断の機能の発露であった。通常は放たれれば鋼の武具すら容易に、まるでバターを斬る様に切断するだろう。

 しかし、ファングインが手繰る白い刃と合った瞬間。刃に込められた熱は一気に霧散、水を掛けられたかの様に急速に冷めていく。

 ならば、震断の一撃はどうか。魔力で高速振動する刃は、震える事で剣身の強度が増し、逆に高速振動する刃に当たった物は例えどの様な物であろうと物の結びつき自体が弱まっており最終的にはどの様な物であれ切断される。

 しかし、震断の一撃は男の刃が合った瞬間全ての運動が散らされる。

 全ては、まるで蕾が花開くかの様に。


 イシュバーンの魔王のその赤い剣とファングインは一打ち刃を交える。岩をも砕くその威力をあえていなし切らず、伝わる振動で敵を見た。


 黒鉄の鎧の中に収まった肉体。筋肉はしなやかでありながら強靭で、その腱は異様な程の伸縮性を誇っている。それが膂力と合わさって高い威力の一撃となるのだ。

 骨の強度も高い。柄の響きでよく解る。髪の毛は前髪を左に巻く様にしており、激しい剣戟の中でもそれが崩れる事はない。

 

 何より身体には混ざりものはない。肉体に異物を含んでいればそれが身体の瘤となって一挙手一投足に伝わる。

 ならば答えは明白だ、アスフォデルスの身体はあの魔王の中に完全に溶けきっている。


「うー」


 上から振り下ろしの一斬をファングインは紙一重で背後に跳躍して避ける。それと同時に滑空する中、彼は右手に握った剣を再度床に向かって振る。

 瞬間、剣身から放たれた真空の刃が床を割る。それは俗に真空斬り、空牙、飛飯綱と呼ばれる技である。この反動により滑空距離は僅かに伸び、イシュバーンの魔王の目算を狂わせる筈――だった。

 

 しかし、そこでイシュバーンの魔王の鎧が僅かに煌めく。魔王は刹那、手の中の柄を回し刃を下から上に向ける。ファングインに生じた僅かな隙を彼は見逃さなかった。

 そこで、上昇する赤い刃が僅かに彼の右二の腕を切り裂く。

 

「……」


 着地した直後、ファングインは右腕の傷に左手で触れる。服は切り裂いてるが、腕に負った傷は浅い。撫でれば消える程と言って良いだろう。

 しかし、自分に傷を付けられる事。それこそが彼にとっては驚愕すべき点であった。最初はただ棒を振り回すだけだった物が、段々剣術染みた動きをする様になっていっている。

 こいつは、成長している。

 

 状況はこうだ。

 段々成長していく堅固な鎧に身を包む魔王を相手に、攻撃をすれば誓約の履行痛が走り、更には助けようとしている相手は中に取り込まれて肉体は溶けきっている。

 どう考えても死しかない。

 しかし、それでも彼の目に何故か諦めの色は無かった。

 左手の四指を揃え、人差し指と親指の間に剣の切っ先を置く。右足を前に、左足を後ろに。半身を開いた形で敵に構えを取る。

 はらり、と彼の銀髪が一筋乱れ。その右目が露になる。


 そこに左目と同じ琥珀の瞳はない。白めの中央、瞳の代わりにあるのは黄金の円盤だった。そこにはまるで渦を描く様に、十二個の誰も見た事のない文字が刻まれている。

 髪から左目がのぞいた瞬間、円盤は徐々に右回りに回転し始めた。


「うー」


 その唸りは、まるで『覚悟はいいか、オレは出来てる』とイシュバーンの魔王に問いかける様であった。

 ――対して、イシュバーンの魔王は剣を介し啜ったファングインの記憶を一瞬の内に垣間見る。


 ひとときは、紅蓮の炎が焦がす北の屋敷である。

 総勢七十人もの抜剣した剣士達に取り囲まれている。剣士達とは言っても、皆顔には下卑たものが浮かび誇り高さや気高さはない。

 背後には年老いた老夫婦がおり、傷ついた夫を妻が必死で手当てしている。


「叔父上よ、アンタが悪いんだぜ? 跡取り息子が亡くなった今、唯一残った血族のこのオレでグレイマウザー家を譲りゃあ、こんな事にはならなかったんだ。

 そこのお前、オレは野蛮人じゃない。伯母上の間男か何かは知らんが、黙ってそこをどけばお前の事は見逃してやる」


 剣で斬り捨てた者の記憶を辿れば、それは世に『グレイマウザーの醜聞』と呼ばれる事件の一幕である。

 トルメニア王国の北方を統べる総督家の剣術指南役を代々担って来たグレイマウザー家。その跡取り問題で現当主と甥による骨肉の争いが繰り広げられた結果、甥が野盗を装って当主を襲撃したというのが事のあらましだ。


 しかし、それは――


「うー」

「簡単な算数の計算も出来ないか、なら老いぼれと一緒に死ね!」


 ――一人の剣士により、七十人全てが打ち倒されたという。

 そして記憶は次のひとときに飛ぶ。

 

 ひとときは、巨人が天を貫く晴れ空の下であった。

 北の一大交易都市であるパルトニルは、遂に顕現した神鉄の巨兵に震えていた。五十メートルもの鈍い金色に輝く巨体は、一歩を踏み締める度に建物が崩れ落ちていった。


 陽光に照らされ、その姿の詳細が明らかになる。


 背筋は直線。金色の鎧に身を包んでいるが、両手には剣も盾もない。顔は人間を模した様な目鼻立ちが見受けられるが、その意匠の異様さは明らかに人が生み出せる物ではない事を見た者の本能に伝える。

 一際目を引くのは両肩と腰だ。両肩には二対の尖塔が聳え立ち、それは頭の高さを優に超えている。


 腰からは頭に達する程の巨大な円環が大小、まるで二重円の様に備え付けられている。

 それがゴーレム教団の秘宝、神代の残滓の一つである『神鉄の巨兵』である。


「……お父様、お父様……どうして?」


 轟音の中で、女の声が響くのを男の耳は確かに拾う。

 ――『パルトニルの悲劇』と世俗に伝わる事件の一幕だ。

 それは、魔術師ギルドへの蜂起を企てていたパルトニルのゴーレム教団は冒険者アルトリウスの徒党により絶対不可侵である総本山まで攻め入られ、発狂した教主・アルンプトラは娘を代償にし今まで秘匿していた神鉄の巨兵を起動させたというものだ。


 娘の名はユーファウナ・ルアルフォス・アルンプトラ。講談や演劇では黒華姫の名で知られる、今は亡きゴーレム教団の象徴である。


「……何で……わたし、わたしは……」


 下世話な風聞によると、アルンプトラは神の血の研究をしており、毎夜娘の身体に実験していたらしい。だが、それが果たしてどういう物だったのかそれを知る術はない。


 ユーファウナの悲劇を啜った神鉄の巨兵は、見境なくパルトニルを蹂躙していく。

 神鉄の巨兵が一度頭と両手を上に向け、魔物の王の如く嘶く。すると、地表からまるで水晶の様に金色の鋭い塊が生えてくる。それは建物も人も馬も、地表に存在する何もかもを貫き、途端爆発した。

 その焔は神の血により熾された物であり、魔術的な防御や神官の奇跡による盾ですら溶かし焼き尽くす。


 それを尖塔で見定めている目が一つ。

 ゴーレム教団の総本山――大聖堂の尖塔の上、三角錐の屋根の上で彼はそれを見つめながら白刃を抜いた。

 そして、片手に握り締めたロープを使って神鉄の巨兵へ向かっていく。理由はただ一つ、あそこにいるあの女を助ける為。……何故助けるのかの記憶に触れようとしたが、それには血が足りずそこで白昼夢は醒めた。


「……」


 イシュバーンの魔王がたった今垣間見たのは、間違いなく目の前の男の記憶である。

 それに対する魔王の感想は、何だこの男は……であった。

 これは何だ、この圧倒的な記憶の奔流は。この二つを経験して、生き残ったのかこの男は。

 ――イシュバーンの魔王に芽吹いた、その感情を喩えるならばそれは毒であろう。

 その好奇という致死量の毒は急速に彼の者の全身に回り、身も心も魂すらも蝕んでいく。狂気とはまさにこれであろう。


 もっと。

 もっと、自分は見たい。この男が何をしたのかを。

 いや、見なくてはならないのだ。


「……」

「うー」


 次の一撃は、もっと上手く当てる。

 イシュバーンの魔王は呼吸を落とし、腕を引き絞って両手の剣を前に構える。肉体の鼓動と高ぶりを抑え、次の血を求める様は禁薬の中毒者とどれ程違うだろうか……。

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