エピローグ:消えたアスフォデルスの一生


「……戸は空けておいてくれ、今日はアイツが帰ってくるかもしれん」


 その土地に住む男は、夜になっても家の戸を開けっ放しにする癖があった。彼の寝床は他の家族と違って居間に設けられており、戸には鈴が付いて開ければ鳴る様になっている。

 家に嫁いできた息子達の嫁や娘達の夫が理由を尋ねると、魔術師となった末の妹の帰りを待っているのだという。


 その癖が出来た理由は、ある時村に立ち寄った一人の魔術師と出会ってからだという。魔術師は男で髪は黒く、ゴーレムの馬に跨っていた。

 何でも、彼は末の妹の友人であり久々に姿を見たくて港町パルトニルへの旅の途中に寄ったとか。そして魔術師の口から末の妹の事が語られ、どういった事があったのかを知ってから父の癖が出来たのだという。


「夕飯も机の上に置いといてくれ、腹を空かせてるかもしれない」


 子供達は、きっと父はあの日の事を後悔してるのだと思った。父なりの贖罪なのだと、……その癖は亡くなるまで毎日欠かさず続いていたが生きてる間に末の妹が帰ってくる事は無かった。

 そして二百年の時が経つ。


 ――――。

 ――。


 イシュバーンの魔王の件から二週間後。一つの幌馬車が迷宮都市イシュバーンから遠く離れた南に向かって進み、白い幌の中からは姦しい声が木霊する。


「いやぁ、良い天気だね。空気もおいしいし、引退後はここらで悠々自適に生活するのも悪くないかも……」

「……そうだね、バルちゃん。お金があればね」

「わぁ、見てユー! 空に鳥が飛んでるよー!」

「……希少金属の針はちゃんと全部回収しなさいって何時も言ってるでしょ!」

「怒らないでよユー! ボクだって、頑張ったけど巨人の死体に埋もれたヤツは流石に無理だよ!」


 幌馬車の手綱を握るバルレーンと、彼女に向けて冷たく接するユーリーフ。全ては丸く収まったかに見えたが、バルレーンの針代で高く付いた。

 アスフォデルスの所蔵していた魔導書に関してだが、これの残りは売り払うのに時間がかかり結果現在の徒党の収支は、今回の旅の出費も考えると赤字であった。少なくともこの旅が終わったらまたあくせく働く必要がある。

 そう思うと、ユーリーフがむすっとする気持ちも解る筈だ。


「うー」


 そんな彼女達を見ながらファングインは剣を肩に当て、幌馬車の後ろでパイプを蒸かしていた。そこに――


「お前等、あれだけの事があったのに元気だな」


 アスフォデルスが少し呆れた風にそう言う。彼女の姿と言えば茶色い革鎧の下は青いチュニックに黒いスカート、そして髪型は少しだけ長くなった茶髪を前で冠の様に編み込み、後ろを一房黒いリボンで馬の尻尾の如く括っている。それはファングインが彼女に贈った物であり、金の髪より映えていた。

 その髪型は、かつて魔術師となる為家を出た時となるたけ同じ様に真似た物である。


「でも、残念だったねアスフォデルス。また魔術が使えなくなって、見た目も……」

「まぁ、しょうがないさ。命があっただけ儲け物だろ」


 イシュバーンの魔王の一件が終わって以降、彼女はまた魔術が使えない状態になっていた。とは言ってもそれ以外は健康その物で、余命が削れてたとかそういう事もない。賢者の石も問題なく機能している。記憶や知識も問題ない。

 ただ、魔術だけが彼女の手を離れているのだ。これは再度『不凋花の迷宮』に潜って施設で身体を直しても、治る事は無かった。


「本当は?」

「めっちゃ悔しい」


 と口ではいう物の、言葉の何処かには未練と言う物がない。あれだけ強かった妄念とも執念ともつかない思いは、もうそこには無かった。

 そこでアスフォデルスは自分の胸を右手で摩る。バルレーン曰く、そこには目には見えないが傷があるのだと言う。ファングインに運命を斬られた残り香だとも彼女は言った。

 運命を斬る絶技、是無の剣。

 もしかしたらその剣に死すべき筈の運命を斬られた際、魔術師としての人生も斬られたのかもしれない。


「なぁ、隣に座ってもいいか?」


 ファングインが頷いてそう返すと、アスフォデルスは彼の隣に座った。風が一度彼女達を撫でる。


「どうして、お前は私を助けてくれたんだろうなとずっと考えたんだ。

 何処かで会ったのか、実は私の家族の誰かの子孫なのか、あるいは単なる慈悲だったのか。答えはきっとお前の中から出る事は無いのだろう、けどさ……ちょっと仮説を立ててみたんだ」


 彼女の言葉をファングインは静かに聞いている。


「お前は運命を斬れる剣士だ。そこで、お前が私の運命を斬ったあの瞬間に『お前が運命を斬ったから、私は死なない。私は死なないから、お前が運命を斬った』という因果の環が生まれたのかもしれない。尾を喰らう蛇の如くな。

 つまり、お前と私はさ出会うべくして出会ったんじゃないかなって思ったんだ。……なぁ、お前はどう思う?」


 その問いにファングインが答える事は無かった。例え彼女の言葉が真実であり、全てが余りにも巨大な運命のタペストリーの綾模様の内だったとしても、それを確かめる術は彼にはない。


「すまない、少し暇だったから話しただけさ。今日までを振り返ってみて、ちょっと濃かったからな。お前との出会いに意味を求めてしまったのかもしれない――もし私が寿命を迎えて死んでも、また時空が重なってお前と出会えたらなと思ったんだ」


 学説によれば、世界は自分達が見ているこの一つだけでなく、けして干渉出来ないが因果によって複数性を持っているのだという。こう言いながらも彼女は僅かばかり考えた。

 選択によって世界が複数に分けられるのなら、そして運命という物が時や場所を跨いで存在するなら、自分たちは無数の世界で必ず巡り合うのかもしれない。

 ……そうだったならいいな、と思った直後にバルレーンの声でその考えは止められる。


「ついたよー」


 彼等の旅の終着点、二百年前から存在する辺鄙な田舎の村に着いた。

 辿り着いた彼等を田舎の村は、まるでそこら辺の犬が迷い込む様に迎えた。つまりは、「あんたら城塞都市からこんなとこに来たのかい。暇なんだねー」という具合に。

 そんな田舎の朴訥な人々をのらりくらりと躱しながら、彼女等は一人の少年を見つけた。農作業の途中だったらしく、手には鋤を持っていた。

 最初ユーリーフが話しかけようとした所を、バルレーンが手で制し、代わりにアスフォデルスが話しかける。


「なぁ、すまない。墓地は何処にあるか聞いてもいいか?」

「お墓なら北の教会の裏だよ。見ない顔だけど、墓参り?」

「あぁ、家族のな。ありがとう、助かったよ」


 そう言うと、彼女等は北の教会の裏へ足を向けた。彼女等の姿が見えなくなった後、少年がぽつりと呟く。


「あの子、ウチの親戚かな?」


 その少年の髪の色は茶色。鮫の様な歯と、青い三白眼をしていた。

 記憶を頼りに、一族の墓の前にやって来たのは三十分後だった。墓は上を丸くした板の形をしていた。刻まれた文字は薄れ、半ば読めなくなっているが苔は生えていない……という事は兄弟の誰かの血が今も残ってるのだろう。


 この墓の下でアスフォデルスの家族が眠っている。この地の風習として、獣や魔物に掘り起こされ食われない為に遺体は火にくべた後土に埋めるのだ。

 彼女は手にしていた白い花を墓前に手向けると、ぽつりと呟く様に話しかけた。


「ごめん。ちょっと色々話したい事があって帰って来たよ、父さん」


 答えはない。


「まず、私もう魔術は使えなくなったんだ。姿も元に戻って、この通りさ」


 答えはない。


「姿を変えて、母さんの死に目にも会えなくてごめん。……どんな理由があっても、するべき事じゃなかったよ」


 答えはない。


「今の今まで会わずにいた事もごめん。怖かったんだ、皆死んで世界中に私一人しかいないって思ったら……怖くて怖くて仕方がなかったんだ」


 答えはない。


「私の事、怒ってたよね。憎かったよね……ごめんね父さん」


 答えが返ってくる事は無かった。ファングイン達の前のアスフォデルスの背中が徐々に震えを帯び、鼻を啜る様な音も聞こえた。

 誰にも。この場にいる誰にも、彼女の胸の寂寞も郷愁も解り合える事はない。それは永らくを孤独に生きた者の悲しみである。


「お父さん、お母さん、皆……」


 彼女が何故ここに来たのか。それは別れを告げる為だ。

 長く目を背け、時の彼方に置いてきた人達へ告げられなかった別れ。それを生きてる間に告げなくては前に進めないと思ったからだ。

 これからを生きていく為、否応にもやって来る明日を迎える為。

 戦いは続く。何故なら彼女は冒険者なのだから。


「遅くなってごめん、じゃあね」


 最後に一言。振り絞る様にそう言って、徒党の前に向き直る。赦されたのかどうかは解らない。ただアスフォデルスの長く続いた物が、そこでようやく終わったのは確かである。

 一つの時が止まり、一つの時が動き出す。


「終わったよ、待たせたな……」


 目をこすり、そう言うとファングインが前に出てその場で彼女を抱き締めた。悲しみの匂いを感じたが故の行動であった。そんな彼に対し彼女は一瞬呆気に取られた後、不器用に笑って抱き締め返す。


「ありがとう、ファングイン」


 そこで彼女は、一つ贈り物をする事にした。

 彼は悲しみの番人だ。アスフォデルスの無念と憎悪、心に蟠った一切合切に触れ、時に救い、その清算を見届けた唯一の者である。

 ならば、彼にこそこれは相応しい。


「お前には、私の本当の名前を知っていて欲しい」


 そう言うと、彼女は顔を彼の右耳に寄せ。そっと、誰にも聞かれない様に。


「あのな、私の本当の名前は……」


 この日を境に、魔術師アスフォデルスの名は一切の記録から消える。代わりに一人の冒険者が生まれたが、その因果を結びつける物は何もない。

 彼ないし彼女が何処へ行ったのか、それを知るのはただ一人の剣士だけだ。


 そして、アスフォデルスの一生は消えた。

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