4話:見えざるピンクのユニコーン亭綺譚


 アスフォデルスが目を覚ました時、まず目に映ったのは天井だった。

次いで自分がベッドで眠っていた事に気付く。身体を動かすと一応は疲労が取れたのが解った。


 起き上がると同時に額に乗せられていたタオルが落ちる。


 服はボロ同然だったドレスから、袖も裾も余るほどの大きさの淡いピンク色のパジャマに着替えさせられていた。


 辺りを見回すと、そこは宿屋の物と思しき部屋だった。辺りには誰もいないが、飲みかけのお茶が陶器製のコップの上に入っている。ベッドの他には机と椅子、そして簡素な家具類が置いてあり、机の上には小さなフラスコや注射器等の実験器具が置いてあった。

 ベッド横のくすんだ窓に視線を移すと青空の下街行く人々。そして、一人の魔術師に操られる七メートル程の木のゴーレムが両腕に荷物を抱えながら道を闊歩していた。


「ここは……イシュバーンの街か」


 街行く人の大半は冒険者と思しき人種が多い。胡乱な頭で人種と石畳に赤茶けた屋根の建築様式を推測して、ここはトルメニア王国でも有数の大都市・イシュバーンであると彼女は判断する。


 大陸の内陸部に位置し、海に近く森に近く遺跡や迷宮にも近い為、冒険者の中継地点として栄えている。レンリー大森林からは然程遠くなく、馬車で半日もあれば着く程だ。

 イシュバーンはなだらかな平地に築かれ、所々が歪んだ円型の壁の中には七十万人もの人間を収めていた。


 全方向を平均五十メートルもの傷一つない白亜の石壁二段で覆っており、一段目が外壁、二段目から人々が住む城郭都市の様相を呈している。


 また壁に囲われた都市の内には河が走っており、その水を引いて一段目の外壁に幅百メートルの堀を作っていた。


 かつて在りし戦の時代を思わせる、厳めしい様相の都市である。


 彼女とて人間である、森の工房にこもりっきりという事はなく。たまの息抜きの為に、何度もこの地に足を踏み入れている。

 胡乱うろんな頭でぼんやりと窓の外を眺めていた時だ。ドアの開く音がした。


「……あ、おはようございます。身体は……もう大丈夫でしょうか?」


 そこにいたのは昨日と同じ黒髪の女魔術師だった。名前は確かユーリーフ。

 金の鎖のサークレットは外しており、頭は最初に出会った時より幾分か軽そうだ。

 両手にはタオルの浸かった木桶があり、どうやら彼女が看病をしてくれたらしい。彼女は机の上に木桶を置くと、アスフォデルスに近寄り額に手を当て熱を計る。


「うん、もう熱は……ないみたいですね」

「えっと」


 アスフォデルスが咄嗟に何かを言おうとした。が、不思議と言葉は出てこなかった。

 礼を言いたかったのと、この場所の答え合わせがしたかったのと、今は何時なのかと、どうして助けてくれたのか……そうした数々の疑問符がお礼の言葉といっぺんに現れ、まるで船にこびり付く藤壺ふじつぼの様にくっつき、喉を塞いだのだ。


「……身体の調子が悪い所はあります?」

「あぁ、…………お陰様で大分良くなった。助かった、すっごく」


 ユーリーフの問いかけから数拍置いて、アスフォデルスの口からようやく出たのはその一言だった。彼女からしても礼の言葉にしては素気なさ過ぎ、何かを聞いてもいない。しかし、ユーリーフにはそれで充分だったのだろう。

 彼女は穏やかな表情のまま口元に手を当てると。


「……元気になっててくれてよかったです。三日も眠り続けてたから、皆も心配してたんです……」


 どうやら三日も眠っていたらしい。自分に起こった事を振り返れば、たった三日で済んだというべきか。


「……ちょっと待ってて下さい、今皆に教えてきますから……」


 ――――。

 ――。


 約一時間後、アスフォデルスはテーブルに座っていた。服装はピンクのパジャマから、灰色のチュニックと深いこげ茶のズボン。それと柔らかい布で出来た先が丸くなってる黒い靴に変わっていた。


 ユーリーフに聞いた所、この宿の女将が家を出た長女のお古を格安で譲ってくれたらしい。階段で下に降りる際、黒髪の女将と鉢合わせするとユーリーフと共に丁寧にお礼を言った。


 宿屋の下は酒場になっており、昼直前であるが酒場はそれなりの喧噪に包まれている。二十ある卓は半分も埋まっていないが、店側としてはこの時間帯なら上々と言った混み具合だろう。時折ドアに設けられた真鍮しんちゅう製のベルが鳴り、途切れ途切れに来客を知らせる。


 名前は〈見えざるピンクのユニコーン亭〉というらしい。黒檀こくだんの看板には少し色褪せたピンクで後ろ足が消えかかっているユニコーンが描かれている。


 窓側を外した端の卓。

 テーブルを挟んで向かい側には、緑ローブのファングインと深茶色の皮鎧をつけたバルレーンがいた。アスフォデルスの隣には昨日と同じ黒ローブを纏ったユーリーフが、彼女に寄り添うように座っている。


 ファングイン――エルフ族の名を持つ男は、最初に出会った時と違わず息を呑む程美しい顔であるが、さりとて浮かべる表情は涼し気な面持ちに似合わない程明るい。


「うー!」

「よかったね君、元気になって!」

「あぁ」


 アスフォデルスは力なく頷き、相槌を打つ。


「改めて自己紹介するね! ボクの名はバルレーン。バルレーン・キュバラム! で、こっちの緑色のローブを羽織ってるのがファングイン、黒いローブを羽織っているのがユーリーフ!」


 バルレーンもファングインもにこやかに彼女に笑いかける。改めて見て、二人共……否ユーリーフも含めたら三人か。それぞれ物凄く顔が良い。


 ファングインは言わずもがな、ユーリーフも鼻や桜色の唇の形が良く、ゆるやかな眼つきは物腰と合わさって、まるで触れた途端壊れてしまいそうな儚げな印象を与える。


 対して、バルレーンは対照的に生命力に溢れていた。切れ長の鋭い目つきに収まる赤瑪瑙あかめのうの双眸は、唇から覗く鋭く尖った八重歯といい、何処か猫科の動物の様な印象を与える。


 しかし周囲を見渡すと彼等に話しかける者は皆無と言っていいだろう。端々に座る冒険者達は時折こちらに目配せするのみであった。


「その、遅くなってすまない。ありがとう……助けてくれて、本当助かったよ」

「お礼なんていいよ! ね、ファン?」

「うー」

「拾える命は出来る限り拾って後味を良くするってのが、ボク達の基本方針だかんね」


 アスフォデルスが礼を言うと、バルレーンはあっけらかんとした態度でそう答え、ファングインもそれに頷いた。


「それで、アスフォデルスだったよね。君の名前」

「……あぁ」

「凄いよね、アスフォデルスなんて。あの大賢者と同じ名前持ってる人、ボク初めて会ったよ!」


 男の名前を持ってる女も私は見た事ない、という言葉をぐっと堪え。アスフォデルスはバルレーンの質問におずおずと答えた。


「……本人だよ」

「え?」

「だから、私はそのアスフォデルス本人だ。“不死の花”、“赫奕かくやくたる異端”、“背きし者”とかの二つ名で有名な……あ、あと“大ゴーレム遣い”も有名か。その魔術師アスフォデルス本人だ」


 バルレーンがたった今言われた言葉を読者諸氏の世界観で伝えるとするなら、ボロ雑巾同然に行き倒れた少女を介抱した後に名前を尋ねたら「自分はエジソンだ、お前も電球を使ってるなら知ってるだろ?」と伝えられたと考えてくれて良い。


 当然、聞き耳を立てていた他の卓からは思わず鼻で笑う声や、吹き出し笑いが聞こえてくる。


 アスフォデルスの顔は直様赤くなる。彼女とて信じてもらえるなど思っておらず、さりとて嘘を吐く事も出来ない破れかぶれで言っていた……。

 どうせ、こいつらも信じはしないだろう、と。諦めの色が彼女の心を射す。

 だが。


「あ、やっぱり! 凄い、ボク達有名人に会っちゃったよ!」

「うー!」

「……あ、やはりそうですよね……」


 バルレーンとファングインは声を大きく上げ、ユーリーフはその薄紫色の瞳を大きく見開かせて頷く。三人は、誰一人疑っていない。

 これに閉口したのは他の酒場にいる人間全員と、当の本人であるアスフォデルスだ。


 彼女はしばし驚愕から身体をこわばらせ、次いで困惑から周囲を見回す。酒場の皆もまさかの展開に唖然としていた。


「…………え、疑わないの?」

「あれ、嘘なの!?」

「うー?」

「い、いや本当だけど……」


 あれ、何で私こんなに戸惑ってるんだろう。バルレーンとファングインの驚き具合に、逆にアスフォデルスはたじろいだ。


「ねぇねぇ、アスフォデルス! あそこで何してたの!? まさか次の魔法の実験!?」


 一瞬、アスフォデルスはバルレーンは本当は悪乗りから茶化して話しているのではないかを疑う。しかし目の前にいる赤髪の女の赤い瞳を見ると、そこには何処にも嘲りの色が無い。

 完全に信じ切っているのである。目の前にいる痩せっぽちの茶髪の少女を、世に謳われる魔術師アスフォデルスであると。

 彼女はこう思った。え、なんで信じる? と。

 ……もしかして、こいつ等大分アレなんじゃないだろうか。命を救ってくれた手前、絶対口を漏らす事はしないがアスフォデルスはそう訝しむ。


「あの黒いドレス凄かったよね! ね、ファン!」

「うー!」


 バルレーンがそう騒ぎ立てる中、ユーリーフは少し掠れ気味の声でおずおずと尋ねてくる。


「……あの、もしかして胸に嵌ってるのは“賢者の石”でしょうか……?」

「あぁ、そうだけど……」

「……これが終わったら、魔法について色々教えてもらっていいですか……?」


 ユーリーフもまた彼女をアスフォデルスと信じていた。しかも彼女が尊敬の眼で自分を見つめているのを見て、驚愕どころか若干戦慄すら覚え始めていた。

 その時である。


「おいおい、待て待てお前ら」


 ファングインの後ろから野太い胴間声が響く。声を掛けて来たのは百八十センチ程の男だった。年の頃は三十代と言った所か、顎髭あごひげを生やし粗雑に黒ずんだ皮鎧を纏い、ショートスピアを右肩に当てながら笑う姿はおそらくベテラン冒険者と言った所だろう。


「あ、おっちゃん。何か用?」

「うー?」


 バルレーンとファングインがきょとんとした顔で、そう尋ねると男は一度溜息を吐く。


「お前ら、何処まで馬鹿なんだ……えーと、まず何から言おうか」


 男はじろりとアスフォデルスを見た後、彼女を右手で指を射す。


「普通に考えろお前ら。……この小汚いガキの何処見て大魔術師だと思える?」


 ……アスフォデルスは馬鹿にされた怒りと、やっと真っ当な人間が現れたという安堵を同時に覚えた。

 男がそう言うと、三者は一度その場で考え込む仕草を見せ。


「あー、そっか」

「……まぁ、確かに傍から見たらそうですよね」

「うー」


 三人はそれぞれ納得する素振りを見せた。

 奇しくもアスフォデルスとショートスピアの男はこう思った。え、何この反応……と。


「ならお前等あれか、このガキが大魔術師って言うなら、あそこにいる野良犬は教皇か?」

「ばっかだなぁー、おっちゃん。普通に考えなよ、そんな事ある訳ないじゃん!」


 皮肉を解しての味な返しか、それともただの天然なのか判断の困る物をバルレーンがする。それにファングインも陽気な笑みを浮かべ、ユーリーフは男の機嫌を損ねたと思い狼狽えた。


 それに対し自分より十以上も離れた少女の物言いに、男の怒りが沸点に達しかける。が、その時バルレーンはいつの間にか立ち上がり、男の背中に右腕を回していた。


「まぁまぁ、おっちゃん。ここはボクがお酒奢るから許してよー」

「お前、何時の間に……」

「なんなら、お酌だってしちゃうぞー。――あ、マスター! ここの皆にお酒振舞ってー!」


 バルレーンがそう言うと、酒場にいる冒険者――特にこの時点で酒が入って上機嫌になってる奴等――が歓声を上げた。冒険者を上機嫌にさせたいなら、タダ酒を奢ればいい。

 バルレーンはそのまま男と肩を組んだまま、別の卓に行こうとする。

 その刹那。


「後はよろしくね、ユー。ボクちょっと、寄り道してくから」


 そう言って結んだ赤髪を一房揺らし、バルレーンは盛り上がりつつある卓の中へ消えていった。後を任せられたユーリーフはその言葉に対し、こくりと声なく頷いた。

 黒髪の女魔術師はアスフォデルスに首を向けると。


「バルちゃんが向こうで他の人達を抑えてくれてるから、多分もうこっち入ってくる人は来ないと思います……。だから、もうどんな事をしても大丈夫。誰も聞いていません……」 

「うー……」


 彼女がそう言うと、アスフォデルスは恐る恐るユーリーフに尋ねた。


「…………なぁ、どうして名乗っただけで私をアスフォデルスと信じたんだ?」


 この見た目で正体不明の大魔術師の名前を名乗れば、普通返ってくるのはショートスピアの男の様な反応である。それがバルレーンもユーリーフも、果てには『うー』としか言えないファングインですら何かを知っている素振りを見せた。


「……元々、わたし達はこの街を中心に働いてる冒険者です……」


 ユーリーフの口調は若干たどたどしいが、言い淀みはなく聞きやすい。まるで澄んだそよ風の様な印象を受ける話し方だった。


「……それで普段から色んな遺跡や迷宮に潜っているんですが、ある時アスフォデルスに因縁があるという『不凋花ふちょうかの迷宮』と呼ばれる遺跡に潜ったんです。そしたら、これを見つけたんです」


 ユーリーフは胸元から白い包みを取り出し、卓上に置く。包みを解くと、そこには小指の先程の――鮮血をそのまま凝縮ぎょうしゅくした様な石がある。

 光すら飲み込む程に赤く、磨き上げられた水晶の様に澄んだ結晶体だというのに透明さは微塵もない。

 その石をアスフォデルスは知っている。彼女の青い瞳が広がるのを見て、ユーリーフは代弁する様に言葉を続けた。


「……この輝き、この色合い。魔術師の端くれのわたしでも解ります、これは最高純度の賢者の石……」

「わかるのか?」

「……はい。伝承によれば高純度に生成された賢者の石は赤くなるそうです。故に赤きティンクトゥラと呼ばれます。これ程高純度に生成された物はわたし二回しか見た事ありません……」


 黒髪の女魔術師は、卓の賢者の石を指さす。


「一つはこれ。そして、もう一つは……あなたの胸の物……」


 アスフォデルスは自分の胸を撫でた。


「……それに物に込められた魔力は何より雄弁です。わたし魔術師アスフォデルスが姿を消す前に使っていた杖に触った事があるんですが、その魔力とこの石と胸の石に込められた魔力は全く同じ物でした……」


 一息置いて。


「……巷の噂によれば、アスフォデルスは賢者の石を完成させる為、この都市に足を踏み入れたと言います……」

「よく勉強してるな、それ相当古い本じゃないと載っていないぞ」


 アスフォデルスがそう言うと、ユーリーフは謙遜する様に「恐縮です……」と答えた。

 自分にささる畏敬の念は、美しさを失って傷ついた彼女の自信を少しばかり回復させた。


「……後、もう一つ理由があって。あの着ていた服に……」

「そこにも気づいていたか! いや、お前の慧眼には恐れ入る! あのドレスは私が特によりを掛けて作った物でな! ドワーフから献上されたアダマンタイト、エルフのミスリルをふんだんに使い、尚且つ幾重にも加護を重ね掛けして……」


 喜色を浮かべ、堰を切ったかの様に語り始めたアスフォデルスに、ユーリーフは申し訳なさそうに顔を曇らせ。


「……いえ、……その、ドレスに貴方の不死の花が刺繍されてて……不死の花ってこの大陸じゃ不吉の代名詞で、普通の人は敬遠しますし……」

「………………そう」

「……それに、裏地には名前も……」

「………………………………そう、か」

「……で、でも刺繍された名前の綴りはちゃんと魔術師アスフォデルス特有の癖がありました! 古代の言葉ですよね、アレ……」

「やっぱり見る目あるな、お前!」


 アスフォデルスの機嫌を取りなした所で、ユーリーフは問いかける。


「……それで、どうして貴方はこんな事になっちゃってるんでしょうか……?」

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