14話:甦る妖術使い


 魔術師にとって、生命とは一つのリソースである。しかし生命と魔力は不可分であるが、同一の物ではない。


 我ら魔術師は魔力を消費し、魔術を熾す。しかしその消費される魔力が何処から来ているかというと、我ら形而上――物質界に生きる全ての者が肉体を依り代にし、ある一点の場。魔力というエネルギーの溜まる海から各々が引き出して、様々な魔術を熾しているのだ。


 喩えるなら水源と都市の関係に似ている。都市が水を利用するのには、まず水源から水を引く。しかし、時には水門で量を調節してから都市に循環させる。


 ここでは水源が魔力、水門が人間だ。


 しかし、水門が有る程度の水量を超えれば寿命が来て決壊する様に、人間が引き出せる魔力にも限界がある。

 あまりに大量の魔力を引き出そうとすると、エネルギーの量に耐え切れず生命存在に限界が来てしまうのだ。


 ここまでは、お前も知っての通りの魔術の原理原則だ。


 だが故に、私はこの生命という物を補完する事により――魔術師としての位階が上げられると仮定した。物質界に存在する肉体が強靭であればある程、美しければ美しい程、物質界の存在として強い生命であり、無限に近い魔力を引き起こせるのである。


 私は、この存在を『生命魔術体』と名付けようと思うのだ友よ。


 ――冒険者・アルトリウスがゴーレム教団討伐後、教団本部で見つけた魔術師アスフォデルスから初代アルンプトラに送られた書簡より引用。



 ×    ×    ×


 

 作業はアスフォデルスが逐一指示し執り行われる事となった。

 まず必要となるのは兎にも角にも肉である。


「ホムンクルスの作り方を知っているか、ユーリーフ?」

「……知ってますが、今ここで言うのは……ちょっと」

「知っての通り、男の精液をフラスコに入れて四十日間熟成させる事からホムンクルス作りは始まる訳だが」

「……あ、言っちゃった」


 臓器を癒す為に必要な肉――それは即ちホムンクルス作りの応用であった。

 ただ、男の精液の代わりに使うのはアスフォデルスの血液と小指の爪程の皮一枚だ。

 血液を工房で保管されていた青い霊薬とハーブを混ぜてフラスコで熟成させる。その間に採取した皮一枚を更に細かく裁断、その更に小さくなった一枚を別の透明な霊薬が満ちたフラスコに入れた後に――


「採って来たよー、そこら辺の土ー」

「お、ありがとう」


 バルレーンが採取した土をそれぞれのフラスコの中に一つまみ入れると、硝子の棒で溶けきるまでかき混ぜる。


「……あの、土って本当にそこら辺の土だったんですか? 高度な隠喩じゃなくて」

「とある地方の創世神話によれば、生命の誕生は原初の物質化していた神が土くれから作ったとされる。錬金術ってのは、よくホムンクルスや賢者の石とかの物質的な面ばかり注視されるが、これだってちゃんと魔術だ。神話や伝承を背景に、適切な手段――儀式を以って事を為す」

「……でも、土はもうちょっと良い土を使うべきでは無いでしょうか?」

「料理でもよく言うだろ? 遠いとこの名物より、近いとこの新鮮な物を使えってな」


 錬金術とは元来、形而学上の物を具象化する――形のない考えを現実の物とする魔術を指す。


 大抵の学徒は霊薬の作り方等を学び始めた時勘違いをするが、錬金術とは単に物理法則に乗っ取った薬学や化学の一分野などではなく、薬や器材を作成する際如何に魔術的手段を用いて物理法則を改竄かいざんし、その結果を物質に求める学問なのである。

 故に、本来の物理法則であるなら血や皮を薬に、ましてや土を混ぜた所で何の反応も示さない。

 が。


「いい傾向だ、もう反応が出て来た」


 アスフォデルスがそう呟くと、彼女が左手で持ち上げたフラスコの中には確かに物理法則に則さない反応があった。


 血を投入したフラスコである。それは今徐々に泡立ちながらその赤さを失って行き、泡が弾け切ると白くブヨブヨとした肉の塊に変化する。そしてそこから人間を模した手や足や顔の一部が、まるで海に棲むイソギンチャクが触手を伸ばすかの様に絶えず現れては消えていく。


「……アスフォデルスさん、こちらも反応が」


 そういうユーリーフに目を向けると、皮を投入したフラスコにも変化が起きる。

 血のフラスコとは真逆に、霊薬に浸した皮は薬に溶けきると泡立てる事なく透明な色を琥珀色に変えていく。そしてそれは固まる事なく液体のままだ。

 ――どちらも化学ではありえない反応だ。


「いい調子だな、ツキが回り始めたらしい」


 そうして数十分かけて錬金術的醸造により出来上がったそれぞれを前にし、アスフォデルスは呟いた。


「これで準備は完了したな」

「んで、これって一体どういう物なのさアスフォデルス?」

「血で培養したのは、私の臓器を直す為の生命原形質……つまり肉だ。皮から培養したのは身体にさっきの肉を埋める時、疑似の子宮であるフラスコを満たす霊薬の原液。……肉の再生を促し、ついでに全身を浸しても呼吸が可能になる」

「……つまり、すっごい効果のあるお風呂の準備をしてた訳?」

「まぁ、そうだな」

「風呂は命の洗濯って本当なんだね」


 そして部屋の中央にある水晶の卵に紫の霊薬が抜け、代わりにドワーフ達が醸造する酒にも似た琥珀色の霊薬が卵を満たすと、アスフォデルスは一度周囲に向き直る。


 準備は既に終わった。後は我が身をフラスコに沈めるだけなら、一度区切りをつけて礼を言うべきだ。……目的の達成を前にし、現金で些か後ろめたいものの心に大きな余裕が出来た事で、彼女は自然とそう思った。


「すまない、皆。本当にありがとう、私一人じゃ絶対来れなかった」

「……どうしたんですか、急に」

「改めて、ここで一区切りをつけないと思ってな。――今まで世話をかけた、本当にありがとう」

「まぁ、お礼を言われてもボク達仕事でやっただけだし。契約は成ったんだから気にしないで」

「うー」


 ユーリーフもバルレーンもファングインも、言われるまで気付かなかったという態で返す。

 しかし、一旦心の余裕を実感したアスフォデルスには、それは単なる気遣いにしか思えなかった。


「せめてもの礼だ、ここに有る物はどれでも好きな物を持って行ってくれ」


 そこで一度アスフォデルスは宙に浮かぶ本棚に、その青い瞳を向ける。


「カビの生えた本だが、イシュバーン程の街ならそこそこの大金になるだろう」


 そう言った後、アスフォデルスはファングインの元に歩みを進める。そして緑のローブの裾を両手で抱き締め。


「ちょっと、取り戻してくるから」


 それがどの様な眼差しで、そしてどの様な顔で言ったのかは誰にも――当のファングイン自身ですら分からない。

 ただ、その声音には決意の色が滲んでいたのは誰しもが感じていた。


 そして、アスフォデルスは琥珀色に染まる――



 ×    ×    ×


 

 命と魔力が満ちる。生命は脈動し、上の物が下に落ちるかの如く諸々の力が工房に集い始めていた。


 巨大な水晶の卵の中、液体に全身を浸したアスフォデルスの姿はまるで巨大な琥珀に閉じ込められたかの様だった。今彼女の意識はなく、時折生じる小さな泡が生きている証拠である。


 正直に言うと、彼等徒党は肝心要のアスフォデルスが身体を癒し始めると完全に手持ち無沙汰となっていた。

 という訳で。


「とりあえず、持ち帰る物を見繕っておこうか」

「……そうだね、バルちゃん」


 ユーリーフとバルレーンの二人は、アスフォデルスの傷が癒えるまでの間。地上に持ち帰る物を先に見繕っておく事にした。

 とりあえず実験器具や素材等の大きくて動かせない物だったり、あまり高く売れ無さそうな物は一先ず置いといて、今は確実な高額が約束されている魔導書に目星をつけてる最中である。


 ちなみにファングインと言えば今はこの場にいない。

 というのもファングインにとって魔導書の鑑定というのは案の定専門分野外であり、いても何の役にも立たない。という事で彼はと言えばアスフォデルスが水晶の卵の中に入ったと同時、工房の外でパイプをふかしていた。


 それに、アスフォデルスもれっきとした男性であるファングインに裸身は見られたくないだろう。その考えもあっての事である。


「で、このプカプカ浮かぶ本棚十個を目にして意気込みは、ユー?」

「……宝の山を目にして、大興奮だよバルちゃん」

「やる気十分だねー」


 そう言うと、彼女達は本棚を手繰り寄せて鑑定を始めた。結論から言えばアスフォデルスが最初に名前を上げた魔導書達が、やはり最も価値ある物であり、それ等を超える様な物はあまり無かった。


 しかし、それでもこの中では十把一絡げであったとしても魔術師からしてみれば何れも貴重な蔵書であり、市場に回せば大金が手に入る事間違いなしと言えた。

 ここに有る魔導書だけでも、総計すれば一国を買って余りある程である。だが、それは逆に売却に難儀なんぎする事を意味していた。


「……バルちゃん、これって本当に売れるの?」

「魔術師ギルドの買取が厄介だよね。下手したら、魔術師の巨大組織が敵に回る」

「……やっぱり?」

「一国を変える程の力有る魔導書達に、賢者の石つき大魔術師アスフォデルスの身柄。……ここまで色がつきまくれば、法を犯す事も辞さないだろうさ。組織ってのは力を欲する習性を持つ生き物だし」

「……人の心を狂わせる物ばかりなのは確かよね」

「うん。――ま、冒険者ギルドには委細全てを報告するとして、ユーやアスフォデルスの名が露見しない様には動くよ」

「……苦労かけてごめんね、バルちゃん」


 ユーリーフが申し訳なさそうにそう言うのに対し、バルレーンは屈託なく笑った。


「君の為なら何も惜しくはないよ、ユー。任せて、ボクちゃん出来るシーフだから」


 そう言うと、赤髪の女盗賊は少し下に落ちた空気を上げる為、話題を変える。


「まぁ、でもいきなり全部は売らないよ。ここまで高額なのは年単位で様子を見なきゃ。それより、ユーはこの中で欲しいのは有る?」


 そう言うと、ユーリーフは一転して顔に喜色を浮かべる。そして、横一列に並んだ十個の本棚へ小走りで走り、その左右それぞれに手をつけ。


「……うん、ここからここまで!」

「――ダメ、一つにしなさい」


 そう言って、速攻でバルレーンに否定された。

 魔術師にとってどれも貴重な品であるというなら、それはユーリーフにとっても魅力的に映る訳であった。


「……だ、だってわたし頑張ったし、ちょっとくらい……」

「本棚全部はちょっとじゃない、一つにしなさい」


 そう言うと、ユーリーフは珍しく渋面して両腕を組むと、目蓋を閉じてしばらく悩み。本棚の一つから一冊の本を手に取る。黒革の、大きさは三〇センチ程で題名は金字で『ベルウェザルの呪文集』と綴られている。


「それにするの?」

「……うん、これを置いていく」

「違う、そういう意味じゃない!」


 その時である。工房は突如転機の稼働を始めた。巨大な歯車が幾つも逆転を始め、水晶の卵の中の液体はまるで沸騰する様に泡立ちアスフォデルスを覆っていく。

 数瞬後には、何も見えなくなった。


「これは何?」

「……卵の胎動が始まったみたい。多分、終わりが近いわ……」


 水晶の卵にその紫色の瞳を向け、ユーリーフがそう言った時、工房の変化を察して深緑の裾を翻し、ファングインも中に入って来た。


「うー」


 誰しもが一瞬固唾を飲んで見守っていると、水晶の中の培養液が徐々に目減りし始める。なみなみと入っていた筈の琥珀色の液体は、蒸発と共にその嵩を減らして行き、やがて零となる。


 後に残ったのは卵の中を埋める大粒の泡。しかしてそれも、水晶の卵が台座との連結を切り離され、まるで蓋が外れる様に滑車に括り付けられた鎖によって上に上げられると弾けて消える。


 最後に残ったのは――喩えるならそれは羽化したばかりの蝶。

 よろよろと台座を降り、微妙に見開かれていない眼で彼女達に近づく。


「か、鏡。鏡を、誰か……」

「手鏡、それとも姿見?」

「なるべく、おっきい方……」

「はい、姿見!」


 そういうと、バルレーンは近くの壁に立てかけてあった姿見を手にしてアスフォデルスの前に置いた。目を擦り、まとわりつく泡を弾けさせ、そこで改めて彼女は自分の姿を目にする。


「あ」


 一度短く感嘆の声が漏れると、そこで鏡に顔を付け身体を震わせる。だがファングインは匂いで察する。それが意味するのは悲しみではなく、歓喜であった。


「見てくれ皆、姿が――私の姿が元に戻ってる!」


 姿見に映った姿は、まず髪は金。背中の半分まで伸びたそれは、今は培養液に浸されていた為か、濡れて背中に貼りついている。


 白目に大きく広がった瞳は淡褐色たんかっしょく。青と黄と橙が混ざったその色は、魔眼の様に人の気を惹く引力を持つ。濡れそぼった顔は整った目鼻立ちでありながら、あどけなさと美しさがぜになった黄金比で成り立っている。

 一度口を開くと、牙の様に鋭かった歯はそこに無く、大理石の様に白い歯が並んでいた。


 胸元に埋め込まれた赤い賢者の石も、それまで昏い血の色であった筈だが、今は鮮血の様な輝きを放っている。

 身長こそ一四〇センチと変わらず、身体つきは幼いままだが、その姿は全くと言って良い程様変わりしていた。……そこに初めて出会った時のか弱く傷んだ面影の無い、二百年を魔道に生きた魔人――大魔術師のアスフォデルスがいる。


 からん、と乾いた音が一度響く。それは、ファングインが口に咥えてたパイプが地に落ちた音だった。


「うー」

「マジ……骨格まで変わってるじゃん」


 バルレーンとファングインが、その姿に唖然とした声を上げる。そんな二人を見ると、くすりとアスフォデルスは笑い。


「どうした二人共、口が開いてるぞ? あぁ、そっかここ花が足りないもんな」


 そういうと、彼女は右手の親指を齧り流れる血で右から左に、後ろで半円を描き。


「“開花”」


 古代語でそう唱えた途端、何もなかった所から生命が発生する。季節外れの白い百合が咲き乱れる。酷く甘やかなその香りは、けして自然の物ではなかった。


「殺風景な部屋だが、これで少しは華やかになったかな?」


 そういう彼女の言葉には、力を取り戻した事の喜びと陶酔が滲んでいる。


「……あ、アスフォデルスさん。そのこれを」


 ユーリーフは裸体を惜しげもなく晒すアスフォデルスに対し、自らの黒いローブを脱いで渡そうとする。しかし、そんなユーリーフを前にし彼女はにたりと笑う。


「何を恥ずかしがる必要がある? この身体は私の最高傑作だぞ、むしろ皆もっと見るべきだ、――これが大魔術師アスフォデルスの『生命魔術体』だ!」


 戸惑うユーリーフを後目に、アスフォデルスはファングインに足を向ける。普段はのんびりとしたファングインですら、今この時ばかりは顔に困惑の色を浮かべていた。

 しかし、アスフォデルスはその様が映ってはいない。


「見てくれファングイン、これが真実の私だ」

「う、うー?」


 戸惑うファングインを余所に、アスフォデルスは彼の左手を手に取る。そしてなされるがままの手を自分の右頬に当てた。そこには霊薬で深く刻まれた火傷など存在しない、そう言わんばかりに。


「どうだ、美しいだろう? 可愛いだろう? もっともっと知ってくれ。お前にだったらこの身体、思う存分見ても触られても構わない」


 淡褐色の瞳に、今は理性の色はなく。代わりに稚気ちきと仄かな狂気の色が浮かんでいた。

 そんな狂気に陥りかけた彼女に話しかけたのは、バルレーンだった。赤髪の女盗賊は何時もと何ら変わらない平静のまま、アスフォデルスに語り掛ける。


「それが君の元の姿なのかい、アスフォデルス?」


 何でもない普通の質問だ。しかし、これがアスフォデルスに幾らかの理性を取り戻させる。元来が学者気質の人間である。一度質問を投げかければ、理性と分析が働く。

 それを見越しての事だった。

 効果は覿面てきめんで、今の今まで力に陶酔していたアスフォデルスは一転して冷静さを取り戻した。


「いや、違うな。正確に言えば、この身体は雛形だ。ここから時間を置いて更に修復しなければ、元の姿とは言えない」

「でもさっき、元に戻ったとか、真実の姿とか言ってたじゃん!」

「あれは言葉の綾だよ。……ちょっと嬉しくなって、つい大げさに言っちゃった。まぁここでやる事は全部終わったよ」


 そこで、アスフォデルスは一度くしゃみをする。そして鼻をすすると。


「今気づいた、寒い……」

「早く何か羽織りなよ、痴女」

「うん、そうする。――ごめん、ユーリーフ。やっぱりそのローブ貸して……」


 ――――。

 ――。


 濡れた身体を乾かし、髪に櫛を通して梳き、とりあえず今まで身に着けていた服を着直し。……それでようやくアスフォデルスは何時もの通りに戻った。


 見た目こそ影も形も変わっているが、椅子に座り右手で一度梳く癖を見て徒党全員はやはりこの場にいるのはアスフォデルスなのだと思う。

 彼女はと言えば青と黄と橙が入り混じる瞳を机の前に置かれた魔導書の小山を見ると。


「持って行く物の目星はついたみたいだな」

「あー、そこら辺に関してなんだけどさアスフォデルス」


 バルレーンは自分の考えを伝える事にする。


「とりあえず、今回はある程度売れそうな物だけ持って行く事にするよ。流石に国一つ変える魔導書は年単位じゃないと売れない。……それにユーや君の事を考えると、最悪魔術師ギルドが敵に回る可能性もある。だから、出来れば高額な魔導書はここで保管させて欲しい」

「なるほど。いいだろう」

「でも、タダとは言わない。君への保管料の一つとして今回持ち帰った報酬はきっかり四等分したいと思っている。これは事前の装備代を差っ引いた額だよ。アスフォデルスだって力を取り戻したばかりとは言え、無一文な事に変わりはないだろう? 色々と物入りの筈だ、それと合わせて――」


 一息置いて、バルレーンは言葉を紡ぐ。


「更に高額な魔導書の保管料代の一つとして、今後の君の身辺警護を買って出たい。……恐らく、この魔導書を冒険者ギルドに提出すればボク達がこの『不凋花の迷宮』の最奥に辿り着いた事が噂で知られるだろう。

 そうなれば、君を狙う不逞の輩が現れる筈だ」


 人の口に戸は立てられない。勿論バルレーンは、この後に魔族の事も含めて委細を冒険者ギルドに説明するつもりだ。その上である程度の情報開示は控えてもらう腹積もりでいる。

 だが、それでも噂というのは立ってしまう。現に自分達が賢者の石を見つけた時も、建前上は公になっていないが現在冒険者には公然の秘密ならぬ公然の事実として知れ渡っていた。

 人というのはそういう物である。


「実質タダでファンやボクちゃんの警護が受けられる。君がどれ程力を取り戻してるかは分からないけど、悪い話じゃないと思うんだけど……どうかい?」


 確かに、バルレーンのその提案は魅力的な物だった。この取引の最大の利点は、アスフォデルスには何の損もない所である。

 ただ読み飽きた本を自分の部屋に置いとくだけで、多額の金と信頼のおける護衛が手に入る。むしろ断る分損であろう。


「良い提案だ。だが、こちらとしても条件がある」

「何だい?」


 何時もと変わらぬ口調で、赤髪の女盗賊はそう訊ねた。バルレーンは交渉事の鉄則を知っていた。……こういう時は平静を保つ物なのである。


「私はこれからある程度の魔術の研究を売ろうと考えてる。ただその研究資料の編纂の為には、一人じゃ手が足りない」

「なんとなく想像はつくよ」

「少し色を付けて欲しい、冒険の合間で良いからユーリーフを助手として欲しい。……勿論、本人の意思次第だがな」


 それが意味する事はただ一つ。魔術の徒弟として、ユーリーフを認めるという事だ。

 学びを実利ではなく名誉として取るなら、魔術師アスフォデルスの名前はあまり価値がないだろう。正体不明の魔術師というのは、騙ろうと思えば幾らでも騙れるからだ。

 しかし、学を実利として取るなら魔術師としてこれ程魅力的な話も無いだろう。


「……良いんですか?」

「お前さえよければ」


 返事は黒髪の女魔術師に浮かんだ喜びの表情で充分であった。


「まぁ、でも実質。今回の報酬の分配以外、特に今までと何の変わりもないんだよね。でも、契約は契約だ」

「そうだな」

「力を取り戻した所で悪いんだけど、ボク達と誓約ゲッシュを結んでくれるかな?」


 ――魔術師と結ぶ誓約とは、法と力が双方に作用する。


 事、物理法則を改竄して自らの望む結果を引き起こす事が出来る魔術師という存在は、約束という物に関して極めて不安定と言える。

 故にけして違えてはならない約束を結ぶ時、立法と共に呪いをかける。

 約束を守ろうとする者には加護を、破ろうとする者には祟りを……という具合に。


「あぁ、いいとも。お前達なら誓約は違えないだろうしな」


 そういうアスフォデルスの口調は、今までの必死さが幾らか失せていた。


 ――ユーリーフが持ち込んだ仄かな色味がついた羊皮紙が、条文で埋まるまではざっと三〇分。羽ペンで綴られた誓約は概ねこういう物である。

 誓約主は魔術師アスフォデルス、誓約従はバルレーン・キュバラムとユーリーフとファングイン。


 結ぶ内容は今回の報酬について、力ある魔導書の保管期限について、魔術師アスフォデルスの生命の安全保障について。

 誓約主と誓約従の互い攻撃の禁止、約定の遵守には加護を、約定の離反には互いの死を以って締結とする。


 最後に全員の血判を押す事で、これを結ぶのが当人達である事の絶対証明となし、それを以って誓約となる。


「おぉ、流石は命賭けた誓約。加護も凄い」


 バルレーンはそう言うと、土壁に向かって右手を閃かせる。髪より細い針は、一瞬で三本。三本が一つに連なり――まるで一本の長針の様に突き刺さっていた。


「わぁ、凄いや。そんなに力入れずにこれなんて」


 想定以上の加護による力の後押しに、バルレーン・キュバラムは感嘆の声を上げた。

 筋力と魔力の向上、それが誓約の加護である。


「どうだ、凄いだろ?」


 自分の金紗きんしゃの髪を右手で流し、自慢げにそう言う。


「うん、――これで帰りの道中もあんまり疲れずに行けそうさ!」


 瞬間、アスフォデルスの顔は凍り付いた。

 ここに来て、アスフォデルスは思い出した。迷宮の奥に潜れば潜る程、帰りもまた歩いて行かねばならない事に。迷宮の奥に辿り着いたら終わりではない、そこからまた上に上がらなければならないのだ。


「ま、また? またあれを歩かなきゃいけないの?」

「そうだよ、でもこの加護があれば大丈夫! 今度は大して苦労しないだろうさ!」


 ここに至るまでの間、泥だらけの汗だくになりながら迷宮に潜った事を思いだすと、途端アスフォデルスの顔は青く染まっていく。

 しかも、行きはよいよい帰りは怖いの言葉がある様に、ここに来て地上に上がるに至って足される物があった。

 つまりは、今まで倒した怪物から拾った金銀。死脳喰らいに喰われた冒険者の装備。そして何よりも分厚くて重い本達。……これを持って上り道を上がるのである。


「よーし、じゃあ行こうかアスフォデルス!」


 いつもの笑みを浮かべ、地獄の鬼みたいな事をバルレーンが言うと。


「待って、待ってくれ! 地上への帰り道は私が何とかするから!」


 ……半ば泣きそうになりながら、アスフォデルスはそう叫んだ。


 ――――。

 ――。


 結論から言えば、アスフォデルスは重たい荷物を持って上り道を上がらずに済んだ。

 彼女が出した答えはこうである。

 まず、手のゴーレムを大量に生み出し工房の床に大規模な魔法陣を描く。


 それと同時に作成したバルレーンが先程まで使っていた鼠のゴーレムを作成。この工房の座標を刻んだ石を持たせ、最初の赤樫の扉に続く階段の前まで行かせる。

 最後にアスフォデルス自身が膨大な魔力を魔法陣に込め、召喚魔術の応用で自らを座標の石まで召喚。


 それで殆ど労する事無く重たい荷物と共に、地上に出た。

 赤樫の扉を潜り抜け、建屋の外に出れば広がる空の色は青。畑のうねの様に広がる雲を、太陽が燦々と照らしている。

 そこでバルレーンは一度、背中を伸ばした後。


「流石大魔術師、本当君がいると便利だね」

「……だろ、魔法陣はそのままにした。新しく魔法陣を刻めば工房には何時でも行けるから、な? な?」


 まるで懇願するかの様にバルレーンへアスフォデルスはそう言う。


「ボクは君との冒険楽しかったけどね」

「私、しばらくいい」

「恥ずかしがるなよー」

「恥ずかしがってなんかないやい!」


 そういうやり取りの中、ユーリーフはと言えば。


「……本来の日程を大幅に短縮して上に来たのは良いですが、生憎私達の送迎の幌馬車が来るのは一日先ですね」


 迷宮から行くのに馬車を使ったなら、迷宮から帰るのにも馬車を使う。基本的には大体の帰る日時と時間を伝えておき、迎えが来るまでに何とか帰還するのが常であった。

 よしんば予定より早く帰還した場合は、大抵が仲間に一人はいる魔術師が適当な鳥を捕まえて即席の使い魔にし、それで城郭都市にいる幌馬車業者に連絡を取り来てもらう。

 しかし、生憎空には鳥は見当たらない。

 それにユーリーフは実力こそ高位の魔術師であるが、そんな彼女にも一つ弱点がある。それはゴーレム以外の使い魔を使えないという物だ。だが、ユーリーフのゴーレム魔術は露見するのはまずい。


「なんとかなる、アスフォデルス?」

「ゴーレムを使って目立たず、さりとて幌馬車のおっちゃんに連絡を取りたいか――なんとかなるぞ?」


 バルレーンのその問いに、アスフォデルスは即座に頭で算段を立てると実行に移す。

 歯で右手親指の皮を食い千切り、血を地面に垂らす。


「“此れなるは黄金の権能。肉には土を、魂には鳥を。我が血を以って、汝を生み出す”」


 古代語で呪文を唱えると、血を落とした土塊から卵が産まれる。それは直に孵化し、灰色の鳥の雛になったかと思えば、瞬く間もなく成長。翡翠ひすいの羽を持つ鳥となる。

 そして鳥は一度羽ばたくと、アスフォデルスの肩に乗り小さく啼いた。


「今、何したの?」

「鳥を捕まえるのもめんどくさいからな、。で、後は手紙でも足にくくれば良いだろう」

「ゴーレムなのそれ?」

「基本は似てる。これは、ちょっとした応用だ――この身体は生命魔術体と言ってな、私自体が生きて歩く一つの魔術だ。だから我が血肉を以ってこの鳥を作った。どうだここら辺にいる鳥に似てるか? 似てないなら作り直すぞ?」


 何でもない事の様にアスフォデルスはそう言うのを、徒党の誰もが言葉を無くし驚愕してみていた。

 生命の創造。それは最早魔術の域を超えていると言って良いだろう。自分の意思一つで土から生命を作る等、それは最早神話時代の神々に片足を着けていると言って良いだろう。


 不死の花。

 赫奕かくやくたる異端。

 大ゴーレム遣い。

 そして何より、――背きし者。


 数々の名で彩られた大魔術師・アスフォデルスの復活の狼煙としては、今はたったこれだけでも十分過ぎたに違いない。



 ×    ×    ×



 アスフォデルス、先の手紙の事だが思考実験としてはかなり面白い。

 しかし、友よ。よしんばそれを実現したとして、それに成ってしまえば君は本当に人間と呼べるのだろうか。

 私は友として君が心配だ。賢い君の事だ。きっと『生命魔術体』の理論は無聊を慰める為の思考実験に留めてくれると思っている。


 ここからは研究者ではなく、一個人のアルンプトラとして問いたい。


 アスフォデルス。君は数多くの研究を世に出したが、君は一体何から逃げようとしているのだ?

 私には君が熱中して何かを研究する様が、悲鳴を上げて何かから逃れようとしている風に見える。


――ゴーレム教団・初代教主アルンプトラが、魔術師アスフォデルスに残した手紙より引用。

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