消えたアスフォデルスの一生(プロトタイプ)

ともい柚佐彦

1話:輝くもの天より墜ち

 稀代の魔術師アスフォデルスは全てを失い、ほうほうの態で森を歩いていた。天与の才があると言われた魔術は一切使えず、自慢だった美しさも失われ、財産も一切無くなっていた。

 始まりは彼女が全てを失う直前にまで遡る――

 


「命という物が煌めくのは、諦めを受け入れた時であると……そうは思いません事?」


 身長は約一六〇センチ。歳は二〇代中盤と言った所か、その肌は雪の様に白く、金色の髪は腰までかかる程に長い。こちらの世界で言う所の全身タイツの様な暗い紫色の衣装には、所々彼女を示す“不死の花”の刺繍が施されている。


 均整の取れ熟れた肉体の、心臓にあたる部分には鶏の玉子程もある縦長の楕円形をした赤い石が埋っていた。


 顔は、おそらく百人が見れば百人が振り向く程整っていた。恐らく国一番の歌姫ですら彼女の美しさには足元にも及ばないだろう。


「お前達の角は癒しの力があります。せっかく、私がお前達なんかを実験材料として使おうとしたのに……そんなに生き汚く逃げ回って」


 彼女の背後には夥しい数の三メートル近くもある土人形――ゴーレムの残骸が累々と横たわっている。その赤く輝く瞳に対敵を写し、彼女は一度金の前髪を右手で払った後。


「この魔術の天才たるアスフォデルスをここまで手こずらせるとは――褒めてやるけど、生きて帰れると思うな鬼公」

「これはまた、ご機嫌がよさそうな事で……。アタイもあやかりたいもんさ」


 彼女の目に映るのは一匹の鬼だった。身長は一四〇センチ程、青い髪に青い瞳。赤く染め抜かれた衣装を纏い、額にはユニコーンの様な灰色の一本角が有る。


 歳の頃は十四歳程の、女の鬼だった。鬼もまたゴーレムの残骸が折り重なって出来た二メートル近い山の上に座っている。周囲は木々に囲まれており、激戦の結果なのか折れたり焼け焦げた痕跡が幾つも見て取れた。

 彼女は自分の腰にくくり付けた皮袋を手に取ると、それを一口呷った。


「辞世の句にしちゃ、欲の無い言葉だな。まぁ、いいさ。ここまで楽しませてくれた礼だ、酔わせるように殺してやるよ鬼公」


 鬼は皮袋を下げた後、アスフォデルスと名乗った女の赤い瞳を見つめる。そして嫣然と笑い、左手の人差し指を下唇につけ。


「ここいらで一つ堪忍しといて欲しいんだがねぇ。先代の魔王様がくたばって以降、切った張ったは好みじゃないんだ。……それに殺されてアンタの魔術の材料になるのも、風情がなくて嫌だしなぁ」


 そして鬼は右手の皮袋をアスフォデルスに向けた。


「それよりか、こんな事はもう終わりにしないか? ククルのヤツに支度をさせるからさ、この後一緒に飲み会おうじゃないか。何だったら山を降りて人里に行っても良い、何回か人に化けて行ってるから美味い店を知ってるんだ! ここまでアタイに近付いたのはアンタが久しぶりだ!」


 青い瞳がそこで細まり。


「――ここで殺してしまうのは、正直惜しい」


 そこで鬼の表情がパッと変わる。明るい何の含みも無い笑顔に。


「そうだ、そうしよう! 勝っても無い勝利に酔うよりも、その方がずっと良い! それに初めて嗅いだ時から、アタイはアンタの匂いが大好きなのさ! もう覚えたぞ、絶対忘れないからな!」

「く……」

「く?」


 鬼がそう言葉を反芻すると、アスフォデルスは自分の腹を抱え俯く。そしてその身体が徐々に震えていく。数拍後に鬼は気付いた、これは彼女が笑っているのだという事に。


「くふ、ふふふふッ! ふふふッ!」


 直後、それは絶叫の様な笑い声に変わった。


「アーッハハハハハハハハハ! ハハハハハハハハ! うぇっ、ゲホッ!」

「楽しそうで何よりだね」

「この私を、稀代の天才魔術師アスフォデルス様を! こんなにも虚仮にしたのはお前が初めてだ鬼公! お前絶ッッッ対、ぶっ殺してやるからなぁッ!」


 そして彼女は魔術を起動する。

 彼女が右手を弾くと、そこに十体ものゴーレムが地面から生えた。五メートル程の大きさの土の巨人は出来上がった途端、鬼に殺到するも紙一重で躱されいなされる。


「よっと!」


 鬼が気ままに皮袋を横に振る。すると、当たったゴーレムは途端砕け散った。……そうゴーレムに陽動させる間、彼女は呪文を詠唱し始めた。


「“我は秩序の皇帝にして、混沌の王者”」

「へぇ……」


 アスフォデルスのその一言、ワンフレーズの詠唱で周囲の空気の質が変わったのを鬼は肌で感じ取った。鬼は知っている、彼女が今口にした言葉は『古代語』であり、それは人間の魔術師が魔術を使う時の言葉である。


 魔力により空気は帯電し始め、自然の物ではない風が徐々に逆巻いていく。


 ――この世界は兎にも角にも魔法によって発展している。

 生まれ持った才能により左右されるが、世界に存在する万能のエネルギーたる魔力を代償に様々な奇跡を起こせる技術として社会に組み込まれていた。


「“循環せし神代の残り香を此処に。我が口は神話を語り、我が手は遠き神々の火を掴む”」


 鬼は様子見と言った態で、足元に転がっていた土塊を一つ投げてみる。それは魔術師に当たる事なく、まるで見えない壁にぶつかったかの様に撹拌し砕けた。


「“星々は番えられた燃え盛る矢なり。秘蹟を此処に、出でよ神の鉄槌”」


 瞬間、凄まじい魔力の奔流から、周辺の木々は一斉に木の葉を散らした。


 アスフォデルスの背後の空から幾つもの光が見えた。真っ直ぐこちらに近付いてくる。

 鬼は知っている、たった今紡がれた呪文の名前は『メテオ・スウォーム』と言い、遥か宙空に存在する星を呼び寄せ対敵にぶつけるという物。軍にぶつければ軍を、城にぶつければ城を、竜にぶつければ竜を滅ぼせる破滅必至の魔の破城鎚だ。


 徐々に迫り来る落下音は、この場に置いて死のメタファーに他ならない。

 それを目の当たりにして尚も鬼は笑う。そしてあまつさえも……。


「アンタの敵意はまるで春に咲く甘ったるい花の匂いだ……正直、興奮してきちゃうよ」


 その青い瞳に仄かな劣情を湛え、顔を赤らめながらそう言った。勿論その言葉がアスフォデルスに対して最大効率の挑発になる事を理解して。


「――ぶッ散れよ」


 赤い瞳が一度大きく見開かれ、金の髪が逆立った直後だった。

 轟音。

 次いで炸裂する衝撃波。


 それはさながら暴風雨だった。激しい音と衝撃が森林地帯一帯に響き、火に包まれた隕石弾は鬼に殺到する。破壊エネルギーの塊である隕石は彼女が座っていた残骸を数秒で跡形もなく消し去り、破砕した破片は木々すら消し飛ばす。

 しかし、鬼とてただやられた訳ではない。彼女は放たれる刹那に上へ跳躍し、隕石群を難なく躱す。五メートル程跳躍した時、彼女の瞳に赤い影が映った。……メテオ・スウォームが止み、様変わりした地形に彼女が着地すると件の魔術師は不機嫌そうな顔を浮かべていた。


「私、お前、大っ嫌い」

「アタイは好き――でも、もうそろそろ時間だね」

「時間?」

「迎えの時間だよ」


 鬼が笑ってそう言った直後、アスフォデルスの魔術の射線の前に巨大な物が直撃する。炸裂したのはゴーレムの残骸だった。瞬間夥しい量の粉塵が巻き起こった。アスフォデルスの視界では鬼は分厚い土煙の中に消えた。


「カロン! カロン、大丈夫!?」


 カロン――青い髪の鬼が声のする方を向くと、そこには見知った顔がいた。

 彼女と同じく百四十センチ程の女の鬼だった。明るい青の衣装。赤い髪に赤い瞳、頭の両横にはくすんだ灰の二本角。左手と頭左半分で自分以上もあるゴーレムの残骸を抱えながら、その鬼は今にも泣き出しそうな顔でそこにいた。


「ククル、おっそーい! アタイもうっちょっとで死ぬトコだったぞー!」

「ごめん、カロン! あの女が作ったゴーレムを潰してたら思った以上に時間がかかっちゃった!」

「まぁ、いいわ。煙が出てる内に逃げようか」


 カロンがその青い瞳を向けた先にはアスフォデルスが噎せかえっている声がする。彼女はその声のする方を見て、皮袋を一口呷った後。


「それじゃあ、ここいらでお開きにするわ。じゃあな、“不死の花”のアスフォデルスちゃん。久々に楽しめたよ」

「ま、待ちやがれ!」


 するとククルはアスフォデルスの方向に持っていた残骸を投げ込み、立ち込めた分厚い煙は晴れず、耳をつんざく炸裂音だけ響かせた後。


「やい、魔術師! 今日はこの辺で勘弁してやるからな、次会ったら覚えてろよ! べーだ!」


 右手であっかんべーをし、赤い髪の鬼はそんな捨て台詞を吐いた。それを見てカロンはククルに向けてにっこりと笑いかけ。


「……ククル、アンタ帰ったら説教ね」

「えぇ、怒られる様な事何もやってないよ!?」

「ククル、鬼の生き方で大事な事は?」

「それは勿論、粋である事! 鬼は粋に生きて、粋に死すんだよね!」

「うん、満点の返答だ」


 カロンがそう言うと、ククルは顔を喜色に染める。それに対しカロンは青い髪を右の人差し指で掻いた後、まるで餌を待つ忠犬の様なククルの肩を叩いて。


「……説教喰らうのは、そういう所だぞ?」

「どういう所!?」


 そして再び涙目になったククルは、土煙の向こうにいる女魔術師に向けて叫んだ。


「うわぁぁああああん! お前の所為でカロンからよく解らない理由で説教喰らう羽目になったじゃないかぁぁああああ! ばかー! あほー! 死ねー!」

「説教延長ね」

「うわぁぁぁああああん!」


 土煙が晴れるのと、ククルの泣き声が消えるのは殆ど同時だった。周囲一帯が晴れ渡った後、アスフォデルスは頭から爪先まで土埃に塗れていた。恐らく自慢の物であろう金髪も、恐らく毎日手入れを欠かさない白い肌も、恐らくお気に入りであった紫の衣装も、一切合切がドロに塗れている。

 煙が晴れた時、アスフォデルスは無表情だった。しかし、その直後笑い出す。


「ハハ」


 それは徐々に爆笑に変わっていく。


「ハハ、アハハハハハハ! アッハハッハ!」


 手を叩き、次いで腹を抱えて腿を叩く。そして笑いの沸点が最高潮に達した時――


「私が、失敗したぁぁぁあああああああああ!?」


 恐らく、人里の酒場にあるクエスト受注票であればきっとこう言う言い方をするだろう。

 “魔術実験の為の素材収集をお願いします。必要なのはエルダーオーガの角一本です。”

 “目標のエルダーオーガに逃げられた為、クエスト失敗”と。


 絶叫は森林一帯に響き渡る。遠くでドラゴンが気が抜けた様な鳴き声を上げていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る