12話:ゴア・スクリーミング・ショウ


 大陸に伝わる風聞の中で、バルレーン・キュバラムという名は様々な側面を持つ。

 かつて大陸が動乱の時代を迎え、現在全土を統べる王国が興った時、既に彼ないし彼女は伝説の暗殺者としてその存在をまことしやかに伝えられていた。


 曰く、怪力の持ち主。

 曰く、手を翳すだけで命を奪える。

 曰く、時の鎖から抜け出す術を知っている。

 曰く、男でも女でもない者。

 曰く、エスカオズに降り立った稀人まろうど

 曰く、薄暗がりに潜む怪。

 曰く、血を好む化生。

 曰く、暗命剣なる秘奥を振るう悪鬼。

 曰く、脳の見せる幻影花。

 曰く、〈紫鳶しえんの座〉なる暗殺者集団の頭領。

 曰く、万年を生きる不老不死の者。


 そのどれもが胡散臭さに彩られ、歴史の闇の中へかの存在を埋没させている。

 しかし、真実と虚構は常に紙一重。

 いずれもが真実であり、そして虚実である。



 ×    ×    ×


 

 どうあっても死脳喰らいを戦って打ち倒すしかない。そういう結論となった。


 彼等が立てた作戦――というよりも、最早方針と表現すべき物はとりあえず探索を続け、襲撃されたら死脳喰らいの足をバルレーンが止めた後、ユーリーフのゴーレムが止めを刺すという物だった。


 十階の休息地点で襲撃を待つ事も考えたが、その案は安全は確保できるが食料の消費に関し、逆に兵糧攻めを取られるので却下。


 これまで以上の警戒心を持って、彼等は何処までも続く闇の石迷宮を進んでいく。 先頭をファングイン。中間にユーリーフとアスフォデルス。後方にバルレーン、最後尾にアンオブタニウム・ゴーレムである。

 一見ファングインが掲げるランタンの灯だけを頼りに無作為に歩みを進めている様に思えるが、彼等の徒党の十メートル先にはユーリーフが作ったゴーレムが斥候を果たしていた。ネズミを彷彿とさせる形状をしており、顔には小指の爪程の乳白色の魔力結晶が嵌められ、それはバルレーンの左目に繋がっている。操作権も彼女の左手に移行していた。


『ゴーレムの創造と操作権は不可分というのは、ユーリーフ。お前も知っての通りだと思う』

『……はい、アスフォデルスさん』

『まぁ、だが何事もやりようというのがある。という訳で、床に魔法陣を描いてこの創造を司る光の具象を分割し、バルレーンの左手の血を垂らす事により』

『あ、このゴーレム。ボク今動かしてる』


 この斥候用のゴーレムを運用するに当たって、ユーリーフが魔力切れを起こす恐れがあった。が、それはゴーレムの操作を作成者ではなくバルレーンにする、ゴーレムの作成者と操縦者は不可分という基本原則を破る事と合わせ、消費する魔力をランタンの賢者の石に代替させるアスフォデルスの考えが可能にした。


「うん、今の所は問題なし。壁に亀裂もない」


 死脳喰らいは迷宮の裂け目の中を移動する。死脳喰らいは探せども、身のこなしに難があるユーリーフやそもそも戦闘技術のないアスフォデルスが襲われる事を懸念した故、彼等は逐一亀裂を警戒して移動していた。


 それにそもそも、彼等は無作為に進んでいる訳ではない。

 彼等には死脳喰らいの居所と襲撃のタイミングを辿る術もあった。


「触手をこう使うとはね」


 アスフォデルスに巻き付いていた触手に五芒星を刻んで、ユーリーフに予め教えた呪文を唱えさせる。それにより触手は本体の死脳喰らいを求め、まるで蛇の様に彼等の足元を這っていた。


「見つけたら蛇が鎌首をもたげる様に縦に立つ。その時は合流する前に銀器で殺せ」

「解ってる」


 アスフォデルスがそう言うと、バルレーンは鷹揚にそう答えた。次いでユーリーフが頃合いを見計らい、彼女に話しかける。


「……アスフォデルスさん、ファン君は魔族に手傷を負わせましたがファン君を怖がって、このままわたし達に手を出さない可能性はあるんでしょうか?」

「それは無いな。魔族は人を傷つけ侮り嬲りこそすれ、恐れる事はない。私達が取るに足らない虫を見る様にな」


 一息置いて。


「恐らく傷つけられた事に怒り、何とかして仕返しする機会を狙ってる筈だ。捕らえられた脳の記憶を吸い上げ、ファングインやそれに連なる私達の情報を出来る限り調べているだろう」

「……なるほど」

「でもお前等、冒険者の間だとお前がゴーレム遣いだなんて知られてないし、ファングインが剣を抜く事も知られてないだろ? ……食われたのは三十数人の頭を底までさらっても、奴が欲しい情報は無い。だから奴はファングインの攻撃をまぐれと思って自分を納得させる筈さ、そうして間違った知識のまま戦略を立て必ず襲撃する」

「……わたし達を侮っていると?」

「そうだ、何より奴等死脳喰らいは良くも悪くも取り込んだ脳を使わずにはいられない。自分で見た一の事実より、取り込んだ頭からの百の知識を重視するんだ。知識に無い行動をし続ければ自ずと固まり、隙を見せるものさ。

 それに奴が魔法を使おうとすれば、私には肌で察せられる」

「……それは、何かの隠喩でしょうか?」

「いや、言葉の通りだ。私ほど魔道に身を浸すとな、呪文詠唱前の魔力の熾りで凡そどんな魔法が使われるかが解るんだ」


 死脳喰らいと遭遇した場合、それぞれ決められた役割に徹する事となる。

 バルレーンは最初に上げた様に、死脳喰らいの足止め。それに対敵の妨害とアスフォデルスの護衛。

 最後の止めがユーリーフ。持っている切り札を切り、魔族の息の根を確実に止める。

 そしてユーリーフが切り札の準備をしている間、魔法を含めた攻撃は全てファングインが防御し、アスフォデルスは魔法銃で常に安定した攻撃を続けるのが振り分けられた役割である。


 ここで戦略の難点になるのが、切り札の準備時間だ。


 ユーリーフの呪文詠唱にかかる時間が百二十秒。……二分の間、分厚い霊肉に覆われた怪物から生き残らなくてはならない。


「後は潜った奴等の事を教えてもらったから、奴が使う呪文は大体察しは付いた……」


 その言葉の通り、バルレーンからこの迷宮に潜った徒党の情報からアスフォデルスはある程度の推測を働かせていた。


『――で、以上がこの班に潜った徒党の魔術師の大まかな事』

『なるほど、殆ど大した事はなさそうだな。デカいのは雷使いの奴とユーリーフが嫌いって言ってた党の獣人とハーフエルフの魔術師ぐらいか』

『何か解った?』

『あぁ、こいつらが使いそうな魔術に大体当たりがついた』

『それだけで解るの?』

『冒険者になる魔術師なんて、大抵は学院出て職にあぶれた奴だ。大抵は使えて矢の魔術――マジック・ミサイルが精々だろう。後は回復使えたら御の字か』

『あぁ、皆がよく使う赤い光の矢だね』

『そうだ。あれは魔力を固めて作った力場を高速で射出して打つんだが、何で皆あれ使うかって……簡単だし呪文の出が速いからだ。それに……』

『それに?』

『多分、この迷宮の風評から察するに高位の魔術師はあんまり潜らんだろ』


 それが彼女の出した結論である。


「それを踏まえて言うんだが、この魔法銃ある程度は役に立つ筈だ……聞いた話で怖いのはハーフエルフの奴だ」

「というと?」

「守りの呪文でこの魔法銃に不利なのに当たったら厄介なんだ。当たったら厄介なのは……」


 ――そこで、一行はそれまで通っていた一本道を抜ける。

 喩えて言うなら、そこはこの迷宮の背骨の様な所だった。広大な空間に五メートルはあろうかという柱が幾つも乱立し、目の前にぽつりと出口が存在する。


「大広間だ……奴が仕掛けるならここだろうね」


 バルレーンがぽつり、とそう言うと。


「待って、何か転がっている……なんか棒みたいな物」


 彼女達は恐る恐る前に近寄りそれを拾った。

 それは魔術師が使っていたと思しき杖だった。長さは一二〇センチ程。造りは非常に簡素で、削り出された木材に古代語が刻まれ、仕上げ用の上薬が塗られているだけである。


 アスフォデルスは杖を拾うとつぶさに調べ上げる。そして青い瞳を細く狭めた後、皆に向けて話しかけた。


「こいつはイチイで出来ている。杖に刻まれた古代語から察するに、作られたのは数年前。全体に塗られた仕上げ用の薬は所々剥げ、使用者の魔力がよく杖に馴染んでいるのは使い込まれた証拠」 


 彼女は杖の頭を少しだけ鼻に近付け、左手で軽く煽いで匂いを嗅ぐ。


「杖にこびり付いた甘く眠りを誘う残り香、こいつは『スリーピング・ミスト』の魔法をよく使ってたらしいな。これからは手ぬぐいを口と鼻に当てた方が良い」


 使ってた、という表現をしたのは間違いなく相手は生きていない事を確信していたからだ。

 スリーピング・ミストとは、周囲一帯を眠りの霧で覆う呪文である。身体に入れたら一発で眠りに就く羽目になる。唱える呪文も二節の為、冒険者が大群に囲まれた際や逆に大群相手に奇襲をかける際によく使われる術だ。


 ……全員自分の服の裏側から手ぬぐいを取り出し、手早く口元に当てる。


 しかし、アスフォデルスが一瞬遅れて手ぬぐいが鼻から地面に落とした時だった。うなじに霧が触る感覚。

 次いでちかり、と右側で緑色の光が一度瞬く。


「“眠りに誰彼なく、嫋やかなるものは速やかに降り場を包むべし”」


 闇の風に紛れ、古代語で唱えられる呪文がバルレーンの耳に確かに届いた。

 ――射干玉ぬばたまの闇の奥、緑色の甘やかな香りの霧が速やかにやって来る。

 足元の触手が鎌首をもたげると彼女は手のひらを翳し、身を這った刹那触手は溶ける様にその場から永久に消えた。


 同時に左に赤瑪瑙の瞳を走らせると、アスフォデルスは咄嗟の事で硬直していた。バルレーンの知識が正しければ先程耳に入ったのは『スリーピング・ミスト』の最後の一節、既に手ぬぐいを拾おうとしても遅い。


 ファングインは霧と共にやって来た五本の触手の襲撃を弾き、ユーリーフはそれによりアスフォデルスの様子に気付くのが一拍遅れ、当のバルレーンも先程触手を攻撃した為膝を折って手ぬぐいを拾い、再度彼女の口に当てる等時間が足りず行えない。


 本来ならば。

 しかし、奇しくも彼女はバルレーン・キュバラムであった。


「――」


 赤い瞳が一度収縮する。

 余人から見れば赤い髪が揺らめく残像にも見えただろう。彼女は須臾に等しい僅かな時の中、膝を半ば折って地面に落ちた手ぬぐいを拾うと、霧の粒子が彼我無く覆う寸前でアスフォデルスの鼻と口を塞いだ。


 それは、まるで時という鎖から抜け出したかの様である。

 そして、緑の霧が全てを覆う――


「……」


 眠りに誘う霧の中、矢継ぎ早に容赦なく襲い掛かる触手をファングインは凌ぐ。

 対敵の姿全体が見えないという状況、密集した一方通行の通路、呼吸を邪魔する眠りの霧、一本また一本と増える触手の同時攻撃。そのどれもが死脳喰らいを有利にする筈であるというのに、……二十一本目の触手が弾かれた時から、死脳喰らいの心は徐々に白くなっていく。


 一手、また一手と自らの手が防がれる度に脳から技や経験を読むのが遅くなっていった。

 ――まるで水が沸点を迎え、急騰する様に触手との刃の応酬は一つの結末を迎える。


 刃を迎えてから百数合。刃圏の内に入った全ての手を時に弾き、時に斬り落としたファングインであったが、死脳喰らいが見せた僅か〇.一秒の隙を突きそれを切った。


「うー」


 たった一声。風切り音も影もなく、ただその一声があの時と同じ不可避の破壊の兆しであった。 

 周囲を包んでいた眠りの霧その物が、その一声と同時に一切霧消する。後に残ったのは彼の右手に握られた段平の煌めきだけ。

 …………彼が、たった一本の剣だけで魔術の霧を斬ったのである。


「アスフォデルス、大丈夫?」

「あぁ、何とかな。助かった……」

「そうか、よかった。――ユー、大丈夫?」

「……うん、わたしも大丈夫」

「そっか。なら、ユーは奥の手の準備。アスフォデルスは魔法銃を引けるようにして――ファン!」

「うー」

「予定通り今から百二十秒持たせて!」


 バルレーンはそうやって二人の状態を確認した後、指示を下す。

 ユーリーフは背後のゴーレムに対し、目を瞑り古代語で呪文を唱え始めた。アスフォデルスは銃弾と霊薬を手早く装填し呪文環を回すと――


「はい、もっと左側に修正。そこでストップ。で、少しだけ上に角度を修正。はい、撃って!」


 そのままバルレーンの指示に従って引鉄を引く。銃口から霊薬の煙が立ち上り、破裂音を上げて魔法で覆われた鉄の弾丸はファングインの脇を通り抜け、赤い光は奥の暗い闇まで殺到した。

 放たれた弾丸は魔族のエクトプラズムで編まれた身を穿ち、そのまるまると肥った腹に当たり霊肉を散らす。

 魔力で作られた力場を高速で射出する魔術。これが、矢の魔術――マジック・ミサイルである。


「――」


 それと同時に、バルレーンの赤い髪と瞳が揺れる。すると一瞬闇を切り裂かれ――


「あ、ああぁぁアアアぁaaAAああああ!」


 老若男女が入り乱れる複雑な声音の悲鳴が響いた。


美点よし、アスフォデルス。これで奴の足を封じられたよ。残り百!」


 そう言いながら、バルレーンは籠手に仕込んだ自分の得物を取り出し補充する。

 それは髪の毛よりも細い、針だった。それが彼女の得物であり、先程魔族を縫い留めた銀器の正体であった。

 死脳喰らいとの彼我の距離はおよそ数十メートルにも及ぶ。バルレーンが事もなげにそう嘯いた途端、――不意にアスフォデルスのうなじが静電気が走る様に騒いだ。


「雷が来るぞ!」

「ほいさ」


 アスフォデルスの叫びに駆られ、バルレーンの針が再び闇を切り裂いたのと。


「“雷よ”」


 死脳喰らいが喰らった冒険者の一人、雷使いのオーウェルの脳から引きずり出した雷の呪文“ザップ”を唱え、青白い稲妻が瞬いたのと全く同時だった。

 閃光が目を晦ます――

 古の時代より、破壊の代名詞である雷の呪文。“ザップ”はその中でも低位であるものの、それは矢の魔術以上の威力があり、冒険者四人を為す術なく飲み込んで余りある。


 しかし、その防ぎようが無い筈の魔術は同時に放たれたバルレーンの針によりほんの僅か、一瞬だけ中空に停滞する。


「うー」


 そしてそれをファングインの影なき刃が切り消した。後に残ったのは再びの暗闇である。


「本当だったんだ、魔力の熾りでどの魔法か解るって……」

「あぁ。――今だ、攻めるぞ」


 バルレーンのその声に対し、アスフォデルスは無感動に呟いた。そのまま彼女は装填した魔法銃の引金を放つ。


 二発目の弾丸は、敵を穿つ筈だった魔術が理不尽にも防がれて空白になった魔族に難なく当たった。次いでバルレーンが針を投擲し、死脳喰らいから短い呻き声が連続して響いた。


 三発目の弾丸と霊薬を入れ、呪文環を回す。

 そして後は引鉄を引くだけという所で、三度目のうなじが騒ぐ感覚。今度は風がそよぐ様だった。

 風に紛れて死脳喰らいから呪文が聞こえる。


「“空にいまし鳥の御霊に希う。風よ、壁となれ”」


 瞬間、地下迷宮に風が息吹いた。

 風は彼女等の髪も服も強く靡かせると、そのまま死脳喰らいの元に集まり分厚い空気の壁となる。

 度重なる見えない得物の攻撃と、奇妙な方法で放たれる矢の魔術。それに晒され痛みに耐えながらも魔族が百ある魔術から選んだのは、数日前に喰らったハーフエルフが使うウインド・プロテクションの呪文だった。


 そうして作った暴風圏の中、少しの奇妙な間の後。死脳喰らいの赤黒い身体の各所が一度ぼこんという大きな泡立つ音を立てて裂ける。そしてそのまま歯と舌が生え、身体中が口で覆われる形となった。


 突如生えた口は、皆それぞれが古代語の呪文を詠唱し始める。矢が掠める感覚が八、強い雷が一、暖かな光が一とアスフォデルスに走る。


「ファングイン、矢の魔術が八発来る!」

「うー」


 わかった、という様な唸りの直後。闇の中から古代語が響いた。


「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“力は矢、意思は弓”」

「“理は雷を模る。光芒を招いて募り、満ち足りる其は貪婪たる破壊”」

「“傷を癒すは我が手なれば”」


 その様を見て、バルレーンは眉根も動かさずに呟いた。


「撤退する事を諦めて、風の障壁の中に籠り、相手に攻めを許さない為絶えず攻撃を仕掛けつつ傷を癒し、その隙に大技の準備をするってとこか」

「張ったのはウインド・プロテクションだな。風の精霊に語りかけ、分厚い空気の壁を作る」

「流石、分析が早いね」

「まぁな。

 それに六つ目の呪文はコール・フォースライトニングだ。魔力によって雷を形成し、相手にぶつける。魔法の矢より早く、威力もさっきのザップ以上。古代の城壁を吹き飛ばす程高い。

 喰らった奴の中にいた雷使いだっけか? 思ったより優秀だったらしいな」


 ファングインが触手の猛攻と共に入り混じり始めた赤い魔法の矢を剣で叩き落とす中、アスフォデルスの推論を聞くと、バルレーンはもう一度何かで闇を閃かせる。

 すると、闇の中で一度短い呻きが上がった。その響きは、まるで刺す様な痛みに堪えた様である。


「やっぱ駄目か、風で威力が殆ど殺される。銀はさっきので全部使ったし。――で、アスフォデルス。あれ何とかなる?」


 バルレーンが仄かに顔を顰めそう言うと。


「なんとかなる」


 アスフォデルスがそう応え、そのまま鬼火の様に赤く瞬く魔族に望遠鏡を合わせて引鉄を引いた。

 魔法の矢で覆われた弾丸は、赤い燐光を散らしながら滑空する。

 ――ウインド・プロテクションは風を操り壁とし、刃や矢から身を防ぐ魔術だ。

 敵からの攻撃が迫った時、自ずと周囲に発生した風が集って身を守り、同時に自らの攻撃は阻害しない利便性を持つ。


 死脳喰らいに魔術が迫った直前、風は集い分厚い壁となる。

 そして、それは防がれる予定の弾丸に接触し――風は一瞬で消失した。

 そのまま鉄の弾丸は再度死脳喰らいの霊肉を抉り、右胸に出来た口ごと吹き飛ばす。それはウインド・プロテクションの呪文を詠唱していた口である。


「当たったよ。残り百十」

「風の壁で身を守ったのは悪手だったな」

「本当に効くんだね。でも何で?」

「魔法銃は弾丸という触媒に魔法を降ろして魔法を放つ。風の壁で魔法の矢は防げても、弾丸は防げない」


 望遠鏡やゴーレムを通して見る死脳喰らいは胸に大穴を空け、蝋の様に白い血を撒き散らしながら呻いていた。


「加えて霊薬の燃焼で弾丸は矢より早く動く。そして、ああいう風を操る魔術は大抵術者を潰せば消失する。

 せめて風じゃなくて土や岩の壁なら、ああはならなかったろうがな」

「なるほどねー」

「でも、これで石は交換だ」


 アスフォデルスはそう言うと、魔法銃を垂直に立てて撃鉄の先の螺子を緩める。そうすると挟んでいた魔力結晶がぽろりと外れた。

 乳白色の結晶体は魔力が抜けきった結果、石畳に落ちた途端砕け散る。


「三発か、まぁ持った方だな」


 魔法銃の欠点がこれである。消費される魔力を魔力結晶の火打石で代用してる代わりに、魔力結晶が消耗しきったらその都度交換しなくてはならない。


「そこが何とかなればもっと便利だよね」


 バルレーンが感慨深くそう言うのと、彼女の右手が再び閃くのは同時であった。


「“雷霆らいていは須ら――がaッ!”」


 風の守りが失せた直後、針がコール・フォースライトニングを詠唱していた口に突き刺さる。それは舌と上顎を貫通し、魔族に使役される脳までに達した。

 彼女達が会話する間もファングインは、襲い掛かる触手の猛攻と矢の魔術を弾き続ける。現在数百合を超えたかというのに、銀髪の剣士は未だ息切れ一つ見せない。

 ユーリーフは漆黒のアンオブタニウム・ゴーレムの背後で、古代語による詠唱をし続けていた。


「残り百!」



 ×    ×    ×


 

 これは一体何だと言うのだ。死脳喰らいは自らが置かれた状況に焦燥と強い疑念を覚えていた。


 今まで食べて来た冒険者達と違い、目の前にいる奴等は思っていた以上に抵抗し続けている。自分の足元を灼く様に苛む銀器の痛みに耐えながら、死脳喰らいは捕食した脳から知識を吸い、対敵の情報を調べていた。


 奇妙な形で矢の魔術を撃っている、この前捕らえ損ねた個体は知識はないが、それ以外の三人はどの脳も知っていた。

 自分に銀器を使った女はバルレーン・キュバラム。大陸に伝わる伝説の暗殺者の名前を名乗っているが、戦闘に参加している所を見た事がない為、ついた仇名は『口だけのバルレーン』。今は何やら不吉なカウントをし続け、それは丁度六十に達した所だ。


 ……足に刺さった銀の針はおよそ三十、あの一瞬で投擲したにしては桁違いの数の針は、その全てが深々と刺さって死脳喰らいをこの場に縫い留めている。


 ゴーレムの背後で何かの呪文を唱えているのはユーリーフ。学者上がりの女魔術師で、よく冒険者ギルドで安い資料整理の仕事をしている。


 そして。


「うー」


 脳から知識を吸い上げ、一呼吸の内に三度突く大技を撃つ。しかし、たった一瞬――一合で技は不発に終わる。

 放った初弾の突きは、男の剣の刃と合った途端。いつの間にか斬り落とされていた。


 脳共から吸い上げた知識は目の前の緑ローブの男に対し、同じ事しか教えない。

 名はファングイン。冒険者の等級は五級の底辺冒険者。言葉もまともに喋れず、この街の誰からも蔑まれる存在だ。


 腰にいた剣も所詮恰好付けの飾りであり、誰も抜いてる所を見た事がない。顔だけの頭空っぽな男。……脳から吸い出した情報を信じたが故に、死脳喰らいは前回の襲撃で触手を斬り落とされたのはまぐれであると結論付けた。


 ――ならば、これは何だというのだ。先程からこの男のみならず、背後にいる女共も狙ってるのに、逐一この男の剣に阻まれる。


 いかなる技術か。剣の刃が触手に当たったかと思った瞬間、当たった箇所から全ての力が――膂力は言うに及ばず、速力や推力、破壊力すらも――その一切合切が消失し静止する。本来ならこんな鉄の剣など魔族の肌を通らせる所か、当たった瞬間捻じ曲げて紙の様に破られるのが正しい摂理だというのに。


「……」 


 縦一閃に振り下ろした直後、触手を折り返し直に振り上げる技を出す。

 剣を合わせた瞬間ファングインの刃を跳ね上げ、隙を見せがら空きになった頭を潰す為の一打。


 一呼吸の内に三度突きを放つ大技等、脳髄の奥から引きずり出された触手で放たれる様々な流派の剣技達。


 同時に矢の魔術を矢継ぎ早に叩き込む。一発でも魔物の身体に風穴を空ける威力を持つのだ。……普通ならば剣士一人など跡形もなく消す所か、地形すら変えてもおかしくはない。

 身体を覆う様に生んだ口の数々は輪唱の如く次々とマジックミサイルの呪文を唱え、赤い光は絶えず生まれファングインを飲み込む様に弾けていく。


 ――やったか? という心が刹那、死脳喰らいに生まれた。

 そして、それは泡の如く儚く潰える。


「残り三十!」


 丁度、バルレーンがそう叫んだ時にその姿が徐々に垣間見え始めていく。

 喩えるならそれは、極細の針孔に糸を通すが如し。

 術理を以って振るわれる赤黒の触手を紙一重でいなし斬り、矢の魔術を悉く刃で撹拌していく。


 しかも恐るべき事に、対敵の様子に疲労の色は見られない。それどころか、左手に握ったランプの灯火すら微動だにせず、翠緑のフードの中から覗く顔も涼し気だ。

 こいつは。

 こいつの剣は一体何なんだ?


 ……死脳喰らいは目の前にいる剣士の攻略の為、捕らえた脳達を連結。自我が希薄になり消耗が激しくなる代わり、増大した観察力と知識を使って振るわれる剣の分析を始める。


 刃に当たった時点で魔法も触手も一切の力を失う、という点は置いといて。

 対敵の剣術は回転を多用する特徴を持つ。通常の剣術では敵の目前で無防備に背を晒すが故、相当な達人でもない限り普通は行わない。


 “正気ではない”


 またファングインは不規則に手中の剣を回転させ、ブロードソードを順手と逆手に切り替えているが、それは北の地の剣術でよく見られる技術だ。


 “ありえない”

 “あれは演舞用の技で、剣だって軽い演舞剣を使って行う”


 それに足捌き。その場から一切動かず、まるで半径一メートルの円を描く様に多用される回転を形作っている。

 しかし、真に恐ろしいのはその動きの精密さだ。ランタンの火が揺れぬ程きめ細やかな体重の掛け方。それにより、重心の虚と実。所作の静と動といった物を悉く惑わしている。


 “まるで水を切る様だ”

 “力みが一切ない。それに腰と肩と腱の柔らかさは天与の物だろう。無駄な力が入らない為、動作が察せられない”

 “あれは、恐ろしく洗練されているが東のグレイマウザー剣術の動きだ”


 剣が左から右に薙ぐ。

 手首のスナップと柄に込める握力の繊細な調整により握りが柄頭まで滑って、一斬の間合いが伸びる。……それは西出身の剣士によく見られる技術である。


 東の剣術の足捌き、西の剣術の握り、北の剣術の演舞。


 非凡な才能で連結されし、天性の肉体で振るわれる合成された魔剣。

 死脳喰らいは唐突に理解した。自分が取り込んだ相手の知識のキマイラであるならば、このファングインはありとあらゆる剣術のキマイラと言える事に。


「残り十!」 


 繋げた脳の情報からそう理解した直後、死脳喰らいに弾ける様な痛みが走る。

 目をやると右胸で呪文を詠唱していた口が脳ごと見事に弾け飛んでいた。魔の者は怒りを抱いた。こうまでして魔族である自分が、たかだか人間如きに苦境に陥らねばならない等あり得て良い筈がない。


 しかし、目の前の恐ろしい剣士が防戦一方というのは、つまりは奴等に打つ手がない事を意味しているに違いない。自分の力は未だ奴等の上を行く。

 必ず、こいつらを喰らってやる。


 ……死脳喰らいはこの時、本来捕食者が覚えてならぬ焦りと執着を無意識に覚えてしまっていた。

 知能を喰らい利用する物が最も失ってはいけない物、それは冷静さと想像力である。

 負けがこんだ時程冷静に相手を知らなくてはならない。自分の願望を計算に入れてはならない。それがあらゆる勝負の鉄則だ。


 故に、彼の魔がここに行き着くのは必定であると言えよう。


「九!」


 ファングインが剣を右上に上げる。


「八!」


 数十本目の触手が直線の突きを放つ。


「七!」


 ファングインは返す剣でそれを叩き落とす。


「六!」


 次いで矢の呪文が再び赤く輝く。


「五!」


 ファングインは右回りに身体を一転させ、魔弾は円弧の刃に消えた。


「四!」


 銀の髪が篝火に照らされる。


「三!」


 魔族にはもうファングインしか見えていない。


「二!」


 琥珀色の瞳が闇の奥を見通す。


「一!」


 ……死脳喰らいの目に剣の刃の煌めきが映り、彼の運命がここで尽きた。

 そして。


「“其は我が身に宿る神の髄液ずいえき、其は灼け煮え滾る――”」


 ユーリーフの詠唱が響く。


「“汝は杯、血を収める為鍛たれた不壊の器なり”」


 その一節が唱えられた後、今まで瞑られていたユーリーフの目が見開かれる。


「……準備出来たよ、バルちゃん」

「よし、――アスフォデルス。下がるよ」

「よしきた」


 言われるがまま、二人は事前の取り決め通り剣で魔法の矢や触手の猛攻を防ぐファングインを残し、対敵を目に収めながらゴーレムの背後に回る。


「零。――時間切れだ、魔族」


 バルレーンのその声が響く。


「もういい、戻ってファン」


 その言葉に呼応する様に、ファングインは魔技を一つ見せる。

 ひと時は、数十本目の触手が何気ない突きを放った時であった。感触の一切を残さずファングインの巨体が背後に吹き飛んだ。

 予想外の結果に、死脳喰らいは一瞬面を喰らった。そしてその隙を突きファングインはあろうことか螺子ねじの様に、背走で壁を――五メートルの高さの天井すらも逆さのまま――ぐるりと一回り駆ける。


 ファングインが左からアスフォデルス達の元に戻った時、死脳喰らいの目に映っていたのは二メートルの黒色の騎士像だった……。

 ユーリーフはゆっくりと鉄の騎士を前に歩ませ始める。


「……魔族は銀器――即ち聖なる物に弱いと聞きます」


 ぽつり、とそれまで影の薄かった長い黒髪の魔術師が唇を開く。その時、エクトプラズムで模られた身にぞくりと浅い戦慄が奔った。


「……バルちゃんの針ですら外せないのです、貴方達魔族にとって聖なる物は致命的なのでしょう」


 なにか、嫌な予感がする。

 ……死脳喰らいがそう予期し鉄人形が一歩一歩重たい足音を響かせる度、徐々に色が変わる。黒から赤、赤から白に。色は熱量を帯び、やがて自然と火の粉を散らし始める。


 その頭も、右手に握ったメイスも、左の盾も、鎖で形作られたマントですら。その全てが白熱化し、周囲の空気を焦がし尽くしていく。


「……ならば、わたしは魔族の天敵と言っても過言ではありません。なぜなら、この身には神の血が流れているのですから」


 ――神話において、神の血を受けた鉄人形はその膂力によって全てを壊すだけでなく、自らに近づく者を身に流れる神の血を燃やす事で全身を白熱化し灼いたという。


 ゴーレム教団の秘儀、アンオブタニウム・ゴーレム。その真実は卑金属変換によって疑似的にオリハルコンを精製し、そこに人体で培養された神血を投入する事により、神鉄の巨兵を再現する事を指す。


 それが、ゴーレム遣い・ユーリーフ――ユーファウナ・ルアルフォス・アルンプトラの切り札である。

 余りの神々しさを少しでも阻む様に死脳喰らいは懸命に矢の魔術を放つ物の、それはアンオブタニウム・ゴーレムの肌に当たってもたたらすら踏ませない。ゴーレムと魔の者の距離は徐々に縮まり、やがて零となった。


 そして、メイスが振り下ろされる――


「何かあるとは思っていたが……」

「やっぱり薄々気付いていた?」


 焔に染まったメイスが死肉を焼き、死脳喰らいが苦悶の絶叫を上げる中。ぽつりと呟かれたアスフォデルスの言葉を、バルレーンが拾った。


「まぁな。学者崩れにしては学があり過ぎるし、稼げるゴーレム遣いで冒険者をやってるなら何かあるとは思うだろ」

「それは確かに」

「ただ、まさか壊滅したゴーレム教団の教主の直系だとは流石に思っていなかったがな」


 ゴーレム教団。それは大陸の北側に位置する一大交易都市パルトニルにかつて存在した研究組織である。


 しかし、つい一年前に当時の教主であるマスター・アルンプトラが魔術師ギルドとの対立の結果蜂起ほうき。太古の神造兵器である神鉄の巨人を目覚めさせるも、その場にいた冒険者・アルトリウス等の手により討伐し組織も壊滅したという。

 そしてマスター・アルンプトラの血族――一人娘のユーファウナはこの事件を機に姿を消したというのが世に知られる大まかな事の顛末てんまつだ。


「ボクと出会う前ファンって、ゴーレム教団とかなりやりあってね。あのアルトリウスが活躍する陰で、神鉄の巨人に取り込まれたユーを攫ったというのが真相」

「……ゴーレム教団の噂は聞いていたが、そんな事が」

「うん。で、ユーってば教団のお姫様だったもんだから復権を目指す残党に狙われててね。それで身を隠す為に冒険者やってるって訳」


 そう言った後、アスフォデルスは改めてユーリーフの顔を見る。その腰まで届く黒髪といい、顔の作りといい、何処か通り過ぎ去った友の顔がちらつく。


「ユーリーフがアルンプトラの子孫か……面影あるな」


 アスフォデルスが今は亡き友の面影をユーリーフに垣間見ると同時。

 何とかこの場から逃れようとする魔族の赤黒い身体を、目を覆いたくなる程熱せられた白炎が無限に焦がす。


 神の血に焦がされた騎士人形は、魔族にとって全身が銀器以上の凶器であった。ゴーレムが左手に握った盾を押し付けると、丸々と肥った腹の肉がまるで酸を浴びたかのように焼かれ溶ける。

 それまで呪文を唱えていた口達も、一緒になって苦悶の叫びを上げ、やがてはそれも枯れ果てた。


 ――死脳喰らいに取り込まれた者に救いはない。

 それは単に生きながらに脳を摘出されたというだけでなく、死脳喰らい――ひいて魔族は取り込んだ獲物の死後の魂、その在処すら穢してしまうのである。


 魔に取り込まれた者はそのまま魔となり、魂は天に昇らず地にも落ちない。輪廻の環から外れ、ただ己が存在をなぶられるだけ。

 故に、彼等を救うとすれば魂を一片も残さず消滅させる他ない。

 魔族に穢されるというのはそういう事であり、魔族から救うというのはそういう事なのである。


「――――」

「――――」

「――――」


 騎士人形は無慈悲に右手のメイスを振り下ろし続ける。

 その切っ先が魔族の霊肉を抉り焼く度、死脳喰らいは溶けて消えていく。

 何より振り下ろされる赫奕かくやくたる神鉄に、上げられる枯れた絶叫の幾らかは安らぎの響きを含んでいた。

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