4−2 幻夢

「‥‥姉さん、姉さんなの?」


全身に感じる熱さで朦朧とする緋翠の、朧げな視界に映ったのは姉の彗祥だった。


蜘蛛に捕らえられた蝶のように粘着糸に絡まれた彗祥は目を閉じたまま、まるで彫刻のように動かない。こんな状況でも表情は優しく清らかで、記憶の中の姉そのものに懐かしさを感じた。


‥‥どうにかしてこの場所から抜け出さないと‥‥


そう考えると同時に、一刻も早く姉さんを助けないと‥‥と、この白昼夢の中で思考が溷濁しながら、虚にその姿を見つめていると━━


突然、緋翠の見るものがバグが起きたようにノイズが走る。


「━━!?」


‥‥視界が乱れたその一瞬、垣間見た彗祥の目が睨むような恐ろしい形相で開いた━━


頭の中を通り過ぎる雑音と金縛りに緋翠は頭を抱えうずくまる。

呻きながらこの苦しさから逸脱するように耐えていると‥‥、

やがて彼女の呪縛は解かれ、意識が戻った。




緋翠がさっき感じた灼熱の熱さは錯覚だったように、冷たく不気味な重苦しい空気が漂う。

彗祥と緋翠は仄暗い渦の空間で宙に浮いている状態で、碧娥と光紫は忠告を無視し場所へ行った緋翠をヒョウと共に静観する。


身体中に絡みついていた粘着糸をぷつぷつと切りながら、それを漂わせて緋翠のもとへとやって来る‥‥月のように輝く長い銀髪の彗祥。


手には剣を持ち、細くくびれた足首の先からヒールまで、体に密着させたような白の服装は首と手以外の露出は少ないものの、全身に大人らしさを感じさせる。


それは紛れもなくヒョウが見たという、金色の髪の男、葵竜と一緒にいた女性だ‥‥。

緋翠は知ってる人の筈だが、目の前の女は少し違っていたらしい。

‥‥幻のように美しいが、冷酷なほど冷たい雰囲気を醸し出すその女に緋翠は厳しい眼を向けた。


化け物グリーム‥‥勝手に姉さんの体を使ってどういうつもりなの?」


「えっ」


‥‥緋翠がこの女性の事を化け物グリームと呼んだ事に驚くヒョウ。

今までの熱さや、自分の脳裏にある彗祥の姿を見せつけられた緋翠はそれが自分を拘束する為の可視化デジャブだと気づいたのだ。


そう、彗祥は彗祥でもその女は〈彗祥〉グリームなのである。


「‥‥何を言っているの?緋翠、私は本物よ」


「お前は姉さんじゃない」


不気味にほくそ笑む〈彗祥〉グリームに緋翠は怒りが込み上げる。


「平然と姉さんの皮を被って成り済ますなんて‥‥許さない。

姉さんを‥‥返してもらうわよ」


仄暗い光が舞う暗闇にメタリックレッドに輝く鞭竿ウィップ・ロッドを握り締め、緋翠は燃えるような瞳で〈彗祥〉グリームを睨み据えた。


「オホホホ!だったら本物だって、解らせてあげるわ!」


啖呵を切る緋翠に高らかに笑う〈彗祥〉グリームは剣を頭上に翳した!


「くらえ、サーベルレイン!!」


〈彗祥〉グリームの上空から仄暗い魂が雨雲のように広がり、緋翠の真下へと向かうと一条の光が何本も輝いた!


「これは!何っ!?」


天井から雨のように降り注ぐ光の剣。緋翠はその光剣をかわしながら抜け出す事も出来ず、右往左往する。


「その剣の雨から逃げられないだろう。幻と言えど多少のダメージはあるのだぞ」


緋翠を笑い見ながら、〈彗祥〉グリームは手にした剣を構える。


「だが‥‥これは本物よ!」


シュィィン!という風を切る音が走り、真横から突っきってくる剣先を緋翠は反射的に避けるとその方向を向いた。


「そこなの!?」


〈彗祥〉グリームの居場所を見切った緋翠。

頭上から降り注ぐ幻剣雨を避けるように蛇行させて放った鞭竿ウィップ・ロッド〈彗祥〉グリームの体にヒットする!


「ぐぅっ、おのれ!」


幻剣の雨から抜けるなり、自分の方へ飛び込んで来る緋翠に〈彗祥〉グリームは剣を振り上げる仕草で叫んだ。


「出でよっ!」


現れた仄暗い者グリームが飛びつくように緋翠に襲いかかる!


面前の仄暗い者グリームに緋翠は大きく弧を描いた鞭竿ウィップ・ロッドを叩きつけ、仄暗い者グリームを撃ち砕く。


飛び散る仄暗い者グリームの残骸を抜け、駆ける緋翠は鞭竿ウィップ・ロッドを振り戻しながら竿状にすると、対面した〈彗祥〉グリームとの撃ち合いが始まった。


緋翠は乱れ打つ〈彗祥〉グリームの刃で無い平地を器用に狙い討ち返していく。


「はっ!」


再び鞭状に戻しながら急接近すると、払い上げた鞭竿ウィップ・ロッド〈彗祥〉グリームの体が跳ね飛んだ。


「まだよ!」


更に連打する鞭竿ウィップ・ロッド〈彗祥〉グリームに激しく撃ちつける。


「終わりなの?姉さんはもっと強かったわよ」


鞭竿ウィップ・ロッドを構えた緋翠がよろめく〈彗祥〉グリームにとどめを刺そうとしたその時、


「‥‥やめて緋翠‥姉さんになんて事をするの‥‥」


悲しむように緋翠を見つめる〈彗祥〉グリーム

自分が知っている優しい姉の表情に思わず躊躇し、手が止まった。


‥‥もしこれが、本当に姉さんだったら‥‥


緋翠が怯んだ一瞬の隙に、〈彗祥〉グリームまとわりつく無数の粘着糸をしゅるしゅると音を立てて放出し、緋翠に絡めた。


「あぁっ、緋翠が!」


「ダメよ‥姉さんにこんな事しちゃ」


粘着糸に手足を拘束された緋翠に近づく〈彗祥〉グリーム

魔酔のような優しい表情で唖然とする緋翠の唇が触れるくらいに顔を寄せると、小さく息を吐くように甘い声を出した。


「この女は‥‥自分の中から生まれてきた我らが貰ったのだ。

だから、女の記憶も全て私の者。その証拠を見せてあげる」


「‥‥‥‥‥!!」


「‥‥私が、あの男と一緒に夜の道を歩くのよ」


〈彗祥〉グリームに見つめられたままそう囁かれ、緋翠は何かの暗示にかかった様に、幻夢の世界に入っていく━━。




混沌とした意識の中で浮かぶもの‥‥鉄で覆われた高層建物が幾つもそびえる街だ。

この景色、見た事がある‥‥これは、自分の居た世界‥‥緋翠は、過去の思い出が脳裏に浮かんでいるのかと思った。が‥‥


すぐ隣に、葵竜がいる。彗祥と同じくらい、それ以上に優しかった葵竜。

金色の髪が真昼の明かりに照らされ、同じくらい照れたような優しい眼で微笑んでいる。

‥‥本当に姉さんの事を好きなのが解る、他には誰にも見せない表情だった。



姉さんも葵竜も優しすぎるわ。私が守ってあげないと━━


‥‥あの時の私が二人に近づいて姉さんに言った台詞。

それに、碧娥、光紫も‥‥緋翠の頭の中で、とぎれとぎれに乱れた映像が走り抜け‥‥。


これは‥‥夢?‥‥では無い。

それは彗祥の見た「記憶」だった。彼女の見たものが‥‥次々と脳裏に入ってくるのだ。


そして‥‥今までと違い、後悔と絶望の顔をした葵竜。じっと見つめるその美しい瞳は、限りなく悲哀に満ちている。


「‥あぁっ‥‥」


意識の無いままに何かを見ている緋翠は、苦しみながら一人捥がいている。

やがて全ての景色が変わり‥‥バイクに乗ったヒョウの姿、葵竜と共に突然別世界が現れると‥‥冷たく、悲しい顔をした二人は別人のように変わっていた。自分は動かない彗祥になり、葵竜に抱きしめられている。



闇天の空に映し出されたのは光る金色の髪。

星と月のように寄り添い、長い銀色の髪を垂らしたまま永遠に眼の覚める事の無い彼女は口移しを受けた‥‥。


面食らった緋翠が最後に見たものは、葵竜の後ろ姿‥‥。

全てを棄ててどこまでも続く闇に向かう彼の姿に悲しみが伝わっいてきて、言いようのない不安が広がる‥‥。


緋翠の心が彼を追いかけようとするも全身を荒波に揉まれるような感覚から違う闇が広がり‥‥

このまま行けば、ドス黒い「何か」が包み込もうとしていた‥‥‥。



「姉さんの‥記憶、しかし‥‥これは、違う!」


幻夢の中で心を滅ぼされる寸前、緋翠は抗うように叫んだ。




振り切るように意識を取り戻した緋翠は眼を開く。


「ああっ、緋翠!」


目を開いた緋翠にヒョウは安堵すると、粘着糸に絡まれたままの緋翠は〈彗祥〉グリームを睨んだ。


「悪いけど、幻影なんかとずっと相手をしている暇はないのよ」


「ふふっ‥‥このままあの女の気分になって死ねばいいのに」


眼前の〈彗祥〉グリームは冷酷に嘲笑あざわらうなり、剣を横一線に薙ぎると緋翠は血を吐いた。


両手が使えない相手など怖いものなど無い。

一瞬で刀傷を受けた緋翠は胸に痛みが走るが、〈彗祥〉グリームは狂気の顔を浮かべ拘束される緋翠の片腕を掴み捻る。


「ダメよ、緋翠‥‥お前はもう私のものなんだから」


女性ならではのしなやかで柔らかい体つきに対比し物凄い力だった。


「あ‥ぁっ」


〈彗祥〉グリームは痛みで喘ぐ緋翠の体を眺めながら微笑むも、その目は嫉妬と欲望に満ちた眼差しを向ける。


「遠慮しないで、と一つになれるのに‥‥。お前が葵竜に貰い受けたその体、皆で味わい尽くしてやろう」


〈彗祥〉グリームの周りで待ち構える仄暗い魂や化け物が唸り、緋翠は戦慄した。


「‥‥私がお前を取り込み強くなり、そしてお前の仲間も喰うの。

‥‥そうすれば、お前達はずっと一緒、私はどんどん強くなる‥‥!」


〈彗祥〉グリームの嘲笑う顔が恍惚を通り越して醜く引き歪むと、持っていた剣の剣を一気に突き刺した。


「緋翠ーーー!!」


ヒョウは思わず叫ぶと、「それは困るぞ」と声がした。


「━━緋翠、今だけ助けてやる」


光紫に続けて言ったのは碧娥。それと同時に轟音が響いた。


「なっ!?」


振動で驚く緋翠と彗祥グリーム

二人がこの行動に出たのは彗祥と化した化け物に喰われて取り込まれるのを危惧したのみならず、互いに戦い合う相手と言えど、緋翠が姉の姿をした化け物によって斬殺されるのは酷いと感じたのだろう。


碧娥が放った拳から大気が押し寄せ、風は地を切りながら熱を伴い、一つの《炎球》《ファイヤーボール》となった。

それが一直線に走ると緋翠の蜘蛛の糸が断ち切られ、衝撃で〈彗祥〉グリームの体が弾ける。


〈彗祥〉グリームの体から幾万の虫が空中に舞う。

数えきれないほどの仄暗い光グリームが再度集まるが、光紫が闇を見るかの如く目を見据えた。

構えた機械の剣マシンソードから斬り裂く紫の光を走らせ一気に虫の塊を倒していく。


体の自由を取り戻した緋翠は〈彗祥〉グリームを睨むと、〈彗祥〉グリームは更に醜悪な顔で叫んだ。


「やめて緋翠‥‥私は姉の彗祥よ。お前は姉の私を‥‥殺すつもりか!」


「私の姉さんは‥‥こんなことをする筈が無いわ!」


そう言うなり〈彗祥〉グリームを蹴り上げた緋翠は、渾身の力で鞭竿ウィップ・ロッドを振った。


「姉さんをむしば呪縛おまえを討つ!!」


「グガァアアーーー!!!!」


赤い蛇の如く、うねるように走る鞭竿ウィップ・ロッド〈彗祥〉グリームの中にある「核」を撃ち砕くと、〈彗祥〉グリームは奇声を上げて消えていく━━。



さっきまで渦となっていた仄暗い光グリームは全て消滅し、辺りは元の世界に戻った。

‥‥地上に降りると膝をついた緋翠は項を垂れて息を切らす。

碧娥と光紫の影に気づくと横目で二人を見た。

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