星幻の放浪者（改訂版）

２-1 異なる空の音

昼間の約束通り、沙夜をバイクに乗せて昨夜と同じ陸橋へと来たヒョウはガード下の隧道にバイクを止めると、徒歩で歩道脇の階段へと進んだ。

陸橋灯に沿って橋の真ん中あたりまで上がっていくと、遠くの街の灯が宝石のように散りばめたような景色が広がる。

静かな闇夜の空に向かい立つ二人。すっかり暗くなった春の夜空は空気がまだ冷たい。

ヒョウは、昨日のことは夢でも見たのかと思い忘れようとしていたが、一方の沙夜は昨日の夢を確認するかのように空をじっと見つめている。

自分で誘っておいてなんだけど‥‥そもそも、それ迄そんなに親しくもなかった沙夜とは一緒に夜空を見たところで特にやましい気持ちにはなれなかったし‥‥

‥‥何となくそうさせてくれなかった。

待ち合わせた時の期待しないような純粋な表情もさることながら、走るバイクの排気音と共に後ろにしがみついている時の、不思議な感覚。

‥‥何故だか解らないが、沙夜が何かに呼ばれその為に自分も再びこの場所にやって来たような気分で浮かれられなかった。

だが、陸橋からのいつもの景色は静かで、遠くの雑音位しか耳に入ってこない。

‥‥ヒョウはこのまま、何も変わらないものだと信じ、二人は、しばらくその場から離れなかった。

だが、暫くすると急にその音すら聞こえなくなり、一瞬、時が止まったのだ。

『‥‥何だ！？』

硬直したヒョウは自分の耳を疑い、隣にいる沙夜も明らかに沈黙の世界の中で「何か」を感じているようで、黙ってはいるが辺りを見渡す。

星のざわめく音が‥‥

魂の滅びる叫びが‥‥

魂の蘇る声が‥‥

まるでどこか違う世界の音魂が、二人には聞こえているようであった。

そんな彼が沙夜の顔を見たその時、

はっと驚いたヒョウは、急に何か違和感を覚えその場に蹲（うずくま）った。

『‥‥‥！？』

「ヒョウ君、大丈夫？」

ヒョウは隣で心配してくれている沙夜を、確認するようにもうに一度見た。

目の前の少女は何の問題も無く沙夜である。だが‥‥

ヒョウは一瞬だが、沙夜とは違う切れ長で柔らかい眼差しの‥‥昨夜男と一緒に居た「女」と同じものを感じたのだ。

そして目眩を感じながら、不自然に辺りを見直す。

昨日と同じ陸橋、アスファルトの道路から遠くに見える、ビルの建つ街‥‥。

何だろう、この空気は‥‥？

その景色から上へ、真っ黒な天井に目を向けた。

すると、見上げた空に、何かが降ってきた。

白く光ってはいたがそれは仄暗く、雪では無い。

それは少しずつ、少しずつ‥‥。天から星が降るようにだんだんと地上へと降りていき、空間を漂いながらこの世界を覆うと、その沈黙の中で密かに何かが発している声が聞こえてくる。

星のざわめく音、魂の滅びる叫び、蘇る声‥‥。

暗闇の中に漂う白い光のようなものは、そう訴えているようだった。

まるで幻想の中に居るような二人は凍りついたように魅入るが、なぜかこのまま自分が死ぬんじゃないか、という恐怖すら感じた。

そんなヒョウに、沙夜が何かを見つめながら呟く。

「ヒョウ君、あれ」

ヒョウは沙夜が言った先を見て、はっとした。

幾万もの白い何かが舞う中でぼんやりと居たのはあの「青年」。

それを見ながら沙夜は言った。

「昨日夢に現れてきた人‥‥」

「えっ！？」

マ‥マジ‥‥！？

ヒョウは一瞬疑うも、沙夜の夢とヒョウの会った男は一致したらしいのだ。

もう一人、彼と一緒にいた女性は見当たらないが昨夜光の中から出て来た男は、自分達と同じ人間と思えない程の美しい顔をしている。

闇の中に浮かぶ緑色の眼はただ虚ろに、たった今、まるで、自分が作り出したこの世界と一緒にやって来たようにそこに立つ。

吸い込まれるようなその姿に沙夜は思わず見惚れているように凝視していたが、ヒョウには異なる者に‥‥言い方は悪いが「宇宙人」にしか思えず、身動き出来ないままに只目を向ける。

男は沙夜に視線を移すと、彼女が見たという夢と同じように、光る石のような欠片を手渡した。

「これは‥‥？」

「‥‥もう必要無い‥‥」

彼は悲しげな眼でそれだけを言うと、闇の中に溶けるように居なくなった。

幻のように姿を消した男を見届けた二人。

我に帰ると、掌の中で光る石に目をやる沙夜に、自分に対し憤りを感じたヒョウは思った。

‥‥これは沙夜の予知夢だったのか？俺は呼び止める事も出来なかった。

だけど何故？あの男は彼女にあんなものを渡したんだ‥‥？

ヒョウは不安を隠せないまま、沙夜に「行こう」と言った。

突然彼は沙夜の手を引き、停めてあったバイクのところまで戻り、沙夜に無言でヘルメットを被らせそのまま乗せると、辺りに排気音が響く。

走るバイクは暫くし、ひっそりとした駅の手前で止まった。

そしてバイクの後ろで自分の背中にしがみ付いている沙夜に、重い口調でこう言った。

「‥‥悪いけど一人で帰ってくれない」

「えっ、何で急に？どうしたの！？」

いきなり自分を突き放す態度のヒョウは、こっちを見ない。

「この駅だったら家に帰れるだろ。電車が無かったらタクシーに乗って‥‥早くここから離れるんだ。出来るだけここから遠くへ‥‥」

そう言い捨てると彼は沙夜を置いて一人で走り去った。