第8話 そして僕は月夜の狼に身命を捧げることを誓うのだった

「ラキア、助けて!」


 僕は、そこに居ない相手に対して、何度目かの助けを乞う叫び声を上げる。

 それを聞いた女は、その醜い笑顔をより一層歪ませた。


 ああ、ラキアは助けに来てくれたのだろうか。彼女は大丈夫なのだろうか。

 僕は、このままどうなってしまうのだろうか?

 怖い、怖い、怖い――


 バキンッ!!!


 凄まじい音を立てて、扉がはじけ飛ぶ。

 建材がバラバラに飛び散るのに合わせ、先ほどの鬼傀儡とか呼ばれていた人形の、千切れたパーツが室内にばら撒かれた。


 「ラキア!!……と、ヒィズさん!?」


 壊れた扉から赤い影が飛び込んできて、その後ろから黒主体の服装をしたヒィズさんが続く。


 「おのれっ!?」


 女の叫び声が聞こえると同時に、側に伏していた化け物の犬が、ラキア目掛けて飛び掛かった。それも一体ではない、正面と左右の三方向同時に!


 「――!!」


 赤い塊ラキアから銀色の閃光が伸びたと思うと、正面から迫った化犬が声にならない悲鳴と共に吹き飛ぶ!

 正面の化犬を退けた長い銀色の線は、伸長を急停止するとラキアを中心に右手に弧を描く。と同時に、ラキアの左手からも、もう一条の銀光が伸び、左右から挟撃してきた化犬はほぼ同時に吹き飛んだ。


 「お前達、あれを喰い殺しなさい!」


 いつの間にか別の扉が開き、女がラキアを指さしながら叫ぶと、女の背後から同じような化犬が何体も走り出してくる。

 その化犬共はラキアに向かい走り――


 きゃん!ぎゃん!!ぎゃぁん!!!


 ラキアから数条の銀光が閃き、その度に化犬が一頭ずつ減ってゆく。

 熟練兵を寄せ付けないと言っていたその化犬達は、ラキアの前に手も足も届かずに倒れ伏してゆく。


 「おのれ、おのれ、おのれぇ!!」


 女が叫びながら、何かのゴツい道具をラキアに向けた。

 それを認めたラキアは、その銀光を女に向け放つ!


 ぎぃん!!


 澄んだ金属音を放ち、ラキアが放った銀色の光――その正体、鎖のついた短剣が何かに弾かれる。その先にいる、杖を掲げた店員イリカさんによって。


「邪魔立てする気!」


 気が立っているのか、牙をむき出しにしてラキアが叫んだ。

 ラキアと対峙するイリカさんが答える。


「駄目ですよぉ。ソルディナ私の養母さんを攻撃しちゃぁ。私も庇えなくなっちゃいますよぉ」


 そう言うとイリカさんはソルディナに向かい告げる。


「ソルディナさんも、もう、やめて下さいぃ。動物さんだけでなく、人様を拐わかして、閉じ込めるなんて、犯罪ですよぉ?」

「イリカ、何を言っているの!?今まで育ててやって、人から羨まれるほどの教育まで受けさせてやったこのわたくしに、恩を仇で返すつもり!?ふざけてないで、その狼女共を殺しなさい!」


 目を血走らせ口の端から泡を漏らしながら、ラキアを指さしてソルディナが叫ぶ。


「ソルディナさんが、初めに手を出したんじゃ、ないですかぁ……。

 犯罪は、ダメですよぉ?お日様に顔向けできる、やり方にしましょぅよぉ。

 あ、ほら、そんなことをしちゃ、ダメですってぇ」


 問答無用でソルディナから放たれた小さな球体にイリカさんが杖を向けると、高速で飛翔するそれは見る間に勢いを落とし、空中で停滞したところで回収する。

 可愛らしい手でそれを摘まむと、大事そうに懐から出した小箱に収めた。


「こんな危ないもの、使わないでくださいね?この部屋の器材、どれも、高いんですからぁ……。それなんか、この街の予算、ひと月分て、お役人さんが言ってましたよ?」


 そう言って、ラキアの側にある、ラキアよりも背の高いガラスのような透明な設備を指さし、それを聞いたラキアはぎょっとして心持ち器材から距離を取る。

 いずれにせよ、イリカさんは妨害するのではなく、この場を収めようとしてくれていることを察し、ラキアもひとまず様子を見に入る。


 「ふざけないで!イリカ、あなた、これ以上私に盾つくのなら、この家から追い出すわよ!?勘当してやるわ!」

 「私は、別に構いませんけどぉ、ソルディナさん、いいんですかぁ?今の魔術組合の研究成果は、ほとんど私が見てるんですから、私が抜けたら今年の成果、たぶん間に合いませんよぉ?

 私は、おうちを出ても、たぶん別の国とか行けば、なんとかなると思うんですよ……あ、ソルディナさん?」


 ほわわん、と脅しをかけるイリカさん。まさかそんな重要人物であったとは。

 顔を白くして憤るソルディナは、イリカさんが自分の言うことを聞かなくなったと見るや、部屋の隅にある大きな布が被せられた小さい山に走り寄り、その布をめくり中に潜り込む。

 ……控えめに言って嫌な予感しかしない。


 その隙に、イリカさんは僕が捕らえられている檻に近づき、その杖で蝶番をコツンと叩く。バチンと音がして蝶番の接合部が弾け飛び、そして檻の扉は静かに前に倒れ、僕は無事に解放された。


「あ、ありがとうございますぅ!」


 若干、イリカさんの鼻にかかったような口調が伝染しつつ、僕はお礼を叫びながら檻から転がり出た。四つん這いになりながら、ようやく自分が解放された実感を持ち、胸を撫でおろす。まだ、この件は片付いてもいないのに。


『がらあぁぁごらあぁぁ!!がぁんがぁんがぁん!!』


 ソルディナが逃げ込んだ布の下から、金属を打ち鳴らすような雑音が響き渡る。

 異常を察知したラキアは構え、イリカは常よりも機敏に振り返る。彼女達の視線の先には、布を取り払い剥き出しになった、フルアーマーを装着した鬼といった態の巨人が立ち上がろうとしている。

 まるで鬼の骸骨のような面相をしたそれは、窪んだ眼窩の奥に青白い鬼火を灯らせながら、ゆっくりと上体を起こして行き……天井につかえた。


 なにあれ?大きすぎじゃね!?


「構わないわ、あれらをまとめて処理しなさい!」


 巨大な鬼の人形の背後から、ソルディナの声が響き渡る。

 もはや、自分の養女と言っていたイリカさんも処分対象とされてしまっていたようだ。

 鬼は手のひらをこちらに向け、手首についた穴から何かを射出する。


「きゃぁ!?」


 杖による防御が間に合わなかったイリカさんの足元に着弾したそれは、大きな音を立てて爆発した!

 体をまるめ飛ばされたイリカは、僕が入っていた檻に背中を叩きつけられ、そのままズルズルと床に倒れ込む。

 鬼は四つん這いになりながら、こちらに向かい進もうとしてる。眼窩の奥の青白い灯火はその勢いを増し、口をぱかりと大きく開け、その奥が赤くメラメラと揺らめきだして――


 ガツンッ!ガツン!!


 金属を打ち鳴らすような大きな音を立てて、鬼の首があらぬ方へ向かう。


 ラキアだ。


 単身突っ込み、その手元から放つ銀光、僕の目には銀光の線にしか見えないそれを縦横無尽に鬼の巨体へ叩き込み、鬼はみるみるうちに変形して行く。たまらず鬼は体を丸め、急いで立ち上がろうとすると、その上体が天井に勢いよくぶつかる。たまらず天井にヒビが走り、やがてばらばらと石の欠片が落下を始めた。


「きゃああああぁぁぁ!!!」


 凄まじい悲鳴。

 あの鬼の傀儡の背後に隠れていたソルディナの悲鳴。

 天井が崩落した石片をまともに喰らってしまったのだろか。


 ふいに、ラキアの姿が消える――いや、鬼を迂回して背後に回り込んだのか!?

 次に姿を現した時には、血まみれになったソルディナを抱えていた。

 どれだけ素早いのだ!?ラキア!


 天井が崩れ、夜空が見える。

 月明かりに照らされた巨大な鬼は、目の前の小さな赤い外套を羽織った敵を叩き潰そうとその腕を天に掲げて――


「ヒィズ、お願い!」


 声に弾かれたようにラキアの元へ走るヒィズさん、そして彼女にソルディナを託すラキア。

 そのまま彼女は鬼に向かい突撃し――鬼はその腕を、見た目を裏切る俊敏さで振り下ろした!


 があん!!


 凄まじい音を立てて、石の破片が飛び散る。

 クレータのように凹んだ石の床。凄まじい力。


 しかし、そんなことにはお構いなく、その腕をつたいラキアは鬼に肉薄し、肩を蹴り上げて宙を舞う。そのラキアを目で追い顔を上げたその鬼の顔面に向け、銀光の驟雨が襲った!


 ががががががががががががっ!!!


 瞬く間にその面相が変形し、パーツが吹き飛び、中の構造が晒されていく。

 凄まじい威力。


「あれって一体、なんなんだ……!?」

「あれは、狼鎖剣ろうさけんと呼ばれる、狼人の武器です。

 人間は剣や槍を主に武器として使用しますが、狼人は籠手に仕込んだ細身の鎖がついた短剣を使い、相手を圧倒します。その威力は、ご覧の通りです」


 いつの間にか僕の側に来ていたヒィズさんが、その武器について教えてくれた。

 ヒィズさんの方に顔を向け、戻した時にはもう、その巨大な鬼の傀儡は完全に沈黙し、スクラップの小山と化していた。


 その小山の上に立つラキア。

 天井は完全に崩れ落ち、夜空に浮かぶ円い月を背後に、その姿が独り浮かび上がる。


 フードが外れ、優美に尖る狼耳を取り巻くその美しい灰白色の髪が、月明かりを浴びて銀色に煌めく。白皙の美貌と相まって、その佇まいはまさに、神話に出てくる一場面のように美しく、僕は声を出すこともできず、半ば口を開けて眺めることしかできなかった。


 僕はよろよろと歩き、鬼の残骸、小山の麓に辿り着き、神々しく美しいラキアを見上げた。ラキアは気怠げに、近寄ってくる僕を見下ろす。

 交錯する、一瞬の視線。

 その美しい銀灰色の瞳を見た僕は意図せずに跪き、何も考えずに叫ぶ。


「ラキア、ありがとう!ありがとう!

 ラキア、何て美しいんだ!何て綺麗なんだ!

 僕は、君のことが大好きだ!愛している!そう、僕は君を愛している!!

 僕は命を賭けて、君を愛したい!この身を捧げたい!!

 僕は虫けらのように弱く、みっともないけれど!

 いつか!いつか!!きっと君に並び立てる僕になる!!なりたい!!

 ラキア!!どうかその時は、僕を君の側に置いてくれ!!」


 気が付くと、涙を流していた。涙を流しながら、狂ったように叫んでいた。

 父さん、母さん、ごめん。僕は、この世界の狼に心を奪われた。もう、家には帰れない。だって、例え彼女に振り向いてもらえなくとも、この女性に自分の全てを、このささやかな命を捧げたいと思ってしまったのだから。


 ラキアはそんな僕を煩わし気に眺めやり、ふぅと一息つくと、小山から飛び降りる。


「それだけ元気なら、もう大丈夫だね。あたしは疲れたから、もう帰るわよ。

 ……ヒィズ、悪いけど、この馬鹿のこと、あとはよろしく頼む」


 こちらを振り向きもせずに、軽く片手を上げ、ラキアはその場を去った。


***


 その後始末は、いろいろ大変だった。

 気絶していたイリカさんを起こし、ソルディナさんに応急手当を施して、ぼろぼろになった地下室に散らばる破片やら瓦礫やらを一つ所にまとめた。息のある動物達にも手当を施し、元いたケージに収容する。獰猛で恐ろし気だったその獣達はすっかり怯え大人しくなり、悄然として檻に戻っていった。

 気が付くと地下室に朝日が差し込み、疲れ果てたイリカさんと、一緒に後片付けを手伝ってくれたヒィズさんは、苦笑し合う。


「大丈夫でしたか?養母おかあさんがイリカさんにかなりお怒りの様子でしたが……」

「まぁ、大丈夫ですよぉ。あの人は、感情的になると、ああなんですけど。でも、落ち着けばちゃんと話は通じますしぃ。それに、もし追い出されても、私はたぶん困らないので、お気になさらないでください」


 僕の心配を一蹴してくれるイリカさん。

 いっそ、追い出してくれた方が楽だったとか、イリカさんはそんなことを呟きながら後片付けを終えて、僕はヒィズさんと一緒にその家を出た。


「今回は、本当にありがとうございました、ヒィズさん。

 本当に、僕が至らないばかりに。

 ヒィズさんには、本当に、僕のみっともないところばかりを見られてしまって、恥ずかしいですよ、僕は」

「そんな、お気になさらないでください。

 ココロさんの良い所は、あんな風に戦っている場面ではないのですから。

 私は、その、ココロさんの事を、みっともないとか、そんな風に思いませんよ?」


 ヒィズさんに慰めてもらう。


「ところで……本気なんですか、ココロさん?」

「何がですか?」

「その……ラキアさんに向かって、その、愛しているとか、命を捧げるとか……そう、叫ばれていたではないですか。あの、狼女の女性を、そんな風に愛せるのでしょうか?」


 ああ、自らが造り出してしまった、新品ピカピカの黒歴史。

 恥ずかしいことこの上ないけれど、だけどそれは全て本心から出てきた叫び。

 黒歴史なのに、後悔はカケラもない。できれば、人から言われたくはないけれど……イリカさんが気絶していてくれて、本当に助かった。


「僕は……その、狼女ですとか、そういったことはよくわかりません。

 ラキアはラキアですし、ヒィズさんはヒィズさんです。

 人族だから、とか。狼人族だから、とか。そういうの、僕にはそういうのは、良く分からないし、どうでも良いのです。

 それよりも、助けに来てくれたラキア、あの美しいラキアは、僕にとって憧れで、そして側にいたいと願う相手。むしろ僕が情けなくて、今のままじゃ恥ずかしくて、どの口がそれを言うんだ、と思っているのですよ」


 本当に、あんな涙と鼻汁にまみれ、情けない姿を晒しておいて、どの口で愛を叫ぶと言うのだろう。図々しいにもほどがある、と今は思う。

 でも、言えて良かった、声に出して良かった、そうも思う。

 そんな僕の様子を見たヒィズさんは、少し顔を俯けて、それからまた僕を見て。


「今回、私もココロさんを助けに、頑張ってきたのですが、何の役にも立ちませんでした。殆どラキアさんがお一人で助けてしまわれた。悔しいです。

 だから、私、強くなりたいです。

 今度こそ。今度、何かあったときは、私もココロさんのお力になりたいです。

 ココロさん、その時は、私のことも見て下さいね?」


 そう言って、少し不安そうに僕の目を見てくるヒィズさん。

 なんて勿体ない言葉だろう。


「すみません、気を遣わせてしまってヒィズさん。

 そんな、僕のために、ヒィズさんに何かしてもらうなんて、勿体なくて。

 でも、僕もヒィズさんのことは見ていますし、ヒィズさんもとっても美しいと思いますよ?」


 心からそう思った。それを口にした。

 それを聞いたヒィズさんはほんわかと微笑んだ。

 日が徐々に昇ってきて橙色に輝く空の下、僕と肩を並べ、ゆっくりと二人で歩いて帰るのだった。

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