第9話 約束とは軽々に結ぶものではない、と後に思い知らされた件。
「おかえりなさい。それじゃあ、出て行ってもらえる?」
それが、疲労困憊して帰宅した僕にかけられたラキアの第一声であった。
「え?え?どういうこと?
僕はどこへ出て行けばいいの?」
あまりの言葉に、僕は意味が分からず、そのまま聞き返してしまう。
その質問に呆れたような表情を浮かべたラキアは、その真意を説明してくれた。
「あのさ、あんた、あたしに『愛している』とか叫んでなかったっけ?
つまり、私を一人の女として見る、という意味だと思ったのだけど、違った?」
「あ、うん、そう……その通りだよ?」
何か照れるなあ、ともじもじしている僕を見て、更に呆れ顔を深めるラキア。
「忘れてない?あたしがあんたを家に置いているのは、あんたが宿無しで生活力無しの甲斐性なしだったから。放っておくと死んじゃいそうだったからね。
でも、あんたが私を女と見ると言うのなら、あんたは男として自分の足で立ち生活して、その上であたしに挑戦するのではないの?」
そうだった。僕は、お情けで置いてもらっている身だった。
忘れていた、というだけでなく、ここから離れたくないがために、思い出したくなかった。
「それに、あんたは一応とは言え、年上の男。本来、未婚の女性がそんなものを置いていいはずがない。
万万が一、あんたがあたしに変な気を起こして、変なことをしてきたりして、それで間違って殺しちゃっても困るし。
例え、両手、両足を拘束され、口を覆われていても、あたしはあんたを殺せるくらいの自信はあるしね」
そんな自信、聞きたくなかった。
とは言え、ラキアの言い分はわかる。わかるのだけど……
昨日は拉致された挙句に騒動に巻き込まれて、徹夜で事後処理に励んできたのであり、正直、頭が回らない。これからどうしたら良いのか、まるで見当がつかない。
そんな僕の情けない顔を見て、大凡の状況を悟ったのだろう、ラキアが助け船を出してくれた。
「呆れた。あんなこと言うくらいだから、今後の身の振りくらいは考えているのかと思ったのだけど……。
いいわ、家に入りなさい。
あたしは工房に行くけど、あんたは今日は休みなさい。棟梁には、あたしから言っておいてあげるから。ついでに、明日も休むと伝えておくから、明日はちゃんと新しい自分の棲み処を探しに行きなさい」
そう言って、ラキアは返事も聞かずに家を出て行く。
急な話で、僕は頭がごちゃごちゃだ。どうすればいいだろう。
何か考えないと、と思うものの、壁に背をもたれかけてずるずると地面に座り込むとそのまま眠りの世界に落ちて行ってしまうのだった。
***
翌朝。僕は一人で街を歩いていた。
家を探す。この世界に馴染んできたつもりであったが、どうすれば家と言うものは見つかるのだろうか。不動産屋はどこだ。
久しぶりに『イザティアの歩き方』を開いてみたが、さすがに家の借り方については何も書いていない。誰か聞く相手もいない。
……困った。どうすればよいだろうか。
「ココロさん、どうかされましたかぁ?」
通常よりも半拍ほど遅いトーンの舌足らずな声。この特徴的な喋り方。
「イリカさんですか、一昨日はお疲れさまでした」
僕は振り返ると、そう言ってぺこりと頭を下げる。
「いぇいぇ、大丈夫ですよ。それよりも、顔色が冴えませんが、どうなされましたか?」
きっと、こういうのを渡りに舟と言うのだろう。僕は、手短に置かれている状況についての説明した。
「あぁ、ココロさん、あの時は大声で、ラキアさんに叫んでましたよねぇ。
その時のことですかぁ」
「――え――。
な、何故それを!?気を失っていたのではなかったのですか!?」
「気は遠くなっていましたけどぉ、ちゃぁんと聞こえてましたよ?告白、すごかったですね!」
ほわわん、と微笑むイリカさんを前に、黒歴史の拡散を目の当たりにして僕は悶え苦しんだ。
「それはともかく、ココロさんの状況は、わかりましたぁ。それでは、家に来ませんかぁ?」
「え?これから、イリカさんのお宅にですか?ご招待はありがたいのですが、僕は住む場所を早急に探さないとならないので、またいずれ――」
そうでなくとも、あのソルディナさんの家には行きたくない。
「いぇ、違います。ココロさんに、私の家に住みませんか、とお聞きしているのでぇす」
「え?」
想像を超越した、斜め上過ぎるコメント。
あの、拉致され監禁され、暴力沙汰に巻き込まれた、あの家に居候をする?
いやいや、そんな馬鹿な話はないだろう。
「あの、折角の有難いお話ではありますが、今回はご縁がなかったと――」
「いえ、それでは困るんですよぉ。立ち話も何ですから、ひとまず私の家においで下さいな。大丈夫です、身の安全はぁ、私が保証致しますからぁ」
イリカさんにしては珍しく食い気味に返答され、更に食い下がられて、抵抗も空しく僕は引きずられるようにして二度と行きたくなかったあの家に早々に連れていかれたのだった。
***
「訴訟を考えているわ」
僕がソルディナさんのお宅にお邪魔し、応接室に通していただいて、お茶まで出してもらう。僕の隣にイリカさんが座り、遅れて入ってきたソルディナさんが目の前に座るなり出てきた言葉が、これだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!?なんでそうなるのですか!訴えるのであれば、むしろ僕の方からではないでしょうか!!」
常日頃、呑気とか弱気とかいい人とか、人様から後ろ指を指され続けてきた身の僕ではあるが、流石にこの展開では気色ばんでしまう。
「やれるものなら、やって御覧なさいな。聞けば、自分の住いすらも持たない身。社会的信用も持たない貴方の言うことを誰が信用すると言うの?」
戦う前から結果は決まっていた。
「罪状は、そうね、侮辱罪、暴行罪、器物破損罪、不法侵入罪、なんかが適当かしら?あとは、反公益罪、抵抗罪、逃走罪……」
「そんな罪状はありませんよぉ」
「ちなみにその反公益罪というのは何ですか?」
「貴方がその身を私に差し出せば皆にとって有益なのに、保身で逃げるなんて、公益に反した行為でしょう?その罪ですよ」
「左様ですか……」
このオバサンには常識的理論というものが通じないことが、良く分かった。
こんな人に権力を渡してはならないと思う。
「社会的身分のない貴方と、社会から外れた存在の狼女共。
そもそも裁判の前提が成立しないことはお分かり?この場合、裁判はただの体裁。皆が、さっさと結論を出したがる。故に、罪状は
貴方に権利など存在しないわ」
何と言うことだ。完全に相手の土俵、敵はルールメーカー。僕はこれにて詰みなのだろうか?
しかし、ラキアとヒィズさんに迷惑をかけるわけには――!!
ぱぁん!!
澄んだ音が応接室に響き渡り、意識が引き戻される。
イリカさんが手を叩いて、この場の空気を入れ替えてくれたのだ。
「はい、ソルディナさん、意趣返しはやめてください。
昨日、一緒に話したじゃぁないですかぁ。そんな話では、ありませんでしたよねぇ?」
イリカさんの言葉を聞くと、ソルディナさんはぷいと顔を背ける。
その様子を見て、困り眉をしたイリカさんは、僕の方を向いて切り出した。
「あのですね、話を最初に戻しますね。
ココロさんには、魔法組合に加入していただきたい。それで、ココロさんの知識を、私達に提供して欲しいのですよぉ」
「温いとは思いますが、仕方がありません。ですが、貴方の知識は、
本当に温いとは思いますが、仕方がありませんので、受け入れなさい」
二回も温いって言ったよ!このオバハン!!しかも人権ないとか言ってなかった?
「ごめんなさいねぇ、ココロさん。これ以上は、ソルディナさんを説得できなかったです。でも、この家に滞在する限り、ココロさんの身と待遇は、私が保証しますので、すみませんが、了承いただきたいのですがぁ、どうでしょうか?」
そう言って、イリカさんはペコリと頭を下げる。
この親子、いくら血は繋がっていないとは言っても、性格が違いすぎませんか!?
ふぅ、と言ってお茶を飲むイリカさんの横顔を茫然と眺めてしまう。
「そういうことよ。貴方、ココロさん、と言ったかしら?
変な名前の貴方は、変なことは考えてはなりませんよ。ここから逃げるとか。
……そうね、でも、まあいいわ。貴方、イリカと籍を入れて当家に入りなさい」
ぶーーーーーー!!!!!!
隣で盛大な音がする。
予想外のその言葉を聞いて、イリカさんが飲んでいたお茶を噴いた音が。
この話はソルディナさんの
「ちょ、ソルディナさん、お
何事にも動じないかと思っていたイリカさんだが、流石にこれには動揺している。
対面で、イリカさんから顔に噴きかけられたお茶を静かに拭いながら、しかしソルディナさんは娘の抗議など意に介した様子もない。
「何ですか、騒々しい。貴方ももう年頃でしょう?そういう話があってもいい頃合いでしょうに。
どうせ貴方は研究にしか能がないのだから、普通の家に入れるわけ無いではありませんか。であれば、そこの男と仲も悪くなさそうですし、番えばいいではないですか」
この人、養女とは言え、娘になんという言い様……しかも、番うって……
「ソルディナさん、申し訳ございません。実は僕には既に心に決めた相手がおりまして」
「貴方は人権などないのだから黙っておいでなさい」
ぴしゃり、と反論を封じられる。え!?僕に人権ないの!?
「懇意の相手とは、あの狼女かしら?ここで
貴方に頭が付いているのなら、その意味を考えなさい」
反論の隙もない。何しろ、僕はこの世界にどのような後ろ盾も、立場もないから。
回答に窮している僕に向かい、イリカさんが掌を上げて制する。
「お
私の事は置いておいて、話を先に進めて欲しいです。特別講義について」
……特別講義?
「いいでしょう。説明致します。
ココロさん、貴方が組合に特別に参加するには、そもそも基礎知識がないことが問題となります。
そこで、私の権限を使い、この街の大学に、期間限定で特別編入いただくこととしました。三か月間、そこで魔学の基礎を学びなさい。
その際の特別講師は、このイリカが勤めますので、詳しくはこの子に聞いてください」
「イリカさんて、大学の講師の資格を持っているのですか!?」
「はぁい。私、魔法組合の特別研究員であると同時に、大学の特別研究生でもあって、それから特別講師の肩書もいただいていますぅ」
この人、どれだけ特別なんだ。
「ですから、大学の場所等の説明は、直接私の方からお伝えしますねぇ。
あと、先ほどソルディナさんからお話しがありました通りぃ、ココロさんの知識を私が利用して、応用魔学として研究した成果を、ソルディナさんの名前で発表することになりますぅ。
研究は、このお家でやるので、ここに住み込んで欲しいのです」
……それでいいの!?イリカさん?
ダメだ。権利関係がグダグダだ。この世界、この時代、仕方がないのだろうか。
その辺の追求は後でするとしても、まずは言うべきことは言っておかないと。
「あの、特別講義を受けるのは分かりましたし、この家に住み、研究のお手伝いをすることも承知いたしました。
ただ、僕は狼人工房の一員ですので、時間を割いてそちらにも通いたいと思うのですが、宜しいでしょうか」
「宜しいわけがないでしょう。何を言っているのですか、貴方は。
魔法組合に所属する者が、狼人工房に出入りするなど、おぞましい。忘れなさい」
酷い。なんてことを言うのだ、このオバハンは。
僕が反論しようと口を開こうとしたところ、再び掌を上げて僕を制止するイリカさん。
「ココロさん、言い方はともかく、今回はソルディナさんの言う通り、無理だと思いますぅ。たったの三か月で、魔学の基礎を、学ぶんですよぉ?時間が足りないと思いますよぉ?
それに、です。本当に、狼人工房の皆さんは、ココロさんを再び受け入れてくれるのでしょうかぁ?」
***
帰り道。
僕は、今後の身の振りを相談するために、狼人工房へ向かう。
精神的衝撃と肉体的な疲労で、僕はふらふらではあったが、それでもラキアと会えるかも知れないと思うと体が勝手に動いた。
「あ、ココロさん!お疲れ様です!」
入り口で僕を見つけて、ヒィズさんが花のような笑顔を見せてくれた。
「こんにちわ、ヒィズさん。一昨日は本当にありがとうございました。
その後いろいろありまして、僕の今後について棟梁とお話ししたいのですが、良いでしょうか?」
そう言うと、騒がしい構内よりも応接室の方が良いということで、ヒィズさんが棟梁を呼んできてくれた。
「よぉ、ココロ。ラキアとヒィズから聞いたぞ、大変だったのだってな!」
がははは、と笑いながら、ラキアを伴って棟梁が現れた。久しぶりにラキア成分の補充ができるのが、涙が染み出るほど嬉しい。
棟梁は豪放磊落の化身と思えるほど、頼りがいがある存在だ。この人に、今の僕の置かれた状況を相談すれば、きっと理解が得られるはず。
そう信じて、ソルディナさんの邸宅に住まうことは伏せつつ、魔術組合への参加と大学講義の受講について説明をして、その上で今後の狼人工房との関わりを相談する。僕としては、ラキアがいるというのが第一の理由とは言え、この世界に放り出されて何も分からなかった僕を受け入れてくれたこの工房には愛着があるのだ。
「なるほど、な。それでお前、魔学の講義とやらを修了したら、また工房に戻りたいと言っているが……別に戻る必要はないのじゃないか?」
棟梁の言葉を聞いて、さぁっと僕の顔から血の気が引いた気がした。
僕は、この工房の仲間ではなかったのか?
そんな僕を見た棟梁は、溜息をついて頭をがりがりと搔きながら、更に説明を足してくれた。
「お前は、さ。自分の意思がどうかとか関係なく、大学に入れることになった。それは分かった。でもそれは本意ではなく、またここに戻ってきたい、と言う。
まあ、俺としては、この職場を思ってくれて、それは嬉しいさ。
だがな。
大学に行き、魔術組合に参画する。普通に考えて、絶好の
特に、俺達狼人にとっては、眩いくらいの幸運としか映らない。
それを袖にしてまた古巣に戻る。皆から見たら、羨望に値する機会を足蹴にした馬鹿野郎だ。自分達の届かない幸運を捨てるクソ野郎だ」
そこまで言って、棟梁は僕の肩を叩く。
「お前は、黙ってその幸運の先を掴め。俺たちのことは気にするな。忘れろ。
もう、
***
悄然として工房から出てきた僕は、しばらく工房の前で佇んでいた。
見送りに来てくれたヒィズさんが心配そうに僕を見てくれている脇からラキアが現れて、僕の前に立つ。
「あんた、それでどこに住むのかは決まったの?」
そうだ。それも話をしておかなくてはならない。
僕は寂しさを押し殺して、ソルディナさんの邸宅に住むことになったと伝える。
従わないとラキアやヒィズさんに迷惑がかかる、という点は伏せたままで。
「……正気なの?」
やはり、そう思うよね。僕だってそう思う。
「……うん。大学に通うには、それが必要なんだ」
それだけを伝える。
でも、僕の表情と口調から、何かを察したのかも知れない。
「とりあえず、分かっておいてあげるわ。でもね、気を遣わなくてもいいのよ。私は、私に降りかかる火の粉は自分で払う。それほど弱くないわ。
今回は何も言わない。ただ、それだけは覚えておいて」
そう言うと、返事も聞かずに工房に戻っていった。
そのラキアの後ろ姿を茫然と眺めている僕に、今度はヒィズさんが近づいてきてくれた。
「ココロさん、私、強くなります」
僕の目をしっかりと見て、ヒィズさんが話す。
「ラキアさんにお願いして、狼鎖剣の使い方も教えていただけることになりました。
身体の使い方も、戦い方も。もう二度と、戦えずに終わることが無いように」
そう言ったヒィズさんは、僕の手を取る。
「ココロさん、お願いがあります。私は、これから、強くなります。変わります。
私は貴方の側に居ます。強くなった私を見て、決して私を遠ざけないで欲しい。
私がそれと望むまで。私を遠ざけないでください。
この私の願いを、聞いていただけないでしょうか」
真剣な瞳。ああ、ヒィズさんは本当に強くなった。
僕は弱いままだ。でも、ラキアと並び立ちたいのなら、僕も強くならなくちゃ。
ヒィズさんも強くなる。素晴らしいことだ。
僕はそう思い、当然のようにヒィズさんに答える。
「もちろんです。ヒィズさん。
僕からヒィズさんを遠ざけるなど、決してしません。約束します」
それを聞いたヒィズさんは、また花のように笑い、そして言った。
「ありがとうございます。……約束ですよ?」
約束とは軽々に結ぶものではない。後で僕が知ることだ。
だけど、この時のヒィズさんの微笑みを見たら、知っていても断ることなんてできやしないだろう。
つくずく、ヒィズさんには勝てない。ずるいなあ。
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