第10話 同居してる許嫁の年下美人講師と大学で個人授業とか、盛り過ぎだよね。

「イリカさん、なんか僕のことを避けていませんか?」

「えぇ、そんなことは、ありませんよぉ」


 ソルディナさんの邸宅から大学までの道すがら、いつもの会話。

 なし崩しでソルディナさんの思惑通りの生活に落ち着いてしまった僕は、講師役であるイリカさんと共に通学することが日常となっていた。


 綺麗に施設された石畳は、それでもアスファルトに慣れた僕にはボコボコして感じられ、車に乗ったらさぞや運転しづらいだろうな、などと考えてしまう。石畳に石造りの家々は、写真で見るような異国情緒を感じさせて、大分この生活に馴染んだはずの今でも歩いているだけで不思議と心が弾んでくる。

 そんな景色に意識を持っていかれると、つい足元への意識が疎かになってしまい、たまにバランスを崩しイリカさんの方へ傾いでしまうこともしばしば。そうすると、肩が触れる直前ですすす、とイリカさんは平行移動して避けてゆき、態勢を戻すとすすす、と戻ってくる。


 そこまで絶妙に避けなくても?そんなに僕と触れるのが嫌かな?もしそうだとしたら、とてもショックだぞ?


「イリカさん、なんか僕のことを避けていませんか?」

「えぇ、そんなことは、ありませんよぉ」


 そんな日々を送っている。


***


「魔学の初歩。魔とは何か?その点について、ココロさん、回答してみてください」

「『魔』とは、人間にとって理解を越えた力。人間の可能性を啓く恵み。人間の限界を超えるための標。人が高みに至るために必要な、封じられた『超越感覚』。

 世界により隠された力とされるため、古より禁忌の象徴、『魔』と呼ばれています」


 僕の答えを聞き、ニコリと微笑むイリカさん。過たずに言えたようだ。


「はい、その通りです。昔は不明なるもの、畏るべきもの、として忌避され、その力を持つ物を迫害した時期さえあったそうですね。

 ですが、今では生活に欠かせないほどの超越感覚になります。

 人間の持つ基本の五感。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。これらを越えて、人が自ら啓くべき感覚。

 ではココロさん、現時点までに整理されている超越感覚を列挙してください」

「第六感覚、『逢魔おうま』。

 魔の力そのものを感じる感覚。魔は血に宿り、血は体を巡り、全身に浸透する。自らの魔を感じ影響を及ぼせる距離を一マレル約一メートルと呼び、血の通う末端から一マレルの範囲を自己領域パーソナルスペースと呼びます。


 第七感覚、『顕魔けんま』。

 魔の力を他の存在に与えることで、何らかの現象を引き起こすこと。現象は与えられた物に応じて変化する。このような性質を持つ鉱石を総称して『晶石』と呼び、生活に必要なものから国家機密のものに至るまで様々な晶石が確認されている。

 この大学でも、物性魔学という、晶石の可能性を研究する学科が存在する程に一般的な分野、と言われています。


 第八感覚、『通心つうしん』。

 自分の心と他者の心を通わせる感覚。音が介在しないコミュニケーションを行うために必要な感覚となります。

 心同士の接続を介助する晶石を使用することで遠距離での通心つうしんも可能です。ただし、術者の力の差が顕著である場合、心そのものへの影響、介入、場合によっては制圧や抹殺すら可能とされており、大変危険な感覚と言われています。


 第九感覚、『憑魔ひょうま』。

 第七感覚『顕魔けんま』と第八感覚『通心つうしん』を合わせたような感覚で、自分の心の欠片を特殊な晶石に封じ込め分身のように操作することが可能となります。顕魔と通心を併用することで、遠隔で対象を操り作動させることすらも出来る。

 術者によっては簡単な疑似意識を持たせることすら可能で、人によっては『神の感覚』と呼び讃えることすらあるとか。


 第十感覚、『歪空わいく

 ほとんどの人が到達できない感覚と呼ばれている歪空わいくは、我々が現在住んでいる世界の裏側を見たり、場合によっては入り込んだりすることもできる、と言われています。しかしながら人には過ぎた力であり、この感覚に目覚めた者は心を平静に保つことができなくなり、多くは発狂する、とまで言われている謎の感覚です。

 これを制御できた人は伝説に値すると呼ばれ、近年では狼人のヤキンツァ導師がこの感覚に優れた使い手と言われています。もっとも人間界では、狼人族からこのような人物が出たことを嫌って認めようとしていませんが。


 以上が、現在までに整理されている『魔の感覚』となります」


 それを聞いてイリカさんは、嬉しそうに笑いながら、ぱちぱちと小さく拍手してくれる。


 大学の広い講堂。階段状になっている講堂は、おそらく収容人数が百を超えると思われるが、今は僕とイリカさんしかいない。まるでおままごとのようだ。

 なんでも、正式に大学の単位を取得したことにするためにはこういった体裁が必要であり、ソルディナさんが権力に物を言わせて捻じ込んだ結果だそうだ。


 年下の優しい美人講師の個人授業で、同じ家に住んで一緒に通って、更に言うならばイリカさんの養母ははであるソルディナさんは僕とイリカさんを許嫁として扱っている。恐ろしくて、とてもラキアには言えない状況だ。

 こんな状況だからか、イリカさんは僕と少し距離を取るような素振りを見せるし、もっと普通で良いのだけどな、と思わずにはいられない。ラキアに心を捧げる前だったなら、天国だったんだろうけれど。


 そう言えば、少し前にヒィズさんと会った時にこの話をしたら、ヒィズさんは微笑みながら目が笑っていなくて、背筋が凍った。不潔、とか思われていなければ良いのだけど。


 そしてラキアとはあれ以来会えていない。

 ああ、ラキアに会いたいなあ。


***


 僕が受けている特別講義は三か月間の枠で用意されていて、最初の一月ひとつきは座学中心であり基礎魔学を詰め込むカリキュラムになっている。

 真ん中の一月ひとつきは実験中心となって座学で学んだことを一つずつ体験して行くプログラムだ。

 そして最後の一月ひとつきは実践とされていて、課題が提示され期間内にそれを解決することで、晴れて特別講義は修了となる。


「三か月の詰め込みって、大変そうですね。僕にできるのかな?」


 説明を受けた時は、そんな感想しか出てこなかった。

 話をしてくれたイリカさんも、少し困った顔をして、それでも励ましてくれる。


「確かに、魔学の初歩、というか常識、がないココロさんには、ちょっと大変かもしれませんねぇ。私も、一生懸命、お手伝いしますからぁ、頑張りましょう!」


 そう言って、ぐ、と拳を握ってくれる。


「この、三か月目の実践で行う課題って、どんなことをやるのですか?」

「まだ考えてないのですけどぉ、まぁ、対外的な形式みたいなもの、ですよぉ。どこかの街の支部に行って、意見を交換する、とか、地方の伝承を調べる、とか?

 お使いくらいに考えていただければ、いいと思いますぅ」


 ……お使いくらいなら、小旅行と考えて楽しめばいいのかな?この講義を終えて卒業出来れば、僕も肩書きらしきものができる。これで少し未来の展望が開けてきたのであれば良いのだけど。


 最初に僕が受けた講義の説明はこんな感じ。

 そして現在はどうなっているかと言うと、既に座学を終えて実験に移行し様々な体験を学習中。


 とは言っても、僕はソルディナさんの家に戻れば、即、研究を手伝わさせられる毎日を送っている。そのためには逢魔おうま顕魔けんまという超感覚をどうしても使わざるを得ず、必然的に体験の期間フェーズに入った時点で第六感、第七感はお手の物であった。

 なので、現在は第八感、通心つうしんをイリカさん相手に行っているのだが、イリカさんと心を触れ合うと言う行為がいかにもこそばゆい。

 ああ、この実習をラキアと一緒に行えたらなぁ!彼女の心に触れたなら、きっと極寒の厳しさを感じられるだろうと予想するけれど、それがラキアの心であるのならばそれはそれで良いかも!ラキアの極寒で凍えてみたい!


「ココロさぁん、何か変なことを考えていませんかぁ?」


 対面で座り両の掌を軽く触れ合わせた状態で、イリカさんが軽く頬をぷぅと膨らませ、僕の雑念に文句を言う。

 ごめんなさい!変なことを考えていました!


 そんな僕の様子を見て、イリカさんは困り眉のまま苦笑する。包容力を感じさせるその笑顔。僕、年上なのに!?

 自分自身の人間力に壊滅的な不信を抱きそうになる前に、僕は居住まいを正す。


「イリカ講師!お客様ですよ!」


 事務の女の子が、イリカさんに来客を告げる。

 小首を傾げてからイリカさんが立ち上がる間に、講堂の入り口に立つ事務の女の子の後ろから来訪者と思しき人物が入ってきた。それを見た事務の女の子が仰天して、しきりに頭を下げている。偉いさんなのかな?


「アラフア様!?」


 イリカさんまで驚いた声を上げて、小走りに近づいて行く。

 基本的に物事に動じないイリカさんがあれほど急ぐのであれば、かなりの人物なのかな?そっと僕は覗き見る。


 行動の入り口から入ってきたのは二人。

 一人は、女性にしては身長が高く、遠目にもわかるほど美しい金髪をシニヨンにまとめている。とはいえ、要所で緩めて適度に垂らしているためキツい印象は受けず、折り目正しさと柔らかさを併せたような印象を持つのは、きっと結った人の腕が良いためなのだろう。

 丁寧にまとめられた髪型と上品かつ上質な装いが調和し、更にピンと伸びた背筋が彼女の美しさを引き立てる。

 腰に剣らしきものを下げており、騎士の品格、と評したくなる美麗さだ。


 もう一人は、その女性に影のように付き従う女の子で、小柄で華奢な見た目。黒い髪を両側でまとめ、細く三つ編みにしてくるんと一周、両側に輪っかが二つついてるような髪型。彼女の主と思われる金髪の女性よりも簡素な服を着ており、全体的に清潔な雰囲気を纏っている。

 いかにも従者、という言葉が似合いそうな女の子。


 イリカさんは、彼女たちのうち金髪の女性に近づいて挨拶をしている。

 受付の女の子よりも堂々としているように見えるのは、立場の為せる業かそれとも本人の性質によるものか。

 対する金髪の女性も、イリカさんの挨拶を鷹揚に受け応えている。


 来訪客の観察も一区切りついた僕は、暇だなぁ、などと呑気に座っていたところ、イリカさんが来客を連れて僕の所に近づいてきている。やべ、欠伸していたのがバレたかな?取りあえず立ち上がって迎えることにしよう。


「君がイリカ君の友人という男か?私はアラフア=ヤーナと言う。よろしく頼む」


 金髪女性は自らをアラフアと名乗り、顔に微笑みを浮かべ鷹揚に構えている。


「あ、僕は、ココロ=ヒヨリヤマ、と申します。以後、お見知りおき願います」


 そう言ってぺこりと頭を下げ、戻した時の皆の表情。

 アラフアさんはちょっとびっくりしたような顔をしていて、その後ろの女の子は目を吊り上げ今にも噛みつきそうな勢い。その隣にいるイリカさんは困ったように笑いながら、ほんわかと説明をしてくれる。


「ココロさん、こちらのアラフア様は、ヤーナ家の長女の方でして、その、このゼライア領主のご息女にあたります。この街、領都ゼライアの副長官でもあらせられますので、その、敬意を込めていただけると……」


 権力者さん!?やべ、でもこういう場合、どうすれば良いのか??

 あわあわしている僕を見て、我慢ならなかったのはアラフアさん――の後ろの女の子だった。


「ちょっと、あなた!?そんな突っ立ったまんまでへらへらと挨拶とは何様なの!?アラフア様の御前よ、跪きなさい!」


 ははぁっ!とばかりに慌てて膝をつく。


「膝着いただけじゃないの!?右手は、こう!左胸に当てる!左手は地面に軽く触れる程度まで下げる!なんでそんな常識もないのよ!?」


 顔を真っ赤にして怒られた。

 可愛らしい顔立ちが台無しだ――なんて考えているのがバレたらどうなるのだろう?


「ちょっと、イリカ様!?この方は何なのですか?なんで、ここまで無作法な男が、この由緒ある大学の行動に居るのですか!」


 彼女の怒りの矛先は僕を貫いただけでは飽き足らず、イリカさんにまで飛び火した。

 その様子を見たアラフアさんは苦笑して、その女の子を制止する。

 

「パルテ、そんなに怒らないであげてくれないか。私が先触れもせずに急に訪れたことにも原因はあるのだ。私は気にしていないから、その辺にしておいておくれ」

「何を言っているのですか、アラフア様!こういうことは、その場でちゃんと整理しておかないと、後々緩むものですから!そんなところで鷹揚にならないでください!」


 なんと、アラフアさんにまで飛び火した。


「すみません、パルテさぁん。彼は、その、魔術の特別な適性がありまして、まだこちらの常識は覚えられていないのですが、学ばせていただいているのです」

「そんな胡乱な人物を、この由緒ある講堂に入れたのですか!この者は、どれほどの社会的地位があるというのです!」


 まだ怒りが収まらないパルテさん。

 その様子を見たイリカさんは左右に目を泳がせた後、アラフアさんの目を見ながら僕を紹介しなおした。


「その、アラフア様、パルテさん。この方、ココロさんは――その、あのですね、ええと――私の、婚約者?にあたる……のです。よろしくおねがいします……」


 最後の方は、消え入りそうに小さな声。

 その言葉を聞いたアラフアさんとパルテさんの目が同時に見開かれ、僕を見直す。

 僕は、心の中で(それは設定なんですよー)と言い訳をしてラキアに謝罪と言い訳をしつつ、にへらと笑って会釈をした。


 ……その後、紹介を受けた後の対応が悪いとパルテさんにかなり怒られた……

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