第13話 置いてきぼりにされた僕が颯爽と皆を助けられたらいいな、と思いました。
馬を駆って森の中を走らせると、濃密な緑の匂いが鼻にまとわりつく。
まだ熱気の残る森の空気が体を通り抜けて、じんわりと肌に浮かぶ汗がいささか気持ち悪い。
アラフアは体に粘りつくような森の空気に沸き起こる嫌気を心の底に押し隠し、同時に同行者の様子が気になり後方を眺め遣る。
パルテは大丈夫。彼女にはいつも世話になっているが、様々な使いを依頼しこなしているあの子は私よりもこのような状況に強い。アラフアはそう信じるし、実際に力強く馬を駆る彼女は頼もしく見える。
イリカは?彼女は、乗馬は可能とは言え、慣れていないであろうから、厳しいことであろう。見ると、やはり顔が強張り、着いてくるのがやっとの態だ。
ゼライアの上流層に所属する市民は、いつコツァトルとの戦争が起こってもおかしくないこの情勢下、乗馬の技術は女子供と言えども必須とされている。根っからの上流層の血筋でないイリカは苦労したろうが、それでもああ見えて身体能力にも優れたイリカは乗馬をなんとか物にしている。
だが、それでも、この森を馬で駆けるのは体力も気力も消耗する。アゼルピーナ共への警戒もそろそろ強めねばらなない。
一休みをする頃合いか。
そう考えたアラフアは、左手を上げて後続に合図を送り、馬の速度を緩めた。
ざわり。
ざわり。ざわり。ざわり。
耳を打つ風の音が収まり、代わって聞こえてくる木々のざわめき。
森の中を吹き抜ける風のリズムと木々のざわめきが一致しない。
何かいる?――どこから聞こえる?
自分達を監視しているかも知れないモノ達を刺激しないよう声を出さず、アラフアはそっと自分の耳朶を軽くたたく。聡いパルテならば、この仕草で意図は伝わる。
意識を自身に戻す。五感で周囲を感じる。少しの間、周囲の様子を感じとる事に専念する。
結論として、自分達は囲まれているようだ、と判断した。
音の大きさから推察して、おそらく小動物が木々から覗いている。方向は全方位。数量は多すぎて不明、掴み切れない。
その他にいるであろうか。木立の陰には。草むらの内には。
音はしない。だが、潜んでいるかも知れない。
こんなことは初めてだった。
アゼルピーナ達と相対したことは何度もある。
だが、アラフアの経験では、監視をするような奥ゆかしい奴輩ではなかったはずだ。それが、我々を囲うように小さいアゼルピーナが配置されている。
妙に組織的な動きを彷彿させる、嫌な動き。
――退き時、か。
アラフアは決断した。この不確定な状態で先に進むのは危険だ。
このままでは、自ら設定した課題が達成できないかも知れない。だが構わない。
特に、今回はイリカを巻き込んでいる。彼女に危険を近づけてはならない。
そこまでを数瞬で考え、決断したアラフアだが、既に安全に退ける時期を逸していたことに気づくのに、そうは時間はかからなかった。
***
小気味良い音を刻みながら、栗毛の馬が駆け足で先を急ぐ。
僕は馬を操る技術はないから、形だけ手綱を持っているが、何か少しわくわくしてきそうな気分だ。そんな場合ではない、とは分かっているのだけど。
馬の首筋に張り付いたフェレット。ヤキンツァ導師は馬の意識を乗っ取り、その能力を十全に引き出して馬を駆る。だから僕は何もしなくて良い。
この意識を乗っ取る技術は、第七感覚の
具体的には、軽憑依、準憑依、全憑依、と呼ぶそうだ。今回のは準憑依。馬の運動神経の制御は馬自身に委ねたまま、自分のやりたいことだけを念じれば良い。
この場合、憑依された側は、夢を見ているように感じるのだとか。判断力は奪われているため、外で起こっていることは認識しているが、頭が寝ているため判断ができない、という状態。
「まだ追いつかないのか?」
イリカさん達は大丈夫だろうか。
不安を紛らわせるために、関係ないことを考えてみたものの、やはり気になるものは、気になる。ヤキンツァを急かしてみた。
「これでも、この馬の
そう言われると、返す言葉がない。
黙り込む僕に対して、ヤキンツァは慰めの言葉をかける。
「なに、もう少しで見えてくるじゃろうよ。どんな優れた騎手と比べようと、儂が直接馬に働きかけた方が速度は出るのじゃから。
……と、あそこに何かおるぞ?む?なにか大変なことになっておるような……?」
どぉん!!
一瞬、森の中で赤い光が大きく爆ぜたかと思うと、続けて大地に響くような大きな音が伝わる。少し離れた場所で、大きな争いが起こっているようだ。
「少し待て……遠見を使うから……あれは……!?」
ヤキンツァが見た光景、それは無数のアゼルピーナに襲われる三人であった。
大樹にイリカさんが身を預け、それを庇うようにアラフアさんが
対するアゼルピーナは、湧いて出たように続々と現れる。
大半は小さい個体。それこそ、ヤキンツァのような
そして、問題は、その中の一体。大きな体をした、赤毛の熊。
一抱えほどもある木を平手で薙ぎ倒すパワー。これが、強者たるアラフアさんの行動を阻み、追い詰められる元凶となっている。
「どうする、このまま突っ込むのか!」
「待ってください、それは駄目です!何の役にも立ちませんから!」
僕の目にも小さく見えるくらいには近づいている。
そして知る。その、恐るべき数の暴力を。
これは、行けば軍隊蟻にたかられた獲物のように、骨になるしかない。
「では、どうするのじゃ?もう時間はそうそう残されておらんぞ」
「~~~~~~!!」
どうすればいい?僕に何ができる?
敵は無数の小さき獣と、一頭の大きな獣。
小さな獣は縦横無尽に駆け巡り、小さくとも鋭い爪と牙で確実に手傷を増やしてくる。そして大きな獣は、その体運びは鈍重でも一撃必殺の攻撃力、そうでなくても彼女達の行く手を阻むように木を薙ぎ倒す。
これを僕とこの
ん?ちょっと待てよ?
「なあ、こういうことって可能かな?」
***
「ふっ!!」
アラフアが剣を
「えぇい!!」
少し出来た隙間にイリカが杖を突きつけ、力を解き放つ。
攻め寄せようとした一塊のアゼルピーナ達は圧力を受け、抗えずに後退する。
戦場にできた一瞬の隙。
しかし、その好機は活かされない。何故なら、強大な力がそれを阻むから。
がらぁあぁぁあ!!!
謎の雄叫びを上げ、赤い熊が空いた隙間を詰めてくる。
一体であれば怯まずとも、この大量の小さいアゼルピーナ達が邪魔だ。
こうなると、有利な地形を捨て立て直さざるを得ない。先ほどから、これを繰り返している。
それでも何とか自分達の逃走に有利な場所を探るが、如何せん移動距離を稼げないので、展望は開けない。
(ダメだ、と考えてはならない……!!)
絶望的な状況であっても、諦めた瞬間から命は
その時、目の前の赤熊の頭部、その水平方向に赤い線が走る。
ぼふっ!
赤熊の顔が一瞬、炎で包まれる。
それを見た三人は一様に驚くが、イリカのそれは顕著であった。
(これは――!?)
イリカは知っている。これは、自分がココロに持たせた装備、彼の杖に仕込まれた『赤光』という道具だ。
これは武器ではない。どちらかというと信号弾。
杖に仕込んだ、空気に一定時間以上触れていると赤い光を放ち燃える弾。それを魔術で射出する、それだけの細工。
「ココロさん!?」
イリカは焦って周囲を見回した。
彼が、どうにかしてここに来たのか?そして、無理を承知で闇雲に援護しているのではないか?
イリカは、自分の心臓が氷の手で掴まれたかのような感覚に囚われる。
「イリカ、危ない!」
アラフアが、動きが止まったイリカのフォローに入る。
その予定外の動きに伴い生まれた隙を、一体のアゼルピーナが文字通り喰いついいた。
太腿に牙を喰い込まれた痛みに顔を顰める。
さんっ!
小気味良い音と共に刃が振るわれ、そのアゼルピーナはアラフアの太腿に牙を立てたまま胴体がぼとりと地表に落ちる。パルテの援護だ。
しかし、イリカに端を発し、アラフア、パルテと続けて連携を乱したツケは余りに大きい。小さきアゼルピーナは獲物の動きが一瞬でもぎこちなくなった隙を逃さない。
そして、そこに出来た小さな隙を、狂暴な狡猾な赤熊がこじ開け――に来なかった。
「――!?」
自分の頭の中の想定と異なる事態の推移、現況を再認識するためアラフアは意識の半分を迎撃に、もう半分を状況把握に振り分ける。
(赤熊がいない――?)
理由は不明だが、赤熊がいないのであれば、地に足をつけて戦える。
今このタイミングだけでもいい。踏ん張れ!
足を止めて構える。
ふっ!!
一息で五閃、一呼吸ついてから踏み込んで更に五閃。
十閃の剣筋が群がるアゼルピーナを斬り、払い、叩きつけた。
その攻撃を掻い潜り、撃ち漏らした獲物を斬り落とすパルテ。
直後、イリカが炎弾を三発立て続けに撃ち込み、距離があったアゼルピーナ達を焼き払い、追い散らした。
一瞬の隙に付け込まれた分を押し返し、赤熊の追撃がないため一息つく余裕すらできた。
一体、どうしたと言うのだ?アラフアは油断せずに周囲の状況を見渡す。
「ココロさん!?」
イリカが動揺している。
ココロ?あの戦闘に向かなさそうな男がどうしたというのか?
先ほどの赤い光は、あるいは彼の仕業か?しかし、どうやってここに?
しかし、それ以上、思考を巡らせる余裕はなくなる。
再び、赤熊が現れたのだ。
があああぁぁぁ!!!
凄まじい吠え声。赤熊は、今まで以上に力強く、その前肢を振り下ろす。
ばぎぃっ!!ばぎぃっ!!
大きな音を立て、大人の胴ほどもある木々が倒されてゆく。
小さなアゼルピーナ達の群れに向かって。
「え???」
何が起こっているのか、理解できなかった。
赤熊は、むしろアラフア達の味方としてアゼルピーナを追い散らしているように見える。
そんな赤熊の首筋には
「皆さん!ご無事ですか!」
ひょろっとした頼りなさ気な男が駆け込んできたのは、その時だった。
***
御者の男が、最後に残った一頭の馬を駆りこの場を去っていくのを、その姿が見えなくなるまで見るともなく見送るアラフア。
残されたのは、馬のいない馬車。四頭立ての馬車であるが、三頭はアゼルピーナの襲撃により命を落とし、
御者の男が残された馬に乗って、救援を求めに行く。
アラフアやイリカが持つ通心の晶石は、アゼルピーナの襲撃の時に、身を軽くするために捨ててしまったため、遠距離の連絡が取れず、そのような方法に頼らざるを得ない。
そこまで考えて、大変なことになったものだと、アラフアは溜息をついた。
「どれくらい、救援まで時間がかかりますかねぇ」
「そうですね。通心晶石が安置されている街まで、急げば一日で着くでしょう。ならば明日、救援を呼んだとして、急ぎで二日。御者と合流してさらに一日。
本日から数えて四日目、といったところでしょうか」
イリカの疑問に、パルテがきびきびと回答する。
四日。
その間は、私達はこの馬車で過ごさなくてはならない。
水。食料。気候への備え。廃棄物。排泄物。アゼルピーナ対策。そして、通りかかる者達も決して紳士淑女ばかりとも限らない、人間への備え。
計画にない野営が必要になった現在、様々のことを考える必要がある。
しかし、そういった事も重要であるが、まずはあの男。ココロと言ったか。馬にも乗れぬあの男が、道を過たず自分達の場所へ迅速に到達できた理由。馬を操り、赤熊を操り、小さなアゼルピーナの群れを押し返した機転。
まずは、それを詳らかにしなくてはならない。
アラフアは、これから考えるべきこと、やることの多さに苦笑しながら、差し当たってココロの話を聞くために彼に歩み寄るのだった。
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