第29話 血涙とは実際に見るととてもホラーです。はい。

 街に急行するゼライア軍、その陣営に合流させてもらった僕たちは、軍の宿営キャンプ設備を借り受けていた。

 本来は雑魚寝が基本の行軍中の宿営キャンプ。しかし僕らは重要な情報を運んできた、ゼライア副長官であるアラフアさんの使い。お蔭様で下にも置かれぬ扱いを受け、それに僕を除く全員(フェレットは除く)が女性であることも考慮されて、なんと一人一張の天幕テントを貸与してもらえた。これはほぼ将校クラスの待遇と思って良い。


 とはいえ、緊張感漂う軍中での宿泊。夜中でもどこかざわめくような空気を感じてしまう。そのせいか、体は疲れているのだけれど、中々寝付けない。

 天幕テントの中は薄暗がりになっていて、さして広くない空間に、魔術による仄かな光が揺らめいて陰影を形作る。ゆらゆらと動く仄暗い影が視界の端に映ると、目に見えない何かが蠢いているのではないか、などと想像を刺激されてしまう。

 暗がりへの本能的な怖れが心の隅にわだかまり払拭できずにもやもやする。


(……起きておられますか……)


 そんな折に、天幕テントの入り口から、かすれたような声が聞こえた。


 ……なんか雰囲気あるなぁ、誰だろう?

 ヒィズさんやイリカさんなら、もっと明るく声をかけてくるだろうから違う。


「どちら様でしょうか?」


 僕は心の中に漂う恐怖心を振り払うために魔術光を強めて、入り口を開いた。

 そこに立っていたのは……このシルエットはパルテさん?

 アラフアさん抜きでパルテさんが僕を訪れるなんて、実に珍しいことがあったものだ。彼女からは避けられていると思ったので。


「ああ、パルテさんでしたか。どうなされ……まし……た――か!?」


 え!?

 何、どうしたの!?


 先ほど強めた魔術光に照らされるパルテさん。

 深夜でも折り目正しく着ている簡素な服に、くるんと丸く輪をつくった髪型、そしてやや幼さの残る顔。

 そしてその顔……いや、その目。

 彼女の白目の部分が血のように赤く染まって……いや、これ完全に血だよね!?


(アラフア様……からの……言伝を持って……来ました……)


 掠れた声が耳に障るように聞こえる。

 消え入りそうに小さい声は、神経を張り巡らせないと聞き取れない。


(口惜しや……アラフア様のお言葉……口惜しや……)


 なんか、呪いの言葉でも出てきそうな雰囲気!?

 声を出して助けを呼びたい気分なのに、完全に呑まれてしまった僕は声を発することすら忘れてしまったように、棒立ちになったまま。


(……良いか……アラフア様は……決断なされた……。

 ……。苦しい……苦しい……。

 だが、上意……貴様に伝えねばならぬ……口惜しや……)


 なんの怪談!?

 パルテさんの全力の怨念が伝わってくるようで、涙があふれてきたよ!


(良いか……事が成ったなら……アラフア様は……儀式をなされる……

 良いか……貴様は、必ずその儀式に参加するのだ……良いか……口惜しや……)


 そう言いながら、白目が完全に血色に染まったパルテさんから、血色の涙が流れる。これが噂に聞く血涙と言う奴か!?

 怖いわ!! 最高に怖いわ!!


(……返事を……寄越せ……。良いか……貴様、必ず儀式に……参加せよ……)


「ひぃい!! 分かりました、参加します、参加します!!

 だから、殺さないでぇ!!」


 半分泣きながら僕は絶叫した。

 それを聞き届けたパルテさんは、表情を全く変えず、血色の涙を流し続けながら、まるでお経のように繰り返した。


(……良いか……ゆめ、約定を違えようなどと思うな……忘れるな……忘れるな……忘れるな……)


 ひぃぃぃぃぃ!!!


 僕はそのまま布団をかぶり、がくがくぶるぶると震え続けた。

 いつまでも聞こえるお経のようなパルテさんの声。

 恐怖に取り憑かれ、翌朝布団の中で丸まっていた僕は、いつの間にか疲れ果てて意識を失ったようだった。


 ……昨晩のあれは、本当にあった出来事なのだろうか?

 自信はない。

 だが、この恐怖の記憶は、きっと一生涯、消えることはないだろう。


 ああ、本当に怖かった……。


***


 翌日、ラキアから通心が入った。


 アフア門から、メイリスカラク王に率いられた軍勢、およそ一万が出立。

 遠くで良く見えなかったが、おそらくゲネルメノア元帥と狼王親衛隊もその中に含まれていたように思われるそうだ。

 進軍先は、方角から見ても、進む街道を見ても、ほぼ間違いなくゼライア。


 元々人族と比して生殖能力に劣る狼人族は、人口はそれほど多くない。兵力として一万とは、コツァトルの有する戦力の殆どに相当する、と思われる。

 つまりゼライアは、アゼルピーナの全勢力と、コツァトル国のほぼ総力を相手として対峙しなくてはならない、ということになるわけだ。


『――と、言うことのようですが、そちらの様子はいかがですか?』


 僕とイリカさん、ヒィズさん、パルテさんにヤキンツァ爺。

 こちらのメンバー全員で僕の天幕テントに入り、通心の晶石を囲む。

 ちなみにパルテさんの目、結構充血しているが、あの夜のホラーな感じ程ではない。そしてあの夜の事は怖くてパルテさんに聞くことが出来ていない。


『それは、また。どうしようもないな、としか言いようがないな。

 ゼライア軍に急いでもらい、アゼルピーナ達を挟撃して撃破し、狼王がゼライアに達する前に城内に入ってもらう。そうとしか言いようがない』

『アラフア、私達の兵もそちらに向かう方が良いでしょうか?』

『いえ、ハディ王子ならびに混成軍の方々が来られても焼け石に水でしょう。

 それよりもユーハイツィア王国より援軍をお願いできないでしょうか?』

『……狼王率いる一万の狼人軍となると、正直、有効な援軍規模が分かりません。

 準備に最低でも一年は欲しいところです』

『一年、ですか。ゼライアの街は持って三日くらいでしょうから、まあ間に合いませんね』


 ほぼ愚痴である。


『ラキア、ちょっといいかな? エルバキア領主ラキアの父さんから今回の事態について何か聞くことはできないかな?』

『……本来なら、そんなことはすべきではないけれど……そうも言っていられないわね。わかったわ、何とか忍び込んで聞いてみるわ』

『今度は壁を駆け上がったりしないでね?』

『ダメかしら?』

『ダメだよ! あの人ならもっと普通に会ってくれるよ!』


 ラキアさん、あの命懸けの挑戦を繰り返さないで下さい。


 その後もいろいろ話し合ったけど、結局有効なアイデアは出ないまま、ハディ王子は通心から退出された。


 さて、ここからが本題。


『アラフアさん、ラキア、ちょっと会話を続けたいのだけど、良いかな?

 何も策がないのであれば、ちょっと試したいことがあるんだ』

『ふふ、さすが悪巧みが得意だな、ココロ君は。

 今度は一体、何をやってくれるのかな?』

『うん、実は申し訳ないのだけれど、ハディ王子に働いてもらうと思ってね。

 そのために、ヤキンツィア爺にも働いてもらえないかな?』

『儂か? 儂は何をすれば良いのじゃ?』


 そして僕は、僕が考えた筋書きを考えた。

 極めつけの綱渡り。

 しかもこの筋書きを締めることになるのはラキア達。


『随分と難しい注文をしてくれるものね?』


 通心の晶石から、ラキアの呆れたような思念が伝わってくる。

 ごめん、ラキア。

 この筋書きは、ラキアの成否にかかっているんだ。


『いいわ――出来る、とは言えないけれど、やるわ』


 そう、ラキアは受けてくれた。

 この、極めつけに難しい難題を。

 本当に、ありがたい。


 こうして、僕は時間をかけて進めるつもりだった元々の僕の計画を下敷きに、博打にも似た作戦に身を投じることになったのだった。

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