異世界に迷い込んだら赤ずきんに蹴り飛ばされたので、ついて行くことにしました。

たけざぶろう

第1話 異世界の赤ずきんに蹴られた

 煌々と夜空を灼く高層ビルの灯も落ち、街中に夜闇が下りてくる刻限。終電もとうに去り行き車庫で眠る頃。

 横浜の、海の方から少し内地に入り来んだ人気のない公園に、日頃は聞きなれない笑い声が響き渡っていた。


 寂しげに独り頭を垂れる外灯に照らされ、薄汚れたパーカーを着た老人と、ピシッとしたスーツ姿の青年が、地べたに座り込んで笑いあっている。

 どう見ても、酔っ払い達だ。


「それで、最近の新入社員ってのは、生意気なんですよ!全然先輩の言うことを聞かないで、しかも俺なんて奴らに三次会の支払いまでたかられちゃって、終電も逃しちゃうんですよ?

もう笑うしかないですわ~」

「かっかっ、そんなことを言いながら、お主もまだまだ若いのではないのか。そう歳も違わないじゃろうて!」

「いや~、もう四年選手ですから。

 若手じゃないって、先輩からはいつもハッパかけられてばかりですよ」


 そう言って、スーツ姿の青年はひょろ長い体を揺らしながら、だはは、と笑った。


「だが、さっきからの話だと、職場では活躍している様じゃないかい?日和見くん!」

「ですから、僕の名前は日和山ひよりやまこころですってば!

 いや、活躍っても、誰かの設計漏れだのコーディングミスだのの尻拭いや、納期遅れのお客さんを宥めて軌道回復するとか、そんなんばっかですって!

 人呼んで、トラブル処理屋!ひど!」


 そう言いながら、また、だはは、と笑い続けた。


 この話題、先ほどから三回目。具体的な対応内容まで、青年に聞かせてもらっている。

 笑っている青年の姿を柔和な視線で見ながら、老人も続ける。


「でも、さっき言った気持ちは、忘れない、と?」

「はい、ちゃんと仕事をやりきった後のお客さんや、同僚達の喜ぶ顔が嬉しくて、またやる気が出るんです!」


 そう言って、本当に嬉しそうな笑顔を見せる。


 うん、この男ならば、賭けても良いだろう。

 そう老人は小さく呟いたが、青年の耳には届かなかった。


「なあ、こころ君。

 君は、もっと困っている人を、君が助けられるとしたら、やってみる気はあるかい?」

「あははー。なんスか、それ?

 正義の味方ですか?

 僕は、主役は無理なんで、サポート役でお願いします!」


 その言葉を聞いて、にや、と老人は人の悪そうな笑顔を見せる。


「ほう、サポート役なら良い、ということだね?

 もう帰って来られないかも知れないが、可愛い娘が君の側に居てくれるようになれば、それならどうだい?」

「ほんとっスか!

 僕、まだちゃんと女の子とお付き合いしたことないんで、嬉しいです!」


 かなり酔っているのかも知れない。

 そう言って、だははー、と笑い続けるひょろ長い青年。


 老人は、再び小声で、悪いな、だが確かに聞いたぞ、と呟く。

 そして、側にある頭陀袋をごそごそと漁り始める。


「何やってるんですかー?

 あれ、お爺さん、フードが少しずれたら、中からケモミミの飾りが見えてますよ?オシャレですね!

 あれ、隠さなくていいのに。

 え、僕がこのペンダントをかけるんですか?

 なんすか、この手帳?落とさないように内ポケットに入れておけ?

 え、なに、なんですか?

 タッシャデナ、て何ですか?

 もしもーし??」


 それきり老人は何も答えてくれず、そのまま青年は眩い光に包まれて行き――


***


「あれ?ここはどこだ?」


 痛む頭を押さえながら、目が覚めて起き上がる。

 身体の節々が痛む、と思ったら、ここは路上ではないか。

 そりゃ路上で寝ていれば痛いわ……あれ、これはアスファルトではない?石畳かな?初めて見るけれど。


 頭を軽く振り、立ち上がる。

 そして、自分の見ている景色が、明らかにいつものそれと異なることに気づく。


 周囲に建つ家は、いずれも石を積んで作っているのだろうか。

 綺麗に矩形に切り取られたと思われる石の跡が壁に窺える。

 屋根も、最近の家屋にしては質素というべきか、木の板で葺いているようだ。


 茫然と辺りを見回すと、簡素なデザインの服を着た男が歩いているのが目に入る。西洋人だろうか?

 しかし、以前見た西洋人ほど、顔の彫りは深くないような。

 だがしかし、モンゴロイドともまた違いそうな?


 恐る恐る、男に声をかけてみる。


「すいません、ちょっとよろしいでしょうか。

 ちょっとこの辺に来た覚えがないのですが、こちらの地名を教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 声を聞いた男はこちらを向き、とたんに胡乱そうな顔をする。


「●〇△×Д×◇**〇!?」


 聞いたこともない発音。

 実は目覚めた時からあった嫌な予感が、胸の中をぐるぐる駆け巡る。


「すみません、何語でしょうか?

 ドゥ―ユースピークイングリッシュ?

 ニーハオ?ボンジュール?」


 適当な言葉を投げかけてみるが、男の顔は、険しくなる一方である。


「あ、すみません、何でもないです。

 それでは、失礼します。アデュー!」


 もはや自分が何を言っているのか分からないが、危険を感じたので、とにかくこの場から去ろうとして、会話(?)を打ち切ろうとする。


「 ◇*@O@_××`Д´△*/!!!」


 背中に罵声らしき音を浴びせられながら、とにかく走って逃げるしかなかった。


***


 闇雲に、がむしゃらに、とにかく走って、息が上がった。


 ぜぇぜぇと息を切らせながら、駆け込んだ小さな広場のような場所。

 周囲を見渡すと、怪訝な表情をした人々が、僕の方を見ながらヒソヒソと話をしている。

 その様子を見て、やっぱりな、と僕は思う。思わざるを得ない。


 この広場にいる人々の服装。

 明らかに日本で手に入る物ではない。


 いや、そこまで奇抜なデザインとかではないけど、なんというか、手作り感、といえば良いか?そんな感じが満載なのだ。

 着心地よりも丈夫さを優先して、継ぎとか付けて、使用感が有りすぎて。

 現代日本で見る衣服とは違う。


 逆に言えば、今の僕の姿、スーツに革靴。

 そりゃ、浮いて見えるよね!


 と、今の自分の浮き具合を認識して凍りついている僕の背後から。


「△✕\(゚Д゚*■\( `Å´φ!!」


怒号が聞こえてきて、慌てて振り返ると、最初に声をかけたおじさんが、何やら略装の兵士みたいな人達を引き連れ、僕を指差している。


 えと、これって、つまり、アレだよね。


「逃げろーー!!!」


 僕は、振り返らずに一目散に逃げ出し、そしてお約束のように、僕の背後から怒声を放ちつつ略式兵士(仮)が追いかけてくるのだった……


***


 夜闇。

 あの略式兵士(仮)から逃げ惑い、気がつくとあまり治安が良くなさそうな区画に迷い込んでいた。


 赤茶けた道路や、昔は白かったであろう、くすんだ壁、路上に散らばるゴミに、何かが壊れて散らばった破片。

 そんな雑然とした景色を暗めのグレースケールにしたような景色。あちらこちらに感じられる、姿は見えないのに息づく気配。


……怖い。


 家に入る木製の階段の影に潜り込み、足を抱えて目立たないよう縮こまる。

 追いかけ回され、必死だったさっきと違い、今の自分の境遇を嫌でも思い知らされる。


 ……あ、涙がでてきた。


 鼻汁まで出てきて、止めどもない惨めさに拍車をかけ、ぼろぼろと涙をこぼしながら泣いた。ぐしぐしと泣き続けた。


 そんな惨めな僕の傍らに何かの気配を感じ、涙と鼻汁にまみれた顔を持ち上げて仰ぎ見る。

 暗がりにぼんやりとみえる人影。


「☆★(;゜皿゜十/★/☆★!!」

「がぼぁっ!」


 唐突に横顔に衝撃を覚え、階段の側面に背中がぶち当たる。


 え?え?

 何が起こった!?


 尻餅をつき背中を壁面にもたれた状態で見上げれば、目の前にこぢんまりとした人影が立ちはだかっていた。

 この暗い闇の中でも分かる、鮮やかな赤いコート。いや、ポンチョか。

 フードを目深にかぶり、その面貌は伺えない。鮮やかな血のように赤い衣を纏った存在。


「ぐふっ」


 暴力など、これまでの人生で、ついぞ味わったことがなかったのに。

 先程まで泣きに泣いて、更にこの惨めな状況に、再び嗚咽がこみあげてくる。

 僕が何をしたというのだ。

 何でこんな目にあっているのだろうか。


 またもや、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。もう、嫌だ。


 そんな僕にあきれたのか、赤い影は肩の辺りを軽く動かして、階段を登ってゆき、吸い込まれるように扉の中に入って行った。


 ……ああ、あまりに惨めな僕を見て、相手をする気も失せたのかな。


 全身の力が抜ける。

 そのまま仰向けに寝転び、涙でぼやけた夜空を見上げる。

 見慣れた夜空とは違う、美しく光る輝点ピクセルが、ランダムに、点描のように、黒い盤面に散りばめられた一編の映像。

 これを見るだけで分かる。

 ここは自分の住んでいた世界ではない、異世界なのだ、と。


 そのまま涙が流れるがままに横になっていると、頭の上の方で扉が軋むような音が聞こえた。

 耳を澄ますと、階段を一段ずつ下りてくる音。そして、再び目の前に立つ赤い影。


 その影から黒い塊が放り投げられる。

 慌てて受けとる。


 ……パンだ。


 弾かれたように見上げると、静かにこちらを見下ろしている、小さな赤い影。

 月明かりが反射して、わずかに隙間から覗くその瞳は、例えようもなく美しく澄んだ光を湛えていた。


 そういえば、今朝から何も食べていない。いま、この瞬間に、自らのひもじさを自覚した。


 その黒い塊を、一口、口にする。

 ぼそぼそとした食感。口の中でぼろぼろと崩れるそれは、強い酸味と、独特の臭みを伴う。

 さらに、自分自身の涙と鼻汁で、えらく塩味が効いている。


 それなのに。


 それなのに、途方もなく、美味しく感じられた。今までに食べた、どんな逸品よりも。

 体が必要としていたのかも知れない。気が緩んで感激したのかも知れない。

 でも、なんでもいい。今はただ、貪りたい。

 それなのに、一瞬で。

 あっという間に、その黒いパンはなくなってしまった。


 何もなくなってしまった両の掌を呆然と見ている僕を見て、用は済んだとばかりに、赤い影が身を翻す。


 待って。

 待ってほしい。


 僕を、ここに置いていかないで。

 一人にしないで。


 根源から這い上がる黒い恐怖から逃げるように、僕は立ち上がった。

 学生時代に陸上で鍛えた足は期待に応えて、体のバネを解放して一気に加速する。


 ――お願いだ、待ってくれ!

 僕を一人にしないでくれ!


 赤い影の背中に向けて、右手を伸ばす。

 その影は僕の気配に気づいたように振り返る。


 赤いフードが揺れ、その内側が覗き見える。

 月明かりに照らされたその横顔は、白く美しく。


 ――赤ずきんを被った少女?


 僅かに見えるその隙間から、長くゆるいウェーブがかかった一房の髪が流れ出て、フードの奥には未だ幼さを残した表情が垣間見えた。

 月明かりを反射した大きく光る瞳は、美しさと可愛さ、そして幼さをない交ぜにした魅力を備える。


 思わず見惚れてしまう、その刹那の瞬間。


「はべしっ!!」


 再び襲いくる衝撃。

 赤い影から白く美しい足が伸びたかと思うと、僕の左頬に吸い込まれていった。


 壁まで吹き飛ばされ、先程の三倍は強い衝撃波が僕の体を貫通する。


 フラッシュライトのように眩い光の欠片が爆散する刹那の記憶を残して、僕は暗闇に呑まれるように意識を手放してしまった。

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