第2話 気がつくとそこは工房だった、のか?

 トントントン。


 リズミカルな音が、どこからともなく聞こえてくる。


 トントン、ガリガリ、ギコギコ、ザーザー。


 その不思議な四重奏カルテットが、僕に起きろと囁いてくるように思えるが、僕はまだ微睡まどろみの中に沈んでいたい気持ちで一杯だ。

 何しろ、昨日は大変だったのだから。


 ……何が大変だったのだっけな?


 自問する。

 また、お客さんから納期の遅れでお怒りの連絡が入ったのだっけな?

 それとも、あのうっかり先輩が、また間違えたコードを埋め込んでいた?

 あるいは、動作がおかしいと市場からクレームが届いたとか?


 いやいや、そんな日常的なことではなかった気がするぞ。

 なんか、変な場所に追いやられて、謎の言葉で糾弾され、妙な連中に追い回されて、そして……赤ずきんを被った少女に蹴り飛ばされた……?


「蹴らないでっ!!」


 反射的に起き上がってしまった。


 まだうまく働かない頭とぼやける視界。頭の処理が追い付かない僕の鼻に、ぷぅんと木の香りが割り込んでくる。

 一拍遅れて脳みそに届いた視覚情報は、ここが木材を加工する、どこかの工房であるように判断できる。


 上半身を曝したむくつけき男共が、そこかしこで忙しそうに作業をしている。

 そもそもこんな場面に居合わせること自体が異常事態なのだが、それも些細に感じてしまうほど、この景色は何かがおかしい。

 余りにも大きすぎる違和感が逆にその異質の正体を隠しているのか、すぐには何がおかしいのかが頭に入ってこず、間違い探しをするようにその問題点を探した。


 大きな角材を肩に乗せて歩く、上半身裸の筋肉質の男。

 その奥ではカンナがけをしているのだろうか?上体を屈めて一心に作業をしている者もいる。

 この部屋の中央付近には、何か紙をもって大声で指示をしている監督さんらしき人。側には数名が囲んでいる。

 他にも、様々な作業者。


 あ、そうか!みんな、ヘルメットをしていない。

 安全第一、がなっていない。それが気になったのか。

 危ないではないか、あんな、剥き出しの頭にピンと立った耳、何かが当たったら怪我をしてしまうではないですか。


 そもそも、全体的に、安全性確保ができていないのではないか?

 あそこを歩いている者も、だらんと尾を垂らして、誰かが誤って踏みつけでもしたら大惨事を引き起こしてしまう。


 監督さんも注意しなくてはならないのではないのだろうか。

 大きな口を開け、牙を覗かせながら大声で指示を出している監督さんの方を見遣る。


 ……いや、いい。

 もう、現実逃避はすまい。


「なんでみんなケモミミにシッポつけて仕事しているんですか~~!!」


 そんな現状に踏ん切りをつけるためにも、思わず僕は心の底から叫ぶ。


 そんな僕のお腹の底から出した叫び声も、この現場では、さほど大きな声には分類されない。

 それでも僕の存在に気付いた作業員がこちらに歩み寄ってきた。


「〇●※・ω・/△◇*´罒`_□?」


 謎の言葉を操りながら、僕に向かって紙を差し出してくる。

 それを受け取り紙面に目を走らせると、イラストで何か書かれている。

 何かの組み立て図のように見えるが?


「凸凹凸๑•̀o•́_”□■!!」


 その作業者は、僕の周囲をぐるりと指差して、そのまま去っていった。


 え?何だったの?


 改めて、手渡された紙面を眺め見る。

 それから周囲を見回すと、なるほどピンと来た。


 僕の周囲には、どうやら各種パーツ類が雑に分類、配置されており、これを紙の手順に従って組み立てて行け、ということと想像する。


 もの凄い雑な指示ではあるが、そもそも言葉が分からない僕に、何か作業させるにはこれ以外に方法はないだろう。

 なに、新人時代に、分厚いマニュアルを渡しただけで仕事を教えた気になっていた先輩方と、その教え方は大差ない。

 まったく事情は理解できないが、目の前に積まれた仕事を何も考えずに処理していくのは得意である。

 幸い、この指示書らしき紙に書かれた内容は、それでもなかなか分かりやすい。


 それでは始めますか、とスーツについた埃を、パンパンと払う。


 ……ん?


 何か、上着に入っている感触。

 なんだろう、このゴツいものは?


 上着の内ポケットを探ってみると、そこには分厚い手帳のようなものが出てくる。

 あれ、こんなものを持っていたかな?


 そう思って取り出して表紙を見てみると、そこには「イザティアの歩き方」と日本語で書かれていた。


 ……イザティア?


 良く分からないが、仕事で海外に行った時にお世話になったガイドブックを彷彿とさせるタイトルのそれを開いてぱらぱらと眺めてみる。


 ……本当にガイドブックに見える……


 つまりここはイザティア、という土地で。

 僕は予めここに来ると知っていた誰かにこの本を持たされたということで。


 ……あの公園の爺さん……!


 ようやく、少し繋がりができた。

 いつもの生活との相違点。あの爺さんが、そもそもの仕掛け人か!


 はぁ。


 それが分かったところで、今のところはどうしようもない。

 僕は早々に諦めて、目の前の作業に没頭することで現実逃避をするのであった。


***


「◎〇´・д・)ノー☆☆◍•ᴗ•◍☆☆≧∀≦b△!!」


 気が付くと、既に夕方か。

 工房の窓から差し込む光は少し赤みを帯び、柔らかく仕事場を照らしていた。


 仕事も終わりなのか、皆、片づけに入っているようだ。

 日が落ちてからが三回戦の開始じゃ、とか社畜なことを言っていた世界とは異なり、ちゃんと日が落ちれば仕事は終わるようで、何よりと思う。


 それは良いのだが、僕はどうしよう。

 そもそも何でここにいるのかもわかっていないのだ。

 現実逃避のツケが、ここにきて一気にのしかかってきたようだ。


 と、僕に声を掛けてくれた作業員の人が、向こうから歩いてくる影に手を上げて合図をしている。

 近づいてくるそのシルエットには、見覚えがある。何よりも、その赤いコートに。


 昨晩、僕に黒パンを恵んでくれ、そして蹴りまで恵んでくれた、赤ずきん。

 その相手がいま目の前まで歩み寄ってきて、そのフードをぱさりと外した。


 中から、緩いウェーブがかかった灰白色の髪がふわりとこぼれ出る。

 白い肌、長い睫毛、少し吊り気味の大きな瞳。頭頂にピンと立つ、特徴的な尖った耳。


 その顔立ちは、昨晩受けた印象より大分幼く見えた。高校生くらいだろうか?ただ、あの女子高生のふわふわとした柔らかい雰囲気は見られない。少し厳しい、大人びた表情。


 彼女は僕を前にして、少し困ったように眉根を寄せた。

 まあ、言葉の通じない相手に、どう接すれば良いか、決めかねているのだろう。


 そこで僕は、懐から例の手帳を取り出し、予め確認しておいた頁を開いて彼女に差し出す。


 【私の名前は◯◯◯です】


 そのフレーズを指差す。

 彼女がそれを見て、顔を上げて僕を見るのを確認してから、僕は人差指を自分に指し示した。


「ココロ・ヒヨリヤマ」


 そう言えば、この世界は、名前は先だろうか、後だろうか?

 どうでも良いことではあるのだが。


 その後、僕は手帳の別の場所を指し示す。


 【あなたの名前を教えてください】


 そして、彼女の目をじっと見た。


 彼女は、目をぱちくりと瞬いた後で、苦笑するような表情で言った。


「ラキア」


 そうか、ラキアさんか!

 素敵な名前ですね!

 ……とは言えなかった。


 しかし、この後、どう会話を進めれば良いのだろうか?

 何か良いフレーズはないかと、手帳を繰っていると、いきなり取り上げられた。


 ……え?

 なんで取り上げるの?


 と、思ったのも束の間。

 ラキアは、ばばばっと手帳を見て、目的の単語を見つけたようで僕に差し出してきた。


 【夕飯】


 顔をあげると、すでに彼女は立ち上がって歩き始めていて。だから僕は彼女が放り投げた手帳を慌てて受け止めながら、その後を急いで追うのだった。


***


 晩御飯は、パンに、チーズの塊、具の少い薄味のスープ。こんなんで足りるのか?

 不安になる量だった。

 僕だって足りない。


 とは言え、もちろん文句など言える立場ではない。

 僕は手帳を一生懸命、繰りながら、なんとか質問をしようとしたが、彼女は黙々と食事を続け、相手にしてもらえなかった。


 それでも、次の目的地は、何とか教えてもらえた。

 彼女の部屋。


 なんて!?


 わたわたと慌ててしまうのだが、何を言うことも出来ないし、聞くことも出来ない。

 だから、僕はいま、彼女の部屋の前に立っていた。


「お、おじゃましま~す……」


 こう言ってはなんだが、人生で初の女性の部屋。

 緊張で、手汗が酷い。


 靴を脱がなくても良さそうで、履いたまま、おそるおそる部屋に入った。


 部屋の中は、およそ殺風景。

元は白かったであろう、煤けくすんだ剥き出しの壁に、無造作に天井から吊り下げられた棒、そしてそこに掛けられた衣服。ハンガーなんてない。

 部屋の片隅には、ベッドの代わりなのか、木の枠と敷き詰められた藁的な草。


 あとは、テーブルなのだろう、四本の足がついた不恰好な板。椅子と呼んで良いかは不明な切り株が一個。部屋の奥には木箱が置いてあり、収納といったらそれくらいしか見当たらない。その隣に、彼女の髪の色に似た灰白色の灰らしき小山。そういえば、昔は洗濯に灰を使ったと聞いたことがある。


 ざっと部屋の様子を確認していると、彼女は部屋の奥で赤いコートを脱ぎ、棒にかけた。


 中から現れたのは、ホットパンツのように短いズボンと、そこから伸びる、白く美しい足。

 そして、髪と同じ灰色白の、ふわふわな尻尾が腰から下に向け垂れ下がる。


 部屋の小道具や被服はどれも粗末であるのに、そこに住む住人は、全く似合わないほどに美しかった。


 そんな彼女は、切り株に腰掛け、不恰好なテーブルを挟んで僕を招き寄せる。そこに向かうと、テーブルに手帳を置け、と身振りで指し示した。

 余談だが、当たり前のように、僕の椅子は存在しなかった。


 そこからは大変だった。

 なにしろ、この手帳でコミュニケーションを成立させるのである。

 だが、そんな苦労は、彼女の伝えてくれた内容に比べれば、全く気にならないレベルの問題だった。

 彼女は、僕にこう言ったのだ。


【お前はこれから、仕事場で働いて稼げ。一人で生活できるようになるまで、ここで寝かせてやる】


 ――え?

 今日から僕はここに泊まるのかい?


***


 眠れない。


 狭い部屋に、彼女の穏やかな寝息だけが、静かに響き渡る。

 時折、尻尾が動くのか、柔らかいものが微かに摺れるような音が耳朶をくすぐる。


 僕は、彼女と反対側の壁際に、少しだけ藁的な草を分けてもらい、寝転んでいた。


 眠れない。


 今日は一日中働き、昨日からの騒動も相まって心身共に疲労困憊しているはずなのに、それを上回る興奮が、僕を寝かせてくれない。


 触りたい。

 ああ、我慢しなくてはならない。


 だけど、この衝動は、どうにもならない!しかし、ここで不埒な行為に及べば、確実に僕は彼女に蹴飛ばされて、そして寝床を失うだろう!


 耐えなくてはならない。

 どうしても、あのお尻から伸びる美しい尻尾をモフモフして、あまつさえ顔を埋めたいなどという浅ましい欲求を殺さなくてはならない、


 そんなことで懊悩していた僕は、結局明け方まで一睡もできなかった。

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