第39話 狼王メイリスカラクが強すぎて手に負えない件。
アラフアとゲメルメノアが壁上で対峙する、その少し前のこと。
ゼライアの街の一角で、その場にいたアゼルピーナ達にとって最悪の遭遇戦が繰り広げられていた。
「ぬぅん!」
野太い掛け声と共に弧を描き高速で迫る狼鎖剣。
狼王メイリスカラクは、目の前で己を越える丈を誇る赤熊のアゼルピーナを一撃で惨殺してのける。
投擲に主眼を置く狼鎖剣は構造上、剣身は比較的軽い。もし使用者がより打撃性に特化し重量を駆けた場合はどうしても飛翔速度が落ちる。
しかし狼王の狼鎖剣は戦斧のような重量と燕のような速度を併せ持ち、それらから生まれる斬撃は強く重く、標的とされたアゼルピーナ達は無惨な屍を曝すことになった。メイリスカラクが振るう狼鎖剣は言わば大剣、狼鎖大剣と呼はれる代物だ。
「ふん、獣狩りばかりしていてもつまらぬものよ。
未だどこからも敵首領共を見つけたという連絡はないのか」
アゼルピーナの首領、アルディナ。
ゼライアの領主にして領都ゼライアの長官、プラナ。
あるいは、それに近しい地位に就く者。
これらを見つけたら、交戦に入る前にまず連絡を入れるように指示してある。
その連絡は傍らに控えさせている親衛隊員に届くような手筈となっているが、未だその連絡はない。
故に王からの質問に対しても、ございませぬ、と回答するより他にない。
ふん、と鼻を鳴らし、次の獲物を探して周囲を見回す王。
つまらなさそうに見渡す目の端をよぎる影。あれは建物の屋上か?
鋭く目で獲物を追うと、黒い獣に乗った小柄な影が、同伴する影を引き連れて建造物の上を隠れるように移動している。
行き先は――門か。
メイリスカラクは無言でそちらに移動する。
周囲の者は常にメイリスカラクの動向に気を払っているため、必ず追従して動き出すのだ。
あれは……黒い豹か?
鋭い視力と嗅覚により、遠方の標的の様子を逸早く認識する。
そう言えば、ゲネルメノアがデブラルーマの魔丘で『管理者』と遭遇した際に、黒豹のアゼルピーナに騎乗していたと言う。
これは、当たりか?
メイリスカラクは、
大気が自身に叩きつけられ、それを捻じ伏せるように風を割って突き進む。
全力での狩猟、これこそが愉悦の一時。
敵が騎乗する
何しろ、乗せている者の重量があまりに違う。それは仕方がない。
だが、決して逃さぬ。
これは、騎乗する者、そして走る者の双方で一致した意思。
街門を駆け抜ける黒豹、追う魔狼。
その時。
街門の傍らに佇む大きな木偶がゆらりと動き、その腕から何かが射出される。
一瞬、迎撃と回避を考慮し、回避を選ぶ。それも加速することで前方に。
ごぅっ!!
轟音と共に背面に熱を感じる。
街門の内部で炎が燃え盛る。そして炎を割って
ざっ、と音を立て、何とかメイリスカラクについて来た四騎が反転し迎え撃つ体勢を取る――が、
ごぅん!!
再び先ほどと同様の轟音が街門の内部に響き渡り、同時に黒煙が吹き荒ぶ。
堪らずに街門から外に出る親衛隊員達は、その街門から朦々と黒煙が吐き出される様を見て、この門はもはや使えないであろうことを悟る。
その様子を横目で見ていたメイリスカラクは、体を捻りゼライアの街全体を視界に入れる。現在飛び出してきた北門から朦々と立ち上る黒煙、そして西側と東側からも薄っすらと立ち上る同様の煙。
街を挟んで反対側の南門上空の様子は流石に見えないが、ほぼ同時刻に各門の方向から立ち昇る黒煙、これが人為的でないはずがない。
ここに至り、メイリスカラクは己が軍本体が領都ゼライアに封じられたという事実を察した。
それで?
一兵卒が百。一親衛隊員で千。ならばその親衛隊員を十人相手取り互角以上に戦える自分と
アゼルピーナと人族の兵が
メイリスカラクはそう考える。
まぁ、すぐにゲネルメノアが察知して追いかけてくる。
それまでは存分に暴れてやろうではないか。
むしろ、メイリスカラクは喜悦の表情を浮かべ、なお黒豹を追うのであった。
……しかし。
この方向は、自軍の
メイリスカラクは、ようやくその事に思い至る。
狼人軍は拠点に留守など残さない。
兵站も財宝も敵から奪えばよいのだ。
戦って負ける筈もないから、敗退した後のことなども考える必要はない。
嫌がらせのように天幕を破壊されたら後で作らせればよい。
万が一盗人が居たところで、匂いも残さずに略奪できる者などいない。必ず報復を受けさせ、そして世間にその顛末を知らしめる。
故に、狼人軍は、拠点を出る際に留守を残さないのだ。
その習慣を逆手に取り、昨晩のうちに街を出て埋伏し、狼王軍が出陣した後で
なるほど、ゼライアの街中をいくら引っ掻き回しても何も見つからないのも道理というもの。
そして今、囮を使いメイリスカラクだけを引き剝がして、敵の巣に誘い込むというわけだ。
小癪な。
メイリスカラクは腹の底から感情がせり上がってくるのを感じる。
これは、そう、愉悦という感情だろうか。
これからどのように持て成して貰えるのか、楽しみで仕方がない。
そして、持て成しが一巡してからが、自分の真の愉悦が始まるのだ。
さあ、始めようではないか。
***
「狼王、来ます!」
斥候の声に緊張が走る。
ここまでの作戦は、
ゲメルメノア元帥とアラフアさんの一騎打ちの舞台が成立し戦闘に入ったとの連絡も先ほど入っている。
問題はここから。
伝説級の強者、狼王メイリスカラクの強さの想定がつかないままに立てた作戦。
街一つ丸ごと犠牲を強いたこの筋書きが成立するかどうかは、この勝負にかかる。
「
「鬼傀儡隊、出ます!」
アウスレータとの決戦用に準備したなんぱむ砲とその予備、これらが携行用としてそのままになっていたのが助かり、そのままこの戦場に流用できた。
更に残っていた大鬼傀儡二体と、鬼傀儡八体が動き出す。
残念ながらアゼルピーナや狼人兵に戦闘能力が大きく劣る人族の兵士は、こうして斥候、伝令、輜重、工兵として活躍の場が与えられ、裏方の人手が潤沢なのは有難い。
「アルディナ、アゼルピーナは出られますか?」
「急かすな! いま、準備している!」
狼王軍の
この戦争を通して、かなりこの力の使用に馴染んできているようだ。
猪、犬狼、熊、虎、大鷲など戦闘に向いたアゼルピーナ達を選抜し、更にアルディナの力を付与した突撃部隊、およそ三百。
出し惜しみなしの、正に虎の子である。
ゼライアの兵士八千を軽く蹴散らせるくらい強いはずだ。
(イリカさん、お願いします)
(はぁい、わかりましたぁ)
通心の晶石を使用してイリカさんに戦闘開始をお願いする。
さあ、戦闘開始だ!
***
たぁん。
天幕が立ち並ぶ平原に、涼やかな音が響き渡る。
青空を滑るように移動する黒い影はゆったりとした軌跡を描き、やがて黒い塊となって疾駆するメイリスカラクに迫る。
見事なまでに計算し尽くされたその軌道は、高速で移動するメイリスカラクの進路上に誘われるように着弾する様が予想された。
メイリスカラクは腰から投擲剣を取り出し、黒い飛翔体を目掛け投げ放つ。
狙い過たずに投擲剣は黒い影に吸い込まれ、轟音と共に炎の玉と化して落ちる。
二弾、三弾と撃ち放たれる弾を、あるいは避け、あるいは迎撃しながら進むと、目の前に小山のような影とそれを囲む人型。
それらが何かを撃ち放ってきた。
面倒だな。
それだけが感想だった。
狼人兵は、遮蔽物のある場所での戦闘には無類に強いが、平原での遠距離攻撃では凡兵とあまり変わらないと言われている。それに忠実に従った戦闘方法。
メイリスカラクは
迫りくる飛翔体は狼主従に近づき、被弾――せずに、左右に避けるようにその軌道を変える。
親衛隊くらいになると、大狼にも簡単な魔術が使えるように仕込み斥力を発する避矢の晶石を額当てに組み込み弾避けとするが、これがメイリスカラク王の騎乗する
あっと言う間に距離を詰めた王は、両の腕に嵌められた狼鎖大剣を振るい一瞬で大鬼傀儡を
次いで二本の狼鎖大剣を重ねて横に薙ぎ、そこに居た八体の鬼傀儡は一掃される。
一軍の足止めとなり得るとまで評価される鬼傀儡達も、狼王相手では少し速度を落とすのが精一杯だ。
狼王と、それに続く親衛隊員四騎が破壊された傀儡の脇を駆け抜けて行く。
しかし、その僅かな時間を稼ぐことこそが狙い。
本命は傀儡達の後ろに控えるアゼルピーナ達。
全身に薄っすらと青白い光を纏うそれらは、常のアゼルピーナとは比較にならない強さを持つ。言ってみれば良質のドーピングを施された状態。
強さで選別され、更に強化を施されたアゼルピーナ達がメイリスカラクに向かい一斉に跳びかかった!
があああああぁぁぁぁぁ!!!
獣の咆哮が周囲に響き渡る。
これを放ったのがアゼルピーナ達なのか、それともメイリスカラクなか。
獣対獣の凄まじい吼え声。
次々に跳びかかるアゼルピーナ達に対して旋風のように狼鎖大剣を振り回し、血色の霧を舞散らすメイリスカラク。
***
狼鎖剣は、腕を覆う
何故このような面倒なことをするのか?
その理由は狼人の爪にある。
狼人の両手には人とも狼とも異なる鋭い爪が備わっている。
狼爪と呼ぶ爪は鉄のように硬く、刃のように鋭く、しかし意図せず傷つけないように意思で指に貼り付け保護することができる、非常に有用な生得の武器。
この狼人にとっての武器である狼爪が、逆に剣のような握りしめる武器の使用を不可とした。つまり、何かを握りしめ戦闘すると、狼爪が伸びて己を傷つけてしまう。しかも、大抵の剣の切れ味は、生得の狼爪に劣るので、全く意味がない。
しかし、爪は最接近しないと敵にあたらない。これが最大の欠点。
この欠点を補うことを目的として開発され武器が狼鎖剣である。
即ち両手の掌を自由にすることにより、腕が届く範囲では狼爪を、中距離の敵に対しては狼鎖剣を、使い分けることを可能とした狼人のための武器。
この武器を十全に発揮した場合に狼人戦士がどれほどの殺傷能力を持つのか。
それを史上最強の狼人戦士と名高いメイリスカラクが体現していた。
目の前に現れた敵は、例えそれが猛虎のアゼルピーナであろうと、メイリスカラクの狼爪の一薙ぎで首が飛ぶ。
距離があっても隙を見せた者は狼鎖大剣が飛びその命を刈り取る。その所作、一拍にも満たぬ間に終わる。
多勢でかかれば狼王は体幹を中心にその腕を旋回させる。その動きは流麗にて近づく者達を鋭く切り裂き、良くて重症、脇の甘い者はそれだけで絶命に至る。
その目は鋭く如何な隙をも見逃さず、その動きは俊敏で一瞬の停滞もせず、その気迫は常に敵を圧倒し続けた。
メイリスカラクを中心に血の霧で先を見通すことが困難なほどで、しかし勘なのか気配なのかメイリスカラクは視界不良の中で的確に敵を捉え
一騎当千と呼び声の高い親衛隊員も戦闘に参加しているが、そもそもメイリスカラクの側に辿り着くことすら出来ず、それでも外周で善戦はしていた。
その様子を離れた所で見ている僕らは、余りの強さに愕然とせざるを得ない。
あのアゼルピーナの精鋭達は、数万の中から選ばれた者達に、更にアルディナにより強化されているのだ。
僕らでは一体だって手こずるであろう敵を三百体。
あれに勝つとか? 本気で言ってる?
アラフアさんも、流石にこれを見たら一騎打ちという言葉も出なかったろう。
だが、それでも、王には膝をついてもらわなくてはならない。
ゼライアの街を犠牲にして、多数のアゼルピーナを犠牲にして、装備だってもう残されていない。
今、この時を残して、機会なんてないんだ。
三百の
その姿は返り血で全身を赤く染め上げ、全身から発せられる熱からか白く蒸気が立ち上る。
肩で息をするその姿は、しかし遠目にも気力充溢していることが分かる。
『うおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!』
勝利の雄叫びか、次なる敵への咆哮か。
肚の底まで響き潰すような凄まじい吼え声が僕らを包んだ。
ぎろり、とこちらの方を睨みつける。
メイリスカラクが動き出す前に、親衛隊四騎がこちらに向け駆けだす。
メイリスカラクの前ではその存在は霞むものの、依然として親衛隊員というのは僕達にとって脅威。しかも先ほどゼライア軍が未使用の装備を持って街へ向け迂回移動を開始したばかりなのだ。
だけど、手の内が減ったばかりではない。
こちらにも奥の手はあるのだ。
「突撃!」
親衛隊員の横合いから響く声、大狼達の吠え声が続く。
メンデラツィアの総員が四名の親衛隊に向かい突撃をかけた。
未知の狼人兵からの攻撃に動揺し反撃が遅れ、
その様子を見ていたメイリスカラクが突然何かを察知し騎乗する
「流石に、不意打ちしてもかすりもしないか」
「そんな適当な攻撃では避けてくれと言っているようなものでしょ?
何をやっているのよ」
青白い光を帯びた黒く逞しい黒豹に跨る不敵に微笑む狼人。
青白い光を帯びた金色の鋭い豹に跨る厳しい表情の小柄な狼人。
ベルツィアに騎乗したアウスレータと、リオイナに騎乗するラキアが、
アフア門から急ぎ戻ったアウスレータ率いるメンデラツィアとラキア、僕らの戦場の切り札と、最強の敵である狼王メイリスカラクの対決が始まろうとしていた。
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