第31話 一方、そのころのアフアの門はどうかと言うと?

 アフアの大門。

 人族の間では秘境とさえ呼ばれている閉鎖された狼人の国コツァトルと、複数存在し互いに交流を持ち合う人間達の国々で構成された世界とを分かつ、象徴的な、巨大な構造体。

 久しく閉ざされたその門扉を見ていると、まるで狼人族が自らを世界から隔離しているようにすら思えて来る。


「どうだ、何か変化はあったか?」

「いや、全く変化なし、だ。

 ユーハイツィアの奴らが門の前に現れて、門を閉ざしたのは先月だよな。

 これで一月も閉じ籠ったままなんだから、国中で息が詰まって窒息しているんじゃあねぇのか?」


 ここに留まってから何度も耳にしたいつもの報告、いつもの会話。

 平原を駆け巡り狩りをすることを生業とする狼人族にとって耐え難い閉塞感だろうに、と門の外側からでも心配になる。


「狼王の軍隊が出立してから今日で三日目か。早ければ今日にも、ゼライアに到着する頃合いだな」


 アウスレータが、誰にともなく呟く。

 放っておくと、彼らの現在の雇い主達が狼王の軍隊に蹂躙されてしまう。だから変化のない現状に、焦らないまでも困ってはいるのだ。

 なにしろ、アウスレータとしても、ココロが語ってくれた計画プランの先を是非見てみたい思いがある。実現するのなら、の話ではあるが。


「そろそろ手を打たないといけないわね。ココロとの約束もあるし、このままだと間に合わなくなってしまうわ」


 ラキアが厳しい目で門を睨み付けながら答える。放っておくと、また門でも壁でも駆け上がりかねないから、とココロから釘をさされている。嘘だと思いたいが。


「お前の彼氏も、難しい注文をしてくれるよな? 偵察だの情報収集だけでも大変なのに、見た目に似ず女使いが荒い奴だよ」

「誰が彼氏よ……て、そういうことになるのか。全然実感はないのだけれど……」


 ラキアには、自分の立ち位置が良く分からないでいる。


 アウスレータの、交換条件としての求婚を受け入れ、一度は婚約者となった身。

 それを、互いが正式に交わした決闘を行い、勝利したココロが奪い取った形となる。だから、狼人の慣習から考えれば、ラキアの婚約者の立場はスライドされてココロが相手、ということになる。


 彼氏どころではないはずなのだが……まず、自分にまるで実感がない。ココロの振る舞いも、まるでそれを感じさせない。

 おそらく、彼は、アウスレータとの婚約を解消させたところで認識が止まっているのだろう。その言動から察するに。


 であれば、現在のココロの立場は、ラキアの彼氏? あれが?

 本気で嫌ならば、自分ラキアがココロに決闘を申し込んで勝てば、狼人の慣習的に晴れて自由の身になるわけだが。そこまで嫌というわけでもなく。


「ああ、もう!」


 苛々して、頭を掻きむしるラキア。

 そんなことは、今はどうでもいい。後で考える。


「そんな苛々してねぇで、白黒はっきりつけたいなら、自分から寝所にでも潜り込んでくればいいじゃねぇか?

 あれでなかなか面白い男だろうに」

「うるさい! 他人事だと思って適当なことを言うな!」


 そう言いながら、アウスレータの顔めがけて白い足が飛んで来る。


「おお、怖い怖い。俺、お前と結婚してないで、実は正解だったかもしれないわ。

 お前、見た目は綺麗だけど、結構不器用なのな。性格とか、生き方とか……」


 そう言った後に再び飛んできた足を避けながら、アウスレータは思わずココロに感謝をする。

 この娘は自分には無理だ。あいつも物好きだなぁ、と。


「とにかく!

 待っていても何も変わらないし、強行突破もダメというならば、ちょっと危なくても動くわよ!」

「そんなこと言ったって。

 あの壁の中に入る、何かいい案でもあるってのか?」

「こっちから入れないのなら、向こうから出てきてもらうしかないでしょ。

 ココロ達から聞いた話では、向こうは私にそれなりに関心を残してくれているみたいだから、それなら合図をして対応してくれることを期待しましょう」


 そう言いながら、赤い外套ポンチョを着込むラキア。


「その合図とやらで、壁の中の奴らはお前を迎え入れてくれるのか?」


 不思議そうに問うアウスレータに、片頬を吊り上げながらラキアが答える。


「そんな訳ないでしょ。

 気にしてくれる人が出てくるまで逃げていれば何とかなるかも、てだけ。

 私がなんとか時間を稼ぐから、援護はよろしくね」


 そう言ってひらひらと手を振り門の方に歩き始めるラキア。

 アウスレータはその後ろ姿を見ながらやっぱり俺はこの女は無理だわと、その度胸と思い切りに半分感心、半分呆れていた。


***


「姫様、ですからいつも何という無茶を!

 本当に貴女は、いつも私の心臓を止めようとしているのではないですか!?」

「もう、助かったんだからもういいじゃない。

 いつも助けてくれてありがとうね、ビジオア」


 アフア門の前で堂々と追放者であることを宣言し。

 大量に降り注ぐ矢を掻い潜り。

 ビジオアが出てくるのを待ってからわざと捕まり。

 牢屋に入ってからビジオアが来るのを待つ。


 まあ、ビジオアが文句を言いたくなる気持ちも分かると言うものだ。

 そんなことぐらい、ラキアだって分かっている。分かっているわよ。


「本当にごめんなさい、ビジオア。

 悪かったと思っているわ。

 それでも、私はここに来なくてはならなかったの。

 本当に申し訳ないのだけど、お父様と連絡をつけてもらえないかしら?」


 ラキアはビジオアの目をひたと見据えながら、真剣な面持ちでお願いをする。

 こうなると、ビジオアは断ることなどできない。昔から、そうだ。

 だから、本当に悪いと思っているってば。

 全部、こんなことをさせるココロが悪い。


「……はい。分かっております。

 貴女様が何故、あのような暴挙をしてまでここに辿り着いたのか。

 具体的には分かりかねますが、それでも察することはできますとも。

 私だけでなく、領主様も、です」


 ちょうどビジオアが溜息をつきながらそう語ったタイミングで、ラキアが入れられている牢屋の扉がキィときしむ。


「全く、お前のお転婆と来たら、本当に狼人族随一と言いたくなる。

 数年前に追放された赤い衣を纏う領主の娘など、忘れている者の方が少ないだろうに。

 追放されたはずの領主の娘が戻ってきて、本当は禁じられているはずなのにこっそりと会っている。砦中で、今頃そんな話でもちきりであろう。

 それが分からぬお前でもあるまい。そうまでして、何を目的にして戻ってきたのだ?」


 領主エルバキアラキアの父が、軋む扉を開けて入って来る。

 前回はわざわざ対面することすら避けたのに、あそこまで大っぴらに行動されては体裁を取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなり、諦めて普通に会うことを選んだようだ。

 それでも、一度は諦めていた娘との再会が叶い、やはり少し嬉しいのかも知れない。片側の口吻がぴくぴくと動いている。主に上方に。


「お父様。端的に申します。

 私は、戦争を止めたいのです。狼人とも、人間とも。

 私にはこの戦に誇りが見えません。不明の身ゆえの浅慮かも知れませんが、それでも私は止めたいのです」


 そう言って、ひたと父の目を見るラキア。

 女子供の分際で、と一喝したいところだが、二度も命懸けで門内に入り込んだほどの信念、心の強さでここに辿り着いたのだ。

 一蹴できると思えない重さがある。


「あれは狼王が下した決断。

 お前に何が出来ると言うのだ」

「私には、これしか出来ません」


 そう言って懐から書状を取り出し、アフア領主に捧げ渡す。

 その書状を黙って受け取り読み始める領主に向かい補足をする。


「こちらの書状は、お父様が以前こちらの門の上で会われたココロという魔術師が書いたものです」


 あの男かよ!

 衝動的に書状を引きちぎりたくなるが、何とか抑え込むことにエルバキアは成功する。


「かの者は、この戦を止めたいと私が願っていた気持ちを汲んで、この計画を組んでくれたのです。どうかその深意を考慮いただき、ご覧いただきたく思います」


 それを聞き、黙って読み進めるエルバキア。

 やがて読み終わり、更に少し考えてから口を開く。


「……ふん。全くなっていない。この汚い文字に、なっていない文章作法はどうだ。

 とても領主に宛て献策する内容と思えぬ拙さだ」


 そういって書状をぴらぴらやっている。それを聞いたラキアは、表情を覆っていた緊張を少し解き、少しだけ笑みを零す。

 良かった、領主お父様が文句を言っているのは文章の体裁について。領主としての能力に優れたお父様が筋書きを貶さないのは、少なくとも絵空事と切って捨てた訳ではないということ。


「その至らぬ文章によりお目汚ししてしまった事、彼に代わりお詫び申し上げます」

「……なぜ其方そなたが謝罪をするのだ」

「それは……その。あれ。あれです。

 一応、私の婚約者と決闘をして、その権利を奪い取ったのが彼なので。

 その。あの。あれです。まあ、そういうことなのです」


 何事も果断なラキアらしからぬ物言い。そしてその内容。

 一気にエルバキアの表情に緊張と激情が走り抜ける。


「馬鹿なっ! そんな、お前、あれだ。人間の分際で、そんなことが許されると思っているというのかぁっ!!」

「お父様、今はそこではありません! 内容です! 内容についてお願いします!」


 必死の形相でピント外れのことを言い合う父娘を生暖かい目で見守るビジオア。

 額に脂汗をしながら、目を剝いて食い入るように書状を睨みつける領主エルバキア。きっとあれは、内容は頭に入っていない。

 しかし、時間の経過と共に、なんとか気を静めて筋書きに考慮が及んだようだ。


「内容は分かった。

 だがな、この筋書きには、肝心の狼王をどのようにしてコツァトルに引き返していただくかについて、まるで具体的なことが書いてない。

 そこがこの計画の要だろうに、どうするつもりなのだ」

「はい、それについては言伝がございます。

 そのことを領主は知らない方が良い。知れば事前に動かなくてはならないから。

 だから、そのことが将来起こると仮定して考えていただきたい。もしそれが成らなかったのなら、この計画そのものを忘れていただきたい。

 だそうです」


 この計画は、エルバキア自身の性格や立場も考慮して組まれている、ということ。

 自分の知らないパーツがある中で進んで行く計画に取り込まれることになるのは、まるで自分が駒になったかのようで面白くない。


「だが、これは私に対して王に背けと言っているようなものだろう。

 そんな話に乗れるわけがなかろうが」


 来た。

 おそらく、そう来るだろうと考えていた点。

 ここまで話に付き合ってくれたことが、そもそも奇跡的なのだ。


 ――ここが、私の正念場。


「はい。私は領主に、王の意思に背いて頂きたいと、そう考えております」


 ――謀反の誘い!?


 その言葉を聞いて顔を朱に染め目を見開くエルバキア。いくら姫様のお言葉でもそれは無理です、と腰を浮かし口を開きかけるビジオア。


「お待ちください。

 私も自分の言葉には命を懸けます。だから、せめて、せめて最後まで言わせてください」


 ラキアは手を出して二人を制し、自分の想いを語り始める。


「王の行動の根源に何があるのか、私も存じ上げません。故にどのような世未来に我々を導こうとされておられるのかは分かりません。

 ですが。ですが、いま、王はデブラルーマを侵し、人間界を劫掠しようとしております。

 アゼルピーナ達を荒れ狂わせ、人間達との友好の架け橋を打ち落として彼らを奈落に突き落とす。

 これが私に見える未来。領主様はいかが見えて居られますでしょうか?」


 そこで一度言葉を切り、領主エルバキアを見据えるラキア。

 対するエルバキアは、むっつりと押し黙ったままだ。ラキアの未来予想図とそう違わないことを示す証左と言えるのではないか。


「私の携えたその書状。

 そこに書かれているのは、ある意味、ただの絵空事。

 その未来に繋げるには多大なる困難、少なくない幸運、何よりも不屈の意志が必要となります。さらに言うならば、仮にそこに至れたとしても、それを維持するのはもっと難しい。

 そんな、冗談のような未来像。

 それでも、それでも私はその未来を見たいのです。

 この力を、この命を、そこにこそ賭けたいのです」


 言葉が続かなくなり、再び口を閉じる。

 ゆっくりと呼吸を整え、感情を抑える。

 それからおもむろに両ひざと両拳を地に付け、首を垂れて首筋を相手に晒す。


 これは狼人にとって相手に頸を差し出す姿勢ポーズ。すなわち、自分の命を相手に委ねることを意味する。

 この姿勢を取るのは、相手に全面的な敗北を告げる時か、もしくは死を賭して自身の主張を相手に伝える時。誇りある狼人ならば、最後まで聞き遂げなくてはならない。同時に語り終わったときに首を落とされても文句はない、という約束事。


「その書状を受け入れることは、確かに王の意思に反するかも知れませぬ。

 ですが、王命に明確に反するわけでもない、と存じます。

 領主エルバキア様。

 貴方は、王に従い、戦に明け暮れ、野に怨嗟の声が溢れる世界を選びますか?

 それとも、現実に抗い、困難を背負い、僅かな民草の幸せを護る世界を自らの意思で進みますか?


 お願いいたします。

 王命の遂行にご自分の意思を込めていただきたく。

 ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、私にご慈悲を。

 適うことなら。ほんの少しだけ。私に希望を。


 お願い致します」


 その言葉を境に、牢屋には沈黙が落ちた。

 ラキアは、自らの命を差し出す態勢のまま、微動だにしない。

 領主エルバキアも動かない。


「エルバキア様。

 この計画を進めるためには、どうしても誰かが泥を被らなくてはなりませんな」


 その沈黙を破ったのは、ラキアを愛してやまない狼人の戦士、ビジオアだった。

 鉄の心を持つと呼ばれる領主エルバキアの揺るぎない表情を見ながら、なお言葉を繋いだ。


「エルバキア様。

 エルバキア様、お姫様にいつまでこのような格好をさせておくのですか?

 そんな顔をなさってもダメですよ、そのお心はきまっておられるでしょうに。私も伊達に長い間、あなた方にお仕えしているわけではないのです。

 私が泥を被りましょうぞ。どうぞお心のまま、お進みくださいませ」


 そう言うビジオアを見るエルバキアの目は、何故か少し羨ましそうな光が含まれているようにも見えた。

 そんな領主には構わずに、ビジオアは最後にラキアにこう告げた。


「ところでお姫様、そのおぐしはそろそろ宜しいのではないでしょうか。もはや、咎める者もおりませんぞ?」

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