第32話 僕達の軍隊
前代未聞の災厄、アゼルピーナの襲来。
ゼライアの街は上から下までが半ば恐慌に呑まれそうになり、それを兵達の巡視によって、ある意味強制的に力づくで秩序を維持していた。
そしてそれを支えているのは、配給制による食料の保証。市民として登録されていれば、例え狼人であろうとも、ちゃんと食事は支給された。
……今のところは。
グネァレンは、めっきり仕事の入らなくなった狼人工房に、それでも今日も訪れた。なにしろ、他に行く場所がないのだから。
中に入ると、同じように行く当てのない狼人達が所在なさげにうろついている。
家に居ても不安なだけだから、結局みなここに来てしまうのだ。
「棟梁、ラキアやヒィズ達は、どこへ行ってしまったんですかね……」
目が虚ろになっているアロトザが、いつもの話題を振る。
ある日突然、失踪してしまったラキア。
簡単な、本当に簡単な書置きだけ残して消えてしまったヒィズ。
仕事を失い、やることもなく、行く当ても金もない、そんな狼人達は、こんな出涸らしのような話題を何度も繰り返すくらいしかやることがない。
誇り高き戦士の種族、狼人族はどこに行ってしまったのか。コツァトル国を放逐されるまでは己の武勇を恃みに誇り高く生きてきたはず、それが今ではどうだ。
グネァレンは溜息をつくことしかできない。この有り様を見ると、胸の中に残る僅かな矜持が捻れ、軋み、悲鳴を上げる。死にたくない、と
しかし、俺には力がない。皆を導く
なんと情けない
と。
ばぁん! と扉が開けられ、懐かしい声が響く。
「皆さん、いらっしゃいますかぁ?」
「みんな、元気ですか? ヒィズです、ご無沙汰していました!」
ラキアと並んで噂になっていたヒィズと、グネァレンが突き放すように距離を取ったはずの人族、ココロ。
確かに二人は仲が良かったことを知っているが、まさか一緒のタイミングで現れるとは。
どうなっているのだ?
工房内にたむろしている狼人達ものろのろと起き上がり、入り口を見る。
「ヒィズ! それに、ココロさんも?」
奥からトルベツィアが出てきて、驚きに目を見張る。
「トルベツィアさん、お久しぶりです! ごめんなさい、碌に挨拶もできないまま職場を離れてしまいまして! お元気でしたか?」
ヒィズが微笑みながら、小走りでトルベツィアに駆け寄る。
じゃらり。
彼女の双腕に銀色の光が見え隠れし、鉄同士が擦れるような音が聞こえる。
……あれは狼鎖剣? なんでヒィズがそんなものを?
「おい、ヒィズ、ココロ! お前達、いったい何をしに来たのか?」
理解のできない状況に溜まりかねたグネァレンが声を掛けた。
「グネァレン棟梁、お久しぶりです! ココロです。
実は今日は、折り入って工房の皆にお願いがあってきました!」
こんな腐る寸前まで落ちぶれた俺たちに、何の用があるというのか?
そう考えているグネァレン棟梁に、ココロはニコニコと笑いかけながら歩み寄った。
「棟梁、軍隊を作りましょう! 狼人と人間が協力して作る、これからの軍。
『僕達の軍隊』を一緒につくりましょう!」
***
「おい、まだこの中に入れないのか! こんなにたくさんのアゼルピーナ達が居て、なんだってそんなことが出来ないんだ!」
アルディナは苛々を隠そうともせずに、黒豹に不満をぶつける。
「申し訳ございません。もう少しと思って居のですが、奴ら、急に手強くなりました。こちらも被害も少なからず出ております。今しばしのご辛抱を」
アルディナがアゼルピーナの大群を率いて来た方向とは別の方角から遅れて来た人間達の軍隊。
決して弱くはないものの、さほど脅威に感じるほどに強くもないそれらの兵達。
しかし人間達は敢然と攻撃を仕掛けてきて、街からの攻撃と連動しながらアゼルピーナ達を手こずらせて、遂には隙をついて街に入られてしまった。
それが昨日のこと。
そして一晩明けた今日になって、突然、街が堅くなっていた。
もう少し、もう少しで街に攻め入ることができる、という手応えまであったのに。
門は堅くなり、壁に取り付いたアゼルピーナ達は手酷く反撃され、壁の上からは燃える弾が撃ち込まれ散々な目にあった。
ストレス耐性のないアルディナは、腹が立って仕方がない。
こんな筈ではなかった、こんな筈では!
ずっと黒豹に止められていたが、こうなったら被害なんて気にしなくて、アゼルピーナ達を一斉に襲い掛からせればよいのではないか?
別に、あの森に棲むアゼルピーナ達がどれほどやられようが、知った事ではない。
もう、いい。
そう考えたアルディナが、その意思を伝えようとした、その時。
「アルディナ、向こうから鳥がこちらに向かって参ります」
黒豹に言われた方角を見ると、確かに鳥がこちらに向かっている。
あの鳥のアゼルピーナは、黒豹に言われてアルディナが街道を監視するように指示しておいたものだ、たぶん。
昨日、あの壁の中に入っていた人間の兵達が来た方向から来る監視のための鳥。なんだろう?
そんなことを考えているうちにみるみる大きくなった鳥は、そのまま黒豹の背に止まる。その鳥の額に自分の額をくっつけて記憶を読み取る。
そこに見えたものは――
「黒豹! 向こうから狼どもの大群がやってくる! 物凄い数だ!」
アルディナの剣幕に驚いた黒豹は、慌てて自身も鳥の記憶を読み取る。
そこに見えるのは、街道を黒く埋め尽くすほどの狼人の軍隊。
大狼に乗り、駆けてくるそれらの速度は鳥の飛翔速度と比してもさほど遜色がなく、つまりそれらは――
「アルディナ! 狼人の軍勢が急速に接近しています!
目的は分かりませんが、デブラルーマでの狼人達の行動を考えれば、我々を狙っていると考えられます!
街を攻撃しているアゼルピーナ達をいったん退かせ、護りにつかせてください!」
***
「狼王の軍隊の、なんと強いことか……!」
アラフアさんが滅多に見られないような厳しい表情で呟く。
確かに、遠くから見ていると、その圧倒的な戦力差が良く分かる。明らかに数的優位にあるアゼルピーナ達が、みるみる数が減らされて行くのだ。
あれは、戦闘というか、もはや作業に近いのではないだろうか?
こうして外野から見ていると雑魚にも見えてしまうアゼルピーナ達だが、僕達が彼らに手酷く追い込まれていたのはつい昨日までのこと。平野での戦いであれば、アゼルピーナに駆逐されていたのはきっとゼライアの人間兵達。
つまり、狼王の兵を相手にした場合、僕たちはあのアゼルピーナ達よりも脆く崩されることになるだろう。
「あの狼共の狙いがアゼルピーナ達で助かった……!」
防衛兵の中からそんな声が聞こえてくる。
しかし、何故、かの狼王の狙いがアゼルピーナのみと言いきれるのだろうか?
先にコツァトルへ兵を差し向けたのはユーハイツィア、そして追従したのがゼライア。攻められても何の不思議もないのに。
「アラフアさん、どう考えますか?」
僕は伸び上がって狼王の軍隊を眺めながら、アラフアさんに聞いてみた。
アラフアさんは難しい顔をして中々答えてくれない。
「希望的に言えばぁ、アゼルピーナ達をぉ追い払ったらぁ、狼王の軍隊さんが帰ってくれるとぉいいですねぇ」
ぽつりと一緒に居たイリカさんが呟く。
アラフアさんは厳しい表情のまま沈黙を保つ。
「そうはならないのでしょうか?」
護衛のように傍に佇むヒィズさんが僕に問いかけてくる。
「……以前、ラキアに聞いた話では、狼王メイリスカラクは猜疑心の強い王、と評されていました。あと、自分の権威にさからうもの全てを討伐するような、そんな強権的な王である、とも。
そんな王様が、わざわざ自ら軍を率いて、自分に刃を向けた人間の国の街の傍まで来ている。となると、何もないというのは、少し都合が良すぎる想像に思えます」
まだ年端も行かない少女をボコボコになるまで殴り倒し、少女が国外に追放されるまで領主の側についてまで間違いなく刑が執行されることを監視する王直属の兵士。兵は主に似るというが、そんな
アラフアさんは、依然厳しい表情のままで、沈黙を保つ。
と、そこに、通心の晶石に連絡が入ったことを感じる。
これは、ラキア達から、か? 急いで皆で集まり、通心の晶石を精神を繋ぐ。
『皆、聞こえる? ラキアよ。
いま、
『ラキアァァァァ!!! 無事だったかいぃぃぃぃ!?』
久しぶりのラキアの声にテンションが高くなってしまった。
すると通心の晶石が沈黙してしまう。
『あー……。ココロか、アウスレータだ。
久しぶりではしゃぎたいのかも知らんが、逆効果だぞ?
アイツ、怒ってどっか行っちまった。わりぃが、説明は俺からするわ。詳しい話は、ラキアの機嫌が直ってから直接聞いてくれや』
――意気消沈してしまった僕をよそに、互いの陣営について状況の共有を行った。
結論から言うと、僕の書いた筋書きに、エルバキアさんは乗ることに同意してくれた。
これは本当に朗報だ。何しろ、ここで断られると、目的達成までどれだけ時間がかかるかも分からない上に、ただでさえ低い成功確率の見込みがぐんと下がってしまう。
あの高難易度の課題をクリアしてくれるとは、さすがラキア!
続いて、そのエルバキアさんから得られた情報の共有。
まず、狼王メイリスカラクはあまり出征の情報を本国に残していない。
一般の狼人達は、ひたすら現状を忍従しているだけ。
そして情報過小については、エルバキアさんクラスでもさほど変わらない。
そんな中でも情報をかき集め、また王の言動を種に推測を行い想定されるのは、今回の出征の目的は第一にアルディナとオリアの確保と保護。第二にデブラルーマの魔丘を自国の領土に組み込むこと。
そして第三の目的としてクオティアの廃都を自領とする。これにユーハイツィアが抵抗するならば、ゼライアは領土ごと殲滅、ユーハイツィア王国も徹底的に蹂躙する。
なお、狼人はその人口数の少なさから占領はせず、破壊した後は放置するのみだろう、ということだった。
「――これは、想定していたよりも酷い状況だな」
アラフアさんが呟く。
僕達の想定では、最悪の想定でゼライアの都の殲滅。デブラルーマならびにクオティアの領有化とゼライアの領土全体の殲滅、さらにその外側であるユーハイツィアの蹂躙まで視野に入れているとは、完全に想定外。
なるほど、アフア門前のユーハイツィア軍を放置した理由が良く理解できた。大事の前の小事、余計な手出しをして敵を緊張させ良いことなどない。いつでも排除できると思えばこそ、自領の眼前に居座る小蠅と鼻で笑っていたのだろう。
「関係者を集めてこの状況を共有し、打開策に向けた総意をまとめたい。
すまぬが皆、一度会議室に集まってくれ、他の関係者にも即時召集をかける。
国の存亡に関わるが、時間はない。短時間で制するぞ」
そこで言葉を切り、僕の方を睨むアラフアさん。
いや、睨んでいるのではなく、視線がいつになく強すぎるのだ。彼女の目から、意思の力が溢れているのだ。不屈の意思が。
「私だけでは、短時間で会議をまとめることはできまい。
――ココロ君、君に期待する。私と共に、必ず、この場を制せよ。
頼んだぞ」
こんな抜き身の真剣のようなアラフアさんは初めてだ。
正直、そんな会議を制する自信など、僕にはない。
アイデアはあっても、会議を思い通りに運ぶ筋書きなど思いつかないし、仮にあってもその通り進める胆力など、僕にはない。
ないのだが――アラフアさんの目を見る――彼女だって、そんな成算などあろうはずがない。ついさっきまでこんな事態を想定していなかったのだから。
そんな彼女を支えているのは、やらなくてはならない、という意思の力。その意思を支える彼女の矜持。
ならば、僕が彼女の友たりたくば、そして彼女が僕の力を求めるならば。
「――はい。不肖の僕ですが、必ず」
その僕の返事に、アラフアさんはその厳しい表情を緩め、いつもの悪戯めいた笑顔を見せてくれた。
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