第20話 満月に狼人領主との会合って、雰囲気あるなぁ。
――満月の夜。
人と狼の性質を併せ持つ狼人は、夜行性の側面もあるため、夜も眠らずに動ける本能を持っている。人間が夜の闇と呼び怖れる暗闇を見通す目も持つ。
人間は活動を終え眠りにつく深更であっても、狼人にとっては日中の活動と何ら変らない。だから、彼がこんな時間に城壁の山際に居るのはおかしな話ではなく、おかしいのは領主と呼ばれる立場の者が、たった一人の供をつけただけで城壁の上で佇んでいることだ。
アフア領主エルバキアは、昨日現れた小さな獣について考えた。
空間を渡ると言われている、狼人の大魔術師ヤキンツァ導師を名乗る獣。
それがエルバキアの寝所まで忍び込んできて、人語で語り掛けてきたのだ。
曰く、その小さな獣、自称ヤキンツァ導師は、現在の開戦直前の状況の下、ユーハイツィア王国軍に関する重要な情報を持っている。
その情報を伝える代わりに、彼の知りたいことを教えてくれ、と。
もちろん、そのような戯言に惑わされるようでは、アフア領主は務まらぬ。
いっそ斬り捨ててくれよう、と思ったところ、意外な人物の名がその口から出てきた。
――ラキア、という娘を知っているか?
その様子から、ラキアとエルバキアが親子であることまでは知らないようだが、そのことが逆にエルバキアに、自称ヤキンツァ導師の話に興味を持たせた。
それでこのような時間、このような場所に、のこのこと現れた己の阿呆さ加減を忌々しく思いながらも、来ずには居られなかったのだ。
(エルバキア様、でよろしいでしょうか)
城壁の上、ここに居るのはエルバキアと千人隊長であるビジオア一人のみ。そこに涼やかな声が何処からか聞こえてきた。まだ若い娘の声。
油断させる目的かも知れないが、ラキアと同世代くらいの声かとも思えた。
「そうだ。出てこい、人払いはしてある」
その声を契機に、闇の中からふわりと狼人の娘が現れた。彼女はエルバキアの前に出ると跪いて頭を垂れる。
「罪狼たるケイトゥンとエイマの娘、ヒィズと申します。この度は私共の不躾なる願いに応えて頂き、恐悦至極にございます」
「虚礼は無用。お前はラキアの何だ」
「はい、私はゼライアの街の工房で、ラキアさんと職場を共にさせて頂きました。彼女には本当にお世話になりました」
「……どのような様子だったのか、申してみよ。時間はない、簡潔にな」
ラキアの日常、と聞けば、ついつい体裁を忘れて喰いついてしまう。
領主が一領民にかけるには過ぎた興味。不審に思われるかも知れない。だが、聞かずにはいられない。背後に控えるビジオアも、心持ち体を乗り出している。
ヒィズと名乗った娘は、なるべく簡潔に、しかし情念の籠った語り口で、幾つかの
短い話ながらも、ラキアの気高く潔い生き方が伝わってくるようだ。背後でビジオアが咽ぶ気配がする。馬鹿者が、それは親たる私の役割だろうに。
「良いだろう。お前の話は私の知るラキアという娘の性格にも一致する。
――信じよう。仲間も出てくるが良いだろう」
その言葉に、闇からぞろぞろと現れる人影。
エルバキアが驚いたことに、ヒィズ以外の人影は全て人族のものであった。しかも、殆どが女性である。
その中から、金色の髪を持つ、人品卑しからぬ人物が進み出た。
自身の胸に手を添え、礼を失しない、しかし自らを卑しめないような絶妙な角度で腰を折り、簡潔に、完璧に、挨拶の礼を見せる。
「お初にお目にかかる。
私はゼライア領主プラナ=ヤーナが娘、ゼライア副長官を拝命しているアラフア=ヤーナと申す者。
以降、お見知りおきを」
まさか!
これ程の人物が、この程度の供回りで、敵陣の真ん中とも言えるこんな場所に来るとは。
殺されたいのか!?
……いや、それ以前に、なぜ狼人たるラキアが、ゼライアの副長官、あるいは領主の愛娘と知り合いなのだ。
ラキアの素性が割れている風でもなさそうだが。
「このような場所に、その程度の人数で。殺されるとは思わなんだか?」
「私が亡くなれば、通心の晶石を介して父に訃報が届きます。
その後に訪れるのは、報復の戦……亡国の入口。そのような道を選ばれる方ではない、と信じます。
例え、私がそのような晶石を持っていようといまいと、ね。違いますか?」
この女は、狼人の長たる自分の品性を信じる、と言っているように聞こえる。誇りあるならば、こそこそ討ち取るような真似はするな、とも。
仮に口先だけだとしても、この女は
小賢しい……が、否定は出来ない。
「今一つ疑問がある。お前達は、どこからここへ来たのだ? 鉄壁の門の上まで。
警備に隙でもあったというのか?」
「儂の力じゃ。この門は確かに鉄壁じゃが、周囲を囲む山々は、野生の狼共が守りを固めるのみ。力ある狼に取り憑ければ、抜け道くらいは見つけられるものじゃよ」
魔術師風の男の肩に乗る小さな獣、恐らくは自分の寝所に忍んできた個体と同じ獣が、自身のヒゲをしごきながら、事もなげに言う。
この周囲の狼の意識を力づくで乗っ取り、道案内させる? そんなに簡単に出来得る話ではないはずだ。あの狼達は、我々と緩い同盟を組んでおり、同胞意識も存在する。そんな狼を乗っ取るほど強力な魔術。
なるほどヤキンツァ導師の名を出すほどの存在、脅威と呼んでも差し支えない。
……岩山の周囲の警護も、少々考え直す必要がありそうだな。
「良いだろう。お前達がここに来た目的を聞こうか」
領主の娘と、その付き人。高名な導師の名を語る獣。罪狼の娘。魔術師風の男と娘。不思議な一行。
一体、どのような話があると言うのか。
「そうだな。まずは、彼の話を聞いて頂きたい。
此度の訪問は、実は彼が発案者であり、企画者なのだ。私はその介添え役、と言った役回りさ」
――領主の娘が、そのような形で協力を!? この風采の上がらぬ男に対して?
ラキアはどのように関わるのか?
この話、最初から今に至るまで、全く理解が及ばぬ。
「は、初めまして……ココロと申します。どうぞ宜しくお願いします」
この一行で唯一の男は、おずおずとしながら頭を下げる。そしてすぐにぴょこりと上げる。
――ん?
まさか、今のが挨拶のつもりか?
余りに作法を
え、それでいいのか?
内心、いささか動揺をしながらこっそり彼の周囲の様子を伺うと、一様に困ったような、やれやれと言った表情をしていた。
えええ? というエルバキアの内心の動揺をよそに、ココロの話は始められた。
「その、お目通りいただきまして、ありがとうございます。
お話しというのは、ラキアさんについて。
単刀直入にお伺いします。エルバキア様は、ラキアさんのお身内の方、もしくは非常に近しい方とお見受け致しました。
ラキアさんは、現在、非常に危険な立場にあります。
僕は、彼女を助けたい。
どうか、彼女の行き先を僕に教えていただけないでしょうか」
エルバキアが領主の任に就いて以来、彼は誰に対しても鋼の如く強靭な心を持つ、揺るがぬ存在と認識させ続けることに成功してきた。それは彼の密かな自負心にもなっている。
だが、しかし。本日この夜、その自負心に密やかに
ラキアが非常に危険な立場。どういうことだ。
この風采の上がらぬ男が引き連れている謎の一行の前に目を白黒させ、心を千々に乱されているのだ。
「この私と、非常に近しい相手。
何故、そのように思う。たかだか一人の娘、私と何の関係があろうと言うのだ」
「ラキアさんは、狼人工房の他の方々と比べて、教養が高く、挙措動作に品があり、しかも武術も一通り以上に修めているよう見えました。
ラキアさんの年頃、正確な年齢は知りませんが仮に十六くらいとしても、自然に高い教養が身についているのは幼少より高い教育を受けてきた証です。
さらに、アフア領の話を聞いた時の彼女の様子と、その後の行動。その迅速さ。
一領民とは思えないほどの思い入れを感じました」
ぐ。礼のひとつもまともにできない男が、状況を正確に把握しているとは。
「ふん、それなりに見る目は持ち合わせているようだがな、礼のひとつもまともにできぬ下賤の男に語る口なぞ持ち合わせてはおらんわ」
「さっき、ご自分で『虚礼は無用』とか言っていたじゃあないですか……」
ぐ!? まさか嫌味に嫌味を返されるとは?
しかも、ちょっと口真似までして、なんたる無礼!!
エルバキアが心の奥底でココロに処刑宣告を下そうと考えたが、次のココロの言葉でそれどころではなくなってしまう。
「今一度、申し上げます。ラキアさんは、現在、非常に危険な立場に居ます。
彼女は、自分がアフアを攻撃するための武器製造に関わっていたと知るや、ゼライア領主の襲撃を敢行されました。
いえ、正確には、彼女が下手人である証拠は何らございませんが、状況的に彼女はゼライアで容疑者、というよりもほぼ犯罪者同然の扱いです。
もはや、彼女が真実に実行犯であるかどうかは関係ない状況です。
彼女はもう、ゼライア、というかユーハイツィア王国に戻ることはできません。
つまり、コツァトル国にも、ユーハイツィア王国にも、彼女の居場所はもはやないのです」
――!?
何だと、そんな話はラキアはしていなかった!!
内心で衝撃を受けるエルバキア。
だが、いかにもラキアのやりそうなことであり、また仮に彼女がそのような行動を取った場合、自分達に黙っていることは自明。
彼女を良く知るエルバキア、ならびにビジオアにとって、証拠がなくともそれは事実を伝えることと何ら変わりない重みを持つ。
「彼女は現在、何ら後ろ盾を持たぬ身です。
ラキア……さんの性格上、おそらく捨て身で、ユーハイツィアとコツァトルの戦争に介入しようとするでしょう。
考えられるのは、例えば暗殺。謀略。あるいは戦場での一騎駆け。これをやられたら、彼女は助からない。だから、その前に止めなくてはならない」
もはやぐぅの音も出ない。
この男の言うことは、正確に未来を捉えている。
――ラキア!
「僕は、ラキアに命を助けられた。それも一度でなく二度も。あるいはそれ以上。
彼女には恩義がある。だから僕は命を賭して、彼女を助ける。助けて見せる。
エルバキアさん、お願いです。
彼女の現状を教えてください。彼女がここから既に発っているなら、いえ発っているのでしょうが、ラキアの行き先を教えてください!」
この小癪な男は、遂に
許さん!!
……と言いたいところだが、この男の意気は本物と見た。
この男を支援しているのであろう後ろに控える者達の立場、気配から考えるに、相応の作戦行動が取れそうに見える。それ故に、此奴が為し得ることも、決して低く見積もれない。
話を信じるのならば、真実、ラキアは現在天涯孤独の身となっている可能性が高いだろう。この者達は、娘の力になると言う。今はそれを信じるほかない。
私のことを、親し気にエルバキアさん、とか呼ぶとか信じ難い無礼者ではあるが、背に腹は……変えられない……のか。のだな。くそう。
止むを得ぬ、覚悟を決めよう。
愛娘ラキアのため。エルバキアは、多少の不愉快を捨て、ココロ達に協力することに心を定めた。
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