第21話 結局ラキアが何処に行ったのかは分からないまま、僕らは北西へ向かうのだ。

「ラキアさんがアフア領主のご息女であったなんて。次に会ったら、どのように接すれば良いのか、分からなくなりました……」


 ヒィズさんが片頬に手を添えてはぁ、と溜息をつく。


「いえ、ラキアの素性知ったからと言って態度変えたら、きっとものすごく怒りますよ? 多分、次の瞬間には蹴り飛ばされていると思います」

「ラキアさんが蹴り飛ばす相手はココロさんくらいだとは思いますが……そうですね、確かに態度を変えたら嫌がりそうですね」


 昨晩、エルバキアさんから聞いた言葉。

 ラキアがアフア領主であるエルバキアさんの娘の一人であり、訳あって王より国外追放の刑に処せられ、二度と国に戻れない立場であること。

 壁を駆け上がり乗り越えて(無茶するなぁ)、心身共に傷だらけになりエルバキアさんとの面会に漕ぎつけたこと。

 数日間、体を休めてから、そっと旅立ったのが、ちょうど一週間前のこと。行き先は不明、追い出した側が聞くのも野暮として聞いていないし、心当たりもない。


 人狼族の鋭敏な嗅覚をもってしても、一週間前の臭いは辿れない。

 手詰まりになってしまった――と落胆するのは早かった。


「ヤキンツァさん、その後は、何か見えますかぁ?」

「――駄目じゃ、ちょい古いのでな、良く見えぬ。この身体では力が長く持たぬのでな」


 時空を渡る能力、歪空わいくの感覚を使用できるヤキンツァ爺の過去視により、僅かではあるが情報が得られたのだ。

 最初から使ってよ、と言ったら、姿も知らぬ人間をそんな簡単に見つけられるか!と怒られた。理不尽な。


 ――北西へ。


 一週間前の早朝、日の出とほぼ同時刻。

 おおよその出立の時間を特定できたおかげで、過去視を用いてラキアらしき旅人が北西へ向かうのが見えた、という訳だ。

 現在も、イリカさんのサポートの下、更なる情報収集に努めるが、その成果は出ていない。


「北西の方角には、何があるのでしょうね」


 誰へともなく呟くと、アラフアさんが反応してくれた。


「現在、王国混成軍が陣を敷いているな。普通に考えれば、軍の居る方向へ単身向かう筈もないから、ラキア君にとって何かの目的が北西にあるのだろうな」

「だからと言って、アラフア様がわざわざ向かわれる理由が分かりません。

 布陣状況の調査と言う目的は終わりました、私達は帰りましょう」


 パルテさんは、何かと機を見計らっては帰国を促す。それに対するアラフアさんの回答も、判を押したように、いつも同じ内容だ。


「現在、北西に向かう街道の先には、ハディ第一王子の影響下にある部隊が潜伏している。アフア門の北西に位置する王国混成軍。その先に隠れるように潜むハディ王子の精鋭軍。

 ――そして、その先にあるのは廃都市クオティアとアゼルピーナの森、それに魔丘デブラルーマ。

 この状況下で、我々がゼライアに向け踵を返せるはずもなかろう?」


 それを聞いたパルテさんは、目を閉じて、それ以上の反論をしない旨の意思表示をする。そして僕は知っている。その後で彼女は(だから行きたくないのですってば)と一人呟いているのだ。


 王国混成軍を避け、街道から外れた道を行く。

 たまの村落にて聞き取りを行っても、ラキアらしき影を見た人は、今のところ見つかっていない。

 ユーハイツィア王国。その自治領たるゼライア領。仮想敵国たるコツァトル国。

 いずれも不穏な様子を見せる中で、一体、ラキアは何処へ向かったのか――?


***


「ハディ王子の軍と思われる存在がここから先、およそ一日の距離に居る」


 野営キャンプ中の食事時に、ぽつりとアラフアさんが語り始める。


 ここは、アフア門から馬でおよそ三日ほど駆けた場所。廃都市クオティアとの、ちょうど中間地点といったところ。

 ゼライアとクオティア、それにアフア門は、大雑把に言って、それぞれを頂点とした正三角形を成すような位置関係にある。普通で考えればハディ王子の軍は危険な魔丘デブラルーマと廃都市クオティアを避けるようにゼライアを経由してここに至る、非常に面倒くさい行程を行軍するはず。なのに、アラフアさんが調べた限りでは、ゼライアにそのような記録は存在しない。

 食料や水の補給、兵達や馬の休憩などを考え合わせると、ゼライアの側を素通りすることは考えづらく、また仮に隠れて行動したとしても、これだけの規模の軍行動がゼライア側に見つからない筈はない。

 以上を考えると、ハディ王子の軍は、ゼライアの近辺を通らず、廃都市クオティアならびにアゼルピーナの森の脇を通り抜けてここに設営したと考えるべきだ。

 だが、そんなことをする目的も理由も、まるで想像がつかない――ゼライアに知られたくない軍事行動を取っている、という考えたくない理由以外には。


「現在、我々はラキア君の捜索を目的として行動している訳だが、私の立場からすると、流石にこの胡散臭い王子の行動を看過するわけにも行かない。

 そこでココロ君に相談だが、どうだろう、一時的に目的を王子の軍の偵察へと切り替えてはくれまいか?

 私とパルテだけでは流石に偵察にも限界がある。偵察にそう長い時間をかけるつもりはないが、私としてはこの偵察は喫緊の問題なので、優先して処理したい」


 そう言うと、アラフアさんは僕の目をじっと見る。

 確かに、偵察を行うのであれば、ヤキンツァ爺の魔術やヒィズさんの超人的五感は有用であろう。僕に意向を聞くのは、この二人は僕の連れであるため。

 僕の方は、というと、やはりアラフアさんの知識や権威、それに判断力は得難い助けになっているため、引き続き力を借りたい。それに、ここまでの行程でアラフアさんには一方ならず助力してもらっている。ここで頼みを聞かないのは、僕自身が納得できない。


「はい、もちろんです。時間は貴重ですが、他ならぬアラフアさんの言葉ですし、皆で一緒に偵察しましょう」


 その言葉を聞いたアラフアさんは、ふわりと優し気に微笑んだ。


「ありがとう、助かるよ」

「いや、そのような気遣いは無用ですよ? 偵察など不要、余に直接聞けば良いでしょう」


 ――!?


 突然割り込んできた、聞き覚えのない声。良く通りそうな柔らかなその声のした方を見ると、いつの間にか近くに数人の男たちが闇に溶け込むように佇んでいる。


「これは抜かったの――幻覚作用のある薬を散布したか。これは、注意力を落とす作用のある吸引型の薬かな?風上からこれを散布して、風下から接近するとは、随分と手の込んだことをするんじゃの」


 ヒィズさんが自身の感覚で検知できなかったことにおろおろし、ヤキンツァ爺が状況を説明してくれる。

 それにしても、この鋭い感覚と用心深さを併せ持つ一行を欺いてここまで接近するとは、一体どんな相手なのか?


「ハディ王子……まさか、貴方が直々にこのような僻地にまで足を運ばれるとは。一体、この地に何用で参られたのか?」


 アラフアさんにしては珍しく、驚きを隠せずに質問した。

 光を向けられ照らされた先には、闇を溶かし込んだように黒いマントを羽織った、アラフアさんに負けないほど美しく輝く金髪を優美に結い上げた優男が、柔らかな微笑みを浮かべてこちらを眺めていた。


「ふふ。この一帯には検知の結界が張られているのですよ。何者かがここに侵入した形跡があるというから梟を飛ばし調べたら、アラフアが来ていると言うではないですか。余に会いに来たのだろうから、折角だから余の方から出向いてやろうと思いましてね」

「何を勘違いされているのかは知りませんが、私は王子に会いに来たわけではありませんよ?」

「ははっはははははっ、アラフアの冗談は相変わらず手厳しい。このような場所にまで追いかけていながら、とぼけるとは奥ゆかしいですね」


 かみ合わない会話に眉を顰めるアラフアさん。対する王子は甘い笑顔を湛えながら優し気にアラフアさんに一礼する。


 しかし僕は気づいてしまう。ハディ王子の額に流れる一筋の汗を。それを隠すように礼をしつつ汗を拭っていることを。

 ハディ王子は決して鈍感なのではない、非常に敏感に反応しつつ、しかも気づいていないように振る舞っているだけ。なんと繊細な神経か。

 このような神経質そうな王子を敵に回すことは避けなくてはならない――!!

 僕は密やかに心のブラックリストに王子の名前を書き込んだ。


「ハディ王子。この際だから、ちゃんと言っておこうと思います。

 私は貴方のように誰彼構わず女性と浮名を流して恥じないような方を好きません。

 辺境の猛々しい騎士まがいの女など相手になさらずに、より相応しい気品あるご令嬢をお迎えください」

「何を言っているのですが、アラフア。

 君は『完璧な貴人』と称されるほどの女性、君ほどの気品を備えた淑女など他には見当たりませんよ」


 そう言うと王子はニコリと笑う。優し気で、気品を纏う完璧な笑顔。

 しかしアラフアさんは渋面を深めるばかり。

 笑顔対渋面。互いの表情による譲らぬ争いが繰り広げられているようだ。


 数瞬、その状態で対峙するも、先に均衡を崩したのはアラフアさん。

 ふぅ、と溜息をついて、打って変わって軽やかな笑顔を浮かべた。


「まあ、いいですよ。王子、最近ですね、私は気づいたのです。

 私が自分の相手に求めている物は、気の利いた甘いささやきや、贅を尽くした贈り物プレゼントなどではない、ということを」

「ほう、では君は何を求めると言うのでしょうか?」

「無論、心の底からの情熱ですよ。自分自身に向けられた、ね。

 気が利いておらずとも、添えるべき贈り物などなくとも、その心が見えるような一言、それがあれば愛を知ることができるのです」


 ハディ王子は微笑みながらアラフアさんの言葉を聞く。心なしか、その表情は硬質化し、顔色は白くなり、まるで月光を浴びる蝋人形の面貌のようだ。

 そんな王子を見て、それからおもむろに僕の方に顔を向け、華やかに笑いかける。

 ――え? このシーンで僕に笑顔? とても嫌な予感がするが……


「そこにいるココロ君は、涙を流し、顔をくしゃくしゃにしながら、愛を叫んだのだよ! 命を賭けて愛したい、この身を捧げたい! きっと君に並び立てるようになりたい! とね。

 いや、情熱的が伝わるようでしょう? 幾千の囁きよりも、幾万の贈り物プレゼントよりも、私はそちらを受け入れたい!」


 にこやかに語るアラフアさん。


 ――て、それは僕の、ラキアへの告白シーンではないのでしょうか!?

 何で知っているの!? というか、公開しないで!?

 何より、その言い方だと、まるで僕がアラフアさんに向かって告白したみたいじゃないの!? いや、なにひとつ嘘は言っていませんけど!! でも狙っているよね!

 謀ったな、アラフアさん!?


 どや顔のアラフアさんに対して、白い能面のようなハディ王子。

 ぎぎぎっ、という音が聞こえるような動きで、ハディ王子が僕の方を向く。

 その目は虚ろ。夜闇の下、距離があるにも関わらず、王子の目が焦点を結んでいないことが何故か分かる。

 そのまま王子はゆっくりと手を前に伸ばして――


「消せ! 消せ、消せ、消せ!! あの男を消してしまえ!!」


 甲高い声で僕の抹消デリートを命令する声が響き渡る。


 ぎぃん! ぎぃん!!


 夜の静寂を破るような金属同士が奏でる悲鳴、剣が打ち合わされる音が周囲に響き渡り、王子の周囲に控えていた戦士達と、ヒィズさんとアラフアさんの武器が火花を散らした!


「ココロさんに何をするのですか!」


 ヒィズさんの両腕から銀光が走り、狙い過たずに王国戦士の胸に吸い込まれ――甲高い金属音と共に、払いのけられる。

 その隙に一気に距離を詰め懐に潜ろうとするアラフアさん。しかし、素早く連携して動く数名の戦士達に阻まれ、バックステップして逃れた。


「少しぃ、落ち着いてくださぁい!」


 イリカさんが杖を振りかざして、その先端から飛翔体を射った。その小さな飛翔体は目に追えない程の速度で相手に近づき、しかし相手方の魔術師に阻まれ、不可思議な力で軌道を捻じ曲げられたそれは空に向かい何処へともなく飛び去る。


「く、何、この、数、は!? これじゃ、攻撃、を、捌き、切れない、ですよ!?」


 ヒィズさんが狼鎖剣を縦横に飛ばし、自らも立体的に跳び回りながら攻撃するが、暗闇の中からわらわらと湧いて出る戦士達の数に圧倒されている。

 目にも止まらぬ速度で繰り出される狼鎖剣も、その数以上の剣の前には、ただの投擲剣スローイングダガーと変わるところがない。


 そしてそれは、アラフアさんとパルテさんも同じ。

 二息で十の剣閃を放てるアラフアさんも、数倍の戦士の前では攻勢に立てない。


 もっと劣勢なのはイリカさん、そしてヤキンツァ爺。

 多数の戦士相手では、イリカさんも斥力の晶石を使って押し戻すのが精一杯であり、攻撃に移る隙が無い。

 ヤキンツァ爺も戦士達の心理を巧みに攪乱して凌ぎ、あるいは反撃しているが、いかんせんフェレットの身体では攻撃力に乏しく、物量的に憑依で圧倒することは無理がある。


 そして。

 このチーム内で最も戦力的お荷物である僕は、同時に敵にとっての標的でもあった。


「君が、そのアラフアに想いを告げたという男か? 何とも冴えない男だな」


 漆黒のマントで白い甲冑を覆ったハディ王子が月明かりを反射して白銀色に鈍く光る剣を構える。

 違います! アラフアさんに謀られたのです! と叫びたくとも、恐怖で声が出ない。


「君のような低俗な者が、我々の舞台に上がられても困るのだよ。場違い感が甚だしくてな。己が立場を弁えなかった自らの勘違いを悔いながら退場し給え」


 そう言って、すぃ、と剣を天頂に向ける。

 僕はそれを、まるで何かに魅入られたかのように、茫然として見上げるばかり。


「ココロさん!」

「ココロさぁん!」

「ココロ君!」


 半ば悲鳴のように響く、僕の大切な友達の声。

 王の近習達の壁に阻まれた皆は僕に近づくことすらできない。


 その時。


 ガァイン!!


 金属同士が打ち付けられる力強い音が響き渡る。

 ハディ王子は彼方より飛んできたその重い金属片を手にした剣に逸らし、全身で柔らかく衝撃を吸収する。

 生まれた隙を使い、その大きな影は、僕と王子を阻むように佇立した。


「ココロ、何をやっているんだ? 前回はアゼルピーナで今回は人間兵とは、襲われるにしても選ぶ相手に節操が無さすぎだろう?」

「アウスレータ!」


 友と呼ぶにはいささか気が早いが、以前行動を共にして多少は気心が知れた相手、メンデラツィアの長アウスレータが助けてくれた。

 そのメンデラツィアのメンバー達が連携を取り、王の戦士達を散らしてゆく。ヒィズさんが、イリカさんが、アラフアさんが、ヤキンツァ爺がそれぞれ行動の自由を取り戻しつつある。

 王の戦士達も徐々に後退しまとまり距離を取りつつあるようだ。

 メンデラツィアの介入により、何とかこの急場を凌ぐことが出来そうかな?

 そんな、一瞬の気の緩み。


「撃てー!!!」


 野太い号令と共に、王子の側に居る戦士から弩が放たれた。

 唸りを上げてアウスレータを襲う矢は、手甲で弾かれて宙を舞う。

 この、アウスレータが矢を弾くことで動けなくなった一瞬。この隙を突いて王子とその側近が走る!


 「ココロさんっ!」


 悲鳴にも似たヒィズさんの叫びと共に銀光が走るが、難なく王子側近に弾かれ、力なく地に落ちた。

 アウスレータは動けない。メンデラツィア本体は少し離れている。


 「そんなぁ!?」


 視界の端でイリカさんが杖を動かしているが、遅すぎて間に合わない。

 そんな僕の眼前に剣を構えた王子が迫る――


 キィーーーーーン!


 甲高い金属音が夜空に響き渡る。

 ハディ王子の剣は再び狼人により弾かれた。


 その狼人は、銀白色に輝く美しい大狼に跨り、その小柄な体でココロの前に壁となり立ちはだかり、王子の剣の軌道を受け流す。

 背中にかかる灰白色の長い髪が宙を舞い、月光を浴びてまるで白銀の糸のように煌めいた。


「――え?」


 狼人はハディ王子に体ごと突っ込み吹き飛ばすと、その反動で尻もちをついているココロの側に戻り見下ろしながら言う。


「あんた、何やっているの?襲われる趣味でもあるってわけ?」


 それは、彼が求めて止まない姿。聞きたくて聞けなかった声。


「――ラキア――」


 ああ、また助けられてしまった。

 彼女を助けるために出た旅なのに、また助けられてしまった。

 それでも、巡り会えた。

 今度こそ、一緒に居させてもらうことはできるだろうか――


「なんだ、知り合いだったか?」


 黒い大狼に跨った、ラキアより二回りは大きそうな偉丈夫、アウスレータが狼を駆りラキアの側に並び立つ。

 野性的で魅力的な笑みを浮かべたアウスレータは、隣のラキアを指してココロに語りかけた。


「既に知り合いであるなら、細かい紹介は要らねぇな。

 なら、改めて紹介するが、これが俺の嫁のラキアだ。

 覚えておいてくれや」

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