第15話 そして僕たちは旅立ちを決意する
僕は街中を走り抜けて、取るものも取りあえず狼人工房へ向かう。
一体、何がどうなってというのか?
僕の頭の中で良くない考えがぐるぐると渦巻く。でも何も分からない。
急げ。急げ。急げ。
息を切らせて狼人工房の前に辿り着いた僕は、タイミング良く玄関から出てきたグネァレン棟梁を捕まえることができた。
「グネァレン棟梁! ラキアは今、どこに居るんですか!」
「ココロか……」
少し痛ましい表情をしたグネァレン棟梁は、今、この街の狼人の置かれている状況を絡めつつラキアについて教えてくれた。それは、僕が魔学講習の実践のために街を離れてしばらくしてからのこと、およそ二週間ほど前の出来事だった。
***
「おい皆、聞いたか! 戦争だ! 戦争が始まるぞ!!」
アロトザが叫びながら工房に駆け込んできた。
力が強く統率力もあるアロトザだが、いささか軽率なところがあるのは否めない。少し事情を聞いて、中途半端な情報であったら
「おい、アロトザ。皆を
そう注意してから聞き出した情報は、予想したよりも深刻なものだった。
アロトザは役所の人間達がコツァトル国の名を出して話しながら歩いていたので、それとなく尾行した、というのだ。そしてその内容が、現在、行政府で進められている戦争の準備。
ゼライアを前線基地として、ユーハイツァ王国がコツァトル国に宣戦布告する、そのための準備だというのだ。ゼライアとコツァトルが戦争状態に陥る。この情報に、当然ながら工房内は騒然となる。
そんな中、ラキアが入ってきて騒然とした工房内の空気を一喝、落ち着かせようとしたが、アロトザの一言で顔色が変わった。
「ラキア、分かっているのか? ユーハイツィア王国とコツァトルが戦うってことは、領都ゼライアと狼門領アフアが全面対決するということ。つまり、俺らが作ってきた武器でアフアを攻撃するってことだぞ!!」
それを聞いたラキアは何も喋らなくなり、黙々と仕事を続けた。
その日、黙ったまま帰宅し、それ以降、工房に顔を出さなくなった。
心配したトルベツィアとヒィズが彼女の家に様子を見に行ったところ、既に部屋は引き払われていて、それ以降はラキアの姿は杳として知れなかった。
***
「ラキアが行方不明!?」
「そうだ」
グネァレン棟梁は僕の言葉に肯定してくれつつも目を逸らす。
まだ何か隠している。そう直感した。
「棟梁、何か僕に話していない事があるのではないですか?」
そう詰め寄る僕に、棟梁は決然とした目で見返してきた。
「ココロ。お前は確かに、人族として我々に親しく接するし、狼人族の女であるラキアに並々ならぬ好意を抱いていることも知っている。
だがな。
それでも、お前とは最後のところで分かり合えないし、命運を共にすることはできない。お前は人族なのだから。
これ以上、俺の口から語れることはない。
すまない」
そう言って僕の反応も見ずに背中を向け去って行った。
僕は現実を受け止めることができずに、ただ呆然と立ち尽くす。工房から帰る人々は僕を遠巻きに避けて行き、誰も声をかけようとしない。
遂に誰も工房から出てこなくなり、僕は夜空を仰ぎながら一人立ち尽くす。
「ラキア……」
誰の返事も期待できない呟きが、期せずして僕の口からこぼれ落ちる。
「ココロさん……」
「ヒィズさん」
その僕の呟きを拾い、そして返してくれる人が、そこにいてくれた。
***
「さ、冷めないうちに召し上がって下さいね」
目の前には、湯気を上げる暖かそうなスープ。それに軽く炙られ少しだけ焦げ目のついた黒パンとチーズ。
質素ではあるが、似た食材でも掛ける手間が違う。美味しそうだな、と思うのが半分、ラキアの雑さを思い出して苦笑するのが半分。それぞれで僕の心は暖められて、気持ちが落ち着いて行く。
「ヒィズさん、本当にありがとうございます。何というか、とても救われた気分です」
僕の心からの気持ちに、ヒィズさんは慎ましやかに、でも嬉しそうに笑顔を見せてくれる。
「聞きたいことは、分かっていますよ。お話ししますから、召し上がりながら聞いて下さい」
そう言ってヒィズさんは手で食べるように促してくれた。
正直に言ってお腹が空きすぎていた僕は、ヒィズさんの好意をありがたく受ける。
「ラキアさんの行方が不明なのは確かですし、誰にも何も言わずに居なくなったのも事実です。
ですが、ラキアさんが居なくなる前夜、ある事件が起こったのです」
事件。
僕はその不吉な響きを聞き、思わず少しむせてしまう。
「ゼライア領主プラナ=ヤーナ様が襲撃を受けたのです」
ぶほっ!
今度こそ、少し噴いてしまった。
「犯人は不明。武器も不明。
翌日から行方不明になったラキアさんは真っ先に疑われましたが、狼人の武器である狼鎖剣は使われず普通の弓と剣が使われたこと、姿形すらだれも見ていないことから、容疑者で止まっています」
容疑者で止まっている、とはつまり、現在進行形で容疑者であり続けている。
ならば、もし出奔しているとして、二度とこの街に、あるいはユーハイツィアという国に再入国はできない?
「そしてもう一つ、関係するかどうか分からない話。
本人は何も語りませんが、ラキアさんはコツァトル国の有力士族の出、つまり俗に言う高貴な生まれ、と真しやかに言われています。
彼女の乱暴に見える立ち居振舞いも、意外に下品に見えないのはそのせいではないか、と噂されています。読み書き計算が出来るのも教育を受けた証。
何故、彼女が国から放逐されたのかは不明ながら、人一倍、国を思う傾向があるのかも知れません」
「つまり、国を出たかも知れないことと、コツァトル国を思う気持ちが強いこと、その二つの不確定情報を合わせて考えた場合」
「はい、ラキアさんはユーハイツィアを出てコツァトルに向かった可能性が高いと思います」
ぼと、と音を立ててパンを落としてしまう。話が衝撃的すぎて、落としたことにすら気づけていない僕。
え。
だって。それって。
「もしも本当にラキアさんがユーハイツィアを出ているのであれば――コツァトルを放逐され入国できない彼女には行き先がないことになります」
がたんっ
意図せず立ち上がる。
きっと顔は真っ青になっていることだろう。呼吸もつかえるようで何か息苦しい。
いま、彼女は何処に居るのか?
飢えに苦しんでいないだろうか?
雨風はちゃんと凌げているのか?
宿は?追っ手は?盗賊などは?
……だれか支えてくれる人は側にいるのか?
……行かなきゃ!
「待って下さい」
動こうとする僕を押し留めるヒィズさん。
「何処へ行くおつもりですか?」
どこって、ラキアの元に……
「何処にいるのかも分からないのに?」
でも、ラキアが……
「いま、衝動に負けてはいけませんよ。
落ち着いてさえいれば、私を助けてくれたあの時のように、ココロさんはきっとラキアさんの力になれるはず。私はそう信じています。
だから、落ち着いて下さい。ね?」
そう言って、僕の手を取ってくれるヒィズさん。
その暖かい手の温もりが、じんわりと冷えた僕の手に感覚を呼び戻す。
「ふふ、時々頼りないですね、ココロさんは」
そう言ってヒィズさんは
「あ、ありがとうね。なんか、元気ができたよ。とても、本当にありがとう!」
少しわたついたけど、感謝の気持ちが自然に口からこぼれる。
「あと、ごはんありがとう。
本当に美味しかった、生き返ったよ。ご馳走さま」
頬をそめて喜んでくれるヒィズさん。久しぶりに、ぴこぴこと動くヒィズさんの耳と、わっさわっさと大きくく動く尻尾を見ることができた。
そのまま僕は帰途に着くために家を出る。ヒィズさんも見送りに外まで出てきてくれる。
「今日は本当にありがとうね。なんとなく、自分のやるべきことがうっすらでも見えてきた気がするよ」
「それなら良かったです。
でも、もしココロさんがラキアさんを追って行かれるなら、出る前に必ず私にも教えて下さいね」
「分かったよ。必ず」
ニコリと微笑み、帰ろうとする僕に、ヒィズさんは一歩近づいて囁く。
「もし良かったら、今日は私の家に泊まって行っても良いですよ?」
そう言ったヒィズさんは素敵な笑顔で、薄く空いた目からは少し潤んだ視線が窺えた。僕はヒィズさんにお礼だけ言って、ちょっとした衝撃を心の底にしまいながらソルディナさんの家へ向け帰途についた。
***
翌日、僕はイリカさんとヤキンツァ爺と共に市庁舎へ芦を運ぶ。
今回の件、不確定情報が多すぎる。自分の進むべき方向を定めたいのなら、確度の高い情報が必要だ。
それを手に入れるにはどうすれば良いか?情報は権力ある場所に流れるのだから、自分の知り合いで最も権威ある人を頼るべき。
ちょうどそういう知り合いを最近得たので、申し訳ないが早速活用させてもらう。
「こんなに急に再会するとは思わなかったが、今日はどうしたのだ?」
執務机から立ち上がり、こちらに歩きながら完璧に制御された笑みを湛える。さながら若いベンチャーの社長さんのようだ。
「申し訳ありません」
いきなり頭を下げて謝罪する。
縁故にかこつけて権力的な優遇を得たい。本来であれば、良識ある知人ならば避けて通らねばならないことをやっている自覚はある。
そんな僕をしげしげと眺めてから、おもむろに声をかけてくれた。
「なるほど……余りに勘違いが過ぎるのなら説教が必要だと思っていたが、理解してやっているのなら、ただの悪人だな。
良いだろう、まずは話を聞こうか」
そう言って、少し柔らかくなった(ような気がする)笑みで僕を受け入れてくれた。
ただし、その後方に控えるパルテさんから突き刺さる冷気の矢のような視線は、全く和らぐことはなかったのだが。
***
「コツァトル国との戦争の噂、か……」
アラフアさんは難しい顔で、僕の言った言葉を反芻する。
「私はこの都市の副長、という立場を拝領している身ではあるのだがな。
実を言うと父から権限は制限されていて、軍事関連は私の管轄になく、むしろ隔離されていると言ってよい。それ故、そちらの話は詳しくない。
……というよりも、殆ど持っていない。もしそれが事実であるならば、不自然なほどに、な」
アラフアさんは物思いに耽るように視線を落とし、沈黙する。
ややあって顔を上げた彼女は、そのまま視線を背後のパルテさんに移す。
「パルテ、すまないが、この話の噂について軽く聞いてきてくれないか。
裏取りは不要だ、ただ彼らがいる間に知りたいから急いで欲しい」
「承知いたしました」
そう言ってパルテさんはきびきびと部屋を出て行く。それでも、通り過ぎる瞬間に僕を睨みつけて行くことだけは忘れない。
そしてアラフアさんは僕に視線を戻して、話を続けてくれた。
「どうも父は、私が軍事的な話に首を突っ込むのが気に召さないようでな。
私の報告系統から恣意的にその関係を除外している可能性があるのだ。
それに、その話が本当だと仮定すると、私が魔学短期講義に、二か月という限定であれ専念することを父より許可いただいたのは、なるべく戦争の話から私を遠ざける意図があったのかも知れないし、な」
そう。つい昨日まで、アラフアさんは僕達と一緒にいた。
だから、彼女は今回の件とは無関係であると思えるのだ。
「さて、父の襲撃事件についても知りたいのであったな。
これは都内の警備に関する内容であるため私にも情報が届いている。
概要としては、ココロ君の言う通りだ。
小雨がパラつく夜に、馬車で帰宅途中で街灯が倒壊、道を塞いだ隙に暴漢に襲われた、ということだ。
犯人は小柄で、黒いマントで身を隠していた。それ故に誰もその姿を見ることができず、また信じ難い敏捷性を活かして跳び回り、更に正確に矢を射かけられて翻弄された、とか。
最終的に護衛を突破できなかった暴漢は、短剣を父に向かって投げ逃走。今に至るまで何の手掛かりも上げられていない」
「その、ラキアが本件に関与していたとは……」
「心配しなくて良い、ココロ君。別に私はそのラキア嬢への嫌疑をどうこうするつもりはない。ただ、何がしたかったのかは分からないがな」
そうだ。何がしたかったのだろうか。
もしラキアがこれを狙い、ここまで追い詰めたなら、途中で手を引くだろうか?
「警告、だったのかも知れませんねぇ」
ずっと話を聞く側に回っていたイリカさんが、ぽつりと漏らす。
「もし本当に、ラキアさんが領主様を害した場合、狼人が疑われるだけでは済みません。嫌疑不十分でも、全員、国外追放の憂き目に会う、可能性もありますぅ。
だから、本当に最後まではぁ、できません。
それでも、戦争を始めるのに、その戦争で使う武具を、立場の弱い敵国の人間に作らせる。そぉんな、非道な行いへ、精一杯の抗議として、伝えたかった?」
「なるほど。だから、狼人の証拠は一切なく、しかし狼人であると本人に思わせる程度には匂わせる。意味はないが、意義はある、ということか」
イリカさんがさり気なく領主の行動に非を唱えている気もするが、アラフアさんはそこは見逃してくれているようだ。アラフアさん自身も、そのやり方には賛成でないのかも知れない。
そこにパルテさんが戻ってきてアラフアさんに近づき、何か耳打ちする。
それを聞いたアラフアさんは少し表情を厳しくして、僕らに向かい言った。
「その噂話だが、どうやら真実のようだ。私に隠蔽し、各部署で準備が進んでいる形跡が窺える。正式な発令がないため開戦の予定日は分からないが、演習の名目で既に軍の一部は出立し展開済み。いつでも開戦可能だ」
ざわり。
僕の中で、何かが震える。
「更に、食料の備蓄からの持ち出しが多いようだ。これが兵站へ使用することを想定しているのならば、辻褄が合う。既に事態は動き出していると見るべきだ。
遅くとも、一か月以内に、事態は動くだろう」
やはり。
もうユーハイツィア国は。ゼライアは動き出している。
まだ宣戦布告は為されていない、これをコツァトルに伝えに行ったのかも知れない。彼女自身の命を懸けて。命を捨てる覚悟で。
これが二週間前。もしかしたら、既にラキアの命は――
「……あ……ありがとう……ございました……。
ぼ……僕は、用事を思い……出しまして……」
「ココロさぁん……」
アロトザが聞いて来たのは噂話。まだ街に開戦の布告は聞こえて来ず、大きな動きも感じられない。であれば、誤報の可能性もある。
そう思っていたが、既に兵は先行部隊が密やかに展開済みであり、糧食の準備も進んでいる。事態が動き出しているなら、為政者の立場から見れば浪費は避けたいはずなので、事態が動くのはそう遠くない。
そこまで理解できた。
きっと僕の顔色は真っ青なのだろう。
イリカさんが気づかわし気に僕を見ている。
そんな僕らの様子を見たアラフアさんが声を掛ける。
「そのラキア嬢を探すためにコツァトルへ行くのか?この街に来ている狼人ならば国外追放を受けた重罪人だろう。彼女は国に入れない」
「……はい。ですから、彼女に行き場はないのです。そしてそれを承知で旅立ったなら、その情報を伝えることのみを目的に命を懸ける、という行動に出る可能性が高いと思います。
……すぐにも追わないと」
そんな僕の様子をじっと見ていたアラフアさんは、少し笑いながら言う。
「だが君は、そもそもまだ社会的な立場が確定していないのではないか?
ソルディナ女史が何やら画策している様子だが、まだ正式な市民権も取得していないだろう。ひとたび国の外に出れば、旅も容易でないぞ?」
「うぐ……全くもってその通りであります……ありますが……」
言葉に詰まる僕を見遣り、アラフアさんが言う。
「いや、失敬。脅すつもりではなかったんだ。
――私も同行しよう。どうせまだ魔学講義の期間内、職務の整理はつく。
私も実地を見て、父が隠していることを確認しなくてはならないからな」
僕は、ばっと顔を上げた。
彼女が一緒に居てくれれば、その情報網を使い、できることの幅が広がる。
「昨日まで使っていた馬車を使おう。実践研修を継続という態を取れば、各所への連絡も楽で済むが、イリカ君はそれでも良いか?君が不在でも、体裁を使わせてくれれば、それでも良いぞ?」
それを聞いたイリカさんは、目をぱちくりさせてから、ほんわかと笑って言った。
「いぃえ、私はココロさんの、婚約者役ですよぉ?私が行かなくてどうするんですかぁ。ちゃぁんと、サポートしますから、気を落とさないでくださいねぇ、ココロさん」
***
夕刻。
街の空が茜色に染まる刻限。
僕らは、取るものも取りあえず準備をして、街の出入口に集まった。
一人不満げなパルテさんだが、それでも旅の準備は万全の様子。
「――それでは、出発を――」
声を出そうとした瞬間。
どんっ!!
音を立てて、僕の目の前の地面から土煙が舞い上がる!
慌てる僕、肩に乗り毛を逆立てるフェレット爺、杖を持ち直すイリカさん、即座に剣を抜き構えるアラフアさんとパルテさん。
そんな中、土煙が薄れてくると、向こうから人影が近づいてくるのが見える。
構える三人+一匹、茫然とする僕。
「――どちらへいらっしゃるのですか、ココロさん?」
ピコピコと耳を動かし、尻尾をピンと逆立てて向こうから歩いて来たのは――普段と異なり、動きやすそうな格好をしたヒィズさん。その腕には、かつて見慣れた籠手が装着されており、その籠手から延びる銀色の鎖は、僕の傍の地面に突き立った短剣に繋がれていた。
「旅立つ前に、私に声をかけてくれる、と約束したではありませんか?」
やばい、あれは怒っている。それも、かなり怒っている。
心の中でぶるぶる震えている僕に花のような笑顔を向けながら、決然としてヒィズさんは言い放った。
「ココロさんの旅――私も同行致します。
私は狼人族として、此度の結末を見届ける必要があります。そして、私はココロさんの力になる。そのために来ました。
不束者ですが、よろしくお願いいたします」
その殊勝な言葉とは裏腹に鋭い狼の目をしたヒィズさんは、その視線を隠すように、深々とぺこりと頭を下げるのだった。
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