その9

「――リセの様子、どうですか?」


 静かにふすまを閉めて部屋から出てきたアキラさんに、シグレさんが問いかけました。


 リセ達が病院から戻って来たのは、30分ほど前のことです。


 昨日までは、おしゃべりと笑い声で満ちていた家の中。

 今は、赤い西日が障子を染めているだけです。


「寝てるよ。

 頓服、飲ませたからな。

 これで熱、下がると良いんだが……」


 僕は、座布団の上に寝かせた荒い息をつく音津さんから、先生に視線を移しました。


 アキラさんが(おそらく音津さんが見えないので)並べられた座布団に眉をひそめます。


「――熱はもうすぐ下がるよ」


 声は、唐突に。

 玄関から聞こえました。


「――でもさ。下がってからが面白いんだ」


 シ、

「シロさん……!」


 玄関の引き戸の向こう。

 敷居を越えずに、シロさんが三日月形の瞳で笑っていました。


「誰だ、あんた」


 この雰囲気の中笑顔のシロさんを、アキラさんが不快な表情で睨みます。


 そこへ先生、ぼそりと一言。


「――美しき桃の姫君、女子大生だ」

「う゛!」


 アキラさんが、ヨロヨロ…っと後退りました。


「ウソだあぁぁっっ!!」

「本当ですよ」


 思わず半眼になってしまいました……。


 てかアキラさん、


「今日は、ちゃんと見えてるんですね」


 それに答えるのは、シロさんです。


「昨日は、ちょっとイタズラしたからね。

『相手が一番警戒しない姿』に映るように」


 そこでひょいと肩をすくめると、


「まあ、あんまり効果は無かったみたいだから、やめちゃったけど」

「そんなことはどうでもいいんだ……!」


 怒気を含んだ声に、僕らは先生の方を向きました。


 シロさんの燃える赤い視線を受けて、先生の目もまた燃えていました。


 ただしこちらは、例えて言うならば静かな蒼い炎です。


「どういうつもりだ。何が目的だ。

 あほネズミ……はいいとして、」


 よくないですよ! 先生!


「リセになにかあったら……!」


 飲み込んだ語尾に、初めてシロさんの顔から笑みが消えました。


 しかし、すぐに再び笑いを張り付けると、


「ボクが何をしたっていうんだい?

 アレを食べるかどうか選んだのは、君達自身じゃないか。

 現に4人は無事だったわけだし」


 肩をすくめてみせます。


「ふざけるな……!!」


 今にも殴り掛かりそうな雰囲気の先生に、僕は一歩後退り、シグレさんは止められるよう身構えました。


「え、ちょっと待って」


 そこへ間の抜けた声で割り込んだのは、アキラさんです。


「話しの流れを読むに、お嬢さんの具合が悪いのって、もしかして昨日の『種無し桃』が原因?」


 あー……。

 そうか、アキラさんだけ事情を理解してなかったのですよね……。


「でもアレ、オレも食べたぞ!」


 先生が『面倒臭いなぁ』といった表情ありありで、


「チッ……!」

「ああっ! 舌打ちした! このヒト!」

「アキラ、うるさいぞ。

 君の身代わりに、苦しんでいる毛モジャがいるんだ。静かにしたまえ」


 つまり、音津さんがアキラさんの代わりに桃の『毒』を引き受けてくれた、ということですよね。


 しかし、音津さんの見えないアキラさんはキョトンとしています。


「シロさん」


 僕は一歩彼に近づいて、けれども彼の手の届かない間合いは保ったまま、尋ねました。


「このままだと、リセ達はどうなるのですか?」

「楽しいことになるよ」

「これのどこが楽しいってんだよっ!?」


 アキラさんの怒声にも、三日月の瞳が崩れることはありません。


 ……挑発に乗ってはダメです。


 僕が黙って待つと、彼は続きを口に出しました。


「確かに、あの桃には種は無い。

 ――目に見える種は、ね」


 その言い方に引っ掛かるものを感じて、シグレさんが眉をひそめます。


「アレはね、見えない種を持ってるのさ。

 ――食べた者の魂に根を張る種を、ね」


 ――シロさんは、心底可笑しそうに、くつくつと笑いました。


「あと小一時間もすると熱は下がる。

 それは種が根を出した証だ。

 種は、丸一日かけて宿主の体全体に根を張っていく。

 そして最後に、頭のてっぺんから綺麗な二葉を生やすんだ。

 そうしたら、もう宿主の命は長くないだろうね」


 シロさんは、再び肩を揺らして笑います。


「ちょっと想像してごらんよ。

 滑稽で、可笑しい光景だろ?」

「てめぇ……っ!」


 ギリギリと両の拳を握りしめ、ずんずん大股でシロさんに近づくアキラさんを。

 僕は、彼のシャツの裾を、両手でぎゅっと握って止めました。


「……ヒカル……」


 僕は、泣いていましたでしょうか?


「――どうすれば、助かる?」


 僕の代わりに、先生が静かに問いました。


 俯くこちらに、シロさんの視線を感じます。


「ボクが特効薬を持っている」

「只という訳にはいくまい?」

「勿論だよ。

 あることをやってもらいたいのさ。

 君達に――……というより、ヒカル、君にね」

「…………」


 自分の名前に顔を上げると、赤い目がこちらを見つめていました。


 けれどもその炎の奥に、なにか縋るような色を見た気がして、僕はようやっとアキラさんのシャツから手を離しました。


「――僕は、何をすればいいのですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る