その8

「リセっ! アキラさんっ!」


 別荘に戻った僕は、鍵のかかっていなかった玄関の引き戸を勢いよく開けました。


 後ろから、息をきらせたシグレさんも駆け込みます。


 ……ちなみに、一番最初に走り出した先生は途中で力尽きて、今頃は前の道をヨロヨロ歩いている事でしょう……。


「うお!?

 どーした、お前ら。息せき切って」


 ちょうど台所から、寸胴鍋を持ったアキラさんが、出てきました。


 カレーの匂いがします。


 良かった……!

 アキラさん無事で――……、


 ほころびかけた僕の顔は、その後ろに転がるモノを見て凍り付きました。


 ――ね、


「音津さんっ!!」


 靴を脱ぎ散らかし、慌ててそばへ駆け寄ります。


 烏帽子と着物をまとった、柴犬ほどの大きさの灰色のモコモコは、いつもは背中に背負っている二胡を抱きしめ、部屋の角で丸まっていました。


「どうしましょう!?

 どうしましょう!?」


 オロオロする僕の後ろで、音津さんの見えないアキラさんがうろうろします。


「な、なんだなんだ?

 そこにゴキでもいたか?」


 そこへ詰め寄るシグレさん。


「アキラさん! リセは!?」


 !


 そ、そうです!


「お嬢さんなら、気分が悪いとかで向こうの部屋に――……」


 鍋を持ったままの彼は、顎をしゃくってみせました。


 ふすまを開けて、次の間へと駆け出すシグレさん。


 それに続く僕。


 さらに次の間。


 二枚目のふすまを開き――……、


「――リセっ!」


 そこに彼女が、リセが倒れていました。


 畳の上、二つに結った長い髪を散らして。


「――お嬢さんっ!」


 さすがにカレー鍋は置いてきたアキラさんが、僕たちを押し退けてリセを抱き起こしました。


「……大丈夫よ……」


 腕の中で、うっすらと目を開けたリセが呟きます。


「ちょっと……寒いだけ……」

「なに言ってるんスか!

 熱、あるでしょう!」


 額に触れていたアキラさんが、こちらを指差しました。


「シグレ、車の鍵取って来い!

 ヒカルは、お嬢さんの上着!」

『は、はい!』


 声を揃えて背筋を伸ばし、踵を返した僕たちの目に、


「――先生!!」


 ふすまに寄り掛かるようにして、荒い息をつく、先生が映りました。


「ユタカ。お前、ヒカルと留守番してろ」

「……病……院……か?」


 息も切れ切れな先生に、アキラさんは頷きます。


「昨日の義眼の――……中内さん、だったか?

 に聞けば、場所分かるだろ」


「……ああ。そうだな……」


 沈痛な面持ちで瞳を閉じる彼女を、アキラさんは訝しげな表情で見つめましたが、


「ほら、お前ら!」


 やがて僕らを急かしながら、リセを抱えて部屋を出て行きました。


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