その6・完

 先生が向かったのは、商店街の南端。


「せ、先生……ここは……」


 そうです。音津神社です。


 僕の顔も引きつります。


「……言うな。分かってる……」


 そりゃあ、まあ『頼りたくない』でしょうねぇ……。


 なにせ相手は、ちょっと前に先生が、問答無用でぐーパンチを喰らわせた方なのですから……。


 ぴんぽ~ん!


 僕らの間に漂う妙な緊張感とは裏腹に、間の抜けたチャイム音が響きました。


「……はーい? どちらさ――……、」


 私宅の引き戸を、ガラガラと開けて出て来たのは、


「!!

 ぎゃーっ! てめ……っ! ユタカ!」


 よりにもよってアキラさんでした。


 後ろには、やっぱり今日も二足歩行の音津さんがいます。


「ぬけぬけと……!

 何しに来やがった!?」


 しごく当然の事ながら怒るアキラさん越しに、僕は音津さんに向かってぺこりと挨拶しました。


 音津さんも、嬉しそうに細いヒゲをピクピクさせると、ぺこりと頭を下げて――……バランスを崩してよろめきました。


「用事があるのは私ではない」


 先生は憮然とした表情で、


 ずいっ。


「え? え? え?」


 あろうことか、楓さんを前面に押し出します。


 かわいそうに、二人の間に挟まれてオロオロする楓さん。


 と。


「…………」


 アキラさんの怒りの表情が消えました。


 かと思ったら、唐突に楓さんの手をとって、


「――何かお困りですか? お嬢さん」


 微笑んだ彼の歯が、キラリと光った気がしました。


「先生! 寒い! 寒いですっ!

 一足先に、ここだけ冬将軍が攻めて来ましたよーっ!!」

「今現在、楓さんが困ってる原因は、アキラ、お前だろう」

「てめぇら……!」


 事情を説明した僕らをアキラさんは社務所に招き入れ、そこに残して、自分はどこかに行ってしまいました。


 やがて戻って来た彼の手には、40センチ四方の大きさの木の箱が。


「それか……」


 呟く先生に、アキラさんは無言で頷きました。


 な、なんで、金髪大学生のアキラさんが、そんな稀覯本持っているのですか!?


 僕の怪訝な表情に気付いたのでしょう。

 右手を振り振り、先生が言います。


「私が《地下迷宮》に出入りしていることに気付いたジイさんは、お気に入りのレア・漫画いくつかをアキラに預けたのだ」


 ジイちゃん、そこまで孫を疑わなくても……。

 ……いえ、そこまで信用されない先生が凄いのでしょうか……。


 僕が何とも言えない表情をしている横で、アキラさんは木箱を畳の上に置き、ゆっくりと蓋を開けました。


 真綿の布団の上に、それは鎮座ましましていました。


 四隅には、シリカゲルに似た何かの小袋。


 楓さんが言っていた通り、サイズは少年マンガより二周りほど大きいです。


 表紙には、構図や背景などが違いますが、あの哀しい目をした男の子がいます!


 そして、タイトルは――……、


『ルゲリの宙宇』


 ……あ。今とは違って、右から左に読むのですよね。


「こ、これ……!」


 見開かれた楓さんの瞳から、ぽろぽろと大粒の雫がこぼれ落ちました。


「……あ、ご、ごめんなさい……!

 貴重な本を汚しちゃ駄目ですよね……!」


 赤い目をごしごしこする彼女を見て、僕と先生は顔を綻ばせました。


 しかしアキラさんは、難しい表情のままです。


「あの……触っても……?」


 上目に問う楓さんに、


「その前に、聞きたいことが有るんです」


 先程の軟派な態度はどこへやら、真面目な口調で問います。


「ひいお祖父さんの名前は?」

「え? 金蔵です」

「ひいお祖母さんは?」

「よ、よねですけど……」


 それが一体、どうしたというのでしょう。


 アキラさんは、しばし逡巡する様にじっと『リゲル』を見た後、おもむろに木箱の蓋を閉じてしまいました。


「ちょ……っ!」

「おい、アキラ!」


 思わず腰を浮かせた僕らにはお構いなしで、アキラさんは箱を両手で持つと――――楓さんに向かって差し出しました。


「――――これは、あんたのもんです。

 持ってて下さい」



       ***


 夕暮れの境内。


 何度も何度も頭を下げる、楓さんの姿が見えなくなってから、


「――で。どういう事だ?」


 先生は、妙にニヤニヤしながら、アキラさんをつつきます。


「君が、女性に車を貢げる程の金持ちだとは、知らなかったよ」

「ちがうっちゅーのっ!

 ……ジイちゃんに謝って……あ、バイト増やさないと……」


 良く見れば、アキラさん、涙目です。


「……あの本、ぱっと見、美品なんだけどな、実は難有りなんだよ。

 カバーの裏に相合い傘の落書きがあんの。

『キンゾウ・トメ』って」


 楓さんの、ひいお祖父さんの名前は『金蔵』です!


 ……あれ?

 でも、奥さんは米さん……。


「今となっちゃあ確認しようがないし、全部推測だし、実際はそんな綺麗なもんじゃ無かったのかもしんねぇけど……。

 あれ、ラブレターだったんじゃねぇのかな……」


 ……ああ、そうか……。


 貸本屋のおかみさんの名前が、もしも『トメ』さんだったとして。


 キンゾウさんはどんな思いで、何度もそれを借りたのでしょう。


 トメさんはどんな気持ちで、それをキンゾウさんに託したのでしょう。


「……先生」


 長く伸びる影に、宙の暗さを重ね合わせて、


「リゲル少年は、幸せになれましたよね……?」


 ただ先生は、優しく目を細めただけ。



 天には一番星が輝いていました。



          《宇宙のリゲル・終》

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