その4

「なぜ私が行くなと言ったにもかかわらず、裏山に行ったのだね」


 先生がそう問い掛けます。

 僕の苦手なあの猫の目です。


「そんなに叶えたい願いがあったのかね」


 ええっ!?


「ち、違いますよ!

 信じてなかったですもん! あんな話!」


 そんな乙女な心の持ち主だと思われるとは心外です!


「あるわけないですから! タダで願いが叶うなんて、そんなこと!」


 僕の言葉に、


「!!!」


 先生の体が雷に打たれたように震えました。


「……そうだ! あるわけないのだ、そんなこと!」


 細かった目を見開いて叫ぶ先生。

 僕も大きく頷きます。


「はい! そうです!」

「タダで願いが叶うとか!

 一晩でフサフサとか!

 ぐんぐん大きくなるとか!」

「はい!」


 …………あれ?


「毎朝起こしに来てくれる、かわいい幼なじみとか!

 眼鏡なツンデレ委員長とか!

 料理上手な隣の未亡人とか!」


 え~と……。

 何の話しですか……先生……。


「どうしたんだユタカは……」


 シグレさんが頬に一筋汗を垂らして問うてきました。


「……いつもの発作です」


 僕もきっと呆れた顔をしているでしょう。


「先生が普段どんな遊びをしているか、実に良く分かりますね……」

「そうだな。

 しかもかなりエロ寄りのな……」


 そんな会話を交わしている間に、先生は茶箪笥の陰に隠れてしまいました。

 発作が起きると先生は暗い場所に逃げ込んでしまうのです。


「俺……相談する相手を間違えた気がする……」

「その可能性は否定出来ません」


 思わず真顔で頷いて。

 僕はポケットを探ると先生の方へ近寄りました。


「とー、とととと……」


 掌にはこんな時の為に常備してあった『抹茶キャラメル』を5・6個乗せてあります。


「キタキツネか。あいつは。」


 それは『るーるるるー』ですよ、シグレさん。


 すぐに野生化した先生が、


 ばっ!


 僕の手からキャラメルを奪い取って再び物陰に隠れました。


 待つことしばし――…、


「――ほりぇれ、あんにょはらしらっさから?」


 抹茶の力によって平常心を取り戻した先生は、やたらと口をモゴモゴさせながら光のもとへと現れました。


 ……どうやら渡したキャラメルをいっぺんに口の中へ入れた様です。


 僕は再び先生が発作に襲われない内に……と、事のあらましを話し出しました。






 ―――まず『テーブルの様な石に腹ばいになって乗った』というところで、鉄拳制裁をくらいました。


「そりゃ塚だろうがぁぁっ!!」

「ごふぅ!」


 つ、つか……?


「ツカってなんですか……?」

「昔の人のお墓だよ……」


 ふっ飛ばされた僕を助け起こしてくれつつ、シグレさん。


 更にミユリさんの家に足跡を連れて行ってしまった、というところで、


「アホくぁぁっ!!」

「はぶぅ!」


 再び飛ばされました。


 でもこの件に関しては文句を言えません。

 むしろ正面から怒ってもらって良かったです。


 どうやらシグレさんだけではなくミユリさんまでも巻き込んでしまったようで、僕は罪悪感で一杯だったのですから。



 一通り話し終えると、


「…………」


 先生は無言で腕を組んでしまいました。


 ……やっぱり怒ってしまったのでしょうか?

 堪忍袋の緒が切れてしまったのでしょうか?


 やがて彼女は冷えた緑茶を一気に飲み干すと立ち上がりました。


 思わず伺うようにその顔を見てしまいます。


「……何をぽけっとしているのだ? 当然、君も一緒に来るのだろう?」


 その声はいつもの通り。

 何の変わりも無く。

 心底不思議そうにこちらに尋ねてくるので。

 僕は不覚にも泣きそうになってしまいました。


 良かった……。


 お前の様な子供はもう関わってくるなと。

 全てを放棄して家に帰って、頭から布団を被って全部忘れてしまえと。


 そんなふうに言われなくて本当に良かった……。


 まだ僕がここにいることを許してくれるんですね、先生。

 何か出来ることがないかと空回りすることを、許してくれるんですね、先生。


 僕は唇をかみしめてこっくり首を縦に振ると、立ち上がって一つ先生に頭を下げました。





 先生が向かった先は何故か台所でした。


「あの~……。何を探しているんですか、先生」


 あっちこっちの引き出しを掻き回しているその背中に問い掛けます。


「……む~。それはだねぇ、君。

『防具』と『地下迷宮の鍵』の2つだよ」


 あれ……? ゲームの話しですか?

 また発作ですか? 先生。


 隣を見ればシグレさんが再び不安そうな表情をしています。


「おお! ここにあったぞ! あっ、これはこんな所に!

 シグレ、ぽーとしてないでこれを持ちたまえ。あと、これとこれと……」


 そう言って、先生がシグレさんに押し付けたのは『塩』『日本酒』それにパックに入った『鰹節』でした。

 みんな料理に使う物ばかりです。


 僕が不思議そうな顔をしていたのでしょう、シグレさんが説明してくれました。


「みんな『お清め』に使うものだよ」


 言われて見れば塩とお酒は聞いたことあります。


 でも、


「カツオブシもですか?」


 答えはシグレさんにも分からなかったようで、彼は目で先生の背中に問い掛けました。


「私も由来は良く知らん!

 ただ葬式の後なんかに、ジイさんが酒と一緒に体に振りかけていたのだ。

 ……もしかしたらウチの家系には化け猫でもついてるのかもしれんな」


 そんなバカな。


「そういや結婚式の引き出物なんかにも入ってるな、鰹節」


 シグレさんはうんうん頷いて、紅いカツオが印刷で描かれた小さな袋を見ました。


 要するに縁起物だということなのでしょう。


 最後に先生は戸棚の茶筒の中から、


「あった!」


 小さな鍵を発見しました。


 それが地下迷宮の鍵ですか?


「さ、行くぞ!」


 いつの間に用意したのでしょう。手に懐中電灯を持った先生は台所を出、縁側を南に向かって歩きはじめました。


 突き当たりには木製のドアがあって、南京錠が付いています。


 先生はそれを先程見つけた『地下迷宮の鍵』で開けました。


 ――ぎぎぎぃ……っ。


 ずいぶんと重い音がして扉が開きます。

 その先には、暗い闇が。


 先生が懐中電灯で照らすと、


「うわっ!?」


 かなりの急角度で下へと続く階段がぽっかりと浮かび上がりました。


 ぎし…っ、ぎし…っ。


「ジイさんは今セドリ旅行中なのだがな。その間に私が稀こう本をネットで売り払って、ゲームを買うんじゃないかと危惧しているらしい」


 きしむ階段をゆっくりと下りながら先生は言います。


『セドリ』って何でしょうか?


 再びシグレさんの方を見ますが、彼も首を傾げていました。

 ……外国の名前でしょうか?


「まったく失礼な話しだと思わんかね?」

「……ユタカ、未遂も犯罪だぞ」


 シグレさんの言葉に先生は黙り込みました。


 ……心当たりがあるんでしょうか、この人は。


 終わりが無いのではないかと思われた階段でしたが、意外や直ぐに地の底へとたどり着きました。


 どうやら階段同様この先にも電球等の明かりは無いようで、先生の持つ懐中電灯のぽっかりとした白い丸が僕らの唯一の頼りでした。


「う……わぁ……っ!」


 そのスポットライトに照らされて、闇から切り取られるように迷宮の一部が見え隠れします。


 それは名前の通り大きな本棚の群れで造られた果ての無い迷宮でした。


 ――いえ、果てが無く見えるのは暗くて奥がどうなっているのか分からないせいです。


 でも、本の沢山詰まった古い本棚が複雑に並んでいる様は。

 暗い闇の中で無数の知識の塔がうごめく様は。

 何だか先生の頭の中に迷い込んだようでした。


「はぐれるなよ」


 先生は一言そう言うと無造作に歩みを出しました。


 僕は物珍しくてついつい周りに目を奪われてしまいます。


 と、


「……ヒカル、一つだけ注意しとく」


 何故か顔を引き攣らせたシグレさんが後ろから言いました。


「お前は行儀が良いから大丈夫だと思うが、むやみに本に触るなよ」

「え? どうしてですか?」


 本棚の中にあるのは、どれも古くてくたびれた本ばかりです。

 どう見ても僕の持っているマンガの方が立派です。


 シグレさんは少し考えると、何故かこう聞いてきました。


「お前、お小遣、月いくらもらってる?」

「え? えぇ~と……」


 毎週500円で、


「月2000円です」

「なら、ここにあるのは安い本でもお小遣2年分はするぞ」


 え゛。


「俺も鑑定は専門外だから、実際はもっとするかもしれん」


 な、なんと恐ろしい所なのでしょう……!


 突然、周りからの圧迫感が増した様に感じて、僕は身を竦めました。


「おい何をしている?」


 暗闇の先から、ぬっと先生が顔を出したので、


「うわあぁっ!?」


 僕は思わず叫んでしまいました。


 先生は眉を寄せると、


「失礼だなぁ、君は」


 と言って再び背を向けます。


「さっきも言ったが、はぐれるなよ。

 私も行って帰って来る道しか分からんからな」

「それって……もしはぐれたら……」


 肩越しにちらっと振り返って、彼女は悲しそうな顔をしました。


「……かわいそうになぁ……」


 なんですかソレ! なんなんですかソレ!?


 僕とシグレさんは慌てて先生の背中を追いかけました。


 しばらく歩いて僕たちは、やがて一際大きな本棚の前にやって来ました。


 それは、てっぺんに2頭のオオカミが背中を向け合っている彫刻が付いた、立派な本棚でした。

 片方のオオカミは、口を大きく開け見えない誰かを威嚇し今にも噛み付きそうです。

 もう片方は反対に、くるんと丸まって外界を完全にシャットアウトしているようでした。


「これが私の本棚だ」


 先生は言いました。


「ここには、今までに私が読んだ本とこれから私が必要とする本、全てが収まっているのだ」


 え?

 それは冗談ですか?

 それとも何かの比喩でしょうか。


 先生があまりに真面目な顔のままなので、僕は尋ねる事をためらいました。


 すると彼女はニヤリと笑って、スポットライトをあらぬ方向に向けました。


「見ろ。

 ヒカルくん、君の本棚もあるぞ」


 え!?


 思わず振り返って、見た先には――……、

 ――2匹のリスがデザインされた本棚がありました。


 ……ちょっと待ってください。

 何故、先生が『カッコイイ・強い・オオカミ』で、僕が『カワイイ・森の・子リスちゃん』なのですか!


 横目で睨むと、犯人は肩を震わせて笑いを堪えています。


 ……どうやらからかわれたようです。


 先生はそこで分厚い本を何冊か抜き取ると、それを再びシグレさんに押し付けて地上への道を戻り始めました。


 先生がお店に持ち帰ったのはどうやらこの地方の郷土史のようでした。

 ちゃぶ台の上に三人それぞれ本を広げてページをめくります。


 ……ちなみに僕は情けないことにちっとも手が進みません。


 なぜって本はいわゆる『現代文』というヤツではなかったからです。


 僕が頭を悩ましている間に、なんと先生とシグレさんは会話を始めました。


「――そもそも、なんで『桜姫が願いを叶える』なんて話になったんだろうなぁ」


 シグレさんが問えば、目は本に向けたままで先生。


「善意や好意でないのは確かだな。

 理由もだいたい想像はつくが……」

「『後をつけてくる』ってぇのは、一種の契約が成立した事を表してるわけだろ?」

「そうだ。契約者は『願い事』を『購入』する。今の場合の願い事は、シグレくん、君だ」


 先生の言葉に、シグレさんは顔を引きつらせました。


「俺……どうなるんだ?」

「さあなぁ」


 先生の返事はなんとも煮え切らないものでした。


「なんせヒカル君が『憧れの人は』『シグレだ』と答えただけで『どうしたい』まではっきりと伝えてないからなぁ。

 桜姫が何をもって契約が完了したとみなすか、だ」

「お、おい……!」


 顔色がどんどん青くなるシグレさんを見て、僕はまた申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 と、そんな僕の顔色にちらりと視線を走らせて先生は、


「……大丈夫だ。手は考えてある。心配するな」


 ぼそりと。

 小さな声で、本に目を落としたまま呟きました。


 今のはシグレさんに言ったのでしょうか。

 それとも僕にですか?


 部屋は再び紙の擦れる音だけが響く、静寂に包まれました。

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