その3

――――異変は、すぐに現れました。




「ヒカルくん。

 どこかでシグレを見なかったかね?」


 三日後。


 いつものようにお店のハタキがけと本の整理をしていた僕に、レジの方から先生が尋ねました。


 振り向くと、彼女の目は僕ではなくカウンターに置かれたフィギュアに向けられています。


「先生、またお人形が増えましたね……」


 半眼で言えば、うっとりとそのピンクのロングヘアーの女の人を見つめて先生。


「昨日、手に入れたフィニアルさんだ。限定モノだからプレミアがつくぞ~!

 もっとも売ったりなんかはしないがね。ふっふっふっ……」


 ……いや。別にどうとは言いませんが。


「この髪の毛の流れるようなラインが素晴らしいだろう……。

 それにこのスカートの広がりかた……」


 僕に同意を求めないで下さい。

 そしてスカートの中を覗き込むのはいくら同性でもヘンタイっぽいので、やめたほうが良いと思います。


 話題を変えようと、僕は先ほどの質問に戻りました。


「シグレさんがどうかしたんですか?」

「いや。あいつ昨日・一昨日と店に来なかったのだ。

 インフルエンザの時も入店しようとして私に殴られたヤツが珍しいだろう?」


 確かにそれは少し心配です。


「学校ではどうだったんですか? 同じクラスなんでしょう?」

「それが……元気だったと言われれば元気だった気もするし、休みだったと言われれば休みだった気もするのだ」


 ……それは覚えていないということですね?


「……わ、私の記憶力が悪いんじゃないぞ!

 シグレの存在感が限りなく無いのが悪いのだ!」


 はいはい。ひとのせいにしない。


 僕がヤレヤレと無言で首を振るので、先生はぷーっと頬を膨らませました。


 これではどちらが子供なのか分かりません。


 と。


 噂をすればなんとやら。

 店の引き戸がガラリと開いて、シグレさんがやって来ました。


 ところが――……。


「いらっしゃ――あ、シグレさん!

 ……って、うわぁ!?」


 振り返って僕は、思わず叫んでのけ反りました。


 彼の顔はこの前会った時とは比べものにならないほど、ずいぶんと青くずいぶんとやつれて、目の下にはクマまであったのです。


「……誰かいるんだ……」

「ど、どうしたんですか!? シグレさんっ!」

「……家の中に……誰かいるんだ」


 シグレさんの言葉に、先生の目がス――……ッと細くなります。


「どういう事だね、それは。

 また君のストーカーが何かやらかしたのかね?」

「……またって何だ! またって!」


 先生のセリフに、それまで虚ろだったシグレさんの瞳に僅かに光が戻りました。


「始まったのは……三日前の夜からだ」


 店の奥。

 和室のちゃぶ台を囲んだ僕達。

 シグレさんは温かい緑茶を一口飲んで話し始めました。


「最初は帰り道、誰かに付けられているような気がしたんだ」


 ……つ、付けられている?


 聞き覚えのある単語に僕はギクリと身を強張らせます。


「何度振り返ってもそこには誰もいない。

 ところが歩きだすと、再びヒタヒタいう気味の悪い音が後ろから聞こえてくるんだ」


 ひ……ひたひた……。


 これはもう間違いないのでしょうか。


「三日前は家の前までだった。

 ところが一昨日は玄関の中までついて来て……。階段の下からじっと俺を見てる気がしたよ……。

 そして昨日……。

 ついにヤツは階段を上って俺の部屋の前まで来たんだ……」


 シグレさんの顔色がまた悪くなった気がします。


「今夜家に帰ったらヤツは絶対部屋の中に入って来る……!

 そうしたら何だか……俺はお終いな気がするんだ……。

 ヤツが何なのかも分からないし、こんな事ひとに言っても信じてもらえないだろうけど――……」


 そこまで言って、シグレさんははっとした表情になりました。


「お前らも……信じないよな、こんな話……」


 先生が目を細めたままニヤリと笑いました。

 あの、猫の目で猫の笑いです。


「――信じるさ」


 ニヤニヤ笑いのまま僕を見て、


「ヒカルくんに何か心当たりがあるらしいからな」


 う゛。


 バレています……!

 先生に怒られるのは恐いです。

 ですが。


 自分のせいでシグレさんがひどい目にあっているのに、とぼけることは出来ません。


 僕は最初から最後まで、心当たりを――桜姫の話を――先生にお話ししました。

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