その9

 …………


 ………


 ……


 ミルク色の靄が晴れると、


「ヒカル!」


 そこはあの、夢の洋館でした。


 リセが小走りに駆け寄って来ます。


 僕が来るのを、このリビングでずっと待っていたのでしょうか……。


「リセ……!」


 その元気な様子に、現実を知っている僕は複雑な心境です。


 しかし、彼女の方がもっと複雑な表情をしていました。


「……あんたがこっちに来る時って、ちょっとキモチ悪い……。

 何か、幽霊がだんだん実体化してってるみたいで……」


 がく……!


 腰から一気に力が抜けていきました。


 僕がどんなに奔走したかも知らないで、この人は……。


 と、その時です。


『はーっはっはっ!

 お揃いのようだね! お二人さん!』

 どこからともなく、大きな声が聞こえてきました。


「え!? な、なに!?」


 リセは驚き動揺している様ですが、僕はその声に聞き覚えが有りすぎるので、思わず半眼になってしまいます。


『私の名は『なぞなぞ魔人』!』


「…………は?」


 明らかに失敗なネーミングに、先程の動揺はどこえやら、リセの目が点になりました。


 ……先生すいません。

 フォローできません……。


『今日は君達になぞなぞを出しに来た!』

「え~と……?」


 反応に困るリセ。


 なんだか声は、今日は使われていない暖炉から聞こえて来る気がするのですが、覗いて万一先生が中にいたら気まずいので、気がつかなかった事にします。


『ここから出たければ、私の出すなぞなぞに正解するのだな!』

「え!?」


 その言葉にリセの顔が輝きました。


「出られるの!? あたしも!?」


 え?


「現実の世界に戻りたいんですか、リセ?」


 思わず目を見て尋ねる僕から、視線を逸らすと、彼女は眉根を寄せました。


「……ここからは出たいわよ。いい加減、飽きてきたし」


 むむ。

 ヲトメ心というのは、なかなか難しいものなのですね。


「……とにかく!

 今はなぞなぞを当てて、ここから出してもらうのが先よ!」


 リセがその気になってくれたのは良いことです。


 しかし僕は、出来ることならば、少しでも彼女に『現実の世界に戻りたい』『戻っても良い』と思って欲しいのでした。

 ただ『ここから出たい』というだけで無く……。


 こちらの内心の葛藤をよそに、先生はノリノリで話しを進めて行きます。


『ゲームを始める前に私の忠実なシモベを紹介しよう!

 いでよ! 『雨ふりさん』!』


 ……あめふりさん?


 何か、すごくイヤな予感がするのですが……。


 ぼむっ!


「わ!?」


 暖炉の前に、モクモクとした水色の煙りが上がったと思ったら、


「うわあぁぁっ!?」


 叫び声とともに、制服姿のシグレさんが現れました。


 ……やっぱり……。


「な、なんだ今の……!?

 めちゃくちゃ気持ち悪かったぞ……!」


 車に酔った時のような真っ青な顔をして、シグレさんはふらふら立ちました。

 シグレさん……なんと哀れな……。


 一方先生は、


『ひょほほほほ!

 何だコレ! めちゃくちゃ楽しいぞ!』


 ああっ! 先生が変なテンションに!


「ちょっと待てっ!

 なぜお前だけこんな事ができる!?」


 相手の姿が見えないので、取りあえず声の聞こえる暖炉の方を向いて、尋ねるシグレさん。


 なぞなぞ魔人、答えていわく、


『ここはアストラル・プレーン――……いわばイマジネーションの世界だ。

 言っとくが、私はこの中の誰よりも2次元の世界に触れている自信があるぞ!』


 いや、そんなダメすぎる自信を振りかざされても……。


『では、さっそくゲームを開始しよう!

 雨ふり! これを読みたまえ!』


 ぽむっ。と今度は、小さなピンク色の煙りが出て、シグレさんの目の前に、ハガキサイズのカードが現れました。


 ……煙りの色まで自由自在ですか、先生……。


 シグレさんはそれにチラと目を通すと、なぜか『え? 読むの? コレを?』というような表情をして、暖炉と僕らを見比べました。


『それでは、だいいちも~ん!』


 リセがこぶしをぎゅっと握りしめます。


 先生に促されるかたちで、シグレさんが問題を読みあげました。


「――『パンはパンでも食べられないパンは

な~んだ?』」


 しごく真面目な口調の彼の『な~んだ?』が、哀愁を誘います。


 ……いえ、そうではありませんでした。


「え……? この問題に答えればいいの……?」


 あまりに拍子抜けで、リセがぽかんとしています。


 彼女が答えようと口を開いた所で、


「ちょっと待ってください!」


 僕は止めました。


 相手はあの先生なのです。


「ひっかけかもしれません」


 普通に考えれば、答えはもちろん《フライパン》です。


 ですが――……、


『あ。言い忘れてたが制限時間を設けるぞ。

 10秒以内に答えたまえ。

 10……9……8……』


 えぇ!?


『7……6……5……』


 普通に考えればフライパン、しかし先生の思考回路を思うと――……、


『4……3……2……』


 フライパンか、先生か――……、えっと、えっと、えっと、


『……1……』

「く、腐ったパン!」


 制限時間ギリギリで叫んだ僕の答えは、


『………………。』


 辺りを凍り付かせました……。


「――え~正解は《フライパン》です」


 静まり返った空気の中、雨ふりさんの声がやけに大きく響きました。


『……ヒカル君、キミって人は……』


「あ、あほくぁぁっ!!」


 ぺぐしっ!


 我に返ったリセが、履いていたウサギのもこもこスリッパで、僕の頭にツッコミを入れます。


 同時に視界が白濁しました。


 別に脳しんとうを起こした訳でもありますまい。


 この慣れた感覚はきっと――……、


「あ!

 一人だけ逃げようっての!?」


 どうやら起きる時間のようです。


『なあんだ。もうタイムリミットなのかね。

 せっかく面白かったのになぁ』


 間違いなくこの世界を誰よりも楽しんでいる先生の声をバックに、僕の意識は急速に朝の冷たい空気の中へと浮上して行きました――……。

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