その8

 僕たちは、いつの間にかお店の前まで戻ってきていたようでした。


「ぼ、僕は……偶然『迷ひ家』に行った訳じゃ……ないんですか……?」

 まっすぐこちらを差す先生の白い指が、まるで命を奪う冷たい銃のように思えて、僕はこくりと唾を飲み込みます。


「偶然は有り得ない。

 こんなに連続で見ているんだからな」


 先生の表情は何故か、眉を下げた何かを詫びるようなものでした。


「だが私は、君が『迷ひ家』の主役だと思っていた」


 しゅやく……ですか?


「そう思い込んで安心していたのだ。

 君は安全だ、と。

 ……だが……すまない……」


 ちょっ、何なんですか!?

 さっきから、まるで僕に不幸が訪れるような口ぶりです!


 その事を問おうとして、僕の口から出てきたのは――……、


「……へくちっ!」


 ……くしゃみでした。


「とにかく中に入ろう。

 ちょっと冷えてきたしな」


 シグレさんに促されて、僕たちはお店の中に入りました。


 正面のガラスにシャッター代わりのカーテンを下ろして、茶の間で続きを聞くことにします。


「――リセの容態が急変した時と、君が『迷ひ家』に初めて招かれた夜は、同じ日じゃないかね」


 それは……。

 ――確かにそうです。


 シグレさんが入れてくれたお茶で掌を温めながら、僕は先生の言葉に頷きました。


 どちらも5日前でした。


「君は最近良くあくびをしているが、眠っても疲れが残るのではないかね?」


 これにまたもや首を縦に振ります。


 今日などは、原因不明の頭痛に悩まされました。


「やはりな……」


「おいおい、どういうことだよ?

 ヒカル、なんかマズイのか?」


 シグレさんの言葉に、先生は痛みを堪える顔をして僕に告げました。


「――ヒカル君。

 君は贄なのだ。

 リセの『夢の家』を維持する為の……な」


 に……え……?


 聞き覚えの無い言葉ですが、お二人の表情から自分が良くない立ち位置にいる事は分かります。


「――リセの魂と肉体を繋ぐ精神の糸は、5日前のあの日、限界を迎えたのだ。

 神の家を、普通の子供がそうそう変えたり維持したり、出来る訳がない」

「だって、あの『音津さん』は?」


 シグレさんが言えば、先生はムスッと頬を膨らませました。


「アイツはただ招いただけだ。

 そういう所が考えナシのアホなのだ」

「――ですが子供二人なら……。

 僕がいればリセの負担が半分になって、少しは長く『家』をもたせる事が出来る……」


 自分でも、顔が青くなっているのが分かります。


「……今ほど、君のおかしな縁を拾って来る体質と、自分の考えの甘さを嘆いた事はないよ」


『少しは長く『家』をもたせる事が出来る……』


 ……でもその『少し』が、一年なのか、一ヶ月なのか、一週間なのか。

 それとも今夜で限界を迎えてしまうのか。

 それは誰にも分からないのです……。


「そう不安そうな顔をするな」


 先生は困ったように笑うと、手を伸ばして僕の頭をクシャクシャと撫でました。


「何の解決策も浮かんでいなかったら、アキラを殴っただけで帰ってこないさ」


 先生は、


「ちょっと待っていたまえ」


 と立ち上がると、廊下の方へ消えて行きました。


 やがて奥から、扉を開くギィィ……という軋む音が聞こえてきます。


 どうやら例の『地下迷宮』を開けたようです。


 僕とシグレさんは、一緒に行かなくて良いのだろうかと顔を見合わせました。


 ですが『待っていろ』と言われてしまったので、仕方ありません。

 大人しくしていることにします。


 ……待つこと十数分。


 先生が髪の毛に埃をつけて帰ってきました。

 手には小さい木箱を持っています。

 先生はそれを机の上に置くと、そっと蓋を開けました。


 ――中から出て来たのは、更に小さな小さな貝殻でした。


 ベルベットの布に包まれ、眠るように三つ入っています。


「……これ、貝合わせの貝みたいだが……」


 僕の小指の先程の大きさのそれ一つ一つに、それぞれ別の絵と文字が書いてあるようでした。


 ……はっきりと言いきれないのは、あまりに小さ過ぎて判然としないからです。


「そうだ。

 貝合わせに使う物だ」

「いや。いやいや。

 おかしいだろ。普通、二枚一組だ。何で三枚あるんだよ」


 シグレさんの言葉に、先生がニヤリとあの猫の笑いをしました。


「そうだ。おかしいのさ。狂っている。

 だから普通では無いことが起こるのだ。

 これはな『夢路合わせの貝』と呼ばれているのだよ」


 シグレさんが、そのセリフを聞いて顔を引き攣らせました。


「何となく、お前のやろうとしている事が見えてきたぞ――……って、おい! 待て!

 何故ティッシュで包んで俺のポケットに入れる!?」

「む?

 一応、貴重品だからな。傷でも付いたら困るじゃないか」

「違う!!

『何故』『ティッシュで包むか』じゃないっ!

『何故』『俺のポケットに入れるか』だっ!」


 そして貴重品なら、ティッシュどころではなく、もっときちんとカバーして下さい、先生。


「乗りかかった舟だ。手を貸したまえよ」


 シグレさんは、ちらりと僕の方を見ると、


「……協力する事はやぶさかじゃない。

 ただ……この貝を使った後は、どうするんだ? 何か手はあるのか?」


 ……僕にはちょっと話しが見えなくなってきました。


「何とかなるだろう」


 適当な事この上なし、な先生に、シグレさんは再び顔を引き攣らせます。


「大丈夫だ。

 ようはリセに『ここから出たい』『出られるんだ』と思ってもらえれば良い。

 アホネズミは悪意で彼女を拘束している訳じゃなく、ただリセの願いを叶えているだけだ。

 その願いが変われば『家』は存在価値を無くし崩壊する。

 リセ、目を覚ます。母親、喜ぶ。ヒカル君、助かる。

 良いこと尽くめだな!」


 おお! なんかすごいですよ! 先生!


「……たぶん、な」

『…………え?』


 僕とシグレさんの声がハモりました。


 たぶん!?


「ま。やってみれば分かるさ!」


 先生!?


 しかし彼女は、ものすごく良い笑顔で右手の親指立てると、


「それでは諸君!

 今夜、夢で会おう!」


 せ、先生~っっ!?

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