シロと黒い水

その1

 帰りたい。


 ただ、ウチへ帰りたいだけなんだ。


 それなのに、道の途中に大きな壁が立ち塞がって、帰れないんだ。


 何度行っても、あそこから先に進めない。


 ……水が冷たいよ。


 あんまり長く浸かり過ぎてて、体が黒くふやけちまった。


 なぁ、あんた。


 アタシの家を、知らないかい?


 アタシの家に、続く道を、知らないかい?


 なぁ、頼むよ……。


 教えてくれよ――……。




       ***




「喜びなさい、ヒカル!

 今度の3連休は、うちの別荘に連れていってあげるわよ!」


 お店の扉を開けるなり、腰に手を当てリセがそうのたまうので、僕は思わず半眼になってしまいました。


「え? あの、僕の都合は……?」

「そんなもの知らん!!」


 うわーい。

 清々しいほどの笑顔!


「リセんちの家族旅行に同行なんて、イヤですよぅ」


 なんだか、むちゃくちゃ疲れそうです。


「家族旅行じゃないわよ。

 あたしとあんたと、あと運転手しか行かないもの。

 パパとママは、ソウルに出張」

「いやいや! それ、余計にダメでしょう!?

 子供だけでお泊りとか、行けるハズないじゃありませんか!」


 どう考えても、母さんのOKが出ないです。


 僕の反応に、リセはぷうっと頬を膨らませると、


「……そうくると思ったわ!

 ちょっと、ユタカ!」


 奥で昼寝をしていた先生に、話を振りました。


 しかし先生、背中を向けたまま微動だにしません。


 まるで死体のようです。


「こら! 起きなさい!」


 リセは、カウンターにあった消しゴムを、先生目掛けて投げました。


 消しゴムは、黒髪の頭に当たって転がります。


「……む? なんだね……『お母さん』……」

「誰がオカーサンよっ!」

「いや、今の言い方がな、母親っぽかったのでな」

「ああ。確かに」

「同意するなっっ!」


 むくりと起き上がって先生は、目をショボショボさせながらリセを見ました。


「で~?

 何の用だね?」

「来週の土・日・月の3日間、旅行に行くわよ!」

「イヤじゃあ。」


 即答ですね……。


 まぁ弱ヒキコモリの先生を、そう簡単に旅行なんぞに連れ出せると思ったら、大間違いで――……、


「……っんっふっふっ!」


 僕の内心の呟きを遮って、リセが不気味に笑いました。


「そうくると思ったわ!

 でもね、ユタカ。

 別荘とは言っても、親戚の叔父さんが去年買った、山里の古民家なのよ」


 ……それが一体なんだというのでしょう?

 先生も言いたい事が分からなかったらしく、首を傾げています。


 それには構わず、自信たっぷりにリセ。


「ちょっと、想像してごらんなさいよ。

 美しい自然! さえずる鳥と虫の音!

 古き良き日本の家で過ごす、自由なあなたの休日!」


 インドア派の先生には、特に魅力的な単語とは思えないのですが――……。


 しかし、次の瞬間。


 細かった先生の目が、カッと見開かれました。


「――そう、あの名作ゲーム『ボクとワタシの夏休み』の、リアル体験があなたのもとにっ!」

「よしっ!

 行こう! 今すぐ行こう! ヒカル君!」

「やあねぇ、旅行は来週よぅ」


 え? え? え?


 嬉しそうに頬を染めいそいそと準備を始める先生と、ウフフフ。と笑うリセ。


 いったい何が起こったのでしょう?


 僕は展開についていけません!


「り、リセ……いったい何の呪文を唱えたのですか……!?」

「人を魔女みたいに言わないでよ」


 しかし、それを彷彿とさせるほど、劇的な効果がありました。


「あんなん言うと効果的だって、教えてもらったのよ」

「だ、誰にですか……!?」


 怪しいのです…!


「え? さっき言ってた運転手」


 うんてんしゅ……って、旅行について来るっていう……?


「さ、ユタカ!

 ヒカルをより確実に連れていくために、シグレを、なだめて・すかして・おどして、引き入れるわよっ!」


 ……ああ……シグレさん……。


 不安です……。


 この旅行、ほんとに不安なのです……。


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