その4

「な、な、なんだ爺さん!

 どっから入った!?」


 やっと口を動かして問うアキラさんの方に、お爺さんはギョロリと目玉を動かすと、


「……ふんっ」


 鼻息も荒く、二人を押し退け外に出て来ます。


「ガスと水道、使えるようにしてやったのに、えらい言われようだな」


「え……?」


 ポカンとしてアキラさんは、視線をリセに移しました。


「……あ。管理人の中内さん」

「お嬢さん!!

 それ思い出すの、もっと早くっ!」


 ……どうやら、この家の面倒をみてくれている方のようです。


 耳をすませば、家の中からザーザーと水の流れる音がしています。


「水道は長いこと使っとらんかったからな、しばらく出しっぱなしにしておけよ。

 あと、井戸水は飲むな。というか子供は近づくんじゃない。危ないからな」


 マシンガンのような早口のお爺さんに、


「はぁ……」


 アキラさんが頷いている間に、僕はひそかにその左目を見ていました。


 先程から右目はキョロキョロとせわしなく動くのですが、左目はじっと前を見つめたままです。


 つまり視点が合わないのです。


 僕の眼差しに気づいたらしく、お爺さんはギロリとこちらを見ると、


「……何だ坊主。

 これが気になるのか?」


 ぐりぐりっと親指で眼球を押して――……、


 ぼろり。


 その手の中に、左の目玉が落ちてきました。


『ぎゃああぁぁっ!?』


 リセ、アキラさん、シグレさんの悲鳴が重なりました。


「うわぁ!

 義眼、というやつですか?

 僕、初めて見ました!」


 僕がまじまじ掌の白い球を見つめると、お爺さんは初めてその顔に笑みらしきものを浮かべました。


「戦争でな」


 再び空洞の左目にはめ、アキラさん――……その後ろで鼻をヒクヒクさせている、音津さんの方に視線をやります。


「……おかげで、目ん玉二つあった頃には見えなかったもんが、見えるようになったわい」

「……な、何が見えるってんだよ……」


 小声で呟いて、一歩後退るアキラさん。


 明らかにヒイている3人は気にせずに、お爺さんはずんずん道へ向かって歩いて行くと、その小さな背中で言いました。


「……いいか、おめえら。

 日ィ暮れたら、外歩き回るんじゃねぇぞ。

 ……とくに水の近くはいけねぇよ。

 ――――怖いからな」


 それだけ告げて。


 振り返らずに、お爺さんは道の先へ去って行きました。


「あ、あの爺さんの方が、怖いってぇの……!」


 アキラさんの呟きを掻き消すように、一陣の風が吹いて、前庭の木々をざわりと揺らしました。



       ***



 家に入り荷物を整理した僕は、再び庭へと出てきました。


 なんやかんやで、もう夕暮れです。


 先生とリセは、テレビのチャンネルが3つしか映らないとかで騒いでいます。


 ……ここまで来てテレビですか。先生……。


 アキラさんは夕ご飯の支度です。


 庭の隅には大きな木が一本あって、夕日に長い影を落としていました。


 風が吹くと、カサリと音を立てて、黄色に染まった葉を一、二枚落とします。


「何してるんだ、ヒカル」


 後ろから声を掛けられて、振り向けばシグレさんが立っていました。


「……今度はぜひ夏に来たいなぁと、思っていたところです」


 そうすれば今の時間だってまだ明るいでしょうし、それに――……、


「この木、カブトムシが来そうな木です」

「確かになぁ」

「しかも、セミもいた模様です」


 僕の指差す地面には、セミの死骸が落ちていました。


 そんな僕をなだめるように、シグレさんはこちらの頭をぽんぽんと撫でて、


「アキラさんが『花火持って来た』って、言ってたぞ。

 夕飯、食べたらさっそくやろう」


 花火!


「それは楽しみですね!」


 と、僕らがそんな会話をしている後ろで、


「……さっきはおじいちゃんが、迷惑をかけちゃったみたいで~」


 耳慣れない声が聞こえてきました。


 そちらを見れば玄関で、リセとアキラさんが小柄な男の人と話しています。


 どうやら、歳はアキラさんと同じくらいのようです。が、一瞬お年寄りかと思ってしまいました。


 というのもその人の髪は、夕日にキラキラと輝く、雪のような白髪だったのです。


「いやぁそんな、迷惑だなんて~」


 ……何故かアキラさんの声が、デレデレしている気がするのは、気のせいでしょうか……?


「逆にお世話になっちゃいましたよ。ホント」


 鼻の下伸ばしてるアキラさんに、男の人はニコニコしながら、


「あの、これ、」


 と、手に持っていた紙袋を渡しました。


「さっき取って来た、桃です」


 ……もも……?


 って、今の季節でしたっけ?


「小さいけど真ん中に種が無くて、とっても美味しいんですよ。ぜひ食べて下さい」


 種なし桃、なんて聞いたことありません。


 シグレさんも隣で首を傾げています。


「この辺りの変種かなにかかな?」


 一方のアキラさんは、やっぱりとろけきった顔で、


「あ。ありがとうございます~!」


 なんて言っています。


 なおも2、3話しをした後で、白髪の男の人はお辞儀一つして玄関から離れました。


 かと思ったら、


「!」


 自分を見つめる僕らに気がついたのでしょう、いきなり方向転換して、やっぱりニコニコしながらこちらに近づいて来ます。


 ――ガサリ、ガサリと。


 何故か、風もないのに後ろの大木が幾枚もの葉を落としました。


「やあ、こんにちは!

 何してるんだい?」


 なに、と言われましても――……、


 僕は仕方なしに、正直に地面を指差します。


「セミの死骸を見てました」

「ふ~ん」


 相手はさして興味がない様子で、しかし相変わらず顔には笑みを浮かべたまま、


「ボクは『シロ』だよ」


 言って左手を差し出します。


 しかし、その三日月形に細められた目の奥が……おそらくは、夕日のせいでしょうが……燃えるような赤に染まって見えたので、僕はその手を取ることをためらいました。


「シローさん、ですか?」


 代わりに、ごまかすようにお名前の確認。


 しかし、


「やだな~、伸ばさないでよ~。

 ほら、」


 と、彼は髪の毛をつまみ、


「白いでしょ?

 だから、シロ」


 ……それって……。


 そのやり取りを見ていたシグレさんが、おそらく僕の警戒を察してでしょう、半ば強引にシロさんの手を取りました。


「こんにちは。俺は、シグレです」


 シロさんは、まるで値踏みするように、シグレさんの頭の先からつま先までを眺め回しましたが、


「君もなかなか面白いけどね。」


 燃える瞳を細めたまま、言います。


「……やっぱり、この子には敵わないかな」


 ――何故か、背筋を冷たい手で撫でられたような気がして、僕は一歩後退りました。


「せめて、名前くらい教えてくれないかなぁ」


 ……どうやら、相手に引く気は無いようです。


 一瞬の逡巡の後、


「――ヒカル、です」


 僕は、唇に言葉を乗せました。


「そう! ヒカル!」


 シロさんは、先程までとは違った、実に屈託のない笑顔でにっこりします。


 そして、軽いステップで僕らから距離を取ると、右手を大きくぶんぶん振りました。


「ばいば~い! ヒカル!

 またね!」


 彼の姿が道の向こうに見え無くなって、僕は知らぬ間に止めていた息を長く吐き出しました。


 理由の無い緊張感に苛まれていたのは、シグレさんも同じだったようです。


 彼の頬には、一筋汗が流れていました。


「……おかしなヤツだったなぁ」


 と、その背中に、


「……シ~グ~レ~……!」


 怨霊のような声が。


「うおっ!?」


 びくりっと肩を震わせて振り向けば、アキラさんがお岩さん的な目つきで立っていました。


「てめーっ、あの美人と握手なんかしやがって!

 うらやましいんだよ、ちくしょーっ!」


 ……正直な人です。


 というかアキラさん、美人って……。


 隣のリセも呆れ顔です。


「あんた、どんだけキャパ広いのよ」


 うんうん頷く、僕とシグレさん。


「どう見たってあれ、あたしのママと同年代だったじゃない」


 ……え?


 僕とシグレさんは顔を見合わせました。


 リセのお母さんとは一度お会いしていますが、シロさんより10は年上でした。


「なに言ってんスか、お嬢さん」


 と、今度はアキラさん。


「ピチピチ女子大生つかまえて、ママはないでしょ~?」


 女子大生……え!?


『女子!?』


 図らずも、僕とシグレさんの声が重なりました。


「どこが大学生なのよ。あのおばちゃんの」


「ま、待ってください!」


「男の人ですよね!?

 アキラさんと同い年くらいの!」


『男!?』


 と、今度はリセとアキラさんの声がハモります。


『…………』


 四人の間に、奇妙な沈黙が流れました。


 再び風が吹いて、僕らの間に木葉が一枚、落ちて来ました。


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