その4

 坂崎さんの言葉が、穴の空いた僕の心にガンガンと響きました。


「だ、大丈夫だよ!」


 僕があまりに蒼白な顔をしたせいでしょうか、慌てたように春野さんが言いました。


「まだ死んでないから!」

「コラっ!」


 ……見事すぎるフォローです……春野さん……。


 僕は改めてお二人に事の経緯をお聞きしました。


「――県立体育館近くに、スイミング・スクールがあるの知ってる?」


 坂崎さんの言葉に僕は頷きました。

 新しくて大きな建物で、クラスの男子にも通っている子がいます。


「先月の末かなぁ……。

 週末にね、そのスクールの送迎バスが事故を起こしたの」


「事故!?」


 思わず上擦った声が出てしまいます。


「って言っても小さなものよ。

 雨の日で、カーブを曲がる時にスリップして電柱にぶつかったの。

 ……ヒカルくん、ホントに覚えてないの?」


 え、えぇと……。


「クラスの男子も『足にアザが出来た~!』とかって騒いでたじゃん!」


 ……そんなこともあったような、無かったような……。


「まあいいわ。

 とにかくリセって子もそのバスに乗ってたのよ。

 ……ところが彼女だけ、気を失ったまま意識が戻らなかった」

「ひ、ひどい怪我だったんですか……?」


 聞くのが怖くもあります…。


「それが……そうでもないらしいのよ……」


 眉根を寄せる坂崎さんの横から、


「そうそう……!

 ここからが不思議な話しでねぇ……!」


 にゅっと春野さんが顔を出しました。


「わっ!?」

「あんたいきなり……」


 半眼になる坂崎さんに構わず、春野さんは続けます。


「リセちゃんね、事故に合う前にこんなこと言ってたんだって……。

『怪我でもすれば、学校にもスイミングにも行かなくて良くなるかな』って」


 え……?

 それってつまり――……、


「それでね、商店街の先に神社があるでしょ?

 そこにねお願いしたんだって。

『入院でもして、学校もスイミングも休めますように』って」


 それはつまり。

 リセにとっては、怪我よりも痛い思いよりも、ずっとずっと学校や習い事の方が嫌だった。

 と、いうことですか……?


 僕があまりに信じられないという顔をしていたのでしょう。

 春野さんが小首を傾げて言います。


「3組の子に聞いたけど別にイジメとかは無いらしいよ。

 むしろリセちゃん明るいし可愛いし、皆の中心に居たって。

 ……でもね――……、」


 彼女の黒目がちな瞳が、じっと僕を捕らえました。


「わたし少し分かる気がするよ……。

 ……ヒカルくんは、ないんかなぁ」


 え……?

 一体何がでしょう……?


「みんなに合わせて、笑顔でいるのに疲れちゃうこと。

 みんなの望むわたしでいたくて、でもそんなこと出来るわけなくて、自分のココロがバラバラになっちゃう気がすること――……。

 ヒカルくんは無いんかなあ?」


 それは――……、


「ホントは勉強するために通ってるハズなのに、そんなことだけでクタクタに疲れちゃって学校行けなくなっちゃう子の気持ち、わたし少し分かるなぁ」



 ――――どうやらリセは眠り続けたまま、どこかの病院にいるらしいのです。



 僕は、坂崎さんと春野さんにお礼を言って、彼女の家を後にしました。



      ***



 ――――おそらくあの夢の家は、リセにとっての癒しの家……。


 今晩彼女に会ったのならば、僕は一体どんな顔をすれば良いというのでしょうか……。


『やあリセ。

 現実のキミは、死んではいないけど昏睡状態で、しかも目覚める先はキミにとって苦痛なことだらけの世界さ。

 でも僕と一緒にここから出ないかい?』


 ………ダメです。


 この説得で目覚める人がいるとは思えません。


 途方に暮れる僕の足は、いつの間にか商店街に向いていました。


 顔を上げるとそこには、読書する三毛猫の小さな看板。

 文字の一切書いていない、このお店の扉の先に、答えの断片が落ちている気がして。

 僕は引き戸を開けました。


「いらっしゃ~い!」


 ――――聞こえてきたのは思いがけない声でした。


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