眠り姫の家

その1

 ――――眠るのが恐い。


 眠れば明日になってしまうから。


 起きるのが恐い。

 起きれば今日が来てしまうから。


 いっそこのまま、この心地良い泥の中に。

 ずっとずーっと埋もれていられたらいいのに――……。




       ***




 …………


 ………


 ……


 霧が晴れるように、ぼんやりとしていた意識が覚醒してきました。


 気が付くと僕は、見慣れぬ家のリビングルームに立っていました。


 いえ、正確には見慣れなかったのは一昨日までです。

 なんせ僕は三晩連続で同じ夢を見ているのですから。


「またですか……」


 思わず声がこぼれ出て、僕は慌てて口をつぐみました。


 本来ならどうせ夢なのですから、独り言だろうとアカペラ・コンサートだろうと、したい放題なはずです。


 にもかかわらず、何故かこの家の中では息を潜めなくてはいけない気がするのでした。


 窓から差し込む日差しはあんなにぽかぽか照っているのに。

 庭には紅白のバラが咲き乱れているのに。


 テーブルの上には、湯気の立つ紅茶。

 レースの様な白いお皿には、甘い香りの焼きたてクッキー。


 暖炉では小さく火が燃えて、その脇には季節外れのクリスマスツリーと、綺麗にラッピングされたプレゼントが山を作っていました。


 そのどれもが僕以外の誰か――……つまりこの家の主のために用意されたものなのです。


 つまり僕は招かれざる客なのです。


 誰が住んでいるのか分かりませんが、見知らぬ人間が勝手に上がり込んで大喜びする人は少ないでしょう。


 そして何より一番恐ろしいのは。

 ドアの向こうに、壁を挟んだ隣の部屋に、あるいは窓の外に。

 僅かな物音と共に人の気配がする、という所です。


 もしも家主に見つかってしまったら、どうなるのか――……。


 ……悪夢に変わる事は、想像に難くないです。



 と、その時です。


 ギシ……ッ。


 ドアの向こうで床板が軋む音がしました。


 ま、まずいのです!


 ギシ……ギシ……ギシ……。


 足音はゆっくりと、しかし確実にこの部屋に近づいて来ます。


 僕は息を殺し一歩後ろに後退ると、周りを見回しました。


 他に出口はありません。


 いざとなったら窓から庭に逃げるしか――……。


 ギシ……。


 足音がぴたりと止みました。


 同時にドアノブがゆっくりと回り始めます。


 僕は窓に近づいて、そこに手を掛けながらも、ドアから目が離せませんでした。


 逃げた方が良い。


 それは分かっているのに、この家に住むのがどんな人なのか見てみたい。


 その誘惑にも抗えないでいたのです。


 ドアが今にも開く――……!


 ――――その時になって。


 ピピピ! ピピピ! ピピピ!


 覚えのある音が聞こえてきました。


 これは僕の目覚まし時計です!


 再び意識がミルク色の霧へと包まれていきました。


 どうやら目が覚めるようです。


 惜しいような、ほっとしたような……。


白濁する視界の中、僕はドアのすき間にピンク色の何かを見た気がしました。


 ……あれはフィニアルさんだ……。


 先生が大事にしていて、僕が台なしにしてしまった、人形だ……。


 と、僕は何故か思ったのでした――……。



       ***



 翌日。


「……ふぁぁふむ……」


 放課後にお店でお手伝いをしていると、今日何度目かのアクビが出てしまいました。


 何故かあの夢を見始めてから、眠れば眠るほど体が疲れる気がします。


「どうした、ヒカル君。

 寝不足かね」


 茶の間から先生がそう問い掛けて来ました。

 僕に背を向け、テレビゲームに集中したままです。


 ……どうやらこの人には後ろにも目が付いているようです。


「夜更かしか? 珍しいな」


 奥の暗がりで相変わらず本を読んでいるのは、シグレさんです。


 いえ、寝ていることは寝ているのですが……。


 僕は彼に首を振って見せると、あまり考えも無しにお二人に夢の事を話してしまいました。


「……そ、それは『マヨヒガ』じゃないのかね……!?」


 話し終えると、それまでゲームに熱中していた先生がこちらを振り返って、何故か声を掠れさせて言いました。


『まよいが』?


「それって、なんですか?」


 小首を傾げれば、暗がりからシグレさん。


「『迷う』+『家』

 『迷い家』だよ」

「で、で、ヒカル君!

 君は何を持って帰ってきたのだ?

 コップか? 茶碗か? 庭の花か!?」


 先生が、貞子のごとく四つん這いで僕の方ににじり寄って来ました。


 怖いですって!


「落ち着いてくださいよ!

 夢の話しですよ!」

「でも3日連続だろ?」


 言うのはシグレさんです。


「何か意味があるんじゃないのかな」


「そ、そもそも『マヨヒガ』って何なんですか……っ?」


 僕は先生の勢いに若干引いて、一歩後退りました。


「簡単に言うと神様の家だよ」


 やっぱり答えてくれるのはシグレさんです。


「山の中で道を見失いさ迷い歩いていると、唐突に見たことの無い立派な屋敷に行き当たる。

 庭には、咲き乱れる紅白の花々と沢山の鶏。

 道を聞こうと中に入るが、家主はおろか使用人の姿も無い。

 ところが誰かの気配だけはそこかしこにある。

 燻る囲炉裏に。煎れたての緑茶に。通り過ぎた厠に。

 しかし振り返ってもそこには誰もいない。

 恐ろしくなって、迷い人は慌てて家を飛び出した――……。

 ……というのが、いろんな伝説に共通する流れかな」


 確かに僕の夢と似た所もあります。


 紅白のバラとか。

 そこかしこに感じる誰かの気配とか。


 でも異なる部分も有るようです。


 ニワトリなんて見ていないですし、何よりシグレさんが話しているのは日本家屋のようですが、僕の夢では洋館です。


 考え込む僕に、再び先生がにじり寄って来ました。


「で、で!

 何か持って帰って来たんだろう!?」


 ……あのですねぇ、


「夢だと言っていますでしょう?」


 僕は幼稚園児を諭すように優しく言いました。


 夢の中の物を持って帰って来られる訳が無いじゃないですか。


「な、なにぃ!?

 何も持って来て無いだと!?

 君は何て愚かなのかねっ!」


 ええぇっ!?

 予想外の罵倒です!


 助けを求めてシグレさんを見ると、彼はひょいと肩を竦めました。


「一説によると『マヨヒガ』の中の物は金運をもたらすらしいよ」


 それで納得いきました。


 まったく。

 先生は『金運アップ』の前に、心を清めてもらうべきです。


 茶の間の隅でふて寝し始めた先生を横目に、僕は再びお店の掃除に戻りました。

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